第7話:外道丸(二)

 いずれの舳先にも褌姿の男が立つ。速度を緩め、あとは止まるだけの船上で、鋭い眼を忙しく動かして。

 どこぞで漁をしていたものが、予期せぬ潮に流された。少なくもそんな日常で訪れたのではない、と松尾にも思える。


「やあ、こんなところへ人が居るとは思わなんだ! どこぞ近くへ住まいか?」


 いよいよ近づくと、先頭の船に立つ男が入れ替わった。声の届く距離、すぐさまの問い。


「まあな!」


 答える父が松尾の前を塞ぐ。味噌甕を足下へ置き、すっと伸びた手が顔を出すなと押さえつけた。

 それでも。むしろそうされる事態に、おとなしく隠れてはいられなかった。ごつごつした手を押し返し、指の間から覗き見る。


「邪魔するぞ」


 問うた男がひと声、軽やかに跳んだ。ちょうど膝の深さの浅瀬に下り、水の抵抗などないかの力強さで歩む。

 武士と対しても体格では勝っていた父と同じくらい。いや、この男のほうが腕周りも脚周りも少しずつ太い。

 わずかに乗り上げた音をさす自らの船へ、男は手を上げて見せる。袖が落ち、鋼に喩えても良いような筋肉が露わになった。


「見てのとおり、潮に流された間抜けな船乗りよ。目の変わるまで、休ませてもらいたい」


 父の視線は目前の男より、船へ向いて見えた。先頭の一艘を除き、船の長さ分を空けた後ろで揺れる。


「へえ、潮にね。休むくらいと言いたいところだが、俺はどっちかっていうと下っ端だ。仲間に話してみなきゃ分からねえな」

「そりゃあ道理だ。じゃあ悪いが、勝手にゆっくりさせてもらおう。あんたが戻って、出ていけと言えば出ていく」


 話す間に、父の手がじっとりと湿った。その上に熱い。「話してくる」と男たちに背を向け、歩き出した父は松尾の腕を握った。

 その変化が、父のなにをどう物語るかは分からない。


「おぅい、忘れもんだ」


 十歩くらいを進んだところで呼ばれ、振り返る。船乗りの男は、父の置いた味噌甕を持ち上げて見せた。

 既に蓋を開け、指を突っ込んでいる。たっぷり刮げ取った指をしゃぶり、「うぅん」と顔を顰めた。


「そんな食い方じゃ、しょっぺえに決まってる」

「たしかにいい味だ。するとそっちの大とっくりが気になるんだが、譲っちゃもらえねえか。タダとは言わねえ、米でも布でも、銭でもいい。足りねえ物を言え」


 松尾の抱える大とっくりを指さし、男は静かに笑む。──直後、その背後へ別の者が立つ。だけでなく、控えた船のどれにも一人ずつ。

 例外なく、手に弓を引き絞って。


「俺がかしらだ。どうにか頼むと伝えてくれ」


 男がやる気のなさそうに手を振ると、弓が下ろされた。すると父の手も緩み、「松尾」と。

 なぜ呼ばれたか、二、三拍も考えて察する。その場に大とっくりを置き、父の手を握った。見上げれば、父の口角がにいっと上がる。


 そのまま斜面に作った階段を上り、松林を行く。

 やはり道に迷った船乗りなどでない。理解しても、声に出さなかった。父がしきりに、なにごとか考えているのは明らかだ。


「松尾、魚獲りにしては荷がおかしくねえか?」


 あと数歩で松林を抜けるところで、父は立ち止まった。訊ねられた中身は、さすがに松尾にも分かりきったが。


「米とか布とかって」

「ああ。奴ら、海賊だ」


 思わぬ言葉に、松尾は息を詰めた。鬼と同じく、話には聞いたことがある。山に山賊、海に海賊。無法に物を奪い、場合によっては命もと。

 その割に、出ていけと言われれば出ていくと言っていた。危ういと聞いた記憶に首を傾げる。


「どうするの」

「場所代は払う、しばらく居候させろ、だとさ。言ったとおり、みんなに相談するんだよ」

「約束したからって?」


 なぜ当然とばかり頷けるのか、理屈が見えない。だが父が言うのだ、松尾も倣って頷く以外の選択肢はなかった。


「心配するな、奴らは鬼じゃねえ。それに父ちゃんが話してる間、松尾が男どもを集めてきてくれる」

「う、うん!」


 いざとなれば戦って追い出す。父の頼みは、そうとしか聞こえなかった。優しい父が、そんなことを言うと思わなかった。

 でも。と唇を噛み、松尾は駆けた。大人には入れない、ゆえに知ることもない獣道で近回りをするのだ。

 父の頼みは果たさねばならない。現実に海賊はそこへ居る。優しいだけでは済まないのだと。

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