第十四話「女子会を開きました(下)」

「お嬢様、お茶をお持ちしました」


 ややあってから、洗馬がティーセットとケーキスタンドを乗せたワゴンを押して戻って来た。

 彼が出入りしているドアを何となく眺めると、室内側はゆるいスロープになっているようだった。なるほど、あれならば室内とテラスの段差を気にする必要がない。

 ――そう言えば、と藍里は今更ながら気付く。藍里達がいるテラスにも、庭園に降りる為のスロープが備えつけられている。誰か、車椅子を使う人間が大友家の中にいるのかもしれない。


 藍里がそんなことを考えている間にも、洗馬はテキパキとお茶の準備を済ませていく。

 無駄のない所作で三人分の紅茶を淹れ、テーブルの中央にケーキスタンドを恭しく置くと、一礼してすぐに屋内へと引っ込んでしまった。

 見た目はヤクザ者だが、その物腰は「執事」とでも呼ぶべきものだった。


「今年はディンブラが当たり年でしたの。ささ、冷めないうちにどうぞ」

「……いただきます」


 美沙奈に勧められるがままに紅茶を口にする。

 「作法とかよく分からないけど大丈夫かしら?」といった不安が先立っていた藍里だったが、紅茶を口に運んだ瞬間、そんなものはどこかへ吹き飛んでいた。


 鼻を刺激するのは、バラのそれにも似た芳しい香り。

 渋みは程よく、のど越しの良いさっぱりとしたコクが心地よい。

 鮮やかなオレンジの水色すいしょくも美しく、視覚からも楽しませてくれる。

 藍里の口からは、自然と「美味しい」という感嘆の呟きが漏れていた。


「お口に合いましたか? よろしければ、お菓子の方も召し上がってくださいね」


 藍里の反応に気をよくしたのか、美沙奈がケーキスタンド上の皿に並べられたお菓子を勧めてくる。

 皿は二段重ねで、下の皿にはプレーンのスコーンが、上の皿には一口サイズのプチケーキが鎮座している。いずれも都内のきちんとした店で出てくるようなクオリティだ。


(街へ出て買ってきたのかしら? ……というか、こういうのはどういう順番で食べればいいんだっけ)


 藍里は紅茶好きではあるが、それはあくまでも自分で茶葉を選んで、自宅で楽しむ程度のものだ。きちんとした作法のあるお茶会や、高級店のアフタヌーンティー等は嗜んだことがない。

 さて、どうしたものかと藍里がまごまごしていると――。


「あらあら、これはのプチケーキね? 嬉しいわぁ」


 智里が迷いのない手つきでプチケーキを一つ手に取り、パクリと一口に食べてしまった。

 なんだか、気にしていた自分がバカみたいだと思い、藍里もプチケーキの一つを口に運ぶ。ラズベリーの乗った、ショートケーキの小さい版のようなケーキだったが、これが予想以上に美味だった。

 クリームも生地も甘すぎず、ラズベリーの酸味と合わさって口の中に上品な風味が広がる。そこへ紅茶を口に含めば、お互いの風味が打ち消し合うことなく複雑に絡み合って、舌の上で幸せが踊っているかのような味が広がった。


「あ、美味しい」

「ようございましたわ。藍里さんが喜んでらっしゃったと、後ほど洗馬にも伝えておきますね」

「はい……って、これを、あの、洗馬さんが?」

「ええ。洗馬は若い頃、パティシエをしていたんです」

「時々、葛葉の家にも差し入れてくださるのよ。私、洗馬さんの作るケーキが大好物なの」


 美沙奈と智里の言葉に、藍里は「意外」という感想を必死で呑み込んだ。

 あの強面がこんな可愛らしいお茶菓子をせっせと作っている姿は、想像するだにアンバランスだが、それを口にしてはいくらなんでも失礼だろう。 


 ――その後は、三人で他愛もない雑談に興じた。

 村のどこそこの家に赤ん坊が生まれそうだとか、今年の米も豊作だとか、お互いにどんな本を読んでいるのだとか。

 少し意外だったのは、美沙奈も智里も、藍里の好きな現代伝奇ホラー小説を愛読していることだった。しかも、好きな作家まで同じ「比企古森」なのだという。

 美沙奈のような「お嬢様」然とした女性が大衆的な小説を読んでいるのも意外だったし、一つ屋根の下で暮らしている智里の趣味に今まで気付かなかったのも意外だった。


「じゃあ、葛葉ストアに比企先生の本が置いてあるのは」

「あたくし達が愛読しているから、でしょうね。そもそも、あたくしに比企古森先生を勧めてくださったのは、葛葉のおばあさまですけれど」

「へぇ、智里おばあちゃんが……」


 比企古森は年齢非公開の作家だが、その活動は二十年ほど前まで遡れる。藍里と美沙奈が生まれる前だ。

 となると、この中で最古参のファンは智里ということになるかもしれない。


「もしかして、智里おばあちゃんはデビュー作から比企先生を読んでいるの?」

「ええ、そうね。デビュー作……ええ、多分、一番古いファンだと思うわよ」

「わあっ! じゃ、じゃあ、そのデビュー作って持ってますか? 実は私、まだ読んだことが無くて」

「デビュー作? 確か『御琉呉田に死す』でしたか」

「そう、それです!」


 比企古森のデビュー作は「御琉呉田に死す」という、やはり現代伝奇ホラーだ。

 「ゴルゴダの丘は日本に在った!」というトンデモ設定から始まる物語で、全体的に荒唐無稽だが、その筆致の確かさで読者の背筋を凍らせる一級のホラー小説――らしい。

 「らしい」というのは、部数が少なく読んだことのある人間が少ない為だ。藍里も、内容はネットのまとめ記事でしか読んだことがない。

 電子書籍化もされず、単行本はプレミア価格で取引されている。とても藍里が手を出せる値段ではなかったのだ。


「あたくし、以前借りて読んだ覚えがありますわ。葛葉のおばあさま、そうですわよね?」

「ええ。確か、お屋敷の書庫に二冊ほど仕舞ってあるわね」

「に、二冊も!? あの貴重書が……?」


 ただでさえ手に入らない本が二冊もあるという事実に、藍里が思わず悲鳴のような声を上げる。

 しかもそれは、藍里が住んでいる屋敷の離れにあるのだ。本好きの藍里にとっては、床下に埋蔵金が埋まっていたくらいの衝撃がある。


「ち、智里おばあちゃん! 私も、私も借りていいですか?」

「もちろんよ。あ、でも誰かに貸したりする場合は、きちんと神様に許可を取ってね」

「あ、そうか。あの蔵書の殆どは、神様の収集品なんでしたっけ」


 葛葉家の書庫は広い。ざっとだが十畳以上の広さがありそうだ。

 となると、その蔵書は万に届くかもしれない。藍里は今更ながら、自分の身近にとんでもないお宝があることに気付いた。


「藍里さんは、本当に本がお好きなんですね」


 ワクワクが顔に出てしまっていたのか、クスリと微笑みながら美沙奈がそんな言葉をかけてくる。

 藍里は少し恥じらいながら、小さく頷き返した。


「あまり遠出も出来ない生活をしていたので、自然と家の中で完結出来ることが趣味になったんです。趣味が高じて、書店で働いたりもしましたけど」

「まぁ、本屋さんで? 素敵です! ――きっと都会の本屋さんには、目も眩むくらいの数の本が並んでいるのでしょうね」


 夢見るような表情で呟いた美沙奈の姿に、藍里はギクリとさせられた。以前に彼女の口から聞いた、あの不穏な言葉を思い出したのだ。


『いいえ? あたくしは村から出られませんから』


 あの言葉の意味するところを、藍里は未だに知らない。

 守矢やタケ様なら知っているかもしれないが、なんとも聞きづらい。ましてや、本人に尋ねるというのはなんとも躊躇われる。

 美沙奈の口ぶりから推測するに、どうやら「村から出られない」というのは、文字通りの意味であるように思われた。最も近い街にも、大きな書店くらいはあったはずだ。お付の運転手を従える美沙奈ならば、街との往復もそれほど苦労しないはずだ。

 にも拘らず、美沙奈は「都会の本屋」に行ったことがないらしい。ならば、導き出される答えは一つだろう。


「……美沙奈さんさえ良ければ、今度、葛葉の屋敷の書庫を一緒に『探検』してみませんか?」

「よろしいんですの?」

「もちろん。ねえ? 智里おばあちゃん」

「ええ、ええ。美沙奈ちゃんなら、神様も快諾して下さると思うわ」


 美沙奈の表情がぱぁっと明るくなる。

 その笑顔は高貴な一輪の花というよりは、真夏に咲くひまわりの大輪のようで、実年齢よりも随分と若く感じられた。


   ***


 その後しばらく経ってから、お茶会はお開きになった。

 葛葉村は、どういった理由か山中に位置する割に温暖だ。だが、それでも既に十一月。吹く風には冬の厳しさが混じり始めている。美沙奈の「くしゅん」という可愛らしいくしゃみが、終了の合図となった。


「それでは藍里さん。茶葉の方は、後ほど届けさせますわね」

「はい。お手数ですがよろしくお願いします。じゃあ、例の件は近い内に」

「ええ! 楽しみにしていますわ」


 美沙奈を誘っての「神様の書庫の探検」は、近日中ということになった。美沙奈は、日中は通信制大学のリモート講義や様々な習い事に忙殺されているらしい。

 週末は週末で、帰宅した両親と共に過ごすそうなので、実は自由時間が少ないのだそうだ。


「――ああ、それと藍里さん。ご参考までに、こちらを」

「これは……?」


 美沙奈が、洗馬に持ってこさせた大きな封筒袋を藍里に差し出す。封筒には、どこかの大学名が書かれていた。


「あたくしが受講している通信制大学のパンフレットです。普通の大学には及びませんが、スクーリングもありませんので、村に居ながらに学位も取得できますわ」

「これを、私に……?」

「ええ。藍里さんさえよろしければ」


 ニッコリと、今度はほころぶ花のような上品な笑顔で、美沙奈が笑う。

 恐らく、藍里の亡き母が娘の大学進学を望んでいたという話を、覚えてくれていたのだろう。


「あ、ありがとう美沙奈さん。私、考えてみます!」


 封筒を受け取った藍里が、幼い少女のように笑う。

 傍らでその姿を見守っていた智里は、ようやく藍里の本当の笑顔を見た気がした。

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