第六話「ライバル認定されました」

 智里お手製の山菜尽くしの昼食を堪能してから、藍里は村の散策に出かけた。まずは、村内の地理を覚えなければならないと考えたのだ。有難いことに、智里が道案内を買って出てくれた。

 とは言え、村の地理は迷う道があるほど複雑なものではないようだ。


 村内を南北に貫く立派な舗装道路――村道一号線を基軸として、そこからいくつもの支道が伸びて、それに沿って住宅やら畑やらが点在している。

 村道一号線の南端には、バスターミナルと近代的な建物群がある。

 そこには、村唯一の商店である葛葉ストアや村役場、村議会、駐在所、診療所、郵便局などが集中していた。村の近代的な施設が一か所にまとめられているようだ。


 地形は西側が高く、川の流れる東側がやや低い。その関係か、西側は住宅が多く、東側は田んぼや畑が多い。

 村人の多くは農業や牧畜、林業を営んでいるが、中には村外に不動産を所有し、その管理で財を成している者もいるそうだ。


 藍里が最も驚いたのは、村内に信号機が一つもないことだった。

 村内の交通量が少なすぎる為、必要ないのだという。


「――あと、分校はバスターミナルとは反対側の村はずれにあるわ。藍里ちゃんがお世話になることはないでしょうが」

「分校があるんですか。じゃあ、思ったよりも子どもがいるんですね」

「ええ、小学生が二十人、中学生が……十人だったかしら。村の宝物ね」


 智里が嬉しそうに目を細める。小中学生くらいの年の子どもは、彼女にとってはひ孫くらいにあたる。可愛くて仕方ないのだろう。


「それじゃあ、私と同い年くらいの人も多いんですか?」

「ああ、それは……残念だけど殆どいないわねぇ。子どもたちは、高校進学を機に村の外へ出ることが多いから。就職もね、都会でするの」

「そう、なんですか」

「でも、結婚すると戻ってくることが多いから。そうね、村の青年会の人達にも、藍里ちゃんを紹介しないとね」

「そ、それはおいおいお願いします」


 今朝のお歴々方からの挨拶を思い出し、藍里の顔が少しひきつる。仰々しいのは苦手だった。

 智里も藍里のそんな様子に気付いたのか、それ以上青年会の話は持ち出さなかった。

 その代わりに――。


「そう言えば一人、藍里ちゃんと同い年の女の子がいたわ」

「え、本当ですか?」


 藍里の声が弾む。

 知らない人だらけの村なのだ。同年代の同性の存在は心強かった。


「ええ、とってもいい子なのよ。是非、藍里ちゃんに紹介したい……あら、噂をすれば」


 その時、二人の歩く先から、村道をゆっくりと進んでくる車が目に入った。

 こんな田舎には似つかわしくない、黒塗りの大型高級車だ。車は藍里たちの姿に気付いたかのようにスピードを緩め、停車した。

 運転席のドアが開くと、中から強面で五十絡みのスーツ姿の男が降りて来た。まるでヤクザのような風体だ。

 ヤクザ男は素早く後部座席のドアまで移動すると、恭しくそれを開けた。やがて――。


「あらぁ、奇遇ですわね葛葉のおばあさま。ごきげんよう」


 車の中から、ほころぶ花のように可憐な女性が姿を現した。

 長い髪は色素が薄く日に透けて茶色。軽くパーマをかけているのか、自然な柔らかさを湛えている。

 恐ろしく小柄で華奢で、その上に乗っている顔もまた小顔だ。色は白く、抜けるような美しさを持っている。

 目はクリッと大きく、どこかリス科の動物を思わせる愛らしさだ。年の頃は二十歳そこそこにも見えるが、十代半ばと言っても通じそうだった。


 そんな、この世の可憐さを詰め込んだような身体を包むのは、フリルが多くあしらわれた白いワンピースだった。まるで、物語の中の「お嬢様」が、そのまま飛び出してきたかのような風情だ。

 一目見ただけで、藍里はその可憐さに目を奪われてしまっていた。


「……そちらの方が、例の?」

「ええ。私の姉の孫の、藍里です。どうぞ仲良くしてくださいね。藍里ちゃん、こちらのお嬢さんはね」

「おばあさま、自己紹介くらい、自分でしますわ」


 言うや否や、白いワンピースの女性は藍里に向かって一礼し、にこやかな笑顔を向けてきた。

 知らず、藍里の顔が紅潮する。


「はじめまして、あたくし大友美沙奈おおとも みさなと申します。どうぞ、美沙奈とお呼びください。……お名前をお伺いしても?」

「あ、は、はじめまして! 葛葉藍里です! よ、よろしくお願いします!」


 緊張のあまり少しどもりながら、藍里が名乗り返す。

 すると、そんな藍里の様子をどう見たのか、美沙奈はその可憐な笑顔を更にほころばせ、こう言った。


「ええ、ええ。どうぞ、よろしくお願いしますわ。――の座を争うライバルとして、末永く」

「は、花嫁……? って、一体誰の!?」

「あら、そんなもの決まっていますわ。あの方の……神様の花嫁に決まっているじゃありませんか。藍里様は、その為に村にやってきたのでしょう?」

「へ、ふぇええ!?」


 美沙奈の予想外過ぎる言葉に、藍里の口から今まで出したことがないような声が出る。

 もちろん、「神様の花嫁になる」だなんて話を、藍里は全く聞いていない。

 思わず智里の方を見るが、彼女はただニコニコと微笑むだけで、何も言ってくれなかった。


「一体どんな方かと思っていましたが、なるほど、都会育ちだけあって垢ぬけてらっしゃるのね。でも、あたくしも負けるつもりはありませんから……どうぞ、覚悟してらしてね? それでは、先を急ぎますので、この辺りで失礼しますわ。葛葉のおばあさま、藍里様、ごきげんよう」


 お手本にしたいような可憐なお辞儀を残して、美沙奈は黒塗りの高級車で去って行ってしまった。

 後に残されたのは、呆気にとられた表情の藍里と、ニコニコ顔の智里のみ。


「ち、智里おばあちゃん?」

「なにかしら」

「神様の花嫁って……なに?」

「なにかしらねぇ。私もさっぱりです」

「……ええと、それはとぼけて言ってるのではなくて?」

「あらあら、もうこんな時間。そろそろ葛葉ストアに買い物に行かないと、お魚やお肉が無くなってしまうわ。急ぎましょう、藍里ちゃん」

「ちょ、ちょっとおばあちゃん!?」


 智里は話をはぐらかすかのように踵を返すと、そのまま七十代の老人とは思えぬ健脚で、バスターミナルの方へと早歩きを始めてしまった。

 仕方なく藍里もそれを追う。


(花嫁! 花嫁って、なに!?)


 思わず、自分の花嫁姿を思い浮かべる。傍らの花婿は、もちろん神様だ。

 が、藍里はその妄想をぶんぶんと頭を振り、振り払う。

 確かに、神様は初恋の君であり、再会した今も目の前にいるとちょっとドキドキしてしまう。

 けれども、一足飛びに花嫁となると話が別だった。


(まずはお付き合いから……って、そうじゃない! そもそも、相手は年を取るかも怪しい神様なのに、結婚って出来るの?)


   ***


 「葛葉ストア」はバスターミナルの一角で営業している、村唯一の商店だ。

 大きさはコンビニよりは大きく、都会のスーパーよりは小さい。その限られたスペースに、生鮮食品から生活雑貨、小型の家電や書籍まで、幅広い商品が取り扱われている。

 店の横には小型の給油所まで備えており、藍里は「こういうのを本当のコンビニエンスストアと呼ぶんじゃないかしら」等と思った。


「凄い。調味料も加工食品も、大概のものは揃っちゃいますね。お肉とか海のお魚まであるなんて」

「有難いことにねぇ、毎朝新鮮なものを仕入れてくれているのよ。お店にないものも、店長さんに頼めば取り寄せてくれるから。藍里ちゃんも欲しいものがあったら、頼んでみるといいわ」


 智里が、ささやかな本棚を指さしながら言った。

 見れば、主要な雑誌の他に文庫やハードカバーの新刊まで置いてあった。「ついで」で置くようなラインナップではないので、村に読書好きがいるのかもしれなかった。


「通信販売もね、村の各戸には配達に来てくれないから、ここで預かってくれるのよ」

「はぁ、ますますコンビニですね」


 よく見れば、店の一角には銀行のATMまで設置されている。冗談抜きに、この店だけで色々完結出来そうだった。


「あら、噂をすれば……午後の便が来たみたいね」


 智里が店の外を見やりながら言う。見れば、店先に一台のトラックが停車したところだった。

 トラックの運転席のドアが開き運転手が姿を現した時、藍里の口から知らず「あっ」という声が漏れた。

 出てきたのは女性ドライバーだった。背は高く一七〇センチほどありそうだが、全体のシルエットはやや華奢で、一見すると体力のいるトラックドライバーには見えない。

 帽子の下から覗く顔はとても整っており、切れ長の目を持ったかなりの美人のようだった。


「ちわ~、外崎ッス。伝票の確認お願いしま~す。――っと、葛葉のおばあちゃんじゃないですか。こんちはー」

「こんにちは、外崎さん。今日も精が出ますね」

「お陰様で……っと、そちらの見慣れないお嬢さんは、もしかして?」

「はい、姉の孫で藍里と言います。藍里ちゃん、こちらは村の物流を一手に引き受けて下さっている、外崎さんよ」

「あ、は、はじめまして! 葛葉藍里です」


 藍里が少し緊張しながら頭を下げる。

 近くで見ると、外崎はどうやら三十絡みくらいのようだが、やはりかなりの美人だ。


「はじめまして。アハッ、若い娘さんが増えるのは嬉しいよ。アタシ、村と外を行ったり来たりしてるけど、住んでるのは村の中なんだ。良かったら仲良くしてね」

「あ、はい! ぜひ」

「じゃあ、アタシは荷物の積み下ろしがあるんで。またね~」


 爽やかな笑顔と共に去っていく外崎の姿を見送る。

 どうやら、かなり「姉御肌」な人物のようだった。


「な、なんだかかっこいい人ですね」

「そうでしょ~? 老若男女問わず、あの子のファンは多いのよ~」


 どうやら、かく言う智里も外崎のファンの一人のようだった。

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