第十話「神様の悪友を持て成しました」

『……』


 葛葉家は今、静寂に包まれていた。

 買い物を終えた後、タケ様と共に帰宅した藍里だったが、そこで彼が意外なことを言い出したのだ。


『線香を一本、あげていってもいいか?』


 断る理由もなかったので、藍里はタケ様を仏間へと案内した。

 尤も、彼も葛葉の屋敷の中は熟知している様子で、その足取りに迷いはなかったのだが。


 仏間に入ると、タケ様はまず愛華の遺骨が置かれた祭壇に丁寧なお辞儀をした。

 それから慣れた手つきで蝋燭を灯し線香に火を点けると、そっとお鈴を鳴らした。――涼やかな音が仏間に響く。


(……神様って、仏壇を拝んでもいいのかな?)


 神妙に仏壇を拝むタケ様を眺めながら、藍里はそんな益体もないことを考えていた。

 ――それにしても、だ。タケ様の今の態度は、まるで藍里の母の愛華を悼んでくれているようではないか。


『もしや、この人は母と知り合いだったのだろうか?』


 藍里がそんな疑問を抱いたのも、自然な流れだった。


「あの……」

「――お嬢ちゃんのかーちゃんとは、子どもの頃によく遊んでやったんだぜ?」

「えっ」

「そのことが訊きたかったんだろう?」

「あ、はい。……そうです」


 なんだか心を見透かされたようで、藍里の背筋が少し寒くなる。

 もしや、神様という存在は人間の心など、全てお見通しなのだろうか? と。

 しかし、そんな藍里の畏れをよそに、タケ様は懐かしむように昔話を続けていた。


「愛華は小さい頃から跳ねっ返りでな。よく、同年代の男のガキと喧嘩しては、泣かせていたっけよ」

「あ、母は昔からそういう……」


 愛華は、娘の藍里とは違って強気で短気で喧嘩っ早く、一つ所にじっとしていられない人だった。

 気に入らなければ相手が男性であろうともズケズケと物を言い、トラブルを起こしたことも一度や二度でもない。

 けれども――。


「まあ、喧嘩相手は決まって弱い者いじめするクソガキだったんだけどな。――ちなみに、イジメられてたのは、お嬢ちゃんのとーちゃんだ」

「ああ……」


 よくは覚えていないが、藍里の父である将司まさしは穏やかな人だったようだ。

 二人が幼馴染だったという話も、藍里は朧げに覚えていた。


「ま、そのクソガキ連中も結局は愛華に惚れてたんだけどな! あいつが将司と一緒に村を出た時の連中の落ち込みようっちゃ、見てらんなかったぜ、ハハッ」

「なんか、分かります。お母さん、男の人には結構モテたみたいですから。再婚とかは考えなかったみたいですけど」

「それだけ将司に惚れていたのさ、愛華は。……ったく、夫婦揃って、こんなに早く逝っちまわないでも、いいのによ。気が早えのは、相変わらずだったんだな」


 線香の灰がポトリと落ちる。

 藍里には、その灰がまるで涙のように思えてしまい、それ以上口を開けなかった。


   ***


「かーっ! うめぇ! 酒が進む! お嬢ちゃん、やるじゃねぇか!」

「あ、ありがとうございます」

「へぇ~。こんな、街の居酒屋で出るような料理が家でも作れるとはねぇ」


 その夜の葛葉屋敷の食卓は、藍里がやってきてから一番の賑やかな雰囲気になった。

 食卓に並ぶのは、藍里が作った酒の肴の数々だ。

 味付けキャベツ、モロキュウ、たこわさび、酢の物のようなちょっとしたおつまみ。

 鶏のから揚げ、チーズ入り餃子、フライドポテト等の定番メニュー。

 それと、マッシュポテトにすりおろしたニンニク、オリーブオイル、ほぐしたタラコを加えた所謂「タラモサラタ」等など。

 いずれも、酒が好きだった愛華のリクエストで覚えたレパートリーだった。


 酒の方は、神様がどこからか引っ張り出してきた、この辺りの地酒が振舞われた。

 神様とタケ様はもちろんのこと、なんと智里までもがガラス製のおちょこでキュッと景気よく飲んでいる。

 まだ十九歳の藍里は、当然の如くお預けだった。


「こりゃあお嬢ちゃん、いい嫁さんになるぞ。……どうだい、俺様のところなんてよ」

「あらあら、タケ様。うちの藍里ちゃんを口説かないで下さいますか? 流石に怒りますよ?」

「おおっと、智里を怒らせたら出禁になっちまうわな。今のは忘れてくれ、お嬢ちゃん! がっはっはっはっ」

「……」


 上機嫌のタケ様と智里に対し、神様は黙々と食べ、飲んでいた。

 一見すると不機嫌なようにも見えるが、どうやらあれはあれで雰囲気を楽しんでいるらしい。何となくだが、最近の藍里には神様の感情の機微が分かるようになっていた。


「あの、タケ様。智里おばあちゃんとも親しいみたいですけど、この屋敷にはよくおいでになるんですか?」

「ん? いやぁ、精々が年に一度や二度だなぁ。俺様も忙しい身だからな、そうそうこの村にも来られねぇんだわ」

「えっ? タケ様、あの神社にお住まいじゃないんですか!?」

「おうおう、お嬢ちゃんよ。俺様は、見ての通りのパワフルな神様よ? あんなしけた神社が本社な訳がねぇだろさ」


 唐揚げを貪り食いながら、タケ様が「心外だ」と言わんばかりに眉尻を下げる。

 その姿はとても「パワフルな神様」とはかけ離れていたが、藍里はあえて口にしなかった。


「藍里。あの神社はな、ただの分社なのだよ。タケ様の本拠は、もっと別の場所にある」

「分社、ですか?」

「ああ。その昔、特別に分祀して建てたものだ。そして、祀られている神は、本社と分社の間を自由に行き来することが出来る。空間を超えてな」

「つまり、俺様専用のワープゲートってやつさ!」


 ビシッと親指を立てながら、タケ様が俗っぽい言い方をした。神の威厳もへったくれもない。


「ええと、それでどこの神様なんですか? 私も知っているようなメジャーどころでしょうか」

「おおっと、そいつはシークレットだ! 俺様はミステリアスなキャラで売ってるからね。おいそれと真名まなを晒す訳にはいかんのよ~」


 グイっと酒を煽りながら、お茶を濁すタケ様。

 藍里は少ないヒントから彼の正体を考察しようとしたが――特に意味のない行為だと思い直し、考えるのをやめた。


   ***


「ふい~、食った食った」


 その後、智里お手製の山菜鍋と、それをベースにした締めの「おじや」までしっかり頂いて、ようやく宴会は終わった。

 後に残されたのは数本の空いた一升瓶と、綺麗に平らげられた皿の数々ばかり。その半分くらいは、タケ様によって飲み食いされていた。


「やっぱり、世俗の飯はうめえなぁ~。最近はちょー忙しくて、ラーメンすら食いに行ってなかったから、助かったぜぇ~」

「ラーメン屋とか、行くんですか? 神様が?」

「普通に行くぜぇ? 東京なんて、世界中の神様が集まってるんだ。沢山いるはずさぁ。――尤も、人間のふりをして通うからな。隣に神様がいても気付かねぇと思うぞ」

「……そういうものなんですね」


 もしかすると、藍里の働いていた書店などにも、神様がお忍びで来ていたのかもしれない。

 そう考えると、なんだかとてもおかしかった。


「じゃあ、神様――ええと、守矢様も、街へ出かけたりするんですか?」

「その名で呼ぶな……。それと、僕は基本、この村から出られんので、街へ行ったことは数えるほどしかないぞ」

「え、そうなんですか?」


 何故だか少し不機嫌そうな声で、神様が答えた。


(村から出られない? その話、前にもどこかで)


 不意に、大友美沙奈の顔が藍里の脳裏に浮かぶ。そうだ、彼女も同じようなことを言っていたではないか、と。

 それに――。


(そう言えば、「花嫁」って言葉の意味も、まだ訊けてないや)


 村での生活に慣れるのに精一杯で、おざなりにしてきた疑問が再び頭をもたげてくる。

 とはいえ、美沙奈本人には訊きづらいし、智里ははぐらかして答えてくれない。神様にも、何だか尋ねるのが憚られる。

 他に、村のことに詳しそうで、しかも藍里が話しやすい人物と言えば――。


(あ……)


 藍里の目が、畳の上に寝そべり大あくびをかいているタケ様を捉える。

 ややデリカシーに欠ける部分はあるが、気さくだし、母の愛華の昔馴染みでもあるしで、そこそこ話しやすい相手だ。


(なんとか、二人きりになれないかな?)


 神様と智里には、何となく聞かれたくない。となれば、タケ様と二人きりの時に尋ねるしかないだろう。

 だが、果たしてそんな機会など訪れるのだろうかと、藍里が思った、その時。


「あ~、守矢よう。ちぃと今晩は泊めてくれねぇか? 流石に飲み過ぎたわぁ」

「構わんぞ。では、智里。タケ様を客間に――」

「あ、私がご案内しますよ! 智里おばあちゃんも、お鍋作ったりで疲れたでしょう? ささ、タケ様!」


 「少しわざとらしかっただろうか?」と焦りつつも、タケ様を客間に案内し始める藍里。

 タケ様も藍里の意を汲んだのか、特に口を挟むこともなく、のっそりと移動を始めた。

 居間には、神様と智里だけが残された。


「――ふう」

「ふふ。気苦労が絶えませんね、神様」

「……なんの話だ、智里」

「いいえ、なんでもございませんよ?」


 智里の言葉に、神様は珍しく、分かりやすいくらいの不機嫌面を見せた。

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