第56話:酒呑童子(十四)

「……勝った?」


 ぽつり。誰かが、重苦しい沈黙を破った。それから歓声の堰が切れるのに、僅かの間も存在しない。


「やった。鬼が、茨木童子が倒れた!」

「渡辺源次がやりおった!」


 やんややんや、遠巻きの武士達が騒ぎ立てる。渦の消えたあと呆然と立ち尽くす松尾には、目のちかちかする思いがした。


「いや──」


 そうではない。

 渡辺源次は、事実を伝えようとしたはずだ。けれど呼びかける声と手を、誰も顧みなかった。

 傷も疲労もない武士達が駆け下りていくのを、止める方法はきっとなかった。


「どうにもならぬ。それより、お前達の身に大事ないか」

「ねえずら」

「ないな」


 松尾はあちこちに鈍い痛みを感じた。放っておけば、半月も経たず忘れる程度の。だから「私も」と言いかけ、呑み込む。


「落僧殿が」


 落僧がどうなったか、目にしたのは松尾だけだ。だというのに、渡辺源次は問わない。

 ほんの一拍、息を吸って止め。吐く時には松尾の肩をそっと叩いた。


「どこだ」


 言われ、駆け寄る。閉じた眼に肝を冷やし、「落僧殿」と呼んだ。

 岩の門を開く速度で、まぶたが動く。広がった瞳孔に、松尾が映る。だがもう、視線は合わなかった。


「お前の与えた傷だろう。おかげでしかと、茨木童子は倒れた。ほかに遺す言葉があるなら聞くが」


 仰向けの落僧を見下ろし、渡辺源次はあぐらに座った。腰の竹筒を取り、口を湿らせてもやる。


「出羽の。浄穏寺じょうおんじに」


 切れ切れながら、間違いなくそう言った。

 出羽とはどこか。聞き覚えのあるような気もしたが知らぬし、その寺がどうしたのか。続く言葉を、落僧はなかなか言わない。

 半開きの唇から、乾風からかぜが流れ出るばかり。なにか言えと告げた男も、じっと見据えるだけだった。


「そ、その寺へ行きたいんですね。分かりました、すぐとは約束できませんが」


 待ちきれず、先走った。そこへ葬れと言うなら、叶えてやればいい。安請け合いと自覚しても、松尾には放っておけなかった。


「違う」


 ひゅうひゅうと、風の音が酷い。落僧の口へ耳をつけ、松尾は聞く。


「浄穏寺で眠る者達に、腹いっぱいの飯を」


 風がやんだ。もう少しと呼び止めるどころか、弱まったと気づく暇さえないほど忙しく。


「落僧殿、落僧殿!」


 松尾の声にも、二度と風は吹かない。あとは開いたままの口と眼を、静かに閉じさすしかできなかった。


「源次殿。なにか、ご存知なのですか」


 多くの人が葬られているなら、浄穏寺とは鳥辺野のような場所だろう。ならば近くまで行けば、所在は分かる。

 しかし落僧のやることなすこと、どうも死ぬことが目的としか思えない。連れてやるにも、どんな心持ちでいれば良いやら。

 正しい答えとまで言わず、糸口くらい。渡辺源次は知っていそうだと、松尾は訊ねた。


「訊いてはない。しかし十年ほど前か、秋田城の北方へ新しく建てられた寺が浄穏寺と言った」

「秋田?」

「うむ。元より住む者どもと、朝廷の向かわせた武士と。小競り合いが耐えぬ土地だ、今もな」


 秋田。やはり一度だけ、聞いたことがある。思い出そうとしても、どこかで詰まらせたように頭が重くなった。


「ある時、反抗する集落との話し合いが持たれた。治めようと言うに、皆殺しにしては元も子もないとな。それで寺を、と言っても小屋だったそうだが。薬と飯と、次の年の種と。秋田城主の名で、和解の印として配られた」

「それは良いこと──でしょう?」


 住む者達からすれば納得は難しいだろうが、互いに歩み寄れるなら。

 淡々とした渡辺源次の声が冷たく聞こえて、諜う加減で松尾は問う。


「謀りでなければな」

「騙したのですか」

「集落と言ったが、野山の穴に住む者も多かった。ゆえに敵がどこから現れ、どこへ逃げていくか、手を焼いていたのだ」


 それはちょうど、この町と重なる。毎夜、どこに鬼が出るかは分からない。退治しようとすれば、当てもなく大勢の武士を歩かせるのみ。


「消耗の激しいのは分かりますが」

「分かるのなら、それが全てだ。一つ二つの集落を活かすために戦力を分散しては、要らぬ隙ができる」

「それで寺ごと」

「うむ」


 焼いたか。それとも出入りを一箇所に限り、蟻も通さぬ構えで踏み躙る。

 やるとすればこう。と考えの至る自分に、松尾は吐き気がした。


「寺を立てるのに、僧の親子が向かわされたそうな」

「落僧殿が」

「おそらくな、息子のほうだろう。同伴に、策を聞かされぬ武士団も」


 結末を知らされぬ武士が、僧を巻きこんで寺を造る。それほど大掛かりにされれば、争う相手と言えど信用するのか。


「詳しいんですね」


 盃浦と、どちらがむごいか。救いのない、結論も出るはずのない比較が、松尾の胸で勝手に行われた。


「まあな。最後には同伴した武士団もろとも、寺は灰になった」

「というと、その武士団の方は住人達の味方を」

「恥ずかしながら、それがしの分家筋だ。松浦という」


 お頭。

 鮮やかに、昔語りの髭面が思い浮かんだ。それきり、この日の松尾は口をきけなかった。

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