第二十六話「神々の世界へ赴きました」

 ――もう誰も覚えていない程の昔。葛葉の地には、守矢とは別の神様が住んでいたのだという。

 その神様は、彼を信奉する僅かな人間達ともにささやかな集落を作り、のんびりと暮らしていたそうだ。

 ある時、人間の娘の一人が神様と恋に落ちた。二人は結ばれ、沢山の子どもが生まれた。

 それが葛葉家の始祖だと伝わる――。


「――その後、何百年以上も平和に暮らしていたそうなんだが、なんやかんやあって、その神は葛葉の地を離れることになったんだ。だが、神がいなくなれば一族は頼るものが無くなってしまう。そこで白羽の矢が立ったのが、その神の弟子……みてぇな存在だった守矢だって訳さ。で、そいつから守矢の後見を頼まれたのが、他ならぬ俺様って訳だ」


 そこまで一気に語り終えると、喉が渇いたのか、タケ様は智里が淹れてくれた緑茶をズズズと啜り始めた。

 一方、「お前の先祖は神だ」と言われた藍里の方は、戸惑うばかりだ。


「その……うちのご先祖様? 元居た神様というのは、今どこに?」

「さあね? 神々のやんごとない事情ってやつがあってな。まだ存在してるかどうかも怪しいんだ――神ってのは、地縁血縁から切り離されると、儚く消えちまうことだってあるからな」

「消える……? 神様も、消えるんですか?」

「そりゃあな。お嬢ちゃんの読んでる小説にも出てこねぇか? 信奉する部族が滅んで、誰も詳細が分からなくなっちまった神様ってやつが」


 確かに、日本に限らず信仰していた部族が滅びたことで正体が分からなくなってしまった神というのは、伝奇小説ではよくある題材だ。藍里の好きな作品にも、度々登場する。

 けれども、それが自分のご先祖様だと言われると、なんとも不謹慎な題材であるようにも思えてしまう。


「神の存在と力ってぇのは、土地と人、そのどちらかか若しくは両方によって成り立ってる。片方だけでもありゃ御の字だが、その両方を失っちまえば……人知れず消えるのさ」


 そこまで言って、タケ様は眠り続ける守矢に目を向けた。


「例えば、今の守矢は縁を結んだ土地の霊脈が乱れた結果、土地との縁自体が薄くなっちまってる。だが、葛葉村の連中がこいつを信仰している限り、その存在は消えねぇ」

「……良かった。神様も、うちのご先祖様みたいに消えてしまうのかと思いました」

「とりあえずはな。霊脈の乱れが長引けば別だろうが、少なくとも数年の内には戻るだろうさ」

「数年。でも、それでは」

「分かってるよ。大友のお嬢ちゃんの体が持たねぇわな」


 痺れたのか、胡坐をかいた脚を組み直しながらタケ様が答える。

 服装が変わっていても、こういった仕草はいつものタケ様そのものだった。


「さっきも言った通り、今この土地の霊脈は乱れていて、守矢との縁が薄くなっている。乱れが収まるまでに普通は数年がかかる――が、霊脈が落ち着くのを待たずに、守矢と土地との縁を復活させる方法が一つだけある」

「どんな……どんな方法なんですか?」

「まあ落ち着けよ。いいか? 神と土地の縁ってのは、ちょっとだけテレビのアンテナと電波の関係に似てるんだ。普通の状態なら電波――霊脈は安定していて、画質――縁は良好。だが、縁が乱れれば画質は乱れる」


 急に俗っぽい例えになったが、恐らくは藍里にも分かりやすいように説明してくれているのだろう。

 藍里は余計な茶々は入れずに、ただ頷くことで話の先を促した。


「さて、お嬢ちゃん。テレビの電波の状態が悪い時、アンタはどう対処する?」

「ええと……もっといいアンテナを立てたり、ブースター? を付けたりします」


 いつだったか、住んでいたアパートのテレビの受信感度が悪くなった時に来てくれた電気屋の話を思い出す。その時は確か、古い共用アンテナを交換した上で、ブースターと呼ばれる電波の増幅装置を取り付けたはずだった。

 タケ様は藍里の答えに満足したようで、満面の笑みを浮かべながら頷いてみせた。


「正解だ。霊脈の乱れた土地と神との縁を復活させるには、アンテナとブースターを増設すればいいのさ――それが、お嬢ちゃんの役目だ」

「えっ。わ、私ですか!?」

「言ったろ? お嬢ちゃんにはかつてこの地を治めていた神の血が混じってるんだ。アンテナとブースターとして、これ以上の逸材はいないのさ」


   ***


 つまりは、こういうことだ。

 今、葛葉村の霊脈は乱れていて、守矢との縁――テレビで言えば電波強度や受信感度が弱まっている。

 そこに藍里という「追加のアンテナとブースター」を噛ませることで、霊脈が乱れたままでも守矢と土地との縁を以前と近い水準に戻すことが出来るのだという。


「古くから、霊脈の乱れによって土地神の力が弱まることは、ままあるんだ。だから当然、昔の連中はそういう時の保険も用意していた。その土地に永く住まう神の血を引く一族に、土地神の補助をやらせようってことだな――古来、そういった人々のことを『神の花嫁』なんて呼んだものさ。女神相手の場合は、『花婿』だな」

「花嫁……?」


 その言葉には覚えがあった。そう、あれは確か、藍里が葛葉村に来て間もない頃。美沙奈と初めて会った時に、彼女はこう言っていたではないか。

 『どうぞ、よろしくお願いしますわ。――の座を争うライバルとして、末永く』と。


「そっか。美沙奈さんが言っていた『神様の花嫁』って……」

「なんだ、大友のお嬢ちゃんがもう話してたのか」

「いえ、詳しいことは聞いてませんけど、言われたんです。『神様の花嫁の座は譲りませんわ』って」

「あのお嬢ちゃんも、大友の血筋にしちゃあ神の血が濃かったからな。――まあ、そのせいで体が弱く生まれちまったんだろうが」

「……えっ?」


 タケ様の意外な言葉に、思わず聞き返す。

 神の血が濃いことと美沙奈の体が弱いことに関係があるとは、どういう意味だろうか。


「神の血が濃い者は、その在り方も神に似ちまうんだ。つまり、土地や人との縁がなければ、生きていけない。大友のお嬢ちゃんの場合は、特に土地との縁だな。葛葉村という水の中でしか生きられない魚なのさ。――だが、今はその水が濁ってる状態だ。早く澄んだ水に戻してやらねぇとな」

「タケ様。私は具体的に何をすればいいんですか?」

「――おっと、その前に。お嬢ちゃんに確認だ。いいか?」


 タケ様がサングラスを外して藍里の目を見つめる。その表情はいつになく真剣だった。

 だから藍里もタケ様の金色に輝く瞳を真っ直ぐに見返して、静かに頷いた。


「『花嫁』のお役目を引き受けたら、お嬢ちゃんは神の世界に一歩踏み出すことになる。もしかすると普通の人間ではいられなくなるかもしれねぇし、霊脈が安定するまでの数年間は葛葉村から離れられなくなるはずだ。俺が手伝えば玉藻市くらいには足を伸ばせるかもしれねぇが……それでも構わねぇか?」

「構いません。私、美沙奈さんに謝らなきゃいけないことや、話したいことが沢山あるんです。だから――」

「いい返事だ」


 破顔一笑。タケ様が優しげな笑みを浮かべながら、藍里の頭をポンポンと撫でる。

 その手はとても温かく、藍里は何故か、幼い頃に亡くなった父の手の温もりを思い出した。


   ***


「それじゃあ、いくぞ。準備はいいか?」

「はい!」


 タケ様の問いかけに、決意を込めた返事を返す。

 今、藍里は守矢の寝ている横に敷かれた布団の上に仰向けになっていた。服は極力少ない方がいいらしいので、下着の上から長襦袢だけを着た恰好になっている。少しだけ寒く、そして恥ずかしかった。


「今からお嬢ちゃんの精神を、この土地の霊脈の中心まで飛ばす。霊脈に触れたら、守矢のことを強く考えろ。そうすれば自然と、ここに戻って来れる――で、そこから先が肝心な部分だ」


 真剣みを増したタケ様の声に、思わず藍里の喉がゴクリと鳴った。


「お嬢ちゃんはそのまま、自分の体に戻らねぇで、守矢の体に潜り込んでほしい」

「神様の体に?」

「ああ。神ってのは半ば精神体みたいなもんだ。他の精神が神の体に触れれば、たちまち呑み込まれる――だから、『自分』を見失わず強く持て」

「私に……出来るでしょうか?」

「なあに、お嬢ちゃんなら必ず出来るさ。で、だ。神の精神ってのは、今まで生きてきた膨大な記憶の海になっている。その中から、『今の守矢』を探し出せ。無事に見付け出せれば、後は守矢が何とかしてくれる。――ここまでOKかい?」

「はい!」


 正直、全てを理解した訳ではない。だが、タケ様曰く、精神の世界は「案ずるより産むがやすし」なのだそうだ。つまり、実際にやってみた方が早いということらしい。

 だから、藍里は迷わず返事をした。


「――じゃあ、行くぜ。目を閉じな」


 言われるがままに藍里が目を閉じる。その額に、タケ様の大きな手が当てられ――藍里の精神は遥か地下深くへと落ちていった。


   ***


「藍里ちゃんは、無事に出発出来たのでしょうか?」


 眠りに就いたように静かになった藍里の身体を前に、智里が珍しく心配そうな表情でタケ様に尋ねた。

 その手はギュっと握りしめられている。「自分がもう少し若ければ、藍里にお役目を押し付けなかったのに」という悔しさがそうさせていた。


「なあに、お嬢ちゃんなら大丈夫さ。智里、アンタも少し休んだらどうだい?」

「私は大丈夫です。二人が帰ってくるまで、ここで待ちますから――それよりも、タケ様。どうしてあのことを藍里ちゃんに黙っていたんです?」

「……あのこと?」

「とぼけないでください。藍里ちゃんののことです。『花嫁』になることは、って、どうして教えてあげなかったんですか?」


 ――そう。誰も藍里に教えなかった事実がある。

 藍里は、神の血を濃厚に継ぐ娘だ。その血の強さは、ここ数百年でも屈指のものになるだろう。

 だが、神の血が濃いということは、その在り方も神に近くなるということだ。美沙奈がそうであったように。


 美沙奈の場合、土地と人との縁の薄さが病弱な身体という形で顕現した。

 では、藍里はどうか。彼女の身体は健康そのもので、悪いところなどない――だが、その代わりに彼女は「運命力」が著しく不安定な体質として生を受けていた。

 即ち「極端に運が悪い」という星のもとに生まれたのだ。


 以前、玉藻市で藍里が様々なトラブルに出くわしたのも、偶然ではなかった。彼女が生来持つ運の悪さが、自然と様々な災厄を引き寄せてしまっていたのだ。

 あの時、タケ様がわざわざ同行したのは、そんな彼女を護衛する為だった。守矢によって護られているはずの葛葉村の中でさえ、西尾という災厄を呼び込んでしまう程の不幸体質から守る為に。


「それを言ったらよう、智里。アンタも守矢も、なんでお嬢ちゃんを早く迎えに行ってやらなかったんだ? お嬢ちゃんは、かなりハードモードな人生を送ってたはずだぜ? 愛華と一緒にいる時は『人との縁』のお陰で多少はマシだったろうが。……今まで無事に生きてこれたのが、不思議なくらいだ」


 タケ様の言う通り、藍里の今までの人生は綱渡りなものだった。

 学校では孤独を味わい、陰湿ないじめも受けた。本人は自覚していないが、交通事故に遭いかけたことは数知れない。中学生の頃に車に轢かれかけたのも、その体質のせいだった。

 ――尤も、普段は過保護な母親であった愛華のお陰で「人との縁」を得られていたので、タケ様が言う程の命の危険はなかったのだが。


「愛華が、それを望まなかったんです。あの子は……いい母親だったようですが、同時に悪い母親でもあったのでしょう。あの子は村の生活を嫌がっていました。心底反りが合わなかったのでしょうね。絶対に戻りたくないと、私達に住所を教えぬほどでした。藍里ちゃんの体質にも、気付いていたでしょうに」

「……なるほどな。愛華の奴なら、そんくらいやりかねねぇな」


 タケ様は、今はもういない「愛すべき悪ガキ」の顔を思い浮かべ、苦笑いした。

 愛華が村を出て行ったのは、単純に村での生活が耐えられなかったからだ。鉄砲玉のような性格の愛華には、村は狭すぎた。だから、実家には住所を頑として伝えなかった。唯一携帯電話だけが、愛華と葛葉家とを繋ぐよすがだったのだ。

 そのせいで愛華が死んだ時も、すぐには葛葉村に伝わらなかった。残された藍里の居場所を探すのにも難儀したのだ。


 愛華は娘の藍里のことを本当に愛していた。愛し過ぎて、手元から離そうとしなかった。

 藍里の不運体質を考えれば、葛葉村で育てた方が良かったはずなのに、それをしなかった。ただただ、自分が一緒にいたいからという我儘故に――。


「智里よ。俺様がお嬢ちゃんに不幸体質のことを伝えなかったのは、多分アンタと同じ理由だと思うぜ?」

「……その心は?」

「お嬢ちゃんが自分の体質のことを知れば、必然、母親が危険を承知で村へ戻らなかったことも知っちまうだろう? だったら、教えねぇ方がいいのさ。愛華はいい母親だった。それでいいじゃねぇか」

「……嘘も方便。いえ、この場合『沈黙は金なり』ですかね」


 珍しく自嘲気味に笑う智里。彼女は愛華の「母親失格」な部分を藍里には伝えず、墓まで持っていくつもりだった。

 自分のエゴかもしれないが、藍里の中の愛華との思い出を汚したくなかったのだ。


「それにな、智里。お嬢ちゃんは『自分の為』だなんて餌をぶら下げなくても、『誰かの為に』動いてみせた。俺様はな、人間のそういう所を愛しているのさ」

「あらあら、タケ様。藍里ちゃんはあげませんよ?」

「そういう意味じゃねぇよ! 俺様だって、には手を出さねぇさ」


 智里の冗談に苦笑いしながら、タケ様は眠り続ける守矢に、ついで藍里に目を向けた。

 傍らの智里は、彼の眼差しに子を見守る父親のような優しさを感じてやまなかった。

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