第二幕 酒呑童子

第29話:金太郎(一)

 痛い。

 足だろうか。暗闇の中、鋭い痛みが脳天にまで貫く。ぼんやりとした意識が、繰り返しの痛みで覚めていった。強い痛みは足だけで、しかし腕やそこらじゅうが疼く。


 なんで怪我したんだっけ。

 というか、なにしてたんだっけ。


 考えようとしても、頭の中が靄に包まれたようだった。ええと、と粘る気力が足らず、また意識が深い闇へ落ちる感覚がした。

 もういいや。

 逆らわないと決めると、とても楽になった。痛みでさえ。このままいつまでも眠っていられるなら、それでいいと思った。


「ちっ、文なしか」


 誰か、男の声。誰だろうとも考えなかった。関係のないことだ。

 が、間なし。世界がひっくり返った。

 なにをされたやら、閉じた目にもぐるんと一回転したのは分かる。


 浮いた身体が受け止められることもなく、地面に落ちた。

 痛い、よりも冷たい。陽の当たらぬ土の温度が、遠慮なく撫でていく風が、肌に直接当たる。


「寒い……」


 思わず声が出た。同時にうっすら、まぶたが開く。と、立ち去ろうとする何者かの背中があった。


「んん? なんだ生きてんのか」


 伏した松尾からすると、天を衝くかの大男に見えた。事実、二、三歩を戻って踏みしめる足など、松尾の顔よりも大きい。


「生きてんなら、返してやる」


 男は乱暴に握っていた松尾の着物を放る。筒袖と括袴とがかぶさり、裸の身にはことさら暖かく感じた。


「あ、ありがとう」


 己の声には間違いない。しかし、しゃがれて聞き取りにくかった。


「いいってことだ。じゃあな」


 男はそれだけで背中を向けた。

 まだ起き上がろうとも、着物に触れようともしない松尾には、なんら興味のない様子で。


 図体の大きいわりに、男の足音は聞こえなかった。辺りは細い葉を持つ木々に囲まれ、そこらじゅうを葉と枯れ枝が埋め尽くすのに。


「あの──」


 男を呼んだ。どうも山の中らしく、帰り道に自信がない。

 気づかぬ風で、男はゆったりと歩む。木々の間に見える空は、茜の色を見せた。

 夕刻だ。ここがどこかも分からぬで、暮れるのはまずい。少しばかり、あせる気持ちが松尾に戻る。


「あの、ここは」

「うーん?」


 叫んだくらいのつもりだったが、実際の声は先より少しは大きいという程度。

 けれども幸い、男は振り返ってくれた。夕陽よりも赤い腹掛けが目に痛い。


足柄山あしがらやまだ」

「足柄山?」


 聞き覚えがなかった。とはいえ盃浦から一つ向こうの山の名も、松尾は知らない。


「なんだ迷子か。どこから来た?」


 悩む顔に同情したか、あるいは小馬鹿にしてか。男は鼻で笑いながらも戻ってくる。


「ええと、盃浦っていう……」


 盃浦。住み処の名を声に出し、倒れる外道丸が目に浮かぶ。「知らんな」と、男が首を捻るのももう構えなかった。

 ささが。お頭と海賊たちと、それに父が。


 見捨てて逃げた。

 目の前の武士からどうやって逃げおおせたか、まるで記憶にないものの。生きてここへ居ることが、なによりの証左だ。


「おいおい。乳飲み子じゃあるまいし、泣くな」


 ぼろぼろと涙があふれる。嗄れ果てた喉からも、「うえぇ」と勝手に声が落ちる。


「どうした、腹減ったのか。おい、泣くな、頼むから。ええと、その、そうだ、おらの家に来い。なんか食わしてやる」


 否も応も、答えられなかった。

 赤い腹掛けの男は、早まった自身のまばたき五回ほどで痺れを切らし、松尾を肩に担ぐ。


「お前、名前は。おら金太郎きんたろうだ。熊の肉、食うか? 粥でもいいぞ」


 涙の止まらぬ松尾に、金太郎は絶えず話しかける。

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