第36話:源頼光(三)

 やや猫背気味に丸めた、首と背すじ。だらんと力なく、前に垂れた両腕。およそ肩幅に開き、ゆったりと膝を曲げた脚。

 渡辺源次は男の中では小柄と言えた。筋肉も松尾が勝って見える。しかしあまりに自然な自然体の、どこへ打ち込めば通るのか読めなかった。


 正面に構えたものの、松尾は踏み出せない。正体を見極めんと凝視するのも、休んでいるようなものと思う。

 金太郎はよく動く。体格を言うなら、渡辺源次の正反対。どこへ打っても意に介さず、なんなら撥ね返しでもしそうという男だ。


 その実、素早い動きで的を絞らせない。相手が山賊なら、五人や十人に囲まれてもかすり傷ひとつ負ったことがなかった。

 渡辺源次は金太郎を上回る。いまだ金太郎にも勝ったことのない松尾では、考えるだけ無駄か。


 そう見切りをつけ、右手へ回り込む。避ける方向を一つ潰し、あわよくば利き手を封じようと。

 なにを言わずとも、次に鉞は渡辺源次の左脚を狙って動いた。

 松尾も合わせて、右の手首を落とそうと太刀を振った。もし後退っても、直ちに横薙ぎへ変化できる。


「──お前達は目が悪いな」


 取った。金太郎の首尾がどうであっても、渡辺源次は二度と刀を持てない。と、太刀先が皮膚に触れる寸前まで松尾は疑わなかった。事実として、目に映る光景がそうだった。


 けれど、意味の分からない呟きを聞いたと同時。渡辺源次は消え失せた。

 声の方向を頼りに振り返れば、松尾と金太郎の間に姿がある。さらに、ゆっくりした手刀が右腕を打つ直前だった。


っ」


 痛みはない。ただ触れたというだけの、力の篭もらぬ手刀。それでも咄嗟に、勝手に、声が漏れた。

 違う、どこへ打ち込めばじゃない。

 どこへ居るのか・・・・・・・だ。


 松尾も金太郎も、動きを止めなかった。交互に飽きるほどの空振りを重ね、金太郎の「せい!」で同時に打ち込む。

 すると松尾の足が払われ、鉞の邪魔をさせられた。


 ならば、と。松尾は渡辺源次の死角へ動く。突く構えで、手刀では届かぬ距離を守って待つ。常に反対の位置から金太郎が斬りつけ、松尾が完全に視界から外れる時を。


「せいっ、せいっ、せいっ!」


 金太郎の体力はどこまで続くだろう。碌に知らぬで対峙すれば、受け続ける側が音を上げること疑いない。目の前の渡辺源次を除いて。

 それでもじりじり、後退させていた。金太郎の胴回りほどもある、付近では最も太い樹のほうへ。


 あと二歩。松尾は次の動きなど度外視で、水平に大きく太刀を振るった。渡辺源次に許されるのは幹を背負って鉞を受けるか、太刀筋の下へ寝そべって避けるかしかない。

 二つの刃が、二通りに空を裂く。松尾の目には、樹と鉞とに挟まれた男がたしかに見える。


 もしこれでも消えるなら、もはや神通力じんつうりきやらの域。鬼が用いると聞くものの、いまだお目にかかったことはない。


「ぐぅっ……」


 ひしゃげた声。気づくと渡辺源次は居なかった。

 捜す眼に、仰け反って倒れゆく金太郎が映った。突き上げたたなごころに、顎を打たれたのだ。

 渡辺源次の反撃は、それだけに留まらない。既に引き戻されつつあった腕と、うらはらに伸びる脚とがひとしく働く。捩じ切らんばかり回る腰が、打たれる前から威力を物語って。


「うあぁっ!」


 落ち葉の地面を、松尾は滑った。太刀を握ってもいられなかった。ようやく止まって顔を起こした時には、渡辺源次の両手に鉞と太刀があった。


「参りました」


 すぐさま、片膝でこうべを垂れる。誰がどう見ても惨敗だ。都合、命を幾つ奪われたか勘定するのも馬鹿馬鹿しい。

 だが応答がなく、顔を上げる。渡辺源次は倒れたままの金太郎を引き起こしていた。


「参っ──た」


 上体を起こされてやっと、金太郎は口をきいた。顎をさすり、眼の辺りもごしごしとやりながら。


「相手の動きを限らせんとするまでは良い。そこまでやって、それがしの動きを読んでおらんのが不思議なくらいよ」


 先に鉞を、次に太刀を。渡辺源次は、得物をそれぞれの前にそっと置く。


「読んだつもりでした。でもそれを上回って、人間の動きとはとても」

「うん? それがしは鬼でもあやかしでもない。お前達の目が慣れておらんだけのこと」


 剛毛だらけの小ぶりな手が、松尾に差し出された。引き起こしてくれようというらしい。


「さて、誘わせてもらおう。二人共に腕は良いのだ、それがしらと鍛錬すればさらに強くなれよう」


 じっと。じっと、その手を睨んだ。行きがかりと言え、約束あってのこと。握らぬでは己を穢す。


「強く?」

「うむ。望むなら、天下一と呼ばれるまで」


 強くなりたい。あれこれと記憶を辿らずとも、今の松尾はそう思う。

 けれど最初に、なぜ強くなりたいと願ったか。いやその見廻仕に、歯の立たぬ者がある。折り合わない両者が、この世の果てと果てに感じられた。

 往復する時間を、渡辺源次はもの言わず待った。きっと随分とかかったはずだが、松尾は答える。聞き違いのあり得ぬよう、はっきりと。


「鬼と、人を殺めた人。私はこの二つしか斬りません。それでも良いでしょうか」

「ふむ。それでお前が苦しまぬと言うなら、好きにするがいい」


 あっさり受け入れられたことに、松尾は言葉を重ねない。黙って手を握り、引き起こされるのにも従った。 

 渡辺源次は、座りこんだままの金太郎の前へしゃがんだ。こちらはすぐ、声がある。


「母ちゃんは」


 金太郎も睨めつけるのを改めない。だのに気にした風もなく──とは渡辺源次にあってはなから変わらぬ様子で答える。


「都に住まいを用意させよう」

「摂津だ」

「構わぬ」


 殴りつけんとするかの手を、渡辺源次は受け止めた。

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