第47話:酒呑童子(五)

 * * *


 松尾が次に頼光と話したのは、三日が過ぎてからだった。世話係の少年に言われて水を浴び、新しい狩衣に袖を通して。

 頃合いは昼と夕の真ん中。頼光はいつもの護衛も連れず、板戸の外で待っていた。

 金太郎と二人、顔を見せるやいなや。「参るぞ」と歩き出す。


「あの、どこへ。お付きの人は良いのですか」

「二条だ、池田いけだ中納言ちゅうなごんのお方へ招かれた。護衛はお前達では足らんのか?」


 やってきて日も浅いというのに。少なくとも、滅多なことをしでかさぬ信用はあるらしい。

 ほっとするような、危ういような。どっちつかずの妙な気分に松尾は襲われた。


「二条というと、大内裏に近いですね」

「おお、そのとおりだ。従三位じゅさんみ、と言っても知らんか。帝をてっぺんに数えて、十本指に入る」


 呆れた風に、「へっ」とため息が聞こえた。頼光でも松尾でもなく。


「そんなお偉い奴が、おらになんの用があるってんだ」

「そう言うな、松尾太郎の頼みを果たしに行くのだ。ひと言、下手ななにかを転ばすだけで、儂もお前も簡単に首が飛ぶ。そういう偉いお人のところへな」


 意地悪げに頼光は笑って見せた。対して金太郎は「分かった分かった」と、存外にあっさり引き下がる。


「三日。難儀をさせたのでしたら、すみません」


 毎日、内裏への往復を欠かさない。頼光が行ってなにをしているか、松尾には想像もつかないが、忙しい身に仕事を一つ増やしたのはたしかだ。


「いや? お前と話した日に、書を送っただけだ。それで今日、お返事を頂戴した」

「そうなんですか」


 拍子抜けしたが、それが頼光の手腕なのだろう。もう計画の成った気がして、いやまだだと気持ちを引き戻すのに松尾は苦心する。


「読んで答えるくらい、すぐだろ。それを三日かけて、こっちは今日の今日か」


 あくまでこれは独り言だ、とでも言いたいのか。金太郎は、鉞に巻いた革の袋を取って付け、取って付け。

 失笑の頼光も、あさってのほうへ向けて答えた。


「どこぞで大きな腹の虫が鳴いておるな。もそっと躾けてもらわねば困る」


 ──池田中納言邸は、頼光の屋敷から目と鼻の先と言えた。どこぞの腹の虫のせいで、この距離を三日かと松尾も考えた。

 しかし門を守る男に声をかければ、主と対面するのに時間はかからなかった。


「お忙しい中を、ありがたく存じます」

「なに、どうせ暇を持て余しておる。どうにもこの世は、平安が過ぎてつまらぬな」


 畳に座した池田中納言を、松尾はまず動きにくそうな恰好と見た。狩衣と似た作りの衣服ではあったが、どこもかしこも布地がたっぷりと余っている。

 あれでは太刀を振るうたび、どこかしら自分を斬ってしまいそうだ。


「そうだ、たしか備前守であったな。過日の山桃は旨かった。また食したいものだ」

「左様で。申しわけありませぬが、時期を過ぎております。また来年、必ずお届けしましょう」

「うぅむ。ないと言われれば、余計に食いたくなる」


 頼光を前、松尾と金太郎が並んで後ろ。三人共が頭を下げたまま、対話は続く。


「いや待て。お前のところで絹糸が採れたな」

「ええ、左様で」

「すぐに必要な用向きがあるのだが、都合つかぬか」

「それは丁度良うございます。今年はいつもより多く採れておりまして、さてなにに使うがいいかと考えておりましたところ」


 手を鳴らし、池田中納言は喜びの声を上げる。「北の方の機嫌がとれる」と。

 さなか、小さく舌打ちが聞こえた。そっと覗くと、眠るようにまぶたを閉じた金太郎が頬をひくつかす。

 ここまで、物の無心しかない。気持ちは分かるが、なんとも慰める言葉もなかった。


「ああ、すまん。としたことが、窮屈なままであったな。顔を上げてくれ」

「左様でございますか。では不躾ながら」


 より一層に頭を低くして、頼光は上体を起こした。倣って松尾も、金太郎も。


「連れが見ぬ顔だな」

「新しく従った者達でございます。若く、腕が立ちます」

「ふむ。それが武士なのであろうが、不粋よの。この平穏に、そこまで人を集めてなんとする?」

「そればかりは、お役目にてご勘弁を」


 平穏か。口の外へ決して漏れぬように、松尾は繰り返した。

 きっと、そう見えるように頼光が働いているのだ。信じて、ほかのなにをも考えない。


「不粋と言えば、五条殿が穢れを貰うたとか」

「はあ、そのようで」

「しばらく、きょを移すそうな。穢れとなると致し方ないが、難儀なことよの」


 五条殿とは。穢れとは。

 二つの言葉が、松尾の胸に杭を打った。しばらく息もできず、頼光の対話も聞き取れない。

 五条という名の貴族か、それとも五条の辺りに住む貴族か。いずれにせよ穢れを貰ったとは、偶然の一致と思えなかった。


「……なるほど。お気持ちを安んじるのは難しいですが、せめて庭の木でも入れ替えさせていただきましょう。さすれば僅かなりと向きも変わりましょうぞ」

「うん、それは良い。さっそく手配を頼む。吾から見舞い代わりと、忘れずにな」

「無論にございます」


 乱れた息を一文字の口の奥へ呑み込み、松尾は平静を装った。この場の会話は、松尾の話すのと同じ言語とは思えない。目をつけられ、お前が話せと言われれば、どうもできない。


「ところで中納言。本日、罷り越しまするはお願いあってのこと」

「おお、そうであった。なんなりと申せ」

「ありがたく、図々しくも。ここに控えまする、浦辺松尾太郎につきまして」


 頼光が左の手をさっと上げる。その後ろへ座す松尾は、どうしていいやら頭の中を真っ白にした。

 次の瞬間。床につくまで頭を下げたのは、現実からの逃走にほかならない。


「この者、鬼退治の腕は十分。その上に都を清浄に致さんと、一人立ち上がった益荒男ますらおにございまする」

「ほう、持ち上げたものよ」


 どんな落ちを持ってくるやら、興味が湧いたのだろう。池田中納言は、にやにやと応じる。


「いやいや。今や穢れに染まった羅城門。帝の統べる都にあってはならぬこと、でございましょう?」

「む。うむ、それはその、まあ。うん、けしからんことよ」


 にやにやが凍りつき、しどろもどろと咳払い。中納言の目が泳ぎだすに至って、松尾も少し落ち着いた。


「けれども、そう。大変な大仕事になりまする。ゆえに一人では叶わぬと、松尾太郎は涙を呑んでおるところ。それでも東南の一角を、見事に清浄へ戻したのは主のそれがしも驚くばかり」


 大仰な頼光の言い振りを、松尾はおかしくなった。比べて池田中納言の、操られたような首肯も。


「う、うん。それで、願いごととは」

「この浦辺松尾太郎。やはり羅城門が要と、大祓おおはらえを願っております」

「ふぅむ。分かるが、いずれの寺も手に負えぬと」


 寺がどう関わるのか、松尾には分からない。しかし「畏れながら」と、頼光が立つように手を動かしたのは分かる。

 ざっ、と風を巻いて起立した。同時に金太郎も。


「おお……」


 見上げる目線で、池田中納言は息を漏らす。


「我らは武士。悪しきを祓うは、腰の物にて」

「う、うん、よし分かった。手が足らぬと言ったな、兵部ひょうぶに言えば良いのだろう」


 平伏した頼光に、中納言のしゃくが向いた。小刻みに震えながら。


「ありがたく存じまする。池田中納言のお声にて、いずれの武家も参じるべし、と」

「そ、そうじゃな。そのように計らおう」


 部屋の奥、畳敷に座す中納言。正面、床に伏す頼光。歳の頃に二倍の差もありなんとするに、松尾の目にはどちらが上か分からなくなった。

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