第13話:外道丸(八)

「鬼……の、子供?」


 無意識に呟いた己の声を聞き、ますますそうとしか思えなくなった。

 まず、なにをさておいても。いや、なんの意識もしない誰しもが、必ず瞳の真ん中へ映すに違いない黄金色の髪。


 その隣には、水面へ撥ねる陽を紡いだかの白銀の髪。

 兄と妹だろうか。松尾より少し背の高い男の子が、頭一つ低い女の子の手を握る。

 二人ともが、牛の乳の色そのままの肌をした。加えて二人ともが、青空と同じ瞳の色。


「鬼じゃねえよ、角がねえだろ? 異国の子だ。海の向こう──とも違うんだろうが、遠いところから来たのさ」

「海の向こう?」


 お頭は「こっちへ連れてきな」と二人を呼んだ。世話係なのか、傍へ居た海賊が男の子の腕を取って促す。


「おい外道丸げどうまる、こっちは松尾丸ってんだ、松尾丸。お前の遊び相手だ」

「マチュマ?」


 外道丸と呼ばれたことに、男の子はこれと反応を示さなかった。頬が痩け、眼の下に隈が目立つものの、熱心に松尾の名を繰り返す。

 お頭も付き合ってお手本を示し、さしたる間もかけずに正解に近い音を発した。


「マツオマル」

「う、うん。あっ、いや、松尾だよ」


 訂正を求めても、言葉を理解しないようだと松尾にも分かった。とりあえず、この場は諦めるしかなさそうだと折れる。


「外道丸っていうの?」


 名を呼ばれたのだから、こちらも。誤りのないよう、当人とお頭との両方へ問う。


「へっへっ、本当の名前は分からねえな。連れて帰る途中、官の船に出くわしてよ。『あの外道』って言ってたら気に入ったらしいや」


 どれほども理解していまいに、外道丸は頷く。

 かなり疲れても見えるし大丈夫なのかな、と思う。ただし外道丸より、もう一人の女の子のほうがもっと危うげに見える。


「遠いところって、なんで拐ってきたの」


 お頭へ、問わずにいられなかった。短い袖から出た彼女の腕は、松尾の半分の太さもない。それが繋いだ手と、もう一方の腕も外道丸の背中をぎゅっと捕まえる。

 外道丸もまた、松尾とお頭との視線から女の子を隠すように動いた。俯いだ銀髪の下から探る視線に、恐怖をしか読み取れない。


「ち、ちげえ! こいつらの船が暗礁に乗り上げてたんだよ。お宝だ、って喜んだのも違いねえが、俺たちが襲ったんじゃねえ」


 嵐にやられたんだ、とお頭は補う。慌てた加減が、嘘を言っては見えなかった。


「太い柱に括られてた。服はぼろ布でもねえし、船から振り落とされねえようにだろうな。縛った奴は居なかったが」


 外道丸は見たことのない仕立ての、上下に分かれた着物だった。女の子もまた違う、開く箇所のない筒袖めいた物を。

 しかしこの際、着物はどうでもいい。女の子の怯えた眼を放っておけなかった。


「ええと、名前。なんだっけ」


 庇う外道丸の身体越し、ちょっと覗いてみるように女の子へ声をかけた。もはや尻もちというくらい、膝をいっぱいに曲げて。


「あぁ松尾丸、その子は無理だ。うちの連中がどんだけ話しても、外道丸の他にはひと言も喋らねえ」


 気の毒げなお頭の声。もっと女の子を隠すべきか迷う様子の、外道丸の手。松尾と視線が合うようで合わない、持ち上げようとしても叶わぬと見える女の子の眼。


 なにを見たんだろう。なにを見せられたんだろう。もし自分が、ここまで哀しいかげを引き摺るとしたらどんな時だろう。

 想像しても、辿り着けなかった。それが悲しく、苦しく、申しわけなく。笑って見せるのは難しい。この子の前で笑うのはいけないことか、とさえ思った。

 ──でも父ちゃんなら笑ってくれる。


「名前、教えてもらってもいい? 僕は松尾。盃浦の松尾っていうんだ」

「……ざ」


 うまく笑えなかった。自身の顔が見えずとも、十日も干した米のごとく硬い。

 それでも女の子は、おそらく名乗った。聞き取り損ねた役立たずの耳を、松尾はこれほど憎んだことがない。


「えっ、ごめん。本当にごめん、もう一度いい?」

「……ざ。……ざ」

「ざざ?」

「ろ……、ざ」


 ざざ。ろざ。聞き取れたのはその程度で、松尾には人の名前と思えなかった。

 まだ繰り返さすのか。怯えた女の子に無茶を要求するのは、どんな罰がふさわしいか。勝手に軋んだ奥歯の音も、とんでもない大罪に感じる。


「さ……さ……」

「ささ?」


 息を詰め、首を竦めて発声すれば、それは疲れるに決まっている。半ば咳き込んでの言葉が、ようやく答えに聞こえた。


「ささっていうの? それなら凄く可愛いと思う、いい名前だね」


 大きな山を乗り越えた心地がした。

 女の子も最初はきょとんと目を丸くしたが、ぎこちなく笑った。肘の辺りまでの長い銀髪で、必死に隠そうとしつつ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る