第十七話「神様とお散歩デートしました」

 時が経つのは早いもので、藍里が葛葉村へやってきてから、既に一ヶ月以上の時が流れていた。

 愛華の四十九日も近付いてきており、藍里は法要の支度やら相続や名義書き換えの手続きやらに追われるようになっていた。


 相続等の手続きは基本的に税理士任せであり、藍里がやるべきことはむしろ少ない。精々が書類の確認と署名程度だ。問題は法要の方だった。

 本物の神様がいる葛葉村においても、葬儀は仏式で行われる。そもそも、昔は神仏習合だったのだから、その辺りの区別はないのだろう。とは言え、村に寺はないので、近くの僧に来てもらうことになる。


 施主を務めるのは、もちろん藍里だ。その為、寺との連絡や打ち合わせ、法要に誰を呼ぶか、挨拶はどうするか、食事等はどうするのか、返礼品は――等など、とにかく決めておかなければならないことが山積みだった。

 もちろん、智里も手伝ってはくれたが「あくまでも藍里ちゃんが主体になってやってほしい」とのことなので、手取り足取り教えてはくれない。

 参列者への挨拶も藍里がすることになっているので、そちらも考えなければならない。


「思ってたよりも大変なのね……」


 仏間で一人、四十九日の準備をしながら藍里が独り言ちる。

 ふと、祭壇の上の骨壷と愛華の遺影に目が行くと、僅かに涙が滲んできた。もうすぐ、愛華の遺骨を墓に納めなければならない。母の死に、一区切り付けなければならないのだ。


「こんなに早いとは、思ってなかったなぁ」


 果たして、それは四十九日がこんなに早く来るとは思わなかったという意味だったのか。それとも、早すぎた母の死を嘆く言葉だったのか。

 藍里は一気に脱力すると、目の前の文机に突っ伏してしまった。ここ数日、諸々の手続きや準備に追われていた疲れが出たのだ。

 肉体的にも精神的にも疲れのピークらしく、一昨日くらいからは趣味の読書も止まってしまっているくらいだ。三度の飯よりも本が好きな藍里にとって、読書の手が止まるというのは相当のことだった。


「駄目だなぁ……私。こんなんじゃ、お母様が安心して成仏出来ないよ……」


 弱音と共に、藍里の瞳から涙がほろりと落ちる。

 ――と。


「死者を悼む気持ちは大事だが、まずは我が身だぞ。藍里よ」

「――っ!? か、神様! いつの間に」

「先程からおったぞ。ノックをしても声をかけても返事がないから、勝手に入らせてもらった」


 答えながら、流れるような動作で線香をあげる守矢。神様が仏教の作法に手慣れている光景は、いつ見ても奇妙だった。

 お鈴を鳴らし神妙に拝むその姿は、仏僧と言っても通じる静やかさを纏っていて、藍里は思わず見惚れてしまった。


「お前が体を壊して倒れでもしたら、それこそ愛華も悲しむだろうよ。少し休め」

「で、でも。今日中に挨拶文を考えないと」

「小一時間もウンウン唸っているだけで全く手につかなかったものが、少しの頑張りで終わるとでも?」

「うっ……」


 守矢の言う通りだった。昼食後から作業を始めて、既に三時を回っている。

 その間、法要の時の挨拶文の作成も、相続に必要な書類の確認も、全く進んでいなかった。母のことを思い出したり、これからのことに不安を覚えたりしてしまって、考えがまとまらなくなってしまったのだ。


「こういう時は気分転換するに限る。丁度、葛葉ストアに行くところだったのだ。散歩がてら付き合ってくれ」

「えっ……? おでかけ、ですか?」

「ああ、おでかけだ」

「神様が?」

「僕以外の誰が出かけるというのだ。おかしなことを訊く」


 守矢は基本的に、葛葉の屋敷の離れに引きこもっていることが多い。少なくとも、藍里がこの屋敷で暮らし始めてからは、彼が外出した姿を見たことがない。

 唯一の例外は、藍里が西尾に襲われた時くらいのものだ。あれ以外で、守矢が外にいる光景が思い出せなかった。


「神様もお散歩とか、するんですか?」

「それはな。村の様子を見て回ることもあるし、買い物くらい自分で行くぞ? ――藍里よ。まさかお前は、僕がただのひきこもりだと思っていたのではあるまいな?」

「め、滅相もないです!」


 守矢に詰め寄られ、その端正な顔が目の前に迫った。そのあまりの近さに、藍里の顔が朱に染まる。

 藍里は、それを誤魔化すようにそっぽを向き、必死の釈明をした。


「丁度、外崎が午後の便を運んで来る頃だ。買い物にはいい時間だろう。さあ、行くぞ」

「は、はい! す、すぐに着替えます!」


 藍里が飛ぶような勢いで仏間を出て行き、自室へと向かう。

 残された守矢は、その後ろ姿を苦笑いしながら見送った。


   ***


「こんにちは神様」

「おお、梅田の奥方か。孫が生まれたそうだな」

「はい。お陰様で、玉のような女の子が。今度是非、顔を見に来てください」

「ああ、近い内にな」


「かみさま、かみさま! オレ、逆上がり出来るようになったんだぜ!」

「ほう、遂に成し遂げたか。ようやった。驕らず精進するのだぞ」


 葛葉スーパーへ向かう道すがら、沢山の村人が守矢に話しかけてきた。皆が皆、近所に住む有名人に挨拶するが如き気楽さだ。それが、藍里には少し意外だった。


(もう少し畏れられてるのかと思ってた)


 どうやら、この村の人々にとって、神様というのは身近な存在らしい。そう言えば、他所の神様であるタケ様だって村の中を堂々と歩きまわっていた。いて当たり前の存在なのだろう。この村に来るまで、神様が実在することを知らなかった藍里には、理解出来ない機微だ。

 守矢の表情もいつもより柔らかく、村人達に慈しむような視線を向けていた。


「なんだか、この村自体が大きな家族みたいですね」

「そんないいものではない。揉め事だってしょっちゅうだ。僕に仲裁を頼み出てくる不敬者だってザラにいるさ。神への畏れが足らんのだ」


 不機嫌そうに語る守矢だったが、その口元が僅かに笑みを浮かべているのを、藍里は見逃さなかった。


   ***


「らっしゃいませ~……って、なんだ神様かい。藍里お嬢さんもいらっしゃい。今日は神様とデートかい?」

「デ、デートだなんて、そんな」


 葛葉ストアに着くと、店長がそんなことを言って藍里達をからかってきた。

 「デート」という言葉に思わず赤面する藍里だったが、一方の守矢は仏頂面のままだ。「少しくらい照れてくれてもいいのに」と思う藍里だったが、とても口には出せなかった。


(そもそも、孫とかひ孫くらいにしか思われてなさそうだし……)


 幼い頃の初恋を思い出して以来、藍里にとって守矢は気になる異性そのものだ。

 けれども、当の守矢からすれば、藍里は先祖の代から見守ってきた一族の末娘でしかない。とてもではないが、自分のことを異性として見てくれているとは思えなかった。


(そもそも、神様と人間の恋愛って成立するのかな?)


 ふと、そんな疑問が藍里の頭の中に浮かんだ。

 物語の中では度々見かける話ではあるが、所詮はフィクションである。まさか、小説家達も実際の神様に取材して、その恋愛事情を参考にした訳でもあるまい。


「藍里、どうかしたか?」

「ああ、いえ。なんでもないです。それで、お買い物はなんですか?」

「本を少し見ていく。藍里も何か買っていくか」

「そうですね……。今日の晩御飯の食材は買ってあるので、私も本を見ていきたいです」

「分かった。ちなみに、今日の夕餉は何の予定だ」

「今日は鶏の唐揚げにしようかと」

「ほう」


 藍里の言葉に、守矢の目が輝いた。唐揚げも守矢の好物なのだ。

 愛華直伝の唐揚げは、藍里の得意料理の一つだ。一口大に切った鶏もも肉を、醤油、酒、おろしにんにく、溶き卵を混ぜた調味液に漬け、よく揉んだ上で数時間ほど漬け込む。

 これに小麦粉をまぶし、170℃ほどの油で丁寧に揚げる。味や触感の変化が欲しい時は、調味汁にしょうがを入れたり、小麦粉と一緒に片栗粉をまぶしたりもする。

 揚げたてでも美味しいし、冷えていても美味しい。藍里もお弁当のおかずとして愛用していた唐揚げだった。


「唐揚げか、良いな」


 守矢が食べ盛りの小学生のように目を輝かせながら言う。

 すると――。


「お、唐揚げ? なら、付け合わせにパセリとかレモンは如何ッスか」

「あ、外崎さん」


 積み重なったプラスチック製のコンテナを乗せたカートをガラガラと押しながら、外崎が店内に入ってきた。

 丁度、午後の分の荷物が届いたらしい。


「……パセリはともかく、僕はレモンはかけない派だ。藍里の唐揚げは絶品だからな、マヨネーズ等もいらんぞ」

「へぇ。そいつは一度、ご相伴に預かりたいもんですね。――っと、神様。頼まれてた本、ようやく入荷しましたよ」


 外崎がコンテナの一つをバンバンと叩く。どうやら、その中身は書籍らしい。

 藍里は、「食材と本をいっしょに運んで大丈夫かしら?」等と、いらぬ心配をしてしまった。


「ほう、ようやくか。助かる」

「なんの本を頼まれたんですか?」

「日本各地の因習をまとめた本だよ。最近になって改訂が入ったらしくてな」

「へぇ……」


 「因習」というのは、ある地域において古くから伝わってきた風習のことだ。多くは、ネガティブな意味で使われる。

 例えば、藍里の愛読する現代伝奇小説では、寒村の因習が実は邪悪な宗教儀式に繋がっていて凄惨な事態を引き起こしたりするのが定番だ。都会の人間が因習を面白がって村を訪れ、生贄にされるような展開など、藍里の大好物だった。


「おや。藍里ちゃんも、そういうド田舎の因習に興味がある方? なら、葛葉村の因習を一つ、教えてあげようか」

「えっ」


 この爽やかすぎる葛葉村にも因習と呼ばれるようなものがあるのかと、藍里は思わず身構えた。

 我知らず、喉がゴクリと鳴る。


「……この村にはね、『宴会をする時は、きちんと戸締りをする』という暗黙の了解があるんだ」

「戸締り、ですか?」

「うん。もし戸締りをしないで宴会をすると――」

「どうなるんですか?」

「――いつの間にか闖入したどこかの神様が、酒も肴も全部平らげてしまうんだ!」

「……へっ?」


 「神様」という言葉に藍里が思わず守矢を見ると、彼は「僕じゃない!」と言わんばかりに渋面で答えてみせた。

 すると、この話の「神様」というのは――。


「それ、因習ですか?」

「あはは、どちらかというと教訓だね。あの人、この村では神様というよりも妖怪扱いだから。ほら、勝手に人の家に上がり込んで、我が物顔で飲み食いしてくやつ」

「ああ……」


 藍里の脳内で、宴会の匂いを嗅ぎつけてホイホイと他人の家に上がりこむタケ様の姿が、鮮やかに再生された。

 あの神様は、葛葉の屋敷以外にも入り浸っているらしい。「忙しい身」とは、一体何だったのか。


「もしかしてタケ様って、宴会の神かなにかですか?」

「ふふっ。是非本人に言ってやるといい。きっと嫌な顔をするぞ」


 守矢が悪戯っぽい笑顔を浮かべながら言う。

 その表情は、いつもとは違いどこか子どもっぽくて、藍里は不覚にもドキッとさせられてしまった。

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