10章 夢喰い-後編

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 夢夜が目を覚ますと、真っ白な世界に、鮮やかな赤い鳥居だけがぽつんと建っていた。

 どことなく、以前持っていたスマートフォンのホーム画面のデザインに似ている。

 そこには見慣れた、できれば会いたくない合成獏が一匹、――伯寄が佇んでいた。

「お前、どこ行ってたんだよ……。こっちトラウマ植え付けられて、散々な目にあってたのに」

『……天理帯の働きにより介入ができずにいた。故に、無能であった』

 珍しく、それは四つの獣耳をたれ下げて落ち込んでいた。そんな姿を見て情が移ったのか𠮟責できず、夢夜は頭を掻く。

「てんりたい。って何なんだ? 過去に一度、会っていたような感覚になったけど」

『不明である……。大国主殿も、赤気も識っているが、愚生らには教えられぬとの事』

 夢を喰い、その泡沫を束ねる獏――伯奇は、三つの魂のまとめ役なのだろうか。

 今や彼の二人の意識は無に等しいが、夢夜の気持ちが大きく揺れ動く時に、魂の奥底に彼らに触れることができるらしい。

「(あの時の〝会話〟ってそういうことか……)てか、なんで伯奇がそんなことできるんだ?」

『……かつての愚生はデッドコード。意味を生さない情報の塵の山、忘れ去られたジャンクデータの集合体。無念の象徴――』

「デッドコードって、実行されないコードじゃ……」

 デッドコードは基本悪さをするものではないが、見つけ次第削除するべきもの。

何故なら、『本来到達しなければいけないコードの妨げになる』可能性を持つのだ。

 意味はない。しかし、その〝意味のないモノ〟のせいで、全てが成り立たなくなる。

『この世界の異端であったお前に寄生し、マルウェアに相成った。感染、増殖、改竄、操作を生業とするモノ。故に、お前に関連する情報を統べることができる』

 伯奇は、初めて〝難浪夢夜〟に出逢った時のことを思い出す。

 水難事故の際に、相沢拓哉の父親は自分の命を犠牲によって少年を救出した。

 何もないはずなのに、遠くから子どもと大人の女性の泣き声が聞こえる。

 夢夜は伯奇に同調したのか、忘れていた記憶が蘇る。

 いつからか、分からない。しかし、〝伯奇〟の能力が顕著に表れ、急成長したのはカルミアと出逢いなのは確かだろう。

『携帯端末と愚生が接続され、ゴーストの回収を手伝っていた時に肥大していったのではないか?』と、それは説明する。

《神の魂を内包した赤気。それを元に、この世界でかたち作られた難浪夢夜という存在》

 急に神の魂を持っていると云われて、理解も納得もできるわけがない。

 動かしている体が、別人だったということも信じがたい。

 夢夜にとって、自身の意識はどこからどこまでが〝自分〟だったのか判らなくなっていた。

 だが、自身の安否是非よりも大事なことを、伯奇に投げかける。

「二つだけ聞かせてくれ。カルミアの、朝紀のこと、知っていたか?」

『……是である』

「河川で溺れた時に、水底から襲ってきたアレは……?」

『……不明である。しかし、推察はしていた。今しがた、お前と記憶の共有をして繋がった』


 世界の隅でその身を潜めていた『天理帯』――

『無念の集合体であった愚生は、いくつものフェーズを通してきて、この虚構世界を飛び回るあの方を見てきた。そして、ここから外の世界をも視認できていた』

『大国主神を内包する赤気の存在……』

『この世界は、システムを完了させるには、贄が必要であった。元の計画では、朝紀殿を残し、赤気が犠牲になる計画のはずであったが――』


  「おや、バグ……いや、デッドコードか?」

  『……?』

  「直すの面倒だな。君、どうか悪戯しないでくれよ」

  『……!』

  (到達不能のコードが〝難浪夢夜〟を通して〝かたち〟を得たのか)

  (そうか、あやつはあの時、愚生を見つけていたのか……。いや……あれは、本心から面倒がって

  いたな)

 ――〝かたち〟。それは命を形成する、魂の輪郭――

 

『終幕である。最後の自問であり、最後の自答である。――お前は、愚生を消すのか』

 伯奇は寄生主に問いかける。

 夢夜にとって、伯奇の話の内容は到底理解できないものだった。

 寄生したモノ。今はまだ身を案じて助けてくれるが、いずれ自分を殺そうとする存在ならば早々に排除するべきだろう。それで少しでも命の危機を回避をできるなら、答えは明白。

 しかし、『本当にそれでいいのだろうか?』と、夢夜は考えに耽る。

(自分は他者の希望も絶望を。善と悪の魂を。すべて喰らっていたこと)

(自分はこの世界で〝かたち〟作られただけで、本来は別の人物で魂だったこと)

(そもそも、この合成獏は、その気になればとっくの昔に寄生主を殺せていたはず。ならば、伯奇の役割は――)


 殺すとは、生きるという過程において、数多の試練を指す――それは自分自身を受け入れる事。

 消すとは、喰ってきた魂とともにすべてを白紙にする――それは何もなかった状態にする事。


「……お前がいたから、俺は俺として生き続けられたんだよな」

『是である』

「だったらすべての記憶を、得てきた重みを、返してくれ」

 伯奇は一瞬、その特徴的な目を見開いたが、夢夜の瞳を見据えて応じる。

『それが、お前の望みであれば』

 あえて、合成獏は深くは考えなかった。前に進むために、必要だからだろう。

 霞がかかる。

 夢夜は、きつく締め付けられた痛みによりその場に崩れると、胃が麻痺を繰り返し嘔吐した。

 それでも、情報の嵐は止まず、喰ってきた生命の責任と歴史という重力に押し潰されそうになる。

  歴史のなかに散っていた死の蓄積――

  盲目な思考による教えの伝播――

  終わりのない負の連鎖――

  憎悪の果てにある絶望の輪廻――

  悪を以って悪を制した偽善者――

  愛を守り、愛に護られた者達――

  自身の魂と体の真実――

 何度も吐いた液体のせいなのか、喉を胃酸で焼いてしまい、呻き声すら出せなかった。

 もがき、のたうち回る夢夜のその姿を、伯奇は黙って見ていた。

(頭が割れるように痛い。悪寒が止まらない、耳が聞こえない、鼓動がめちゃくちゃ早い!!)

 命という灯火を急速に消耗していく感覚に、歯をがちがちと鳴らすことしかできない。

 不快感、焦燥感、罪悪感、重みに堪え切れず死んでしまうのではないかと恐怖する――。

 ふと、ふたつの光が温かく優しく、夢夜の心の内を照らす。それはどこか懐かしさを覚え、胸を熱くさせるようだった。

(……拓哉と未ちゃん、約束果たせたのか――幸せを迎えたようで良かった) 

生きながらにして、約二十万もの走馬灯を一身に受け留めた夢夜。

 緊迫感から解き放たれた彼は、仰向けになると息を整える。

 体感時間と、世界の時間の経過に相違があったのかは、分からない。

 情報の嵐から帰ってくることができた安堵から、夢夜は長い息を吐くと、

「過去は覆せないけれど、これからの未来は〝責任〟だけじゃなくて、自分の意思で変えていきたい。誰になんと言われても、あいつに会ってちゃんと想いを伝えるまで死ねない。その先も……できることなら、この手であいつを幸せにしてやりたい。今はただ、強くそう思うんだ」

『それが、新たなる希望なれば――』

 

「伯奇ありがとう。お前のことは忘れない」

 それ彼の答えだった。全部喰ってきたのなら、糧としようと決意する。

『ならば、愚生は寄生ではなくお前と共生する。その身が散るまで』

 無自覚な自己欲求は他人を殺す。

 魂も体も受け継いだ〝難浪夢夜〟は、その先に進む――。


       zzz


(ここはどこだ? 目の前が真っ暗で何も見えない)

 息ができなくて苦しくて、水の中にいるような浮遊感に怯える。

 溺れ沈むのが怖くて、光に向かって必死に手を伸ばす。

「!」

 水の中から起き上がると、薄暗い世界だった。

等間隔に小さく光るそれが周辺を照らし、少しだけ安堵する。

目が慣れてきた夢夜は、捉えたモノを見て既視感を覚えていた。

 自身の前に広がる現実――眼前には円錐状に造られた部屋、中央には巨大な柱が在った。

その柱は機械に見え、表面に埋め込まれたライトは点灯していた。

壁には上下が見えないほどカプセルがびっしりと設置されており、異質さを醸し出している。

 口元の人工呼吸器を外し、固定された何本ものコードやチューブをゆっくりと、しかし一瞬の痛みで済む様に引き抜く。神経が脳まで痛覚を、度々伝達させる。

「ここは……」

 目尻に雫を溜めつつ、一メートルほど離れた横にあるカプセルに視線を移すと、濁った培養液のなかで膨らんだ物体が浮いていた。

 夢夜は、それはかつて人間だったものだと悟る。

 人間をかたちづくる溶けだした物質により、液体はひどく濁りきっていた。

 確信した瞬間に吐き気を覚えるが、口をきつく結んで、せり上がってくるそれを抑え込む。

周りをよく見渡すと、夢夜のカプセル以外は機械が作動していないため、電源が切られていた。

 それは、きっと『死』を意味していた。

 誰もいない。誰もが死んでいた。

「ッ――!!」

 本当に、最終的に、二十一万人の他人の命を奪い、自分だけが生き残ったのかと目を見開く。

 しかし、それを聞く人物はいない。

「そう、だよな。俺が……大勢の人を――俺がみんなを殺したようなもんだ……」

 孤独感、虚無感、責任感。知らずとはいえ、自身が犯した罪に頭痛を引き起こす。

 責めてもどうにもならない償いきれない過去に――感情の波が自身を呑み込んでいく。

「でも、これは現実……」

「そう。悲しい事にこれが現実だ」

 夢夜は、聞き慣れた声がして顔を上げると、そこには薄茶色の髪をした小柄な人物が佇んでいた。

 服装や身なりが変わっているが、煽ることが趣味かつそれを体現した少女。

「逆撫……なんでお前ここに――!?」

「ここじゃあいずれ気付かれる。出よう」

 そう言うと、逆撫はひょいと夢夜を抱きかかえる。

 どこにそんな力があるのか疑問だが、彼女も神の一柱だったと思い出す。しかし――、

「!? と、……なんか君、ものすごく重くない?」

「えッ!?」

 彼女は少しだけよろけて体勢を立て直すと、抱っこされるがままになっている彼に問いかける。

「こんなにがりがりな体なのに、システムの引力か何かなあ?」

「…………(もしかして、喰らった魂の分か?)」

 最後に、伯奇から返してもらった『重み』について、夢夜は黙っていることしかできなかった。

「まあいいや。今は先を急ごう」

 逆撫は、今はもう起動しないカプセルを足場にし、跳躍していく。


       zzz


 数十分経ってもまだ光は見えず、登ってきた空間に目をやると深淵に引きずりこまれそうになりそうだった。夢夜はその施設を下、横、上と順に目を動かし、逆撫の横顔で留める。

 よく見ると、彼女の服装の面積は多くなっており、特徴的だった学生帽は被っておらず、隠していた髪は短く纏められていた。

 やがてカプセルがなくなり、交差しながら不規則に架かる頑丈な足場が増えてくる。

 十数分後くらい経った頃だろうか――二人は、薄暗く濃い青色に包まれた場所に出た。

そのまま地が続く穴のふちに降り立つと、逆撫は夢夜を地におろす。

 今まで寝たきりだった肉体は、急に活動を再開させる。思うように動かせないため、上半身でバランスをとりつつ、なんとか直立はできた。

 生まれたての小鹿のようにぷるぷる震えているが。

 夢夜は吐いた息が白くなるのを見て、途端に寒さが体を駆け巡る。

 しかし、それは脳に伝達する一瞬の信号で、余韻を残しながら落ち着きを取り戻し〝無〟へとなる。

(ああ……もう、〝人〟じゃないのか――)

 直観で悟った。自然と呼べる現象すら、『お前は人間とは違うモノ』だと告げる。

 思い知らされてしまった彼は込み上げてきた虚しさに声を張り上げそうになるが、唇をぎゅっと結んで堪える。その資格はないのだと。

 地面は少し勾配になっており、大きく岩が散らばっていた。

 ふと顔を上げ、地平線に目を移せば、そこは境を中心にして白んでいる。

 少しだけ顔を下へ傾けると、少し先では地面に沿いゆっくりと雲が流れていた。


 ――数多くの検体達は、ずっと山の中を筒状にくり抜いた施設で眠っていた事に残念がるだろう。

 やがて、紺色の帳を上げていくと、金色に輝く光があらゆるものを染めていった。

 曲線に沿い、光の束が不規則に照らす。立ち込めた雲は、地平線を作り上げていた。

 その神々しい眩しさに、夢夜は目を細める。


 頂上――天上。


 あの世界で液晶越しに見ていた『秘境スポット』と呼ばれる類のものが、眼前に広がる。

 吹いた風を全身で受け止めると、背中に羽でも生えたように身体が軽くなるようだった。

「難浪君。いや――大国主命の己貴様」

 静寂を切り裂いたのは、一人の少女の仰々しい科白だった。

「逆撫……?」

「まだ、ボクのことをそう呼んでくれるのかい? 嬉しいな……」

 目尻を下げて申し訳なさそうに独り言のように答えた。

「なんで、そんな」

「ボクは天探女だよ……です」

 遅れて、忘れていた敬語がやってくる。あの世界での話し方に慣れてしまった彼女は、意識しなければ、砕けた口調のままだった。そんな健気な少女に、

「逆撫。無理しないでいいぞ……」

 一瞬迷ってそう告げる。

「それに今は〝難浪夢夜〟だ。あの時の俺は――死んで神を辞めたようなもんだし。この体も赤気のものだったし……全然自覚ないけど」

 夢夜は自嘲を含んで、逆撫の失態をフォローする。

 気を遣われた恥ずかしさを隠すように、彼女は小さく咳払いする。

「こほん。それでは! 難浪君。知らずとはいえ、君は数多の人間の命を喰い奪った。その事実を、罪を受け止める覚悟はあるかい? 生きて、償おうと思えるかい?」

「ある」

即答だった返事に、逆撫は目を丸くする。

「――いやはや、どうして。君の性格から推察するに、もう少し迷うと思ったのだけど」

「……自問自答の結果だから、な」

 伯奇に助けられた命、カルミアに――朝紀に助けられた命。

 逆撫から見た夢夜は様子が変わっていた。

 カプセルに収容されていたためか、髪の先端は地面に着き、手足はやせ細り、頬はこけていた。

 左目元には、朝紀と似たような模様が浮かぶ。

 彼女は夢夜の左目を治癒し、存命させた。その際に、余計な作用が働いてしまったことについて、朝紀自身も知らないのかもしれない。きっと、とっさの出来事で慌てていたのだろう。

 絶望し他人に対して冷酷な彼女が、それほどまでに大切な存在と思える人物。微かな希望が彼だった。

「そっかぁ……。彼女はね。昔からずっと君たちの、いや――君のことを想い続けていたんだよ」


 大昔の、世界の話。

 大国主命になる未来の神であった己貴は、道半ばで命を落とすことになる。

 終ぞ、伝えられなかった想い。正しい未来から外れ、姿をくらました彼に、できるはずもなかった。


 〝己貴〟の魂を内包し、〝難浪夢夜〟の元となった赤気は、自身の命を捧げる。

 計画完遂のためにシステムを管理し、彼女の成功を祈って、贄となり幕を閉じた。

 秘めた想いは永久に無用なもの。無念の一抹となって、泡沫に消える。

 

 しかし、難浪夢夜はすべてを拾い、引き継いで、背負うと決めた。

 彼らの想いを無かったことにはできない。

 二度も三度も、そんな過ちを――後悔を繰り返すわけにはいかない。

 なにより、夢夜自身が自分の手で彼女を幸せにしたいと思うのだった。


「カルミアは……朝紀はどうなった?」

 申し訳なさそうに声をかける夢夜に、逆撫は素直に包み隠さず話し始める。

「よく知らないんだ。まあ、奴らがまだあの子を利用するかはわからないけれど。うん、死んではいないと思うよ。君の左目から、微かに彼女の気配するからね」

 彼女は一巡目のことを言っているのだろう。海醒による襲撃により傷を負った夢夜。

 カルミアはとっさに処置を施したが、本人も能力の一部を譲渡したとは思っていなかったらしい。

 しかし、手鏡も無いため夢夜は自身の変わりようを見ることはできない。

「俺さえ死ななければ、あいつもどうにか……助かるのか?」

『是である』

 突然、空から姿を現した伯奇が説明づけると、夢夜の右肩に乗る。

 あの世界では小型犬のサイズだったが、今のそれは、子猫ほどの大きさだった。

「うわッ、お前なんで!?」

『共生すると言っただろう。これからは愚生を眷属だと思ってくれて構わぬ』

 夢夜の伸びきった髪が風に揺れて、隙間から光が差し込む。

 すると、伯奇は太陽の眩しさに驚き、長い鼻で遮ろうとする。不満なのか感嘆か分からないが、小さく『おーん』と鳴き声を上げた。

「……その小動物のことは、全く聞いてなかったんだけど……。ちっ、後で問いただそ」

 初めて見る存在に置いてけぼりの逆撫は、愚痴を呟く。

 

「俺は……騙されていたとはいえ、人を傷つけた。だけど、この命がある限り、償い続けるつもりだ。でも、それ以上にあいつを助けたいって――会って、『愛してる』って伝えたい」


 それほどまでに、彼女に恋焦がれていたのだと自覚する夢夜。

自分の気持ちを伝えなければ死にきれない。

 それは何十年、何百年、何千年。神代からの想い。

「いいんじゃないかな、それが君の生き方なんだろう?」

 誰かを愛すると、欲深くなるのが〝人間〟の性だろうか。――どこまでいっても自分本位だと、夢夜は呆れる。

「……本当は誰かのヒーローになりたかったんだ。人の魂を、希望を喰って奪うんじゃなくて――困っている人を助けるヒーローに」

 夢夜は、地平線に向かって歩き出す逆撫に、自嘲を含めて後悔の言葉を零す。

「〝人生〟というのは、やり直しがきくものだ。――これからなればいいんだよ」

 そう告げると、そのまま身を翻して緩やかな勾配を下っていく。

 彼女の後を追うため、夢夜は自然のままの大地を踏み込むが、後ろから吹いた突風に煽られそうになり、立ち止まった。

 陽の光に向かう大気の流れにつられて、彼もそれを視界に入れる。

 いつも見ていた現象と変わりないはずの朝焼けはとても眩しく、温かく、しかし遠くに感じていた。


 夢夜は陽の光を浴びつつ、目を閉じて偽りの世界を思い出す。

 一人引きこもって、やるべきことはやりつつ、繰り返し同じ日々を送っていた。

 少しだけ退屈ではあるが、多くのことを望もうと思わない。

 意欲的ではないが、怠慢を極めたわけでもない。

 似たような動作をして、機械のように時間を過ごす。

 ただ、彼のその根底に、心の奥深くに、『罪を犯した者は、幸福を望んではいけない』のだと思い込んで生きていた。誰かに命令されたわけでもないのに、拭えない罪悪感からか、そんな生き方を自身に強いていた。

 それが、使命だと錯覚していたからだ。


 あの日、怪我をした兎を拾う――カルミアと出逢ってから日常は一変する。

向き合っていた無機質な画面から、騒がしくて自分勝手な彼女の手により外へと連れ出される。

 ゴースト回収の騒動に身を投じて、様々な魂に触れた。

 心も体も痛みを抱えて、〝生〟という試練を乗り越えていく。

その傍にはいつも彼女がいて、窮地を助けられ、心を慰められ、時には諭されてきた。

 カルミアの、朝紀の強さに甘えて守られてきた夢夜は、約束も果たせず非力なまま泣くことしかできなかった。

 だが、それももう終わりを迎える。

 朝紀は己の身勝手な欲望を放棄して、他人である夢夜の幸福を望んだ。

 しかし、それは彼女自身が一番欲しかった言葉であり、願いだっただろう。

 何度同じ時間を巡っても、結ばれない未来。

 その結末は、愛する者のために、自身の命を懸けた少女により幕を閉じた。

 最後まで好き勝手暴れて、はた迷惑だと思うだろう。

 愚かな終わりに、痛快だと手を叩いて揶揄するだろう。

 それでも、夢夜は自分の意思で渡したあの髪飾りを、大切に手にする彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れないのだ。

 涙を浮かべながら強がって、本心では信じてほしいと思いつつも嘘を言い遺した愛しい人。

 どんな気持ちで時間を繰り返していたのか、その言葉を紡いだのか――想像はできても、それは彼のなかで納得する感情にしかならない。

 それでも、『涙を流す彼女に胸を締め付けられて、一瞬でも息の仕方を忘れたのは事実だった』と夢夜は強く感じていた。

「あんなに想ってくれるなら、魂の一つや二つ、あげてもよかったかもな」

 独り言の惚気は肩に乗る伯奇の耳に入るも、『愚生は御免だがな』と発言を否定する。

 彼は一瞥すると、それは特徴的な顔は無表情を決め込んでいた。

 だが、それと同時に。自己犠牲を口にする夢夜の心に、友から微かに嫉妬と不満が流れ込んでくる。

 繋がった精神――大事に思う気持ちがこそばゆく、笑みをこぼす。

「そうだよな。約束を果たさないと、死ねないよな」

 首を傾けて、機嫌を取るように頬を擦り寄せると、それは長い鼻で押し返してから地に降り立つ。

 小さい体はぴょんぴょん跳ねて、宿主から離れていく。

 それは立ち止まり、来た道をちらりと確認すると、何かを期待するかのように、ふわふわした長い尾を揺らす。

「何してるんだい難浪君。行くよ!」

 緩やかな勾配。十数メートル先を行く逆撫は振り返り、その場に佇んでいる夢夜に呼びかける。

「ああ。今行く」

 夢夜はしっかりとした足取りで新しい一歩を踏み出す。

 長い夢のような夜は終わり、ようやく朝が来た。

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