第二十五話「大切な人達を助ける為に動き始めました」

 大友美沙奈もまた、守矢が眠りに就いて以降、それに付き従うように眠り続けていた。

 あの愛らしい桃色の頬は血色を失い、すっかり土気色になっている。心なしか、ここ数日でげっそりと痩せたようにも見える。

 彼女の体は自室のベッドに横たえられ、鼻や手首には何かのチューブが差し込まれていた。

 お見舞いに来た藍里は、物言わぬ美沙奈の姿を前になんの言葉もかけられなかった。


「渡会先生、美沙奈さんは一体どうなってしまったんですか?」


 丁度その場に居合わせていた渡会医師に、藍里が尋ねる。彼の表情は優れず、それがそのまま美沙奈の状態の悪さを如実に表していた。


「……藍里様は、美沙奈さんの身体のことをご存じでしたか?」


 いつもの大きな声ではない、沈痛そうな渡会医師の声に驚きつつ、藍里が首を横に振る。


「そうですか。親しい藍里様にもお話していなかったことを、私の一存でお話してよいものか」

「お願いします、聞かせてください!」

「そう、ですね……」


 渡会医師がチラリと、傍に直立不動で控える洗馬の方を見やる。

 強面の付き人は、静かに頷いてみせた。


「分かりました、お話ししましょう。――そもそもは十九年前の話です。美沙奈さんは、玉藻市の病院で未熟児として生まれました。しかも、生まれつき複数の臓器に疾患があり、担当医からは『長くは生きられない』と言われたそうです」

「そんな……ことが」

「はい。そこで美沙奈さんのお父様とおじい様は、一計を案じました。『葛葉村の中ならば無事に育つのでは?』と。そして、医師の反対を押し切って、美沙奈さんを村へと連れて帰った。その結果、美沙奈さんは医師も驚くほどの回復ぶりを見せ……後は、藍里さんもご存じの通りです。とても素敵なお嬢さんに育ちました」


 渡会医師が、今度は部屋に置かれたライティングデスクの方に目を向ける。

 デスクの上には、可愛らしい意匠が施された金属製の写真立てが置かれていた。写真には、愛らしい少女と白衣を着た丸眼鏡の青年、そして洗馬らしきスーツ姿の男が写っている。

 少女は美沙奈で、青年の方は渡会医師だろう。美沙奈の年の頃からすると、二人が出会った六年前の写真かもしれない。


「父から美沙奈さんの診察を引き継いだ時、私は心底びっくりしました」

「びっくり、ですか?」

「ええ。父が記したカルテを信じるならば、美沙奈さんの身体は生きているのが不思議なくらいボロボロだったんですよ。それなのに、本人はあんなに元気で、駆けまわったりおしゃべりしたり、好きなものを食べたり出来たんです。まさに神の奇跡でしたよ」

「神の……奇跡」


 そこでようやく、藍里の中で様々なものが一本の線で繋がった。

 何故、美沙奈は「自分は村の外へは出られない」と言っていたのか。

 何故、守矢が外崎を助けるかどうか逡巡していた時に、美沙奈が彼の背中を押すようなことを言ったのか。


「そっか。それは、神様に感謝するわよね……」


 そう呟きながら、美沙奈の額をそっと撫でる。

 その温もりはぞっとするほど失われていて、藍里は美沙奈の命の灯が遠からず尽きるのではないかと恐怖した。


   ***


 ――そして数日が経った。

 村のそこかしこでは、豪雨災害からの復旧作業が進められている。駄目になった田畑を手入れしたり、氾濫して土砂や流木だらけになった河原を片付けたり。村人総出の作業が始まっていた。

 藍里はと言えば、智里と交代で守矢の身体の面倒を見つつ、村の復興状況を見て回っていた。何か手伝えることがあるかもと思ったのだが、「藍里お嬢様は神様の傍にいて差し上げてください」と、丁寧に断られてしまっていた。


 美沙奈の様子も毎日見に行ったが、変化はない。渡会医師や使用人達の献身的な介護によって、なんとか命を繋いでいる状態らしい。


(たった一日で、全てが変わっちゃった)


 帰りに葛葉ストアに寄ってみたが、当たり前だが生鮮食品は全滅だった。今は加工食品を、一家族いくつと制限をかけながら、騙し騙し捌いている状態だ。

 店長曰く「電気と水道が止まってないだけマシさね」だそうだ。


 仕方なく、即席ラーメンを幾つか買って、藍里は帰路に就いた。葛葉の屋敷には保存食の備蓄もまだある。なので、食料の心配は当分の間は必要ない。

 村でも大友家の支援の下、ヘリコプターで物資を輸送出来ないか検討中だという。

 予めの備えや今までに培ったものを総動員して、村は何とか日常生活を維持しているのだ。


(神様、村は大丈夫ですよ……だから、早く起きてくださいよ)


 心の中で呟いてみるが、当然返事はない。

 無駄に広い村道を一人で歩きながら、藍里は思わず空を見上げた。

 そこにあるのは、数日前の豪雨が嘘のような、初冬の澄み切った青空で。なんだか泣けてきそうだった。


(昔、神様が同じように眠りに就いた時には、数年間目を覚まさなかった。だったら、今回は? 美沙奈さんの身体は……持つの?)


 骸骨の顔をした死神が美沙奈の魂を連れ去る光景を思い浮かべながら、藍里が身震いする。

 ――嫌だ。そんなのは嫌だった。

 これでは、美沙奈の命と引き換えに外崎を助けたようなものではないか。きっと神様は目覚めた後に傷付くし、助けられた外崎だって気に病んで過ごすことになってしまう。

 

「そんなの……嫌。絶対に嫌!」


 我知らず、独り言ちる藍里。

 だが、その言葉は意外な人物に聞き届けられていた。


「――なら、俺様を頼れよ、お嬢ちゃん」

「タケ様!」


 いつの間にか、藍里が向かう先の村道に、タケ様が仁王立ちしていた。

 いつのもの黒い革ジャン姿ではない。その身に纏うのは、不思議な服だった。

 腰の辺りまである長袖のダボっとした上着。下半身には、やはりダボっとしたズボン状のものを穿いている。何となくだが、飛鳥時代だとかその辺りの貴族のようにも見える出で立ちだった。

 それでいて愛用のサングラスはそのままで、そこがなんともタケ様らしい。


「大変なんです! 神様が、美沙奈さんが! 村が!」

「ああ、ああ。言わなくても分かってるってよ。俺様、神様よ? ――済まんな。俺様も本社の方を護るのに忙しくてな、こっちを手伝ってやれなかった。神様にも面倒なルールがあってな……許せ」

「そんな、許すも何も……あっ、こんな所じゃなんですから、とりあえずうちに」

「おうよ。守矢の奴の寝顔でも拝んでやるさ」


 そういうことになった。


 ***


「ふむ……」

「どうですか? タケ様」

「やはり、霊脈の乱れが酷いな。だが、守矢も根性を見せたらしい。ギリギリのところで災害を回避してやがる」


 再び、守矢の寝室でのことである。

 タケ様は葛葉の屋敷に上がり込むと、善は急げとばかりにこの部屋へと向かい、守矢の容体を確かめ始めたのだ。


「大友のお嬢ちゃんがまだ生きてるのも、守矢が踏ん張ったからだろうさ。今日明日の命ってことには、ならなそうだ」

「良かった……」

「いや、良くはねぇ。このままだと生きてるだけってやつだ。元々、体が弱かった訳だから、衰弱していく一方だろうさ」

「その……例えばタケ様が助けて下さるなんてことは?」

「悪いが、そいつは出来ねぇ。言ったろ? 神様にも面倒なルールがあるんだ。その最たるものは、地縁血縁のない者を神の力で助けてはいけないってもんなのさ」


 流石に都合よく「神様助けてください」とはならないようだ。

 だが、そうなると一つ疑問が湧いてくる。


「あれ? でも私、タケ様に結構助けてもらってますよね? 襲われた時とか、街で事故に遭いそうになった時とか」

「そりゃあな。俺様とお嬢ちゃんの間には、縁があるからよ。残念ながら、大友のお嬢ちゃんとは縁がないんだわ。知り合い程度じゃなぁ」

「ええっ? 私とタケ様に知り合い以上の縁があるんですか?」


 当然の疑問だった。

 藍里はタケ様とある程度親しい自覚はあるが、悪く言えばそれだけである。たまに家に来て飲み食いしていく知人――いや知神というだけだ。


「ま、助けてやれるほどの縁はあるってことだけ覚えといてくれ。――だから、お嬢ちゃんを手伝うことで、結果として守矢や大友のお嬢ちゃんを助けることは出来るのさ」

「ほ、本当ですか!?」


 「縁」の件は何やらはぐらかされた気がするが、今の藍里にとって重要なのはそこではなかった。

 タケ様が藍里を手伝ってくれることで、神様と美沙奈を助けられるかもしれないのだ。


「具体的には、私は何をどうすればいいんですか?」

「そいつを教えるには、まずは葛葉の家の成り立ちをお嬢ちゃんに伝えなきゃいかん。――智里、いいんだな?」

「はい。どちらにせよ、藍里ちゃんが望めば教える予定でしたから」


 傍らの智里が、何度も何度も頷きながら答える。


「葛葉の家の成り立ち……? おばあちゃん、タケ様。それは一体」

「なあに、そんな大した話でもないさ。葛葉の一族はな――神の末裔なのさ」

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