第8話:外道丸(三)
「戦うって……」
構えた刀を突く文殊丸。薙ぎ払われ、大怪我をした文殊丸と武士たち。
誰かの争う姿というと、松尾にはそれしか思い浮かばない。村の中にも争いはあるが、回ってくるはずの食べ物が好物に限って来なかったとか、そういうものだ。
怪我、するのかな。死ぬって、動かなくなるんだよな。
白布に覆われ、ぴくりともしなかった武士。人の遺体を見たのは初めてだった。村の誰かが、と意識し始めたところで
「いやだ」
なにが、どう、とは考えられない。ただただ、いやだと繰り返して走った。
いやだ、いやだ。頭の中をその言葉でいっぱいにしても、父の姿が浮かぶ。それがまた、いやで堪らない。
「
村の最も奥まった位置に、年上では最も近い年ごろの男が住む。十七か十八と、当人も曖昧な。
「へへっ。どうした松尾、汚え顔して」
「ええ?」
血は繋がらぬものの、町までも共に行った頼れる兄ちゃんは、新しく畑を作っているらしい。町で干物と交換した鉄鍬が、ぎらと光る。
汚い顔と言われ、袖で頬を拭う。どうしてか、ずるりと水気の多い泥だらけだった。
「いやお前、泣いてんのか」
重い音をさせ、鍬の先が深く埋まる。手を離した兄ちゃんがつかつかと歩み寄り、汗で濡れた手拭いを力いっぱいにこすりつけた。
「なにされた。誰にやられた」
顔が綺麗になれば、同じ泥だらけの手も拭いてくれる。その間じゅう、がくがくと揺すられて答えるどころでない。
「ち、違う。どぶろく様のところに海賊が来てて。父ちゃんが、男をみんな集めろって」
「海賊だ? 松尾を泣かすたぁ、いい度胸してやがる」
だから違う、と訂正する間はなかった。すぐさま兄ちゃんは鎌を持ち出し、腰の紐に差す。それから鍬を担ぎ、走り出した。
「兄ちゃん!」
「分かってる、声かけながら行く!」
いやまだ伝えねばならないことはある。と思っても、もはや間に合わない。兄ちゃんは飛ぶように、村を一巡する道の遠回りのほうへ駆けていった。
仕方なく残る道沿い、植えたばかりの水田沿いに松尾も走る。最低限、連絡役を分担はしたのだ。
村には三十軒足らずがある。一人で住む者も少なくないが、男手のない家はない。誰しもが鍬を、鎌を、鉈を、槌を引っ提げ、中央へ向かう。
追いつけない。
松尾は一軒ごとに立ち止まらねばならず、そも大人と子供では歩幅が違う。当たり前なのに、遠退く背中を睨めつつ奥歯を噛む。
「くそっ。くそっ、くそっ!」
自分が怒っているやら、悲しいのやら、それさえもあやふやだった。
垂れてくる鼻水と熱くなる目頭とに、兄ちゃんの手拭いをこすりつける。
「汗くせえ!」
騒げば海賊に気取られるかも。苛立ち混じりの声を噛み殺す。
なに一つ思うままにならないのは、お前が幼いせいだ。
気づいたとてどうしようもないが、せめて自分を罵倒でもせねばやりきれなかった。
──村の半分を回り終え、
「海賊だそうだ。まだ素性も聞いてないが、しばらくこの海辺へ居座りたいと。今は会話になっても、断ればどう出るか分からん」
現役で魚を獲る、最年長の村長が穏やかに告げた。歳は四十と幾つだったか、松尾は聞いたはずだが忘れてしまった。
「あっちの人数は分からねえ。でも船が六つ、弓を持ってた。場所代は払うそうだ、布でも銭でも」
村長の隣、父は腕組みに舟の
「信用できるのかね」
「さて、構えた弓を隠して入ってきたからな。それが警戒なのか、脅す気なのか分からねえ。俺の予想だと、七三てとこか」
父の返答を聞き、誰もしばし黙った。考える時間は当然に必要だが、松尾には驚くべき点がある。
信用したら置いてやるのか、と。
「それで、最初に集まった何人かで話したんだが」
退屈するには短い時間を待ち、また村長はゆったりと話す。父より二回りほど小柄だが、海賊にも負けない焼けた腕は隆々と逞しい。
「なぜここに来たのか、どれほど居るつもりか。居るとしたら、村になにをしてくれるか。聞いてみようと思う」
どうだろうか、と問いかけ以外には聞こえない。集まった三十と何人もまた頭ごなしの文句は言わず、合わせたように「うーん」と唸った。
「最初に声をかけられたのは俺だ、長と二人で話す。それでみんなはふた手に分かれて、松林に隠れる。合図したら加勢に来てくれりゃいい」
どうってことない、とばかりに父は笑った。
それなら一緒に行く、三人だ。松尾の言うべき言葉もすぐに決まったが、からからの喉が声を出させなかった。
「……まあ、話になるならな。うちの村も碌なもんじゃねえんだ」
そのうち誰か、ぼそり言った。独り言のようで、しかし一人として反対はない。どころか「違いねえ」と一斉に笑い、父の言ったとおりに決まった。
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