第十三話「女子会を開きました(上)」
葛葉村へやって来て三週間が経ち、藍里の体はすっかり村の生活に慣れつつあった。
朝は夜明け頃にパチリと目が覚める。以前はスマホのアラームを使っていたのだが、最近では自然に目覚めることが出来るようになっていた。恐らくは、寝る時間が早くなったからだろう。
都内にいた頃は、日付が変わってから眠りにつくのが普通だった。それが、葛葉村では遅くとも二十三時頃には床に入っている。驚きの変化だ。
村の夜は早い。葛葉ストアは夜の八時には閉まってしまうので、それ以降は買い物すらも出来ない。村全体も街灯が極端に少ないので、外を出歩く気にもなれない。必然、家に引きこもってテレビを観たりスマホをいじったりすることくらいしか、やることが無くなる。
けれども、それも長くは続かない。車の音もない、夜の生き物達の営みの音と風の音、それに遠くを流れる川のせせらぎくらいしか聞こえないので、辺りはとても静かだ。その静かさが、藍里に「早く寝なさい」と言っているようで、自然と寝入ってしまうのだ。
そのおかげか、毎日が快眠続き。朝の目覚めも爽快そのものだった。
(夜型の人にはきつそうだけどね)
藍里が働いていた書店には「日中が苦手」と称して、遅番にしかシフトを入れない店員がいた。
その店員は、昼間はボケっとしていて使い物にならないのだが、夜になると人の三倍は働くという、中々ユニークな人物だった。本人曰く「根っからの夜型人間なんで」だそうだ。
以前読んだ科学雑誌か何かに、その人が昼型か夜型かは遺伝子レベルで決まっている、という話が載っていたことを、ふと思い出す。「自分は夜型じゃなくて良かった」等と益体もないことを考えながら、藍里の一日が始まった。
***
『いただきます』
四人で手を合わせて、仲良く「いただきます」をする。ここ数日で、お馴染みになった光景だ。
本日の朝食は、厚切りのトーストとサラダと目玉焼きというシンプルなメニューにした。とは言え、手抜きという訳ではない。
ジャムは市販品に加え、藍里お手製のものも用意してある。智里がご近所から貰って来たコケモモをジャムにしたら、これが非常に美味だったのだ。
他にも、練りあんや蜂蜜、タルタルソースも用意してある。その他にも――。
「じゃ~ん! 目玉焼きトースト~!」
目玉焼きをトーストに乗せて、タケ様がはしゃいでいた。まるで小学生男子だ。
タケ様は一週間近く経った今もまだ、葛葉の屋敷に逗留している。「忙しい身」とは、一体何だったのだろうか。
とはいえ、藍里としてはタケ様にいてもらって助かっている部分もある。その一つが――。
「ほえ~。あの女優さん、お笑い芸人と結婚したのか。もったいねぇなぁ~」
「有名な女優なのか?」
「そりゃおめえ、何本もドラマの主演を務めているような女優さんだぞ? 守矢よう、お前さんもっとテレビとか観た方がいいぞ」
「……テレビはあまり好かん」
神様たる守矢がテレビ嫌いの為、葛葉屋敷の居間のテレビは長らくただの置物とかしていた。それが、タケ様が来てからは食事中に必ずつけるようになっていた。
ニュースやらバラエティ番組やら、何でもいいからテレビがついていると安心するのだという。今は、民放の朝のニュース番組の芸能コーナーが流れている。
神様の行動としては俗っぽいことこの上ないが、子どもの頃から食卓とテレビがセットだった藍里としては、大助かりだった。
「あら。でも、あの芸人さんもかなりの売れっ子のはずですよ。御実家も立派なおうちのはずですし」
「ひゃ~、実家が太くて本人も稼いでるパターンかよ。所詮は金かぁ~」
等と、少々下世話な雑談も出来る。
守矢や智里は基本的に上品な質なので、こういった話はし難かった。
そういう意味では、タケ様様々なのだ。
「そう悪し様に言うものではないぞ、タケ様よ。芸能人とて、テレビで視えているものが本当の顔という訳でもあるまい――藍里、すまんがお茶のおかわりを頼む」
「あ、はい!」
すっかり空になっていた守矢のカップへ丁寧にお茶を注ぐ。葛葉の屋敷で定番だった緑茶ではなく、紅茶だ。湯呑も華美な紅茶カップに姿を変えている。これは藍里の趣味だった。
特に理由がある訳ではないが、藍里は昔から日本茶派でも珈琲派でもなく、紅茶派なのだ。カップもポットも、藍里の引っ越し荷物から引っ張り出した愛用の品だ。
「緑茶も好きだが、紅茶も悪くないな。何より、パンによく合う」
「安い茶葉で申し訳ないですけど……」
「構わんさ。いくら葛葉ストアでも、高級な紅茶までは置いていないはずだ。良い茶葉を仕入れるなら街まで……いや、待てよ」
守矢がカップの中の赤色を眺めながら、何か考え込む。
その姿はさながら哲学者のようで、藍里はこっそり見惚れてしまった。
「大友の家に頼めば、案外簡単に手に入るやもしれんぞ」
「大友……美沙奈さんのおうちですか?」
「ああ。大友の家は、街の方で手広く商売をやっていてな。確か。食品輸入業もやっていたはずだ。そうだったな? 智里」
「はいな。今でも時折、結構な洋菓子を頂くことがございますよ。昔、お紅茶を頂いたこともございます」
「ということだ。折を見て相談してみるといい。丁度いい機会だ」
それだけ言って、守矢は柔らかな所作でカップを口にした。
着物に身を包んだ神様が優雅に紅茶を嗜む。よくよく考えてみれば不思議な光景だが、実に様になっている。藍里にとっては眼福この上なかった。
(……それにしても。「いい機会」って、何がだろう?)
***
そして午後。藍里は智里と共に、一路大友家を目指してとてとてと村道を歩いていた。
「善は急げ」とばかりに智里が手配をしてくれて、藍里は大友家を訪ねることになったのだ。
大友家は、村の入り口から見てかなり奥まった場所にあるらしい。葛葉の屋敷とはそこそこ離れているので、藍里もまだ近くを通りかかったことすらなかった。
「大友さんの所はね、普段は先代ご夫婦と美沙奈ちゃん、それと使用人の皆さんだけでお住まいなのよ」
「先代?」
「美沙奈ちゃんのお祖父様とお祖母様ね。ご両親の方は、週末以外は村外にいらっしゃるのよ――お父様とは、藍里ちゃんも一度お会いしているわね」
「えっ、いつですか?」
美沙奈の父親に会った記憶は、藍里にはない。
藍里は人の名前と顔はよく覚える方だ。一度会ったことのある人間ならば、うっすらとでも覚えているはずなのだが。
「ほら、藍里ちゃんが村に来た翌日に」
「ああ……」
突然、村の顔役達に傅かれるかのように挨拶された、あの日のことを思い出す。
村長やら何やら、おじさんばかりが挨拶に来ていたが、どうやらあの中に美沙奈の父親もいたらしい。
「……そう言えば、大きな会社を経営しているという人がいましたけど、あの人ですかね」
「多分それね。大友の家はね、昔から手広く商売をなさっているのよ。葛葉家所有の不動産の管理も、大友さんが引き受けてくれているの」
「そんな繋がりが」
「それにね、大友家と葛葉家はそもそも――ああ、見えて来たわね。あれが大友さんのおうちよ」
村道から緑に囲まれた支道に入ってしばらくしたところで、智里が行く先を指さした。
そこにあったのは、こんな田舎には似つかわしくない豪邸だった。
広さこそ葛葉の屋敷ほどではないが、大きい。三階建ての鉄筋コンクリート製らしき建物だ。
一階には大きなガレージが備えつけられていて、開け放たれたシャッターの向こうに高そうな黒塗りの自動車が三台も鎮座している。内一台には見覚えがあった。よく美沙奈が乗っている車だ。
玄関がまた立派で、木製の両開きのドアは装飾を兼ねた金属板でしっかりと補強されており、見た目からして頑丈そのもの。ドアに備えつけられたノッカーは、漫画でしか見たことがないようなライオンの顔をしたものだった。
それでいて、ドアの脇に設置されたインターフォンは普通のカメラ付きタイプのものなので、どこかチグハグでもある。
「ええと、この場合、ノッカーとインターフォンのどちらを使えば……?」
「普通にインターフォンでいいと思いますよ」
「じゃ、じゃあ」
意を決してインターフォンのボタンを押すと、「ピンポーン」というなんの変哲もない音が響いた。
そして、ややあって――。
「お待ちしておりました」
「――っ!?」
前触れもなくガチャリとドアが開いて強面のスーツ姿の男が顔を出したので、藍里は一瞬叫んでしまいそうになった。
が、よく見れば美沙奈の運転手のあの男だった。見慣れている顔だが、突然現れるとやはり怖い。
「お嬢様が裏のテラスでお待ちです。ご案内いたします」
「あ、どうも……」
男に促されるがまま、玄関から裏手に回る。
――すると、そこにはメルヘンな空間が広がっていた。
「わぁ……」
それは見事な庭園だった。小さいながらも噴水を備え、その周囲を丁寧に手入れされた季節の草花が彩っている。
その他にも、ウサギの形に刈り込まれた植え込みや、「不思議の国のアリス」をモチーフにしたであろう「トランプの兵士」や「手足の生えた卵」の陶器人形が、要所要所に据えられている。
全体的に童話をイメージしたものになっているようだ。
――その庭園を一望出来るテラスに、女王然とした姿があった。
大きな丸いティーテーブルと、それを囲むように置かれた高そうな椅子。その一つに、美沙奈が上品に腰かけて藍里達を待ち構えていたのだ。
ティーテーブルの上には、季節の花なのだろうか、小さなガラス製の花瓶に可愛らしい赤い花が生けられている。美沙奈の傍らには白いカバーのかかった文庫本と、スマートフォンが置かれている。もしかすると、テラスで読書中だったのかもしれない。
「藍里様、葛葉のおばあさま、ごきげんよう。ようこそ我が家へ」
「こ、こんにちは大友さん」
「突然ごめんなさいねぇ、美沙奈ちゃん」
「とんでもない。葛葉に求められれば即応じる。それが大友の務めですから――さ、お座りになって」
そう美沙奈に促されたが、藍里はすぐには動けなかった。
空いている椅子は三つ。「上座ってどうなるんだろう?」等と考えてしまい、どの椅子に座ればいいのか分からなくなってしまったのだ。
が――。
「では、失礼しますね。どっこいしょ、と」
「……」
智里がさっさと美沙奈の右隣の椅子に座ってしまった。仕方がないので、藍里は美沙奈の正面の席に座る。
「
「かしこまりました、お嬢様」
運転手の強面――どうやら洗馬という名前らしい――が、恭しく美沙奈に頭を下げる。顔に似合わず、柔らかな物腰だった。
洗馬はそのまま、テラスに面したドアから室内へ消えていった。お茶を淹れに行ったのだろう。
「さて、お紅茶の茶葉を御所望とのことでしたわね。何か、御愛用の銘柄などはありますか?」
「あ、いえ。特に拘りはないのですが……」
「では、こちらで適当に見繕いますわね」
しどろもどろな藍里に対して、美沙奈は実に可憐な「お嬢様」といった風情だ。
美沙奈は、初めて会った時にも着ていた白いワンピースに身を包み、今日は更に薄いベージュのカーディガンを肩掛けに羽織っている。
恐らくはどちらもブランドものなのだろう。ファストファッションのジーンズと地味な色のシャツという、飾り気のない出で立ちの藍里とは正反対だった。
「うふふ、それにしても嬉しいですわ。まさか、藍里様の方から訪ねてきてくださるなんて。あたくし、藍里様とこうしてお話してみたかったんです」
「私と、ですか?」
「はい! 藍里様もご存じかと思いますが、同年代の方々の殆どは村外に出られているので、歳の近い話し相手に飢えていますの」
「ああ。皆さん、進学や就職で一度は村を出るんでしたっけ」
村に来たばかりの頃に、智里から聞いた話を思い出す。確か、殆どの若者は高校進学を機に村を出て、結婚が決まると戻ってくるという話だった。
「ええ。あたくしや藍里様と同い年の者が四人いますけれども、皆さん、今は村を離れて都会の大学に通われていますわ。藍里様は、大学は?」
「大学には行かなかったんです。高校を卒業して、すぐに就職して働いていました。母には進学を勧められていたんですけど……その、大友さんは?」
「美沙奈、ですわ」
「えっ?」
「どうぞ名前で、美沙奈とお呼びください藍里様」
にっこりと、ほころぶ花のような笑顔でそう告げる美沙奈。
そのあまりの可憐さに、藍里は頬が赤くなるのを感じた。
「じゃ、じゃあ美沙奈……さん。あの、私のことも『様』なんて大げさな呼び方は大丈夫ですから」
「そうですか? では、畏れ多いとは思いますが……藍里、さん」
少しだけくだけた呼び方をした途端、今度は美沙奈の顔が僅かに赤くなった。
そのまま、お互いに何となく照れくさくなって、会話が止まってしまった。
そんな二人の姿を、智里はニコニコと微笑ましげな表情で見守った。
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