第46話:酒呑童子(四)

 ──それから翌日、また翌日も、合わせて十四の躯を運んだ。東南の城門に近い二、三軒が、ようやく空になった。


「あたしもね、掃除は嫌いでねえずら。馬この足元を綺麗にしてねえと、おっ転んじまう」


 荒二郎は、常に馬の話のできる距離に居た。あくび混じりの手持ち無沙汰で。


「見ていてもらうだけで十分です。さすがに鬼が来たら、知らせてはくれるでしょう?」

「あんたと組まされてから、なんでか遭わないけどな。腕が鈍りそうだ」


 ここ数日、曇天と小雨の繰り返す中、多少は明るいと言える朝。金太郎の鉞が虚しい唸りを上げた。


「あたしが細工でもしてるって? そりゃあいい、できたらずっと遭わねえでいくべ。夜の散歩をしてりゃ、おまんまに困らねえだら」


 荒二郎の言い分を、おかしいとまで松尾は言えなかった。かと言って、金太郎の舌打ちも分かる。

 この三人組は危険でなかろうか。とは今さらだが、そろそろ渡辺源次に交代を願っても良いかもしれない。


 そう考えていると、朱雀大路を下る狩衣の集団とすれ違った。

 頼光の手ではない。十数人の中央に、前後を持って運ぶ戸板がある。筵を掛けられていたが、おそらく二人の人間がせられていた。

 毎日どこかの家の武士が死んでいる。直に必ず見るわけでないが、話には聞こえた。


「あの人は、鬼にならないといいんだけど」

「さあて、どうずら。大概の奴は負けず嫌いだぁらよ」


 聞こえぬところまで離れてから、密かに見送る。その独りごちを、荒次郎が答えた。どうにもお喋り好きらしく、珍しいとも感じなかったが。


「負けず嫌いだと、なにか」

「んん? 鬼ってのは怨みで死んだ奴がなるもんちゅうて、聞くべが?」

「怨みで……いえ、たしかなんですか」


 ああ、と唸って、荒二郎は頷く。なにを当然のことを問うのか、などと言いそうに怪訝な顔で。


「一年もここへ居りゃ、死に目に会うのも少なかねえずら。それがしばらく経って、まあ機嫌悪そうな面でまた会うんさ」

「源次殿は定かでないと」

「いやまあ誰も、さあ今ってのを見たでもねえから。源次殿が言やあ、備前守が言ったちゅうことになるべ」


 おかしい、と指摘すべきはなかった。しかしすんなりと首肯することが、松尾にはできない。


「いや、でも。怨みを持って死ぬって、みんなそうでしょう。鬼だけじゃなく、病でも腹が減っても、みんな『ああ、くそ』って思いながら死ぬもんでしょう」


 掴みかかる勢いで、荒二郎との距離を縮めた。


「そうかい? しっかり往生した、ちゅうて死ぬる人も居るべ」

「そんなこと分かってます。でも、そうじゃなくても、みんな鬼になるとは限らないって」


 ふへっ。と力の抜けた声と共に、荒二郎の手が松尾の肩を叩く。


「まあまあ。力まれても、あたしが間違いなく答えるちゅうのは無理ずら」


 諭したのか、馬鹿にしたのか。松尾は、触れたままの手を握り潰したい欲求に駆られた。

 震える拳を腕力で押さえつけ、その間に荒二郎はさっと帰途へ戻る。

 入れ替わりの大きな手が「どうした」と。答えるには、何度かの呼吸を必要とした。


「……外道丸も、ささも、父ちゃんも。鬼になんか」

「んだな」


 やはり三人組を替えてもらおう。荒二郎に非はないが、きっと合わない。そう誓うのが八つ当たりと気づいても、抗う余力が松尾にはなかった。




 昼過ぎ。横にはなっても眠れず、松尾は渡辺源次を探した。

 だが、三つの平屋のどこにも見当たらない。初めて、外縁の最奥まで行っても。


「ん、松尾太郎」


 建物の裏へ出るだろう戸が開いた。顔を出したのは頼光。


「儂に用か?」

「それが源次殿を」

「なんだ、儂より源次が良いのか」

「い、いえそんな」


 慌てる松尾に、頼光は拗ねた顔をたちまち解く。


「戯れだ。湯でも付きあえ」

「はあ」


 にやにやと悪戯めいて、頼光は外縁を戻る。おとなしく従えば、いつもの外縁の部屋に入った。ただし全ての障子を閉めたまま。


「源次は出ておる。この度は近場ゆえに、あと三、四日だろうが」

「ああそういえば、数日見かけていないような」

「ふふ、源次の人気も大したことはないな」


 先ほどのは戯れでなかったのか。いや戯れの証拠に、頼光は楽しげに口角を上げる。

 それでもなんと応じて良いやら、松尾は言葉を詰まらせるばかり。


「その、なんとも」

「奥の戸は、裏庭に出る。祖先を祀った廟があるだけだがな」

「それは知りませんでした」

「暇なら詣でてやってくれ。作法は要らん、天気の話でもしてくれれば良い」


 その程度で良いなら幾らでも。答えたところで、いつもの若者が茶を持ってきた。礼を言えば「お熱いです」と言葉少なに出ていく。


「で、儂では不足の話か?」


 足音が去り、また頼光は戯れを重ねた。と思った松尾だが、見つめる眼の違うことに気づく。笑むものの、からかう色は失せた。


「不足なんて、そんな」

「ならば、口に出してみれば良い。さすがの儂も、でなければ分からん」


 それきり頼光は茶を啜るだけで、口を閉じた。なかなか言い出せない松尾と二人して、湯呑みを空にするまで。

 最後に、温まった息を「ふう」と吐いたのが、この時間の終わりを告げた。松尾には、そう思えた。


「お願いがあります」

「うん」

「羅城門を掃除したいのです」


 荒二郎の件は、言えないと諦めた。だからとなぜ羅城門が飛び出たか、松尾にも分からなかった。

 ただ、後悔もしない。


「ほう、大仕事だ」

「難しいでしょうか」

「よその見廻仕も頼まねばな」


 頼光の立場を知らずとも、松尾より幾つか年上に過ぎないのは分かる。武士の頭領でも若輩に間違いない。

 では無理だ。松尾の我儘を押しつけるつもりはなく、諦める気持ちがすぐに整った。両の拳を床に突き、頭も下げた。


「難しいでしょうか」


 また。思いもよらぬ言葉を、自らの口が囀る。けれども言って、なにやら胸のつかえが落ちたように松尾は感じた。


「段取ってみねば分からぬな。それに全員を行かすわけにもいかん。源次がお前を使うかは保証できんが」

「それでも構いません」

「では、やってみよう。松尾太郎、お前にも手伝ってもらうぞ」


 下げた頭を、より下げた。額を床につけ、松尾は唸る。


「私にできることなら。いえ、できないことでも」

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