あの夏、あのバス停。

あげもち

向日葵の散る頃に。

 —— 閑かさや、岩に染み入る蝉の声。


 いつだったか、どこかの芭蕉が詠んだ詩があった。


 なんとなく、セミが心地よく鳴く森と小さな沢。その近くで苔むした大きな岩がある、ひんやりとした夏が思い浮かぶ、爽やかな詩。


 日本の夏を代表するような、この綺麗な詩。だが、私はそれが大っ嫌いだった。


 汗ばんだ肌に張り付き、ところどころ肌が透けた白Tシャツの襟の部分を摘む。バサバサと襟を揺らし空気を送り込むが、吹き込んできた、じめっとした土のような空気に、さらに汗が吹き出す。


 サラサラと風に揺れる稲穂と、遥か先のアスファルトで揺れる陽炎。


 私は、額の汗を手の甲で拭うと、空にかかる飛行機雲を眺めて言った。


「……オブラートに包んで地獄だ」



 —— 向日葵の散る頃に。



「あぁーもう! なんで田舎ってこんなに道路が長いの!」


 この暑さと湿気に、どこにもぶつけられない憤りが、口から漏れ出す。


 少しでも涼しさを感じようと、カバンから取り出した制汗剤が、手のひらで一瞬にして乾燥したのを見て、唖然とした。


「……だめだ、歩いた方がマシだわ」


 青いデザインのボトルを鞄にしまい、トボトボと歩き出す。思わず「ははは……」、と溢れた、乾いた笑い。


 田舎の田んぼ道は、体の水分だけではなく、笑いからも水分を奪っていく。


 よくテレビで見る、『静かで、涼しくて、綺麗な田舎』は。基本フィクションだ。この事実に関しては、連帯保証人の書類に名前を書いても良いぐらい保証する。


 確かに、近くに山があったり、綺麗な川や、そこで釣った魚を焼いて食べられたりと、それっぽいものも事実だ。


 だがそれは、いわゆる『エンタメ的』な田舎であり、それしか知らない人は、『閑かさや〜』の方の詩を思い浮かべるだろう。


 だが、実際の田舎は違う。


 確かに車や機械の音はしないものの、夏や秋は窓を開ければあら不思議。セミやカエルの青空オーケストラが24時間無料で、いつでも聞ける。


 うん。嬉しくない。


 だけど、もちろん良いところもある。


 それは田舎という特性上、庭がとても広く、洗濯物は内容を考えずに一気に干せて、尚且つすぐ乾くという点だろう。


 もう女性ものの下着や布団だって干し放題だ。それで近所の人に「今日は沙織ちゃんいるのかい」と、プライベートがバレてしまう事を寛大な心で受け入れることができるなら。


 だからこそ、思う。

 

『住めば都』という、都に住まなきゃ田舎の方が良い、みたいなことわざがあるが、あれは真っ赤な嘘。住めるのであれば都に住むことを、心からオススメする。


 熱されたアスファルトはいろんな生き物を焦がし、中でも一番多いのがミミズだ。彼らの干からびた死骸を見るたびに、『兵どもや夢の跡』という方の詩が頭をよぎるのだ。


 私もこんな田舎にいると、いつしか『兵ども』の方になってしまうのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、私もそっち側になりそうだったので、その屍を超えて、さらに先へと進んでいった。


 どこまでも続く一本のアスファルトと、その横にずらりと並ぶ田んぼ。その背景には山頂が二股に別れた大きな山。


 その景色はまるで、かの有名な『シュトーレン・ガーネット』がキャンパスに描いた絵画の、緑と水面に映る青の圧力じみたものを感じた。


 きっと彼も、この、どこまでも変わり映えのない田舎の景色に、うんざりしながら絵の具を塗りたくったのだろう。


 わかるよ、ガーネットさん。うんうん、わかるわかる。


 そうしているうちに、やっと辿り着いた目的の場所に、私はため息を漏らす。


 山の麓で停車する、終着駅にして、私からすると始発駅のそれは、ひび割れたコンクリート作りの、懐かしさを感じる佇まいだった。


 色抜けした、青プラスチックの椅子にカバンを置くと、中からタオルを取り出し体の汗を拭いていく。ここから更に学校に行かなくてはいけないと言うのに、もう私の服は汗でびちゃびちゃだった。


 自宅から約三キロ。最寄りの駅。と言う言葉をもう一度考えたくなるような距離に位置するこのバス停が、私の地元唯一の公共交通手段だった。


 ここからバスに乗り、さらに十三キロ離れた駅に向かう。はっきり言って、正気の沙汰じゃない。


 今は夏だが、秋はひたすら蚊の大群に追われ、冬は凍える寒さの中、今来た道をひたすら歩き、春はひたすら花粉を浴びる。あぁ、やっぱり何度考えても正気の沙汰じゃない。


 それに比べて、都会は公共機関までの距離は近いし、コンビニもすぐそこにあるしで、なんて良いところなのだろう。


 そんなことを考えていると、四十分に一度しかこないバスが来てそれに乗り込む。


 やっと感じられたクーラーの風が、私の汗ばんだ肌の上を撫でていく。


 一番後ろの窓際の座席に座って外を眺める。


 ゆっくりと流れ出した窓の外の風景と、細かくお尻に伝わるエンジンの振動。


 ほんと、一から百まで田舎くさい。


 ……だけど。


 バスが大きな橋を渡たり、隣町の看板のすぐそばに咲いている向日葵が目に映る。


 黄色い花びらが萎れ、元気がない向日葵。


 なぜかそれを見て、少しだけ寂しさを覚えたのは、向日葵が夏の終わりを告げようとしたからなのか、それとも、この街から離れるからなのか。


 それはよく、分からなかった。


 ……あ、ちなみに、ガーネットさんは実在しません。私の想像です。

                                    

 

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