第44話:酒呑童子(二)

 * * *


 また、夜がやってくる。蕪と茄子の漬物で湯漬けを流し込んだ松尾は待ちきれず、部屋を出た。変わらずの曇天は正確な時分を隠そうとするが、主張の強い陽が西の山に片手を残す。


 通りへ出る板戸の前に立つ。開け放した戸の厚みを見れば、指の太さと変わらない。

 特に道具を用いずとも、少しの力で蹴破れる。備えとして、安心とは程遠い代物だ。


「松尾丸、外に居たのか」

「うん、やることがなくて」


 金太郎の声に、振り返らず答えた。やること・・・・はなかったかもしれないが、考えることばかりでじっとしていられなかった。

 とは言えない。言えば間違いなく、なにを考えたのかと問われる。それは松尾自身が知りたいことだ。


「三人目だ」


 続けられた言葉は、なぜか不機嫌そうだった。だからというわけでもなく、直ちに振り向く。

 すると金太郎と並ぶ男が、先に口を開いた。


「いぁんばいす。碓氷うすいの荒二郎あらじろう貞道さだみちずら」


 狩衣と大小の刀を含め、頼光と似た中肉中背。顎髭はないが、細く整えた口髭も同じ。糸のように細めた眼で男は笑む。


「い、いやんば?」

「ああ。ゆっくり言うたら、いい塩梅やんばいです、ちゅうことだにい。武州ぶしゅう(現在の多摩から群馬、北千葉付近)じゃみんな、挨拶はこれっきしずら」

「は、はあ。よろしくお願いします」


 男は自身を「荒二郎ちゅうて呼んでもらえばいいさねぇ」と言った。しかし松尾が名乗り返そうとすれば「まあまあ、話はおいおい」などと背中を押した。


「あたしの親父は馬の運びをやるけい、あたしも継ぐはずだったずら。ちゅうても東国はどこも物騒だけい、刀ぁ使えちゅうて。それがいつの間に、この有り様で困るだにい」


 荒二郎は、松尾と金太郎を並んで歩かせ、己は後ろに着いた。それでしばらく、訊ねもしない東国の話が続く。


「──それでまあ陸奥ちゅうのはいつまでも雪が深いけい、『休んでくべ』言うて。ひと月も、ごろごろごろごろさせてもらったずら」

「ああぁぁぁ、うるさい。少しは黙って歩け」


 とうとう金太郎が痺れを切らした。と言ってもまだ、二条へ差し掛かったころ。


「あれまあ、うるさかったべが? 新参ちゅうて聞いたもんだけい、気ぃ遣ったつもりずら」


 街は既に、すっかりと夜に沈んでいた。雲のおかげで月も見えず、明かりと言えば籠提灯が一つ。

 持ち手が荒二郎であるがゆえに、謝っても笑ったままの顔がくっきり浮かぶ。


「いや、あの。そう、荒二郎殿はいつからですか」


 謝ってもいないのか? 気づいたもののそれはどうでも良く、金太郎が鉞に手を触れさせないかが案じられた。

 急な話題の転換にも、荒二郎はにんまりと笑う。さすがに松尾も暢気が過ぎると思った。まさか他人の怒りが目に映らないとは言うまい。


「まだ一年くらいなんさ。腕も大したことないけい、そんな畏まって話さんでいいずら。歳も似たようなもんだべ」

「いやいや、源次殿に認められたんでしょう。それで毎日のように鬼を捜して、大怪我をした様子もない」


 少しの間を置いて、「ふっ」と噴き出す声。「どうかしましたか」と問うても、答えは「いやいや」だけだったが。


「番外となったら、酒呑童子の手がかりを掴めと言われました。多少のことは備前守から聞きましたが、ほかになにか知っていますか」


 荒二郎の言葉や態度を、いちいち気にすまい。松尾は誓って、仕事に集中することにした。


「酒呑童子ちゅうたら身の丈は十尺(約三メートル)を越えて、全身が燃えるような赤い鬼だにい」

「んなことは聞いた。ほかにって言ってるだろ」

「さあて。なにせ、見て生きた人間がほとんどないずら。十尺も赤鬼も四、五年前の話だにい」


 昼間、頼光から聞いたとおりを荒二郎は答える。


「けど、それからずっと捜してるんでしょう? 最近は貴族の子が拐われてるって。なにか噂みたいなことでも、あれば教えてください」


 おいそれと他言するな。渡辺源次に忠告されたが、番外の者同士なら構わない。


「それ、おかしいと思うべが?」

「ええ?」

「姿を見られてないだら、なんで酒呑童子の仕業ちゅうことになるさぁ」


 どこへということもなく、動かし続けた松尾の足が止まった。荒二郎の言うとおり、おかしな話だ。


「おかしいです。それは、ええと──本当は酒呑童子がやったんじゃない?」

「違うずら。いや、でも半分は合ってるかもしれんずら」


 愉快げに、荒二郎はけたけた笑う。場所は都の真ん中、昨日の鬼と出会った六条も先に見える。

 なにを楽しむのも勝手だが、早く答えを出してもらえまいか。力む己の拳を、松尾は意識して解く。


「半分と言うと?」

「なんだ。松尾太郎のほうは、随分とつまらんだにい」


 松尾太郎のほう・・と言うなら、荒二郎にとって面白いのは金太郎だろう。

 松尾はそれを、自身の目でたしかめることはしなかった。誰にも気づかれぬように胸の息を入れ替え、極めて平らに問う。


「からかって遊ぼうと言うなら、好きにしてください。でも訊ねたことには答えてもらわないと、仕事に差し支えます」

「からかう? あたしはいつでも真面目ずら。真面目でないのは、床の中だけだにい」


 薄ら笑う荒二郎の、奥の見えない眼。松尾はほんの僅かも逸らすことなく、睨めるでもなく見返した。


「……ふう、松尾太郎も真面目ずら」


 根比べに勝ったのは、きっと松尾の手柄ではなかった。大路の北から、牛車の近づく気配がある。荒二郎はあっちへ行けと、牛車から見えない方向へ追い立てた。


「それで、半分っていうのは?」

「別の大鬼が居るだにい」


 小路を折れても、別の牛車が見えた。荒二郎は先を歩き、今度はあっさりと答える。


「真っ白い髪の青鬼。身の丈は公時より大きいかいにい。その鬼が言ったらしいずら、自分は茨木童子いばらきどうじで、酒呑童子の仲間ちゅうて」

「鬼が言葉を?」


 足柄山で、どれだけの鬼を屠ったか。数えるすべもないが、ともかく喋る鬼など一人もなかった。

 対峙した鬼と会話をしたら、果たして自分は斬れるだろうか。咄嗟に浮かんだ怖ろしい仮定には、気づかぬふりをした。


「でもそれを、なんで備前守は言ってくれなかったんでしょう」


 聞くべきことは、まだまだある。その一つを問うと、前を行く荒二郎の背中が急速に近づいた。ついさっきの松尾と同様に止まり、数拍の沈黙から「知らんずら」と苦笑を漏らす。


「でもまあ、たぶん。あたしが勝手に言うと思ってるんだにい」

「荒二郎殿から聞くほうがいい?」


 ほかに解釈を思いつかなかったが、荒二郎も頷いた。


「備前守の配下では、あたしだけずら。茨木童子を見たのは」

「それは……」


 なぜ今夜、荒二郎は自分達と組まされたのか。最初からの疑問だが、お喋りに押されて訊ねられなかった。

 今まで決まって組んでいた誰かは居なかったのかと。


「ちゅうこって、あたしは死にたくないずら。松尾太郎と公時がなにをやるのも勝手だがね、危ない時は勘弁してもらうだにい」


 勘弁と言葉を濁した。それは二人を見捨てても、荒二郎だけは生き残るために逃げ出す。松尾がそう聞き取ったのは、きっと誤りでない。

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