第十一話「他の神様と内緒話をしました」

 葛葉の屋敷の客間は、離れに繋がる渡り廊下の手前にある。

 それを知った時、藍里は「神様のお部屋の近くに客間があるのは何故なんだろう?」などと思ったものだが、その理由が分かった気がした。泊まる客の方も神様が多いのだ。


「この部屋に泊まるのも久々だなぁ」

「一応、お掃除はしてありますが、気になることがあったら仰ってくださいね。お布団も干してありますから」

「おう、助かるねぇ。この家も、長いこと智里一人で回してきたからな。お嬢ちゃんが来てくれて、二人とも助かってるはずさ」

「それなら、いいんですが」


 確かに、藍里は家事の類を手伝ってはいる。けれども、この立派な屋敷に住まわせてもらって、食費も光熱費も、家賃すらも負担していない身としては、少し後ろめたさもあった。

 ――そもそも、葛葉家の懐事情がどうなっているのかさえ、藍里は知らない。これだけ広大な屋敷だ、維持するのにもそれなりのお金がかかるはずだった。

 とても智里の年金で賄える額だとは思えない。


「はっはっ、この家の金回りのことなら心配いらねぇぞ、お嬢ちゃん」

「えっ」


 またもやタケ様が、藍里の思考を読んだかのような事を言い始めた。


「守矢の奴は座敷わらし――ある種の福の神にして、土地屋敷の守り神だ。あいつがこの屋敷に、いやさ、この村にいる限り、葛葉の家が金に困ることはないさ」

「……そういうもの、なのですか?」

「そういうもんさ。まっ、守矢の奴は、それだけじゃ心配だと世俗の収入も持ってるんだがな」

「世俗の収入……何かお仕事を?」

「さぁてな。今度、本人に訊いてみな」


 押し入れから布団を出して丁寧に敷きながら、タケ様とそんな会話を交わす。

 神様の収入源とやらも気になったが、そもそもの葛葉家の財源も気になった。まさか、地面から小判がザクザク出てくる訳でもあるまい。

 まだまだ藍里には、知らないことばかりだ。――だから、少しでも多くタケ様から情報を引き出したかった。


「あの、タケ様。少し訊きたいことがあるんですが」

「おう。守矢の奴がこの村から出られないって話か?」

「……また。タケ様、もしかして他人の心が読めるんですか? あまりいい気持ちじゃないんですが」

「はっはっ、まあ神様なんで読心術くらいは出来るがな、そんな野暮なことはしてねぇさ。お嬢ちゃんが分かりやすいだけだよ」

「えっ……私、分かりやすいですか?」


 十九年の人生で、そんなことを言われたのは初めてだった。

 学生時代の藍里のあだ名と言えば、「ポーカーフェイス」だとか「クール先輩」だとか、無表情を指すものが多かったのだ。それも、あまり良くない響きで。


「見る奴が見れば、な。分かりにくいって言う奴がいたんなら、それは単純にお嬢ちゃんのことをよく見てないってだけだろうさ――神様の俺様が保証する。あんたは、表情豊かなイイ女だよ」

「――っ」


 あまりにもストレートなタケ様の物言いに、思わず藍里の顔が赤くなる。

 今まで、西尾のような藍里に色目を使う為に美辞麗句を並び立てる男はいたが、タケ様のように他意なく素直な誉め言葉をくれる男と出会ったことはなかったのだ。


「――っと、これじゃお嬢ちゃんを口説いてるみてぇだな。がっはっはっ、そのつもりはねぇから安心してくれ。……それで、守矢の件だがな」

「はい」

「あいつは、この土地の守護神、つまり土地神としての側面が強いんだ。――霊脈って分かるか?」

「ええと……漫画とかに出てくるようなものなら」


 藍里が思い浮かべたのは、漫画や藍里の好きな伝奇小説に出てくるようなものだ。そういった作品では、「霊脈」は地球の霊的エネルギーやら大地の生命力やらの通り道ということになっている。


「はっはっ、漫画と来たか。まあ、多分間違っちゃいねぇよ。この惑星そのものの生命力が流れる、目に見えねぇ通り道ってやつだ。この村にも縦横無尽にそいつが走ってるんだ――んで、守矢の奴はその霊脈と深く繋がっている……いや、縛られていると言った方が正しいかな」

「縛られている?」

「ああ。と言っても、地縛霊みたいな意味じゃないぞ? あいつがこの村の霊脈と一体となることで、霊脈自体が安定してるんだ。霊脈の安定は、その土地やそこに住む者の運命をも安定させる。つまり、この村に平和と繁栄をもたらしているのさ。――そして、その霊脈の中心が、この葛葉の屋敷って訳だ」


 タケ様が足もとの畳を指さす。藍里はそれにつられて視線を下げるが、当然、古びた畳しか見えない。

 霊脈とやらは、目には見えないのだ。


「お嬢ちゃんは、こんな話を聞いたことがないか? 『座敷わらしが離れた家は、没落する』って」

「ああ、聞いたことがあります。東北かどこかの言い伝えですよね?」

「そそ。あの言い伝えにはモデルが幾つかあるんだが、その一つが、今まさに話した通りなのさ。分かるか?」

「……あっ。座敷わらしが土地神だとしたら、その土地神がいなくなってしまったら、霊脈の安定が失われる?」

「ご名答、その通りさ。『座敷わらし』って存在自体には色んなパターンがあるから、あくまでも例の一つだがな」


 つまり、タケ様の話をまとめるとこういうことらしい。

 葛葉の神様のような土地神が、その土地の霊脈と一体になると霊脈が安定する。

 霊脈が安定していると、その土地は繁栄する。そして、土地神がいなくなると霊脈の安定が失われ、繁栄も去っていく。


「しかも、あいつの場合、霊脈との結びつきが特に強くてな。村の外に出れば、土地の霊脈が大きく乱れるし、あいつの存在自体も危うくなるんだ。だから、この村の外には出られない」

「存在が危うくなるって……どういうことですか?」

「昔な、あいつがやむなく村の外に出たことがあったんだ。その時は、村の霊脈が大いに乱れてな。そのダメージが全部守矢に向かって……あいつは数年間、眠り続けることになった。あいつが眠っている間は、村も活気が無くなっちまってな。一時は豪く寂れたものさ」

「そんな、ことが……」


 どうやら、神様は文字通りこの村の生命線らしい。もし彼の身に何かあれば、平和そのものなこの村の光景が失われてしまうかもしれないのだ。

 おいそれと村の外に出る訳にはいかないはずだ。


「ま、そんな訳でな、俺様もあいつのことが心配で、こうして時々様子を見に来てやっている、ということさ。神様の先輩としてな。がっはっはっ!」

「先輩……? 神様にも先輩とか後輩とか、あるんですか?」

「そりゃあな。俺くらい古い神様ともなれば……って、俺様の話はいいんだよ。――だからな、お嬢ちゃん」


 そこでタケ様は、今までになく真剣な表情をして、藍里に向き合った。

 そのまま、藍里が敷いてくれた布団にドカッと座り込むと――頭を深々と下げて、こういった。


「どうかあいつの――守矢のことをよろしく頼む。あんたら葛葉の血族だけが、あいつの寄る辺なんだ」

「それは……どういうことでしょうか?」

「ちぃと口が滑り過ぎたな。久々にうめぇ酒を飲み過ぎたせいかな」


 タケ様は今度は答えず、そのまま藍里に背を向けてゴロンと布団に横になってしまった。どうやら、全部を話してはくれないようだ。

 やがて、豪快なタケ様に似つかわしくない、スヤスヤという穏やかな寝息が聞こえてきた。狸寝入りかもしれなかったが、どちらにせよこれ以上は話してくれそうにない。


「この土地に縛られている、か」


 タケ様の言葉を思い出す。神様は――守矢はこの葛葉の地に縛られていて、おいそれと外に出られないのだという。

 藍里は思う。それは、果たしてどんな気持ちだろうか? と。

 葛葉村は、土地も人々も穏やかそのものだ。けれども、その穏やかさの中で何十年も何百年も過ごさなければならないとしたら、それは本当に幸せと言えるだろうか。


『いいえ? 私は村から出られませんから』


 大友美沙奈の言葉が藍里の脳裏に蘇る。

 彼女は人間のはずだが、守矢のように村から出られないのだという。藍里はそこに、何かの符牒を感じてやまなかった。

 美沙奈の語った「花嫁」という言葉の意味も、依然として気になる。 


「……神様の花嫁だから、村から出られない? まさか、ね」


 自らの突飛な妄想に苦笑いしながら、藍里は明かりを常夜灯に切り替えてから、静かに客間を後にした。

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