第9話:外道丸(四)

 細かなことを誰が言うでなく、男たちは海のほうへ動き始めた。


「見てろよ松尾。海賊の奴ら、俺が泣かしてきてやる」


 過ぎ去りざま、兄ちゃんの手が肩を叩く。

 咄嗟になにも答えられなかった。頷くこともできなかった。

 気をつけてと、振り返って言うくらいはできたはずだが、それさえ。


 最後に父と村長が残る。父は村長の妻になにごとか話していた。三人の視線が、ちらちらとこちらを向く。

 ぐっと奥歯を噛みしめ、両手を拳に握る。全力を振り絞り、恥ずかしさに耐えた。


「行ってくる」


 父の手は頭を撫でた。うまく笑えたか定かでないが、ともかく首を縦に振った。

 すると離れかけていた父の手が、もう一度強くこすりつけられた。


「松尾ちゃん、おいで。おばちゃんと待ってよう」


 父の背中を送ることもしなかった。見れば、思わぬことを口走りそうで。

 立ち尽くす松尾を、村長の妻が手で招く。いつものことだ、こんな時は芋をふかしてくれるのだ。


「お芋、食べないかい」


 田んぼを二つ挟みはするが、松尾の家は隣に見えている。芋だけでなく、魚を煮たり味噌で焼いたり、おばちゃんは気を遣ってくれる。

 村長の家には子が居ないからか。どうであれ松尾が、この夫婦に負の感覚を抱いたことはない。


「……松尾ちゃん、だね」

「ええ?」


 きゅっと歯を鳴らし、言い捨てた。戸惑う顔のおばちゃんを置きざりに、家の方向へ走った。

 腰を屈め、突き出す茅葺きをくぐる。自身の使う筵へ膝をつき、地面を叩く。意識せずとも、父の筵が目に映る。


「父ちゃん──」


 どうしたらいい? と声にしなかった言葉も、自分をはごまかせない。また強く地面を叩き、家の中に目を走らせた。

 鉄の道具は最後にもらえればいいと父が言うので、松尾の家には木製の道具しかなかった。知っていても、なにかないかと諦めない。


「あっ」


 唯一、金属製の道具があった。抱えて飛び出し、畔を跳び、藪から獣道へもぐる。

 松林へ着いても、誰も居なかった。隠れる場所が変わったかと案じる間に、兄ちゃんの声が聞こえた。


「あれ、なんで松尾が居るんだ。鍋なんか持って、今から腹拵えしようってのか?」

「あの、ええと」


 せめて父の見えるところに。その一心で合流したはいいが、なにしにきたと問われる想定がなかった。

 まともな言葉も出ず、鍋に顔を隠す。しかし男たちの誰も、戻れとは言わなかった。


 海辺に下りる階段の脇、下草に身を埋めた。高さにして大人の背丈の五人分を見下ろし、距離にして二十間ほどの先に海賊は居る。


「あいつらか」

「こっちと同じくらい居やがるな」


 隣の兄ちゃんやその隣の、こそこそと話す声。誰に向けてともなく、松尾は頷いた。

 しかし先刻、立ち去った時とは様子が違う。まず船から降りているのが、お頭だけでない。

 弓を持った者ばかりが六人、お頭と並ぶ。その位置も先ほどより陸寄りなのは、潮の満ちつつあるせいか。


「弓を持ったのが前に居ちゃあ、どうもならねえだろうに」


 誰かの苦笑。たしかに船に残る三十人余りは刀や槍ばかりで、弓は見えなかった。


「で、あれはなんだ?」

「場所代ってやつだろ」


 お頭の前に筵が敷かれ、米俵が三つ重ねられていた。その他にも軸巻きの布、土焼きの皿もある。どうにも松尾の目にも、こちらの鍬や鉈と釣り合ってなく思えた。

 なんだ、どういう了見だ。村の男たちのひそひそ声がやまない。


「待たせたな!」


 やがて父と村長が階段を下りていった。最初のひと声は海賊により、潜む仲間たちへだっただろう。

 互いに一歩で手の届く距離に行っては、なにを話しているやら分かるはずもなかった。

 ただ、すぐに上がったお頭の大声までは、ふた言三言が精一杯の間だった。


「おぅい、どうせその辺に物騒なのが隠れてるんだろう! 俺たちはけんかに来たんじゃねえ、安心して戻れる住み処が欲しいだけだ!」


 父も村長も虚を衝かれたらしく、すぐにはなにを言うでもなかった。潜む男たちにしても静まり返り、波音だけの時間がしばし。


「噂に聞いた! 俺たちでも住まわしてくれる村があるってな! ここが違ってもいい、話ぃ聞いてくれ!」


 お頭は腰の刀を鞘ごと抜き、小石だらけの足下へ置く。直ちに並んだ六人も弓を。さらに続いて、船に残る者らも武器を置いた。

 そうしてようやく村長が松林に向き、来いと腕を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る