第37話:源頼光(四)

 * * *


「あれが羅城門らじょうもんだ」


 渡辺源次の指す門を前に、松尾の足は止まった。

 黒々と光る瓦屋根を支えるのは、八本の朱柱。およそ五間ごとに整然と並び、高さは松尾と金太郎が肩車をしても半分に満たない。それが上下に二層、さらには門と同じ長さの城壁が左右に伸びる。

 これほど巨大な建物を目の当たりに、残る二人はさっさと歩く。松尾も慌てて追いかけた。


「なんだ、このぼろぼろは」


 あちこち座ったり、壁にもたれる人の姿も多いというのに、金太郎は憚りない。言い分について、松尾も擁護のしようもなかったが。

 おそらく壁の全面が白く化粧されていたのだろう。ほとんどが剥がれ、中の竹材もてんでに飛び出る有り様。


「本来、城壁の先を回らねばならんのだろうが。こうなっては取り繕っても詮ない」


 渡辺源次も声を潜めることはなく、城壁の大きく崩れたところを乗り越えて行く。都を守る物だろうに、修繕をしない理由が松尾には想像もつかなかった。


「その羅城門も開いていましたが」


 門の内壁へ、門扉らしき物が寄りかかっていた。外れていても、開いているのに変わりはない。松尾も城壁を乗り越えつつ、問うた。


「体裁として、賓客のみを通す門だ。実際には、宿なしやら病持ちが巣食っておる。通るなら蹴散らすか、全員を救うか」


 渡辺源次の言う光景が、目の前にもあった。行儀よく一列に並ぶ建物の合間へ、人の屍が押し込まれている。すっかり骨と化したのから、まだ生きているようなのまで。

 もう一度、羅城門を見返すことはできなかった。あちこち座ったり、壁にもたれる人の姿を見ることが不躾に思えて。


「道を覚えるのは、さほど難しくない。朱雀大路すざくおおじを中心に、東西へも均等に大路が走る。魚の骨のようなものだ」


 やはり書き物を読むように、渡辺源次は「はっはっ」と発した。なにかの合図だろうかと考える間にも、「帝の住む場所に近い大路から一条、二条」と案内が続く。


 そうやって渡辺源次は、羅城門を正面に据える広場の中央を進んだ。

 左右は羅城門を二つ並べてもまだ余り、伸びる先は霞むまで遮る物がない。呆れるほど広いが、しばし歩いた松尾は門も含めた景色を見回せるようになった。


 少なくとも、もう屍は目に映らない。行き交う人々は松尾がこれまで見た全ての人数よりも多く、忙しげながらもたしかに歩いている。

 こっそりと、胸に溜まった息を吐いた。


「で、その朱雀大路ってのはどこだ」


 盃浦の広場は、毎晩の飯を食う場所。布や道具を仕入れに行った町では、市の中心。どんな場所にも広場はあるんだな、などと言おうとした松尾に被せ、金太郎は訊ねた。


「うん? お前の足下がそうだ」


 首を捻る渡辺源次に対し、金太郎も「あん?」と眉を寄せる。当然に、傍で聞く松尾も。


「道を覚えろと言ったでしょう?」

「うむ。であるから今、お前達の足の下にあるのが道だ。帝の住まう大内裏だいだいりまでを貫く、朱雀大路だ」


 なに言ってんだ? と、松尾も金太郎に倣って言いそうだった。

 しかし待っても、冗談だとは聞こえてこない。ゆえにあらためて、渡辺源次の言葉をなぞる。


「ここがその、朱雀大路という?」

「うむ」


 やはり否定されなかった。これが道かと意味を呑み込んでも、なかなか納得には至れない。


「はあぁ。こんな馬鹿でかい道、なにを通そうってんだ?」


 心底呆れた風に、金太郎は笑って言った。感情的にはともかく、なにを通すかとは松尾も思う。


「さてな。都を造りし頃には必要だったのだろう、なにをと言うなら帝をだ」

「なんだ昔の帝ってのは、そんな化け物みたいな奴だったのか」


 だとすれば、鬼どころではない。金太郎は面白いことを言う。

 また、「はっはっ」と渡辺源次の口から漏れた。まさか笑声らしいと気づいて、やはり冗談だと松尾は頷いた。


「案ずるな、今は我らと変わらぬ大きさだ」


 渡辺源次が、もう一度笑った。




 朱雀大路の北端。羅城門をひと回り小さくした朱門に突き当たる。渡辺源次は「朱雀門すざくもんだ」とひと言、手前の通りを折れた。


 南北の大路を二つ跨いでも、まだ大内裏の城壁が繋がっていた。羅城門と違い、崩れた箇所どころか槍や太刀を佩く者共が警戒の目を光らせる。

 三つ目の大路で、ようやく城壁が途切れた。「もうすぐだ」と渡辺源次は北へ向かう。


「厳密には、ここまでが都と呼ばれるところだ」


 朱雀大路の半分の幅。東西に走る通りは、一条大路いちじょうおおじというらしい。たしかに越えた先、物差しで測ったかの街並みは失せた。

 誰かの居宅が並ぶのは同じでも、広さや囲う塀がまちまちとなった。ただし代わりに、塀でなく生垣であったり、軒先へ畑が作られたり、そこへ住む者の嗜好が感じられる。


「さて着いた」


 一条大路に面した屋敷の一つを回り込んだ裏手。割板の囲いに、粗末な木戸を出入り口とした場所で渡辺源次は止まった。

 羅城門の荒れた様子とも違い、そもそもが薄っぺらな塀と戸だ。


「ここが?」


 武士の住み処として不用心でないのか、とは声に出さなかった。


「おいおい。こんなのじゃ、おらがちょっと触っただけでぶっ壊れちまう」


 遠慮ないのは金太郎。だが渡辺源次の顔色は変わらない。松尾の問いと、纏めて頷く。


「いかにも我が主、備前守びぜんのかみの京屋敷だ。見た目は悪くとも備えはしてある。お前達こそ、備えは良いか」

「備えというと?」

「主がお待ちかねだ」


 仕える源頼光は、摂津に居るのでなかったか。聞いていないと訴えても、どうやら対面を先延ばしにはならぬらしい。

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