第10話:外道丸(五)

 対話は、さほど長くかからなかった。とはいえ最後に村長が言ったのは「いつまでも立ち話じゃなんだ」で、まだ続くらしいと松尾も理解した。

 蝦夷えぞだの奥州おうしゅうだのと知らぬ言葉ばかりが並び、話の中身は諦めた。


「おい小僧、名前は」


 村長が先頭を行き、お頭と二人の連れが続く。そのお頭が、およそ真後ろを振り返って問うた。歩む足は器用にも止めぬまま。

 父を見上げれば、「教えてやりゃいい。名前くらい」と笑む。それは松尾にだけでなく、海辺へ戻るまでの厳しい顔はどこかへ失せてしまった。


「松尾」

「ほう? 松尾丸か、いいな」

「ま、丸は付かないよ。ただの松尾」


 前に剃ったのはいつだと問いたい、整えるつもりのなさそうな髭。半端に長い先を撫でて弄び、「へっへっへっ」とお頭は軽薄に笑う。


「武士の子なら、勝手に松尾丸になる。そういうもんだ」

「武士じゃないし」

「いいじゃねえか、武士でなきゃいかんって決まりはないんだ。いや、あるのか? 知らねえけどよ」


 にやにやと、いいかげんなことを言う。答えに困るどころか、会話になっているかも不安になった。首を傾げると、お頭は大きな笑い声を上げる。


「へっ、へへっ。その鍋はなんだ、なにか食わせてくれようってのか」

「いやこれは、その」


 どうやら馬鹿にされていると思っても、場違いなのは言うとおり。口ごもる松尾に「隠すなよ」と、お頭は声を低くした。


「俺に食わせようと思ったんだろ? 大事な父ちゃんがとって食われちゃ堪らねえもんな」


 ここを殴るのか。お頭の毛深い指が、自身の頭頂を示す。どう返したものやら、迷う間にお頭は前に向き直った。 


「松尾丸。いい名前だ」


 勝手に合点するものに、だから違うとわざわざ言う気にはなれなかった。

 どうせ、からかって遊んでるんだろ。それならもう、相手しなきゃいいんだ。

 そう判じ、酔っぱらいのごとくふらふらと進む背中を睨みつけた。けれども広場に着くまで、お頭が振り返ることはもうなかった。


「こりゃあ宴にちょうどいい」


 広場の中央。火の跡の間近へ、お頭は座り込む。連れの二人はさすがに様子を窺いつつ、終いに並んだ。


「おい松尾丸。さっきのどぶろくは、まだあるのか?」

「えっ、いや」


 あんたに飲ます分はないよ。

 思っても、声にする勇気はなかった。


「ちょっと舐めたが、とんでもなくうまかった。でも船番の奴らに取られちまった。ふへへっ」


 船の方向を顎で指し、だらしなく笑って頭を掻く。いかにも力強い風貌と、あまりにも印象が違う。

 松尾はおかげで返事をしない誓いも早々に忘れ、「どうしよう」と父に訊ねる。


「持ってくる。松尾は火の用意をしといてくれ」

「飲ませるの? 火も?」


 村の全員が集まれる広場で火を焚く。つまりは単に話すのでなく飯も食うということ。


「そんなの──」


 そんなのは良くない。もう仲間になったようだ。

 およそそんな言葉を吐こうとして、呑み込む。父が言うのだ、村長も同じなのだろう。松尾がぐずぐずする間に、薪や筵が集められ始めた。


「まるっきり信用したわけじゃねえよ。しかしまあ、新しく住みたいって奴をみんな追い返すのも良くねえ。分かるだろ?」


 村の仲間が、生まれてずっと住んでいるとは限らない。

 松尾にはこの海賊たちが初めてだが、よそから来たと聞いた者はある。なぜ元の土地を出たか、問うことはしなかったが。


 それでもすぐには頷けなかった。父の手に「行ってくる」と撫でられても、兄ちゃんだけを連れていっても。


「松尾丸の鼻は間違っちゃいねえ。くせえんだろ? 俺たちが」


 着々と、火の準備が進む。お頭と連れはどっかりとあぐらのまま、手伝おうかと言い出すそぶりもない。


「よく分からないけど、人の物を盗るんだろ。怪我もさすんだろ」

「ああ、そのとおりだ」

「ええ?」


 おまけに、ごまかすこともしないのか。

 薪を組み上げる男たち。筵を広げ、魚や団子の皿を運ぶ女たち。お頭は楽しげに、右へ左へ首を振る。


「奥州は分かるか?」

「分かんない」

「北のほうだ、雪は深いがいいところだった。住めなくなっちまって、船で逃げるうち仕方なく海賊稼業よ。だから俺たちが襲うのはかんの船だけだ」


 おそらく海辺で話したのと同じ。松尾にも分かる簡単な言葉に差し替わっていたが。


「官?」

「朝廷とか貴族のことだ。そうだな、帝の家来が運ぶ荷って言やあ分かるか?」

「うん、なんとなく」


 くどの火を、村長が薪へ移す。細い枝がたちまち燃え上がり、赤い小さな舌先が松尾にも達した。

 すぐに一歩を離れたが、お頭はまだ動こうとしない。「へへっ」と薄っぺらく笑いながら、火の中心辺りをじっと見る。


「この浦はいい。岩壁がささくれてて、船を隠す場所に困らねえ。俺たちゃ、けんかの相手は選びてえんだ。居眠りできる場所が欲しいんだよ」


 気まぐれ程度、強く風が吹いた。煽られたお頭が「っちぃ!」と跳ね退く。連れの二人も失笑を隠さず、借りた筵を離れたところへ敷いた。


「どう思う?」


 顔や腕をさすりながら問うものだから、火傷をしたかと思った。しかし違う、居眠りの場所についてだ。

 まだ、なんとも答えられない。父と村長が海辺に下りた時の怖ろしさは、松尾の胸にべったりとへばりついている。


「米、取ってくる」


 抱えたままの鍋で、粥でも作ることにした。それには家へ戻らねばならない。

 もしお頭が食べたいと言えば、それくらいは許してもいいかと考えた。

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