第十六話「些細な違和感を持ちました」

 玉藻市は、葛葉村の隣に位置する人口数万人のそこそこ大きな街だ。鉄道も通っており、駅前には大きなスーパーやコンビニ、飲食店や書店などが軒を連ねている。

 駅から少し離れた所には郊外型のショッピングモールもあり、藍里が好むようなファストファッションの店はそちらにあった。


「昔は駅前にも小洒落た洋服屋があったんだがな。ここいらも、つまんねー街になっちまったな」

「つまらない、ですか? 程々に長閑で、程々に便利そうな、いい街だと思いますけど」

「それはな、お嬢ちゃんがまだこっちに来て日が浅いから、そう思うんだよ。何十年も暮らしてみれば、きっと都会の生活が恋しくなるぜぇ」


 そう言われても、藍里にはいまいちピンと来なかった。

 確かに、都内で育った藍里にとって、葛葉村やその周辺の不便さは驚くべきレベルだった。都内であれば、少し足を伸ばせば大型書店にも、電気量販店にも、ホームセンターにも辿り着ける。

 お洒落で美味しいレストランだって多いし、絶品スイーツの店だって星の数ほどあった。


 けれども、そもそも藍里はあまり贅沢をしない質だ。電気製品なども格安で手堅い物を買うので、わざわざ大きな店舗へ行かなくても通販で事足りる。

 お洒落なレストランとは縁がなかったし、スイーツとも無縁だった。

 最初こそ面食らったものの、実は今のところ、村での生活に大きな不便は感じていないのだ。

 それこそ、例外は大型書店がないことと、今こうして出かけている理由である洋服店の少なさくらいだろう。


「私は、大きな本屋さんがないこと以外、特に不便は感じていませんよ?」

「ほ~ん? 都内出身だってのに、そりゃまた随分と省エネなことだな。お嬢ちゃんのかーちゃんとは大違いだ! 愛華の奴ぁ、二言目には『退屈だ』だとか『ここには何もない』だとか、葛葉村や玉藻市の悪口ばっかり言ってやがったぜぇ」

「お母さんが?」


 そう言えば、この神様も母の昔馴染みだったなと、今更ながら思い出す。

 この神様は、藍里の知らない母の姿を沢山知っているはずなのだ。


「タケ様」

「なんでぇ」

「お母さんは……愛華は、なんで葛葉村を出たんですか? 葛葉の跡取りだったのに。何不自由ない生活があったのに」

「……お嬢ちゃんはどう思うよ?」

「それは……母は、一つ所にじっとしていられない人でしたから、村の穏やかな生活が退屈過ぎた、とか?」

「お嬢ちゃんがそう思うなら、そうなんじゃねぇか」

「はぐらかさないでください」


 タケ様のこんにゃく問答のような答えに、藍里が少し語気を荒らげる。

 何故だかわからないが、今問い質さなければ、この神様は二度と答えてくれない気がしたのだ。

 ――しばし、小気味よいエンジン音だけが二人を包んだ。


「あ~、まっ、嘘は言ってねぇよ。愛華はな、安定とか安全とか、そういう生活に耐えられないやつだったんだ。だから村を出た。当然、両親――お嬢ちゃんのじーちゃんばーちゃんは、豪く反対したんだぜ? でもな」

「でも?」

「守矢の野郎が、愛華の自由にさせようって言ったのさ。守り神のお許しが出ちゃ、もう誰も何も言えなかった。愛華の奴は、将司を連れてルンルン気分で村を出て行ったのさ」

「神様が……?」

「ああ。『このまま村に留め置いても、愛華の為にならん』ってな。実際、愛華は村を出るまでコヅクリ……ゴホンッ、失礼。村を出るまで結婚しないって豪語してたしな。へそ曲げられて血を絶やされちゃ、守矢としてはたまんなかったのさ」


 タケ様の話は、以前に智里から聞いたものと合致した。智里は確か、「自分の知る限り、神様は愛華が村を出ることを止めなかった」と言っていたはずだ。

 それにしても、跡取りを産むことを条件にして村を出たとは、いかにも愛華らしかった。その子どもである藍里としては複雑極まりない心情ではあるが。

 ――と。


「まあ、今となっちゃその判断が良かったのかどうか、分からねぇがな」

「えっ?」

「お、着いた着いた。お嬢ちゃん、ここが例のモールだぜ」

「タケ様、今何か言いましたか?」

「ん? なんだ? なんのことだ?」


 目的地のショッピングモールの駐車場へ車を入れながら、タケ様がとぼける。

 どうも、この神様には思わせぶりなことを言っておいて、重要な部分は有耶無耶にする悪い癖があるらしい――。


   ***


 このショッピングモールには、建物の前に広がる平面駐車場と、併設された自走式立体駐車場の二種類がある。

 平日の昼間だというのに、平面駐車場は既にいっぱいだった。仕方なく、タケ様は車を立体駐車場へと滑り込ませた。そのまま、二階、三階と上っていって、四階でようやく空きを見付けた。どうやら、このモールは非常に繁盛しているらしい。


「随分とお客さんが多いんですね」

「ここいらでまともに買い物しようとしたら、ここに来るしかねぇからな。まっ、そもそも地元の店が減ったのは、このモールが原因なんだがよぉ」


 車を降りて店内に向かう道すがら、タケ様が玉藻市の買い物事情を教えてくれた。

 一昔前の駅前には、今よりも多種多様な店が軒を連ねていたのだそうだ。洋服店や金物屋、雑貨屋に木材屋、そして大型の地元書店。駅前で全ての買い物が完結出来たのだという。


 ところが、十数年前にこのショッピングモールが出来ると、若者を中心に駅前から人が離れていった。大手ファストファッションや雑貨屋が数多く出店するこのモールは、品数も豊富で値段も手頃だ。駅前の個人商店もクオリティでは負けていなかったが、大手の仕入れ力には敵わない。

 結局、スーパーと飲食店以外の店はモールとの競争に敗れ、店じまいしてしまったらしい。


「玉藻市はまだマシさ。近くの自治体の駅前なんざ、文字通りのシャッター商店街が――って、お嬢ちゃん!」

「えっ?」


 突如、タケ様に手首を掴まれグイっと引き寄せられる。――と、つい先ほどまで藍里がいた空間を、軽自動車が物凄いスピードで駆け抜けていった。

 もし、タケ様が手を引いてくれていなかったら、轢かれていたことだろう。

 軽自動車は停まるどころかなおもスピードを上げて、不快なタイヤ音だけを残して走り去ってしまった。


「あ、ありがとうございます……。まさか、駐車場の中で轢かれそうになるなんて」

「ここいらは老人の運転が多いからな。あいつら、車幅感覚とスピード感覚がバグってやがるからよぉ」

「それはちょっと心配ですね。上の階に行ったみたいですけど、どこかにぶつけてないといいですが」

「轢かれかけたのに、心配してやるのかい? お嬢ちゃんは優しいねぇ。愛華だったら、追いかけてって半殺しにしてるところだろ」

「あ、あはは……」


 笑ってごまかした藍里だったが、実はタケ様の言葉は正鵠を得ていた。

 藍里が中学生の頃、愛華と一緒に歩いている最中にガラの悪い車にひっかけられて、軽い怪我を負ったことがあった。幸い怪我は大したことがなかったものの、犯人はそのまま逃げてしまい、警察もろくに捜査してくれなかった。

 ――が、それでは気が収まらない者がいた。愛華だ。


 愛華は覚えていた車種とナンバーを頼りに犯人の居場所を探し続け、遂に見つけ出すと、とても他人には言えない目に遭わせたらしい。

 藍里も詳細は教えてもらえなかったが、その後、犯人から報復を受けるようなこともなかったので、余程の目に遭わせたのだろう。愛華が亡くなってしまったことで、真実は闇の中だが――。


 そのまま、藍里達は洋服を中心に買い物を済ませた。タケ様は、先程の車に轢かれかけた件があったからか、常に藍里の傍に寄り添うようについてきてくれた。

 曰く「守矢と智里からお嬢ちゃんのボディーガードを頼まれてるんだ。きちんとやるさ」だそうだ。その気持ちは嬉しかったが、流石に試着室の前で待たれるのは恥ずかしかった。


 それに、藍里には別の心配もあった。

 実年齢はともかくとして、タケ様の見た目は若く、守矢とは別ベクトルの美形だ。そんな彼と一緒に歩いていたら、周囲にはどう見えるだろうか。「恋人に見られたらちょっと嫌だな」等と、少し失礼なことを考えていた藍里だったが、それは杞憂に終わった。

 と言うのも――。


「今日はお兄さんとお買い物ですか?」

「では、お荷物はお兄様にお渡しいたしますね?」

「あら、お兄様大変スタイルがよろしいですね。実は今おススメしているコーディネートがあるのですが――」


 等など。何故か、入る店入る店で、タケ様は「藍里の兄」扱いされたのだ。

 藍里とタケ様とでは似ても似つかないはずだが、一体何がそう思わせたのか、甚だ疑問だった。


「タケ様って、もしかして弟さんがいますか?」


 買い物が終わり、駐車場へ戻る道すがら、そんなことを訊いてみる。特に意味のある質問ではなかったが、これだけ「兄扱い」されたのには、何か理由があると思ったのだ。


「いんや? 兄貴みたいな奴ならいるがな――って、お嬢ちゃん、前! 前!」

「あっ」


 タケ様に呼び止められて、藍里は足を止めた。見れば、一歩踏み出そうとしていた先は下り階段だ。全く気付いていなかった。

 もし、このまま踏み出していれば、転落して大怪我を負っていたことだろう。


「お嬢ちゃん、さっきの車の件といい、今日はちょっとぼーっとし過ぎじゃねぇかぁ?」

「あ、あはは。車の通りが多い場所も、こういうお店も久しぶりだから、かもですね」


 誤魔化すように笑いながら、しかし藍里は自分のうっかりさに恐怖さえ覚えていた。

 車に轢かれかけた件は、相手がスピードを出していたから仕方のない部分が多い。しかし、階段に気付かず踏み出そうとするなど、いくら藍里がうっかり屋でも、普段なら絶対にやらないことだ。

 

(やっぱり、慣れない生活でちょっと疲れてるのかな?)


 喉に小骨が刺さったような正体不明の違和感を覚えながらも、藍里はそのまま村へと戻った。


   ***


 ――その日の夜。家人の寝静まった葛葉屋敷に、一室だけ明かりのついた部屋があった。離れの一角にある守矢の私室だ。


「今日はすまなかったな、タケ様」

「なに、いいってことよ。お嬢ちゃんは、俺にとっても他人じゃねぇからな」


 守矢とタケ様は、肴も無しに酒を酌み交わしていた。珍しくタケ様の方から長野の地酒を持ち込んできたので、二人だけのささやかな酒宴と洒落こんでいたのだ。

 が、二人の表情に浮かれた様子はなく、むしろ真剣そのものだった。


「お嬢ちゃんだがな……やはり、があるぜ。一人で村から出さない方がいい。今日も色々あったぜ」


 タケ様がボヤくように呟き、酒を一気に呷る。

 ――藍里は全く気付いていなかったが、車に轢かれかけたり階段から落ちかけたりした以外にも、彼女の身には、今日一日だけで様々な危険が降りかかっていた。

 商品棚の上に詰まれていた在庫が、藍里の頭上に落ちそうになったり。

 いたずらな子どもが投げた見本品のおもちゃが、後頭部に直撃しそうになったり。

 はたまた、店員の押す商品を大量に積んだカートが死角から突っ込んできたり。


 いずれもタケ様が藍里に気付かれる前に阻止していたが、もし彼女一人だけで買い物に行っていたら、大惨事になっていたことだろう。


「やはり、か。智里が居場所を突きとめるのが数日遅かったら、危なかったかもしれん」

「たらればの話はよそうぜ。これからの話をしよう。お前は、お嬢ちゃんをどうしたいんだ?」

「……タケ様はどう思う?」

「質問に質問で返すな守矢。俺様のことはいいんだ。お前はどうしたいかって話だよ」


 叱責の代わりなのか、タケ様がまだ空いていない守矢のグラスに、無理矢理に酒を継ぎ足す。

 零れそうな勢いであったが、不思議と酒は一滴も零れずなみなみと注がれていた。


「覚悟を決めろ、守矢。自由と引き換えに危険に晒すか、籠の鳥として扱うか。それとも――『花嫁』として生きてもらうか。お嬢ちゃんと話して、智里にも相談して、三人できちんと決めろ。俺様はその判断を尊重する」


 ぐびっと、一升瓶ごと酒を呷るタケ様。

 ――守矢は結局、タケ様が酒を飲み干しても押し黙ったままだった。

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