第27話:文殊丸(十三)

 家の中は真っ暗だった。慣れた目に、屈んで出口へ行く父が見える。音をさせぬよう隙間を覗く姿に倣い、松尾も息を潜めて並んだ。


「誰ぞある! 出てこぬなら、家の悉くを打ち壊す!」


 表もまだ、煙る程度の闇が残った。だが広場へ、十数人の姿は見える。いずれも腰に刀を差した狩衣姿。

 武士。しかも松尾の出会った、見廻仕の姿と一致する。


 大人ばかりの中、子供の姿がないか探した。

 いや、あれから二年が経つ。もしかすれば見分けのつかぬほど丈を伸ばしたやも。見廻仕を名乗る集団自体、あちこち多くあるとお頭から聞いた。


「──あっ、文殊丸」


 己の落とした声にはっとし、口を押さえる。

 しかし、居た。数十歩の距離と薄闇とが、顔の区別をははっきりさせぬものの。外道丸にも劣らぬ、松尾が見上げねばならない背丈の頂上へ、覚えのある髷があった。

 顔から肩、肩から腕と腰、腰から足へと。あちこちの面影も記憶のまま。堂々とした立ちっぷりは、あの時の傷も問題ないらしい。


「松尾」


 極めて低く、細く、父が呼んだ。

 答えず、見下ろす父の眼をまっすぐ見返す。と、にやり。なぜか父は口角を上げ、次いで少しばかり噴き出しもした。


「父ちゃん?」

「いや悪い、なんでもない。父ちゃんな、話ぃ聞いてくる」

「えっ、大丈夫なの」

「大丈夫だろ。村長も出てきたし」


 耳をくすぐるような、ひそひそ声。村長と聞き、見ればたしかに。


「なんの用か知らねえが、お頭に知らせてやらんとな。ひとっ走り、行ってこい」

「でも危ないんなら、子供たちを集めないと」


 それが松尾の役目だ。父に言われ、村長や村長の妻、ほかの大人たちにも頼まれている。


「心配するな、話すだけだ。なにもしてねえ俺たちに、武士がなにをするはずもねえ。危ないのは海賊だけなんだよ」

「ああ、そうか」


 父の言うとおりだ。ならば武士が動かぬ間にお頭へ知らせ、沖へ出してしまえばいい。

 さっそく行ってこよう。立ち上がった松尾の手を、素早く父が握る。


「えっ? どうしたの」

「いや、なんだ。その、気ぃつけて行けよ。海賊に知らせるなんて、危ない役目をさせて悪いな」

「大丈夫だよ、僕しか知らない道で行くし」


 海賊と共に居るところを見られれば、仲間として扱われる。もはや村の仲間として疑いはないが、父が案じてくれるのは素直に嬉しかった。

 けれども分かったと家を出ようとすると、まだなお父は引き止めた。


「気ぃつけてな」

「分かってるって、大丈夫だよ」

「ああ……。ああ、そうだ、外道丸とささも、なにか言われるかもしれねえ。連れていって、一緒に隠れるのがいいや」


 なるほど、さすが父だ。三度も頷くと、その頭が撫でられた。押し潰す気か、と戯れに言いたいくらい力強く。


「分かってるな。見つからねえように隠れるんだぜ」

「うん、外道丸とささと。あと、お頭に知らせる」

「ああ、そうだ。どうせ村の真ん中へ武士が居るんだ、余計なことは考えなくていい。間違いなく、任せたからな」


 どうしたと言うのか。首を傾げながらも「任せてよ」と言いかけた。それを父は被せて「よし行け」と背中を押す。

 なんだろう。どうもおかしな様子だが、急がねばならなかった。武士のうち何人かずつが、近くの家に足を向け始める。


 すうっと、松尾は手近な茂みに潜った。そこで窺い、武士の視線のない方向へ滑り歩く。獣道を進むのと同じ要領で。

 あれ、みんな──

 松林へ入るまでの何軒か、住む者が外へ出ていた。武士に気づいているのだろう、広場のほうを気にしつつ、足は遠ざかるほうへ。


 子供のある家は、子供も含めて。誰も家人の全員で動く。

 父は大丈夫と言ったが、あの気勢だ。怖れて逃げたくなるのも当然と思う。


「服ろわぬ者、この文殊丸が滅して候!」


 不意に、朝の冷たい空気をも切り裂くかの叫び。

 その代わりに囀っていた鳥の声は失せ、不気味な静寂が訪れる。

 逃げていた村の仲間たちと、松尾の足は止まった。


 なにがあった。広場を振り返る誰の顔にも、ありありと書かれている。

 数拍。風さえも途絶えた静けさが続き、また誰かが叫ぶ。


「お上に服ろわぬ者に罰を!」

「うぎゃあっ!」


 きっと武士。それから村の男。さらに続いて、女の悲鳴。「いやあぁぁぁぁ!」

 息継ぎを忘れたとしか思えぬ長い声が、突然に不自然に途切れる。


「ひっ、ひいい!」


 近くの男が声を上げ、走り出した。別の男と女も子の手を引き、すぐに抱え上げて走る。広場から遠ざかり、森へ逃げ込む方向へ。


「父ちゃ──」


 なにがあった。なにが起きている。

 頭の中は、なにが、なにが、と考えるのでいっぱいになった。これ、と事態を言葉にできなかったが、勝手に脳裏へ浮かぶものがある。


 鬼に薙ぎ払われる文殊丸の姿。鬼に追われ、傷だらけの武士たち。終わった後の、二度と動かなくなった武士。

 そして。叩き潰され、喰らわれた山伏。


「違う、違う」


 ここに鬼は居ない。居るのは文殊丸で、武士で、悪い鬼を退治する専門家と言ったではないか。

 お頭がそう言った。父も大丈夫だと、なにをされる理由もないと言った。


 それなのになにが。父は今、どうしているのか。

 足ががくがくと揺れ、顎が震え、普通に立っているのも怪しい。


「げ、外道丸」


 父からの頼まれごとを果たさねば。地面に両手も突き、猿のごとくに走った。


「隠れてなきゃ。父ちゃんに言われたんだ。じゃないと父ちゃんに叱られる」


 最も近い獣道へ飛び込み、海辺へ向かう。その後ろに響く、誰かの悲鳴。飛び散る大量の水音。


「子供が逃げた! 林の中だ!」


 前が曇る。刻々と陽の光は増すというのに、どしゃ降りの中を走る心地だった。


「ちゃんとやらなきゃ。父ちゃんに頼まれたんだ」


 松尾の声も、嗚咽で言葉として聞こえない。

 振り返ることは、もうできなかった。そこにどんな光景があるか、想像だけで十分だ。

 まして足など止めたとしたら、すぐさままた動かすだろう。父の居る広場へ。そうすれば外道丸とささと、海賊たちを見殺しにする。


「そんなの、父ちゃんに呆れられる」


 唇を噛み、涙を振り切って松尾は走る。

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