第4話:服ろわぬ者(四)
「なんでそんなに違うんだ、うちの村と……」
声に出したつもりはなかった。証拠に、そう言ったのは桟橋や川の見えなくなってからだ。今日の屋根を借りるという寺を目前、松尾は三歩先の地面だけを視界に歩いていた。
「さあなあ、こればっかりは父ちゃんにも分からねえ」
随分と間の空いたにも関わらず、父もすぐさま答えた。明日のこと、帰り道のこと、仲間とあれこれ話していたはずだが。
「あれ? いや、ごめんよ。仲良くしてたほうがいいのにって、そうしたら毎日が楽しいだろって──思うのはおかしいのかな」
境内と外とを隔てる柵や塀はなかった。顔を上げると、仲間たちは既に縁へ上がろうとしている。
中に父の姿が見えず、振り返る。傾きかけた陽が正面にあり、後光のごとく背負った父は足を止めていた。
「おかしくねえよ。みんなで仲良く楽しく暮らしたほうが、村だろうが町だろうが夫婦だろうが、長続きするに決まってる」
叱る時には、それこそ鬼のごとし。いつもの父は、黙っていても少し笑っている。
今はどうか、松尾には感情がうまく読み取れなかった。半分困った風の笑みは、子供の駄々に付き合っているからか。
これには、ぎこちない笑みをしか作れなかった。
「自分だけ、ちょっと得してやろうって考えも分かるがな。でも子供を騙してまでってのは無しだ」
「うん」
先ほどの、筵の女のことらしい。騙されたと声に聞き、あらためて松尾はうなだれた。
「お前はいつでも、父ちゃんが正しいって言ってくれるな。俺だって間違えることはあるんだぜ?」
「そんなことないよ。芋を分けてあげたら中が腐ってたとか、間違いって言わないだろ」
咄嗟に思い出せる例は少ないが、父にも失敗はあった。「次の日、すぐ代わりを掘ったし」と付け加えると、狼狽えた笑声が返る。
「参った参った、勘弁してくれ。お前の中じゃ間違いに含まねえってのは、ありがたいが」
おどけて頭を掻く父に、自然と松尾も笑った。もっともらしく頷かれては、なおさら。
「ただ、許さねえって奴も世の中には居る。どっちが正しいって話じゃねえし、合わせる必要もねえ。お前がどこで線を引くか、似た考えの奴を見つけられるかだ。俺が大事にしてほしいのはな」
「乱暴しないでくれって鬼に言っても、通じないってことだね」
やはり父の言葉は一貫している。松尾の胸に、なにか心地のいい感覚が落ちた。
「なんだ松尾、賢いな。父ちゃんにも分かるように言いやがれ」
「大丈夫だよ、ちゃんと考えるから」
高く笑った父の手が、乱暴に頭へこすりつけられる。痛いくらいの強さが、全身を湯にでも浸したように温かい。
額を押されて、後退りした。「早く来い」と言う意地悪な、大きな背中を「待て」と追いかける。
並んで草鞋を解き、縁に上がる。仲間たちはどこへ行ったか、見渡せばなんのことはない、目の前の本堂に並んで座っていた。寺の者と話しているに違いない。疑わず、父に続いて歩み寄る。
「おお、また増えたな」
歓迎の声だったろう。仲間の正面に座る中年の男が片手を上げた。男の隣には、松尾と近い年ごろの少年が一人。左右の壁へ沿って座る男が五人ずつ。
いずれも袖のゆったりとした
「驚くなと言うのが難しかろうが。楽にせよ、同じ屋根を頼る者同士」
父より一回りほど上に見える顔には、豊かな髭がたくわえられた。男はなにをか満足げに髭を撫で、立ち止まった父と松尾に座るよう促す。
「どうも、そうらしい。儂らが借りるのは納屋だがな」
顔を向けたこちらの最年長も話を繋ぐ。髭の男とおよそ同年に見えるが、ひきつけを起こしそうな呼吸が危うい。
「はっ、はっ、つれないことを言うな。日が暮れれば我らは出かけるのだ、それまで土地の話くらい聞かせても
「夜、出かける?」
暇潰しの相手になれと、要求は分かりやすい。すでに仲間が対峙していて、父も諦めた声で腰を下ろす。
「うむ。我らは
髭の男が、隣の少年を手で示す。父の肩へ掴まり、立ったままの松尾も視線を向けた。
と、少年の切れ長の眼が向く。それだけで気圧された心地のする、強い力の籠もった。
「ええと、その見廻仕ってのは?」
問う父の手が、松尾の腰に触れる。安心して隣に座っていろと、柔らかく叩かれた意味を受け取った。
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