第二十一話「若者達が村を出る、その理由を知りました」
――守矢と智里が、愛華のことについて隠し事をしている。その疑念は数日をかけて、藍里の中で大きくなりつつあった。
けれども、二人に直接尋ねても、またはぐらかされるのは目に見えていた。タケ様も同じであろうし、何よりあの神様は師走に入ってから全く姿を見せていない。
となると、藍里に頼れる人間は、この葛葉村でたった一人しかいなかった。
「藍里さんからお茶会のお誘いだなんて、今日はいい日になりそうですわ」
「そう言ってもらえると助かります。突然誘ったから、迷惑かな? って思ってたから」
「とんでもありませんわ! 藍里さんからのお誘いは、全てに優先します――その、お、お友達ですから」
そう言って、可憐な頬を桃色に染めたのは、他ならぬ大友美沙奈である。藍里にとって、数少ない村での頼れる人物の一人だ。
朝一番で「二人でお茶会をしたい」とメッセージを送ると即返信があり、その日の午後に早速お茶会を開くことになっていた。
場所は葛葉の屋敷ではなく、大友邸。それも、以前お茶会をした庭園を眺めるテラスではなく、大友邸の応接室だ。十二月ともなるとテラスでは寒すぎるので室内で、ということらしい。
「それにしても立派なお部屋ですね」
言いながら、藍里は改めて室内を見回した。
広さは八畳と少し。天井には見事な幾何学模様が描かれ、中央には小型のシャンデリアのような照明が吊り下げられている。
南向きの窓は大きくとられ、葛葉村の周囲の豊かな自然を楽しむ天然の絵画のよう。
シンプルな白壁の一角には、赤いレンガをあしらったマントルピースが鎮座している。どうやら実際に暖炉のように使えるらしく、薪ストーブが設置されていた。
また別の一角には背の高いガラス棚が置かれていて、中には帆船の模型や高そうな洋酒の箱が所狭しと並んでいる。
「ありがとうございます。祖父の趣味ですわ。――尤も、この部屋にお客様を招くことは少ないのですが」
「ええっ? もったいない」
「あたくしも同感ですわ。折角こんな立派なお部屋を作ったのに、お客様は玉藻市にある別邸にばかり呼ぶんですのよ。『葛葉村は不便だから』って」
美沙奈が珍しく、舌を出して「べーっ」という仕草をした。どうやら、家族の話をする時の彼女は、少しだけ幼くなるようだった。そんな彼女も愛らしく思え、藍里は自分の頬が緩むのを感じていた。
「ささっ、本日は英国から仕入れたハーブティーを淹れましたわ。……あっ、藍里さんは、ハーブティーは平気だったかしら?」
「ええ、詳しくはないけど、好きですよ」
「良かった~。あたくしったら、先に好みをお伺いするのを忘れるなんて」
「大丈夫ですよ。私、好き嫌いがないのが唯一の取柄なので」
「そんな、唯一だなんて! 謙遜が過ぎますわ」
大げさに驚いて見せる美沙奈。けれども、これが冗談やお世辞ではないことを、藍里は既に知っていた。
大友美沙奈という女性は、つまりはそういう人なのだと、短い付き合いながらも理解出来ていた。単純に心根が奇麗なのだ。
――そんな彼女に隠しごとをしようとしている自分に、藍里は少しだけ嫌気がさした。
「……ところで、先程『お客様は玉藻市の別邸に呼ぶ』って言ってましたけど、やっぱりお父様やおじい様は殆どあちらで暮らしているんですか?」
「祖父は街と村を行ったり来たりですわね。村にいる時は、村役場で何やらお手伝いしているみたいです。父は……週末以外はずっと玉藻市住まいですわ。忙しいようで、最近は帰ってこないことも」
「確か、会社を経営してらっしゃるとか。そちらも玉藻市に?」
「ええ。あくまでも『本社』は葛葉村なのですが、実態は玉藻市や近隣の街にありますわ。輸入業から不動産業、最近ではネットワーク? の事業もやっているようですわ」
『葛葉は村に残り、神様をお守りする。大友は村を拠点にしつつ、村の外での権益を確保し、村へ財をもたらし、村を動けぬ葛葉に便宜を図る。そういうことになっている』――いつぞやの守矢の言葉が蘇る。
藍里も気になって調べたことがあるが、大友家はこの地方では「名家」で知られる事業家一族ということになっているらしい。地方産業にも大きく食い込んでいて、文字通り地域経済を担っているのだ。
――けれども、藍里が知りたいのは大友家の事業内容ではなかった。
「やっぱり、葛葉村出身の従業員の方も多いのかしら?」
「そう聞いていますわね。あたくし達と同年代で、玉藻市の事務所で働いている方もいるはずですわよ」
「へぇ。村の若者は中学卒業を機に一旦村を出ることが多いって聞きましたけど、もしかして大友さんの会社が就職口としての役割を担っていたりするのかしら?」
「う~ん、どうでしょうね? うちの会社に就職する方も多いは多いですけど、よそ様に就職する方が多いかもしれませんわ。うちもコネ入社させている訳ではないはずですし。実力主義ですから」
――ここまでは、実は藍里も知っている話だ。ご丁寧なことに、村のWEBサイトで村の若者の就職先の内訳データが公開されていたので、それをチェック済みだった。
藍里が知りたいのは、数値に出ない部分だった。
「そうなんですね。特に就職が有利という訳じゃないんですね。――じゃあ、村の若い人達が村の外へ就職に行く理由ってなんなんですかね? 進学の場合は、高校や大学がないから村の外へ行くしかないですけど、御実家が農家の方も多いのに、どうして村で就農しないのかしら」
――これこそが、藍里が本当に訊きたいことだった。
「守矢と智里が愛華について何か隠している」、そう確信した藍里は、今まで不明瞭だった「愛華が村を出た理由」をはっきりさせようと思ったのだ。きっとそこに、「愛華が里帰りしようとしなかった理由」のヒントも隠されているはずだ、と考えたのだ。
それにはまず、村の若者が一度は村の外へ進学・就職するという、その習わしの理由を知るべきだと思ったのだ。安全で恵まれた村をわざわざ出る、その理由を。
「葛葉のおばあさまは、本当に何もお教えしていないのですね」
「美沙奈さん? あの、私、変なことを訊いちゃいました?」
「いいえ。村の風習に詳しくないのなら、仕方のないことですわ。――これも葛葉を支える大友の務め。あたくしから説明させていただきますわ」
美沙奈はティーカップを置くと姿勢を正し、藍里と真っ直ぐに向かい合った。
気のせいか、いつもは柔らかな視線も、今は鋭い眼光になっている。「藍里の友達」から「大友の跡取り娘」に気持ちを切り替えたのかもしれない。
思わず、藍里の喉がゴクリと鳴った。
「まず初めに……藍里さん、この葛葉村の要となるものは、一体なんでしょうか?」
「えっ? ええと……神様?」
「正解です。この葛葉村は、神様あっての葛葉村です」
突然の美沙奈からの質問に、藍里が戸惑いながらも答える。
どうやら正解だったらしいが、美沙奈はニコリともしない。
「村人は神様をあがめ、尽くし、その見返りとして神様はこの村に座し、村に安定と繁栄をもたらします。けれども、神様にも弱みがあります。それが何か、藍里さんはご存じですか?」
「……村からおいそれと出られない、こと?」
「正解です。村の霊脈と深く結びついている神様は、それ故に村から離れることが出来ません。もし離れてしまった場合は――」
「村の霊脈が乱れて、神様もダメージ負う、でしたか」
いつだったか、タケ様から聞いた話だ。
座敷わらしの一種である守矢は、この村の霊脈と深く結びついている。そのことで霊脈を安定させ、村やそこに住む人々に繁栄をもたらしているという。
けれども、守矢がこの土地を離れてしまうと、霊脈は乱れ、守矢自身にも不調が訪れるという。霊脈の乱れは村の衰退を意味し、不調を抱えた守矢は数年間にわたって眠り続けた、とも。
「はい。『座敷わらしが去った家は没落する』と言われる所以ですね。あたくし達の場合は、家どころか村全体ですが……これこそが、村の若者が一度は村の外へ出て、一人前になってから帰ってくる習わしの理由なのです」
「えっ? ど、どういうことですか」
「神様とて不滅ではなく、頼ってばかりはいられないという戒めなんですよ」
喋り過ぎて喉が渇いたのか、美沙奈がハーブティーを口に運ぶ。
なんとなく、藍里も真似するようにハーブティーを口にした。洗馬がカップを温めておいてくれたからか、お茶はまだ十分に温かかった。
「過去にも一度、神様がやむを得ず村を離れ、何年も眠りについたことがあったそうです。その折には、村の田畑は荒れ川は溢れ、流行り病に倒れる者が続出したとか。文字通り、葛葉村は存亡の危機を迎えたそうです」
「そのお話は、私もタケ様から聞いたことがあります」
「なるほど、あのお方が。――幸いにも、その時は村も滅びずに済んだそうです。ですが、村人達はそこでようやく、自分達が神様に甘えていたのだと、依存していたのだと気付いたそうです」
――つまりは、こういうことらしい。
村人達は守矢の庇護の下で永く暮らし続けた為、いざ守矢が不調に陥った時、自分達の力だけでは何も出来なかったのだ。そして村は滅びかけた。
なんとか滅びを回避した村人達は深く反省し、一つの誓いを立てた。「村の環境に甘んじるのではなく、神様に頼らずとも生きられる強さを身に付けなくては」と。
そうして始まったのが、若者達が村の外へ出て一人前になってから戻ってくるという習わしだった。
「この習わしは今の村人達にも連綿と引き継がれているんです。だから、やむを得ない理由がない限りは、村人は一度は村の外へ出て、一人前になるまで――神様に誇れる自分になるまで戻ってこないのです。藍里さんの欲しかった答えになっていますでしょうか?」
そこでようやく、美沙奈の雰囲気がいつもの彼女のものに戻った。藍里の緊張が一気に解けていく。
「は、はい! ありがとうございました。よく……よく分かりました。でも、一人前になるまで戻って来れないなんて、大変ですね」
「うふふ、そこはそれ。皆さん必死に頑張りますから。もちろん、どうしても一門の人物になれない方というのもいらっしゃいますけど、そこは神様も鬼ではありませんので。お目こぼしですわね」
「あはは、そこで言うと私もまだまだ半人前ですから、お目こぼしかもしれません」
「またまた。藍里さんは十分にご立派ですわ――ええ、半人前にもなれない人間と比べれば、十分に」
――その時、突然美沙奈の纏う雰囲気が、柔らかく暖かなものから氷点下のようなそれに変わったような気がした。
ほころぶ花のような笑顔も、その形を変えていないのに、どこか雪の中で孤独に咲く一輪の花のような凄絶さを湛えているように見える。
「……美沙奈さん?」
「あら、ごめんなさいね。ふふっ」
しかし、その凄絶な笑顔は、雪が溶けるようにいつの間にか消え失せていた。今、藍里の目の前にいるのは、日向の暖かさを湛えたいつもの美沙奈だった。
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