第51話:酒呑童子(九)

 階段は、梯子と見紛うような急な傾斜を持った。とは言え先を行く金太郎が頭を下げず、横歩きもせずで上る。


「なあ。子女ってのは、子供のことだろ?」


 あと一、二歩で上階の床を踏む、というところで止まる金太郎の足。前を向いたまま、唐突の問いを松尾は訝った。


「うん。たぶん」

「じゃあ、こいつらのことか」


 首を傾げつつ応じると、金太郎はすぐに階段を上りきった。

 空いた前方へ、松尾は進む。金太郎が足を止めるだけの、なにがあったろうと考えながら。


「──うん」


 漏れた声は、きっと先の問いへの答えだ。今度は、たぶんでなく。四歩ほど先の壁に、子供の姿があった。

 籠提灯を向けずとも、肌が渇ききっていると分かる。頭蓋の丸み、凹み、腕も脚も二本の骨が一組であることまで、手に取るように。

 己の腕を胸に抱き、膝を縮め。寒いのか? と、案じて松尾は問いかけそうになった。


「遅くなって、ごめん」


 子供は一人でない。縦横の長いほうで五間近くの広間に壁沿い、整然と並ぶ。

 どれか最初の子があって、順に並べたのか。乾きかた、着物の朽ちかたで、時の流れをおよそ追えそうに感じられた。

 中になぜか、順番にそぐわぬ新しい子もあったが。それにちょうど一人分を空けたところも。


 どの子も、初めて会った時のささより幼い。

 だから。良かった。などと浮かびそうになった言葉を、かぶりを振って投げ捨てる。

 けれどもこの広間に、外道丸とささは居ない。


「どれだけ居るんだ」


 階段を上るのに背後となる方向が酷かった。最奥の壁まで、骨を踏まずに辿り着くのは不可能だ。人ひとりの恰好が崩れたのも多く、その上に積み重なってもいる。

 いったい何人が居るやら。知らず数えようとする指先を、反対の手で叱りつけた。


「あれ、金太郎?」


 ふと、松尾は我を取り戻した。来た目的を思えば、不要であり危うい時間を使った。

 それでも、のんびりしすぎと急かさなかった金太郎に、なにか言わなければ。探したが、あの巨漢が見えない。

 階段は、いまだ松尾が塞いでいる。となると残るは、次の間へ進む口。


「金太郎!」


 先よりも大きく声を張った。が、返事はない。

 少し離れるくらいはともかく、声の届かぬところへ一人で行った。金太郎に限って、あり得ぬことと松尾は思う。


 勢いをつけ、階段から開口部まで走り込んだ。途端、視界が黒煙に覆われた。誰か火を放ったか。

 いや、それにしては臭いがない。いやいや、正体は後回しだ。

 床の感触を頼りに、一歩、二歩。三歩目で黒煙は晴れた。


 見渡す限りの黒が広がる。真の闇とまではなく、少なくとも足下の木の色が、遠くで黒と混ざるまでは伸びた。

 だが、右も左も前も後ろも。どちらを向いても果てしなく。抜けたばかりの黒煙さえ見当たらない。


「金太郎」


 念のため、もう一度だけ呼んだ。隣に居れば聞こえるだけの声量で。

 松尾には、もはや返事のないのが当然と思えた。

 音がない。自身の立てる衣ずれや、床の軋み以外には。半分としても、十人前後の武士はどこへ行ったか。


 籠提灯の火を吹き消す。

 見えるものに変化はなく、やはりと籠提灯を捨てた。慎重に音もなく、松尾は太刀を抜いた。


「これが鬼の」


 不可思議な力を使う。聞き及びはするものの、どんな力か明確な話はなかった。

 明確でないなら、この場所がそうだろうと決めつける。自分は鬼の手中へ迷いつつある、と。


 羅城門の間口が四十間ほど、奥行きは五間くらいか。表から見た姿を思い浮かべ、「どうやっても入らないな」と笑った。


 どこから来る。何人が来る。せめて壁があれば、伝って行くのに。あらゆる方向へ神経を研ぎ澄まし、足を動かした。

 二歩、三歩と進み、遠く気配を探る。また進む時には、どちらが前だったかも分からなくなった。


 ──汗で草鞋を濡らすとは、久しく覚えにない。どれだけの時間を使い、どれだけ歩いたか、知るすべを持たぬまま。

 気持ちの悪い感触と足の滑るのを嫌い、投げ捨てた。乾いた木に、なにもかも吸い取られそうな心持ちがした。


「ん……」


 足裏に、僅かな震え。

 ぴたり。呼吸も止めて探れば、やはり細かな振動がどこかから伝わっていると松尾は感じた。

 どれだけ目を凝らしても、映るものはない。それなら、と覚悟を決めて目を瞑る。


「向こう」


 分かる。進むほど、震えが大きくなっていった。やがてそれは、誰かが争っているものとも。

 七十歩も行ったところ。まず偶然だったのだろう、松尾の足にとびきり強い衝撃があった。

 誰かに踏まれたと思うくらいだが、しかし感触は足裏に残る。


 ここに誰か居る。見つけたところで策もなく、気配を探り続けた。

 己になにができるか。

 身一つ。加えて金太郎の母に貰った、伝来という太刀が一振り。


「斬る」


 確信とは言わず、誓いのようなものだった。

 松尾は膝を折り、姿勢を低くする。痛みに腹を抱えたかの恰好で。


 振動に二種類がある。一つは鼠の走るのに似た、細かく立て続けのもの。

 もう一つは力任せに太鼓を打つかに似た、怒りを伝わせるもの。


 後者だ。

 松尾は狙いを定め、動きを読む。眼を閉じたまま、猛り狂う鬼の姿を見る。

 対峙する誰かが、距離を取った。鬼は飛び上がって追う。

 誰かは鬼の背後へ回り、斬りつけた。いやもう鬼はそこへ居ない、背後の誰かのさらに背後へ。


 それは松尾の、太刀の間合い。


「斬る!」


 片腕を落とすべく、斬り上げた。人と同じく、鬼の腋も柔らかい。


「ぎっ、ぎえぇぇぇ!」


 手応えあった。けれども松尾は、痛恨の舌打ちをせねばならなかった。


「浅い」


 松尾の間合いから、鬼が飛び退る。明かりのない中にも、輝く白銀の髪を振り乱し。

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