第32話:金太郎(四)

「金太郎──」


 おばちゃんの消え入る声は、押し止める気持ちを抱えていただろう。

 だが金太郎は、おばちゃんの口がしかと閉じるまで待ち、なお苛立ちを隠さず言った。


「おらは、この辺りを荒らそうなんて馬鹿な山賊から儲けを分捕る。お前みたいに行き倒れた奴も、身包み剥ぐ。母ちゃんに飯ぃ食わせてやんなきゃいけないからな」


 鉞の刃が喉へ触れた。あと少し力を加えれば、きっと松尾の細い首などひとたまりもない。

 暖かい小屋の中。場違いのような冷たさが背すじへ移り、すぐに全身をぞくぞくと震わせた。「うん」と答えるのにさえ気を遣う。


「母ちゃんが言うんだ、お前を置くのはいい。でもさっきから見てりゃ、なんだ? 生きたいのか死にたいのか、はっきりしろ」

「死にたい?」


 そんなことを言ったか。覚えはなかったが、そう見えたのかもと思う。

 たしかに死ねば、村のみんなに会える。誰も居ない家へ帰るより、確実で簡単だ。あの世とやらで、また盃浦を作れまいか。


「ほれ、それだ。死にたい奴が居るかって、なんで言わない。そんな半端な奴を置いたら、なにかやらかすに決まってんだ。お前の親父みたいにな」


 鉞を振り下ろしたかのひと言で、淡い夢想は散り散りに消えた。

 ひゅっ、と。松尾は鋭く息を吸う。


「父ちゃんは、父ちゃんはなにも悪くない」

「そうか? 長と二人で、村のことをなんでも決めてたんだろ」

「だからって、あんなのどうしろって言うんだ」


 口にした言葉を、胸の内で繰り返す。父は悪くないし、いきなり非道を働いた武士に対処のしようもなかった。

 それなのになぜ、なにも知らぬ金太郎に責められねばならない。いつの間にか松尾も立ち上がり、巨漢を見上げて睨めつけた。


「おらに言われたって知るか。だけどその外道丸ってののほうが、よっぽどだ。見つかって困るのに、なんで逃げ道も用意しない? なんで海賊なんか入れてやる? 備えがどうとか、偉そうにもほどがあるや」


 くっ、と松尾は息を詰めた。どこをどう捜しても、返す言葉が見つからない。


「お頭が居なきゃ、みんな飢え死んでた」

「どうだかな。派手に暴れる海賊が、棲み処を突き止められたかもだ」


 苦し紛れの松尾に、金太郎は淡々と答える。

 知らないくせに勝手なことばかり。短い時間に、どれだけ言おうとしたか知れない。しかし言っても、金太郎は意に介すまい。

 ああ知らない、おらの母ちゃんには関係ないからな。おそらくそう応じるのが関の山だ。


「お前が居たって、同じだろ。父ちゃんはなにか間違えたかもしれないけど、みんな父ちゃんを信じてた。父ちゃんにできなかったことが、お前にできるわけない」


 これは負け惜しみだ。自覚しながらも、松尾は言わずにいられなかった。


「おらが? 武士が大勢で来た時、おらが居たらってのか」


 金太郎は呆れた風に、あんぐりと口を開けた。

 それ見たことか、他人事だから言えるんだ。ささやかな勝利に、松尾は笑って見せた。そんな自分に対して、だからなんだ? と虚しく問いつつ。


「おらがお前で、お前の父ちゃんが母ちゃんなら。おらは武士の一人残さず、叩っ斬る」


 唸りを上げ、鉞が振り回された。金太郎を中心にぐるっと一周して、最後に肩へ収まる。広さに比してさほど高いとは言えない屋根に、ちょうど切っ先が触れなかった。


「だからお前も悪いな。そんだけ父ちゃん父ちゃんって言うなら、父ちゃんを守れるだけ強かったら良かった」

「強かったらって」


 それこそ人並み外れた体躯の言い分だ。理屈だとしても、できることとできないことがある。

 噛みつかんばかり、松尾は吠えた。


「そんな鉞を振り回して。金太郎が十歳の時、同じことが言えるのか」

「ああん? たった二年前だ、そう変わるもんか」


 二年前に十歳、となると今は十二歳。小屋の半分も埋めたように思える巨躯が、外道丸や文殊丸と同じ歳。


「……ええ?」


 燃え上がった感情も足踏みして、疑念を声にするには数拍がかかった。言われてみれば、おばちゃんは多く見積もっても四十に届くまい。


「おらくらいに強けりゃ、なんとかなった。どうでもいいならそれでいいけど、みんな殺されたって泣いてんのはお前だ」

「そんなこと言われたって、今さらどうしろって言うのさ」


 今さらだ。言うとおり、金太郎には関係がない。そしてあの時、事実として松尾は強くなかった。

 強くある必要を知らなかった。


「ここへ置くなら、死ぬ気で生きろって言ってんだ。ただ死ぬ気なら、おらの目の届かねえとこへ行け。そうしたら山賊か熊か、最近は鬼も出る。どうやって死ぬか、悩むこともないからよ」

「また、わけの分からないこと」


 言いつつ、松尾の考えるのは別だった。

 武士を追い返すほど、熊にも狐にも負けぬほど強ければ。恐れて逃げる必要がなければ、誰も死なせずにすんだ。

 子供のけんかの域を超え、誰かと争って上回る。などということを自分がやってもいいのかと。


「強かったら」

「あん?」

「あの山伏も助けてあげられたのかな」

「山伏?」


 話さなかった山伏を引っ張り出せば、今度は金太郎のほうが首を傾げた。

 ただしそれには構わない。父も言っていたでないか、刀や鎧があれば助けられたかもと。手の届く距離には限りがあると。


「どうしたら強くなれる?」


 ならば、手を長くしておけばいい。鬼さえ怯える必要のないほど強くなっていればいい。

 金太郎は唯一の答えを教えてくれたのかも。と、松尾は思った。


「その気があるなら試してやる」


 表へ出ろ、と金太郎は顎で示す。肩へ担いだ鉞もそのままに。

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