第33話:金太郎(五)
「さて」
小屋を出た金太郎は、十歩ほども行って振り返る。同じ動作の中で鉞も振り上げ、頭上の高いところでぴたりと止めた。
着いて歩いた松尾は、ちょうど真っ二つに割られる位置だ。
「まだ動くなよ」
後退ろうとして、金太郎の声に縫い付けられた。単に睨むのとは違う、重いなにかをその眼に感じる。
「どうするのさ」
「おらより強くなるんだろ」
言っていない。が、ここで否を唱える選択はなかった。
もし言えば、その次の瞬間に命はないだろう。しかしそんなことより、強くなれるのなら願ってもない。
「なに、今すぐ相撲で勝てとは言わん。だけど鍛えようのないところもある。おらがこの鉞をどこへ下ろすか、よく見てろ」
「避けろってこと?」
そうだ、と金太郎は頷く。右か左か、まっすぐか。いや斜めにも下ろせるはず。
目が鍛えようもないとは分かるが、避けるとなると話が別だ。
「金──」
ちょっと待てとは、もはや言えなかった。金太郎を巻く風が、すべて刃物と化したかに見える。
もう、まばたきもできない。ほんの僅かでも視界を閉ざせば、鉄の硬さの死が落ちてくる。
「強くなって、どうする」
息も細く、せっかく鉞へ集中したというのに、金太郎は問うた。
「どうって」
「村の連中は皆殺しなんだろ。仇討ちでもするのか」
この会話のさなかも油断するなというらしい。なるほど意図を了承しても、まばたきをやめた眼が痛い。
「みんな、とは決まってない」
「見たんじゃないのか」
「見たよ。少なくとも外道丸と、ささと、海賊は」
黒光りする鉞に、胸から刀を生やしたお頭が映って思えた。洞窟へ入ろうとする武士たちを、身体を張って止めてくれた。
だが追いつかれた外道丸も同じ姿になり、ささなど身体より先に頭が地面へ着いた。
「近くの家のみんなも」
誰がどんな死にざまか、背中で起きたことは分からない。何度となく視界に入った朱い霧と、真似ようもない断末魔がなければ、なかったことにできたかもしれないが。
「だろ?」
抑揚なく、金太郎は言う。呆れて、あるいは嘲笑って、口もとを歪めたのが許せない。
ただ、見逃せない瞬間も同時に訪れた。金太郎がまばたきをした。
そうか、自分も合わせて目を瞑ればいい。生涯で最速のまばたきを試み、結果として金太郎は動かなかった。
「いつか、父ちゃんを迎えに行く。その途中、その先になにが居ても、強ければ遠慮しなくていい。だろ?」
口もとを、うまく真似られたか。金太郎の答えは、「ふん」と強い鼻息混じりの苦笑だった。
それきり、金太郎は喋らない。二度、三度とまばたきをするだけの時間が過ぎていく。
松尾は金太郎の眼だけを見ていた。どうせ鉞が動きだしてからでは避けられないのだから。
まばたきの四度目、金太郎の目玉が動いた。一瞬と呼ぶにも短い、僅かなものだ。おそらく松尾の足を見た。
足を
「どっせい!」
目の前が白く割れ、
待ち構えた位置から、松尾は微動だにしなかった。
「なんで逃げなかった」
「足を刈られるかと思った。けど金太郎が本気でやるなら、頭から真っ二つだろうって」
足に落とされていれば、避けたとして間に合わなかった。むしろ避けようとすれば、へそと軌道を曲げたかもと思う。
正解はさておき、金太郎はまた荒く鼻息を噴く。
「ふん、まあまあだ」
いとも軽く、鉞を担ぎ直す。すると松尾の足下が崩れ、たたらを踏んだ。
金太郎は母の待つ小屋へ、ずんずんと戻っていく。途中、振り向きもせず「ああ」と言いつつ。
「鍛えようのないのは目だけじゃない」
「え?」
「太い肝っ玉だ」
筵を捲り、金太郎はやっと松尾に視線を向けた。
「腹減った。早く入れ」
言い残して消えた金太郎に、松尾は首を傾げるしかなかった。ほんの僅か前に膨らませた腹は、まだひと口分も凹んでいない。
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