10章 夢喰い-中編

Chapter 10 retry


 難浪夢夜は目を開けると、そこは橋の上だった。

 彼は、顔を少しだけ横に傾けて夕日が赤く染まっていくのを見つめる。

 初めて見るはずなのに、何度もこの光景を見てきたような錯覚を憶えるのだった。

「今、俺寝てたのか?  てか、なんでこんなところに――」

 そこまで独り言をいいかけて、何かがフラッシュバックする。

 鋭利な何かで自身を傷つけ、目の前は血の海に染まる。耳の奥には、人からたくさん名前を呼びかけられ木霊しており、記憶という残像と残響が脳を支配する。

 ノイズがかった映画のフィルムの一節、シーンを断片的に流しているような感覚に陥る。

「あの時、俺は死んだのか……?」

 もはや、『どの場面の、どの死因を指すのだろうか?』というほど、死を繰り返していたようだった。

 しかし、まだ心臓は鼓動を止めず、存在の証明を響かせる。

 あれは夢だったのかと自問しては、現実味を帯びた現象に足が震える。思考を振り払って、拒む夢夜。

 それでも、自身の叫び声がまだ耳の奥に残っており、傷つけた体の箇所がじんわりと痛みと熱を帯びて、手足が麻痺していく。

 それが恐ろしく、心臓が、鼓動がどくどくと早まり、汗ばんでいた。

 今こうして生きているのに、あれはなんだったんだと気が狂いそうになってしまう。前に進もうとしても、金縛りにあったように身体が硬直していて動けないでいた。

 気分が悪くなり、視界がぐらぐら揺れるちょうどその時――後ろから何かがぶつかってきた。

「やあ、難浪君。…………そんなところで突っ立っていると歩行の邪魔だよ」

 聞き慣れた声。だが、間を置く様子から、少しだけ疲労が見られた。夢夜の気のせいかもしれないが。

 県同士を繋ぐ比較的大きい橋は、駅から離れているという理由だけで交通量は少ない。

 普段からここを使うのは周辺の住人くらいなのだが、今は全くその気配が感じられない。

 歩行の邪魔と言われても、歩道だけでも自動車一台分は通れるくらい広いはずで、目の前にいる少女はわざとぶつかってきたとしか考えられないのだ。

 このような意地悪をして、遠回りをしてくる時の彼女は、たいてい『大事な何かの質問待ち』なのだ。

 相手のことを気にはかけているものの、口に出してしまったら責任も負い目も抱えることになる。それ故に、自身からはそのような大事な話題を振らない天邪鬼だった。

「逆撫……」

「どうしたんだい? 難浪君」

 ふらふらと踊るように夢夜の横を通りながら前に出た逆撫は声だけで返す。

 どう切り出すか迷い考えた末、歩く逆撫の右手の余った袖を掴んだ。

一瞬だけ、彼女の横顔が綻んだように見えた。

「……聞いてほしいことがある」

「ほう。 なんだい珍しいな」

 逆撫は遠くを見つめたまま、目を細めて興味ありげに、満足そうにくすりと笑う。

くるりと一回転して夢夜と面と向かうと、遅れて特徴的なマフラーがふわりと翻る。

「できれば、笑わないでほしい」

「内容によるよ」

 夢夜はこれから話すことを本当に言ってもいいのかと思いつつも、誰かに話さないと自分の気が狂いそうになってしまうのだった。

 深呼吸をしてから、覚悟を決めた面持ちで口を開く。

「なんだか、ずっと夢を見ているような――変な感じなんだ。夢中夢ってやつ」

 夢夜がそう告げると、逆撫は『へえ』と短く呟いて、

「それは大変だね。現実と区別がつかなくなくなりそうだ」

 珍しく同情をした彼女に、夢夜の荒んでいた気持ちが少しだけ落ち着く。

「ああ、大変だよ。こんなことを言ったら笑い飛ばされるかもしれないけど――既視感がある。お前とこうしてこの橋の上で話しているのも、初めてじゃない……らしい」

 夢夜はただの既視感だと思いたいが、何かが引っかかっていた。

 同じ時刻に同じ場所で、似たような行動を取った気がする。

「ふうん。難浪君、たまには面白いことを言うんだね。君はあれかい? 時間遡行者だと自慢したいのかい?」

 何故、そこで『時間遡行者』というフレーズが出るのか理解できない表情をする夢夜。

それでも、怯まず少女に疑問を投げかける。

「自慢とかそうじゃなくて。俺だけがこんな状態で、おかしいのかなって……」

「難浪君――女子に弱音を吐いて恥ずかしくないのかい? 惨めだと思わないのかい? ああ、それともギャップ萌えというのを狙っているのかな」

「うるせぇ。こっちは真剣なんだ……」

 真剣だと思いつつも、葛藤と羞恥を晒したことで俯いてしまう。

 その姿を見て、逆撫は呆れるように問いかける。

「じゃあ、真面目な話を、人によっては大笑いをする話を一つ。難浪君。君はこの世界をどう思っている?」

「どうって……まぁ、カルミアの『幽霊を集めて幸せにしましょう』とかは変だと思うけど、それ以外は普通なんじゃないか?」

「『普通』ねぇ……」

「気にするほど異常ってことでもないだろ。世のなか、何が起こるか分からないし」

 この世のなかの『異常』に慣れてしまい、麻痺してしまった少年。

 日常と非日常をまとめて『日常』と括ってしまった人間――逆撫は、彼をそのように捉えていた。

 この世界にとって『普通じゃない』カルミアと共にいて、感覚も思考も影響されてイレギュラーな存在なりつつある彼は、自分自身をあまり理解していないようだった。

 目隠しをされて、あっちこっちへ誘導されて迷子になる子どものよう。

 それでも、これは心を乱す言葉ではなく――心を決める言葉だった。

 逆撫は深呼吸をしてから、普段の彼女よりも真面目なトーンで夢夜に問いかける。

「こんな作り物の世界を、君は普通だと言うのかい?」

「え……?」

 夢夜は目を丸くして彼女を見ると、それ以上に逆撫は鋭く真剣な眼差しを向けていた。

 彼女の問題発言をなんとか飲み込んで、唾を飲み込んでから、夢夜は疑問を投げかける。

「いったい、どういうことだ?」

「この世界はね、とある神様が作った実験場なんだよ。仮想された魂だけの世界」

「それが本当だとしたらっ……肉体はどうなってんだよ。……『実はここはあの世なんです』とか言うつもりかよ! 拓哉や未ちゃんだって、生きているのに!」

 『仮想された魂だけの世界』――夢夜にはその概念がなく、震える声で憤りを露わにして叫んだ。

「あの世のほうがよっぽど楽だよ。この世界は見ていられない」

夢夜の苛立った発言に、逆撫は視線を逸らしながらぽつりとこぼした。彼は少女が言っている言葉の意味が分からず、顔を曇らせていく。

 夕日が影を作り、オレンジ色に二人の身体を染める。

「ここは神様によって都合良く作られた世界で、人間から魂というエネルギーを奪うために用意された。君がさっき言った肉体に関しては外部で保管されているだろうね。生死については、死んでる人間が多いんじゃないかな。例えば、あそこを見てごらん」

逆撫が指をさした先は、高校生らしき集団が歩いていた。

「?  どこがおかしいんだよ。普通じゃないか」

「あれはもう死んでいて魂を奪われている。みんな全く同じ表情でしょ?」

「でしょ、って言われても……ここからじゃ見えないぞ」

「うーん……つまりボクが言いたいのは、『何の事件も起きていないのに、世界中の人口がどんどん減っていったら、違和感を覚える』。そう感じさせないために、ある程度の抜け殻に『人間という情報』を与えるんだ。〝AI〟っていうやつ? カモフラージュだよ」

「実際は、ここにいる世界のほとんどの人間が抜け殻だと?」

「そうだよ。ほとんど魂回収済み。ただの情報の塊なんだ」

「そんなの信じられるわけ――」

「じゃあ、なんで人の気配が全くしないのかな?」

 確かに、逆撫に言われて初めて気付いた。そこに存在しているのに、何故か気配がしない。

 生物が、物がそこに在るはずなのに、印象が薄いのか何も感じられない。

命の灯火、人類が抱く熱意、望みから生まれる精神力。

 ――魂ではなく情報。

 ――本物ではなく偽り。

(あれ……情報とか、偽物とか、肉体がどうのこうの、前にも聞いたような……?)

 急に何かが引っかかる。夢夜は似たような光景に既視感を覚えて、頭を抱えた。

 どこからが現実で、どこからが夢か――。

 思い出そうと記憶を探るが、拒むように疼痛を伴う。その先は、通行禁止とでもいうように――あるいは禁断の領域とでもいうように、脳は警鐘を鳴らす。

「少し、昔話に付き合ってくれるかい?」

 逆撫は遠慮ぎみに、塞ぎこむ夢夜にお願いをする。

 いつも飄々として真面目な話をしていたが、真面目な顔で真面目な話をするのは、何度か経験したような気分になった。

 祈るように、お願いをする彼女に応えるため、夢夜は握った右手に力を込めた。


 御伽噺、伝説、神話というような昔の話――。

 そこは高天原と葦原の中つ国の境界が曖昧だった時空。

 ある日突然、天は裂けて、そこから〝虚〟が侵略した。

 大地は枯れ、生命は奪われ、力を持つ者たちはその身を永続不変の結晶にされてしまう。


 これを〝星遺物〟と呼んだ。


 もはや神話は成り立たなくなり、〝天理帯〟に脅かされ、世を跨いで〝星遺物〟が散らばる。

 悲しんだ天地開闢の神の一柱はその身を代償に〝虚〟を退け、崩壊寸前の世界を作り直そうとする。

 神秘や神力を持つ寄せ集めのモノを〝神〟に見立てて、新たな概念――〝十二天〟を楔として置いた。

 今もその神約により、偽りの神話を紡がせる。


「その、〝虚〟の侵略理由はなんだったんだ? てか、天地開闢の神すげえな……」

「侵略理由なんか知らないねえ。ただそのせいで御隠れになったと聞いてるよ。えらい神様の代わりに、人工的ならぬ神工的に代理の神を造ることになった。いくら神でも、そんなスケールのでかい上位存在なんて、指を鳴らすだけでできるほど力はなかったからね」

「神に上位存在にあるのか?」

「さあ、宇宙とかかな。宇宙が先か、神が先か……進化論や創造論を持ち出したらきりがないけど」

「なるほどな。そういえば、神の一撃なんてものがあったな……」

 不謹慎だと思いつつも、オカルトめいた話題に少しだけ楽しんでいる夢夜がいた。

 信じる信じないは置いておいて、コンテンツとして愉しむのは彼の趣味であったからだ。逆撫は話を続ける。

「そんなこんなで、試行錯誤して計画を始めたけれどこれがまた難題で、膨大なエネルギーを必要とした。かろうじて生き残った生命をかき集めて、百二十の神の魂を混在させる。意思と思想を、希望と絶望を、想いと憎しみを変換させて、誰かの犠牲で成り立つ存在の出来上がりさ」

「……それって。民を犠牲にして国を作るようなもんじゃ――」

 そこまで言いかけて、夢夜は口をつぐんだ。命を血に染まった大地に繁栄する国。

 道徳的でみれば良いものではないし、多くのひとが責める話題だろう。

 しかし、犠牲の積み重ねが〝歴史〟となる。

 世界を作り存続させるには〝きれいごと〟だけでは成り立たない。

(なんか、またうわべだけの無責任なこと言おうとしたかも……)

 夢夜は咳払いして「ごめん」と短く詫びると、逆撫の話を促す。

「まあ、上層部のやることは基本、異端だからねえ。人々の感情は行動原理に、神たちの権能は、最高神を凌駕する存在になるらしい。『信仰心』ってあるだろ? あれって実は馬鹿にできなくてさ、力が入らないんだ。当然だよね、だって信じてくれる人間はいないんだもの――愛してくれる人はいないんだもの」

「じゃあ、お前は……」

「そうだよ。ボクは『神話が成り立たなくなった神の眷属』だ。まぁ、君にこの話したところで何も解決しないのだけれど」

「神の眷属ってことは――主はどうしたんだ?」

「今は別の御方に仕えてるけど、本来の主は行方不明。そうだな……ボクの目的は、本来、国を作るはずだった神様の救出ってとこかな」

「そっか……悪い、無神経だった。お前の目的達成するといいな。手伝えそうなことがあったら言ってくれ」

「……」

 夢夜が謝罪すると、逆撫はその台詞に唇をきつく結んだ――ような気がした。

 逆撫は彼が掴んでいた袖を軽く払うと手が離れる。

だが、彼女は右手の袖を捲りあげてから、再度、夢夜の前に手を差し出す。

「少し歩こうか」

 少女の手は一回りも二回りも小さく、夢夜は幼さが残る柔らかい逆撫の右手を握った。

「ああ」

 住宅地の方へ向かって、二人は横に並んで無言で橋の上を歩いて行く。

 親が我が子の手を繋ぐように、離さずしっかりと持つ。

 橋や堤防を越えて住宅地に入ると、右側は集合住宅、左側は戸建ての風景が広がる。その右側の集合住宅の前には広いスペースがあり、そこでは移動営業のたい焼き屋があった。

 母が子どもにねだられて買っていたり、学生たちが持ち帰り用で複数購入しているところを見ると、とても人気があるらしい。邪魔にならないように、二人は対向の道路の隅で様子を眺める。

 こんなふうに、日常を生きている人間達すべてが情報になっていた事が信じられず、夢夜はそれをぼうっと眺めていた。その横で少女は可愛らしく呟いた。

「たい焼き屋だね」

 その言葉に夢夜は現実に引き戻される。

「あんまり見かけないけど、こんなやつまで移動販売しているのか。……お前、たい焼き食うか?」

 それは気分転換か、ただのきまぐれか、それとも前に成せなかった事を成すためだろうか。

「買ってくれるのかい?」

 まさか自分に施しがあるとは思わなかった逆撫は、頬を緩ませて嬉しそうにする。

 歳相応に目をきらきら輝かせて、「ほんと? 嘘じゃない?」と期待をこめて確認する。

 その姿に、緊張感と毒気を抜かれた夢夜はフッと笑う。

「夕飯前だけど、さっきの話で疲れたからよ」

「疲れたとか聞き捨てならないけれども――ふうん。まあ、奢ってくれるのなら甘えようかな!」

 夢夜の気苦労から来る愚痴でも、彼女は声を弾ませながら同意した。

 人が少なくなってきた時を見計らい二人はその店に近寄ると、店主が「いらっしゃい」と挨拶してからメニュー表を渡してくる。

 その表には粒あん、カスタード、キャラメル、チョコレート等をはじめ百種類もの種類があった。

 なかには塩辛いもの、麺類、カレー、中華、ケーキのスポンジ等といったフレーバーが存在した。

 もはや「たい焼きの研究をしています」や、「この組合せ美味しいと思って!」と趣味に走ったものばかり。

「勧める味じゃないだろう」と夢夜は心の中でツッコミを入れる。

 彼はそれを一通り見てから、逆撫に声をかけると――、

「逆撫はなにがいい?」

「おいおい。無粋な事を訊くんだね。ボクは粒あん一択だ!!」

 彼女は上から目線で答えた。甘味に目がないのか、心なしか嬉しそうに見える。

「はいはい……」

 逆撫の希望通りに夢夜は注文し会計をする。小さい手持ち袋に入れられた商品を受け取る。中身は二つとも粒あんで、『やっぱり王道が一番いい』と思う夢夜であった。

「ありがとうございました~」

 店主は無表情に近い顔で言う。恐らく、これが――学習機能をもつ情報だけの人間なのだろう。

 そう考えると不意に怖くなり、夢夜は軽く礼をすると、すぐにその場を離れた。

 少し歩いてマンションと隣接された公園を見つけ、二人はそこにあるベンチへ腰を下ろす。

 夢夜は先ほど買った鯛焼きを袋から取り出して、そのまま隣にいる少女に渡した。

「ありがとうっ!」

 その焼き菓子を受け取る逆撫の表情はかつて見たことのない満面の笑みであり、歳相応の反応はとても貴重なものだった。

「いただきます!」

 逆撫はそう言うと、こんがり焼かれたそれを、ちいさく一口かじると頬を綻ばせる。気に入ったのか、もくもくと味わって咀嚼していた。

「いただきます」

 夢夜は半分に折って頭の部分から食べて始めるが、しっぽの方は先の部分までぎっしり入っているらしく、それ相応の重さに驚く。表面の薄皮はパリっとしており、中に詰まっているあんこは程よい甘さで口内に広がっていく。

「うん~! あんこが美味しい」

 口に含む度に満面の笑みを作り、足をぷらぷらと揺らしながら上機嫌で感想を述べる逆撫。それを横目で見つつ、夢夜も口に含んでいく。

 疲れた体に糖分が効いたようで、気分が落ち着いたようだった。プラシーボ効果かもしれないが。

 二人が鯛焼きを食べ終えた頃には、空は少しずつ紺碧の帳を下ろしていた。

 青からオレンジ色へとグラデーションがかっている地平線を見つめながら、夢夜は呟く。

「俺はいったい何者なんだろうな」

 自分だけ周りとは違う存在。それには気が付いているが、その正体は不明であった。

断片的ではあるが、以前の記憶を持っている。

 カルミアや拓哉は変わらず感情を持って――魂をきちんと持っている事が分かっていたため、心細くはなかったようだが。

 それでも、既視感の事を考えると夢夜は『自分はおかしいのではないか』と考えてしまうのだ。

「君は――君だよ。難浪夢夜だ」

 逆撫は言い聞かせて安心させるように答えてやると、彼は無言で頷いた。

「ああ、そうだ! 大事なこと忘れてた。君、カルミアのことはどう思ってる? 好きか嫌いか、二択!」

「えッ!? あ、好き……? だけど(逆撫ってあいつのこと知ってたっけ?)」

 唐突な二択で提示されてしまい、条件反射で答える夢夜。

「今すぐ世界が終わるとしたら、〝好き〟って伝える?」

「伝える……と思う。え、伝えて迷惑じゃないか……!? あいつ、いろいろ事情抱えてるらしいし。てか、死に際の言葉が『は? 嫌いです。気持ち悪い』とかイヤなんだが!?」

「ヘンなところで自信喪失しないでくれ難浪君。気持ち悪い」

 夢夜はあまりの理不尽さに、顔が福笑いのように崩壊する。怒り悲しみ苦しみ自嘲が混ざっていた。

「さて、今日はもう帰りなよ、君の家族が心配する」

 罵倒の後にそう切り出した逆撫は夢夜の手を引っ張り、無理矢理立ち上がらせると、未だ感情入り乱れている表情のままの彼を見送った。

 逆撫は誰もいなくなった場所で空に向かって呟く。

「その恋心が、未練がある限り、ずっと終末を繰り返す。想い人を傷つけてまで、……こんな惨いこと、あと何回するつもりなんだい。■■――――――」


 夢夜が帰宅すると、騒がしい声とともにカルミアと拓哉が出迎えた。

「マイスターどこ行ってたんですか~~~~~!? ピザとって映画耐久するって言ったじゃないですか!? せっかくの連休なんですから時間がもったいないです!!」

「いー兄、カニとエビのチーズ盛ったやつ食べたいんだけど。あっ、ナゲットとビスケットも!」

「私はバジルポテトと……、周りの生地にソーセージ入れて巻いたおしゃれなのがいいです!」

 相変わらずカルミアは口やかましく後ろを憑いてまわり、拓哉は照れながらも、素直さを取り戻していた。夢夜は自身の知る日常に戻る。

 辛いことや楽しいこと、少しだけ非日常的な活動はあるけれど、平和な世界。

 本当に、平和で、現実味のある――――

    『夢』

 ふと、誰かが耳元でそう呟いた。


zzz


 夢夜ははっと目を見開いて、声がした方を振り向くと絶句する。

 上空――赤黒い天が裂けて、そこから伸びる無数の黒く細い影は、生き物のように動いていた。

 それは、河川の底に潜むモノとよく似ていた。

 伯奇とは別の、異質な存在

 それは、■■が持ち込んでしまった願い

【我が天理帯からは逃れられぬ】


 低くくぐもった不協和音を重ねた振動。

 前後左右真っ暗で浮遊したなかに、虚ろな穴に放り込まれる絶望感。

 体の奥底にある細胞に語りかけてくる不快感。異空間、未知への恐怖。

 それは、例えるならば空襲警報を低くし抑揚をつけた響き。しかし、危機を知らせるのではなく、ただ不安を煽る音。

言い換えれば、それは人間が辿り着けない神秘を帯びていた。

 夢夜は体中からどっと汗が噴き出すのを感じた。

「な……んで、おまえが――!!」

 夢夜は、『それ』に、過去に逢ったことなど一度もない。にもかかわらず、魂が『それ』に対し、糾弾するように、嘆き悲しんでいるように――声を上げている感覚に陥る。

「もういいです」

 聞き慣れた声に、夢夜は振り向くと、そこには全身黒づくめの少女が立っていた。

「カル……ミアか?」

 足元まで続く漆黒の長い髪をした少女は、頭部から兎の耳が生えていた。

 虹彩は赤く、瞳孔は白く、その輝きは異質さを放っている。

 喪服を連想させるような、漆黒の和の装束を纏う。しかし、それはどことなく無垢仕立てのようであった。

 天はその裂け目から音を振動させる。

【さァ、さア、こんどは、きっとウまくいく】

 舌っ足らずな、機械のような言葉が、夢夜の脳内に響く。

 それは――疾っくのとうに汚濁に塗れ、捻じ曲がって壊れてなお、ただ一つのコマンドを遂行する健気さを内包していた。

 裂け目はやがて真っ赤な液体を流し落とし、地を濡らしていく。

「ああ、私は本当に、化け物になってしまっていたんですね」

 神代。あの日、問われたが、同意はしなかった、了承もしなかった。それなのに、願いは届いてしまった。

 想い人との成就――終末を迎えてもなお、やり直して願望を叶えるモノへと成れ果てていた。

 しかし、悲しくも宿命は、運命はそれを良しとせず、願いと反撥していた。

【まだ。まダ――】

「辛く苦しい悲しい記憶も、楽しくて幸せだった思い出も――笑いかけてくれた言葉の一つ一つが愛おしい」

【あィ、愛シテ――】

「貴方の傍はとても居心地がよくて、ずっと終わらなければいい、愛されたいと思って繰り返してきました」

【ズッと一緒。に――】

「でも、どうやっても手に入らない。どちらか、ひとりしか生き残れないなら……」

 朝紀は、裂けた空から護るように、夢夜の前に出る。


「私は貴方の幸せを望みます」


 ゴーストが、すべての悪意たましいが、彼女の幸福を全否定する――それは呪いであり、叶わない願望だった。

 好機があったとしても、様々な過程をやり直してもなお

  ――それは、決して添い遂げることができない未来。

 システムの終了。計画の完了。本来の目的

  ――それは、どちらか一人を贄として捧げる最後の儀式。


 止め処なく流れ落ちる液体は、次第に浅瀬になる。夢夜は朝紀の言葉に困惑していると、彼女が振り彼を返り見つめる。

「一体、何言って――」

「マイスター……いいえ、夢夜君」

「っ……なんだよ」 

 こんな状況下であるにも関わらず、初めて名前で呼ばれてしまい、夢夜は思わず心が跳ねた。

 驚いた反射で、そのままぶっきらぼうな返答をしてしまう。

「……愛しています。ずっと、ずぅっと……」

 目尻を下げて、今にも泣きそうな表情で彼女は微笑みかける。

「ッ!? とっぜん、な、なん、何を……!?」

 予想だにしなかったイベントに夢夜はひどく狼狽えるが、深呼吸をして平静を取り戻しつつ、今度は不信な目を向ける。

 決死の覚悟に疑いの目を向けられてしまい、朝紀は残念そうにする。少しだけ思案して、恥ずかしがりながら、布で作られた輪っかを見せる。

 それは何十年も経ったかのように褪せて、ひどくたびれていた。

「……!!」

 絶句する夢夜。

一瞬それが何か判らなかったが、残っていたビジューの形になんとなく見覚えがあった。

 それは、あの日、夢夜がカルミアに贈ったシュシュそのもの。

 断片的に残る既視感の数々が答え合わせとでもいうように、走馬灯のように駆け抜けていく。

 今まで何もなかった左目がずきずきと痛み熱を持つ。

 前髪で隠れていたのが幸いしたのか、どうやら彼女には気付かれていないようだった。

「……ものが大事だと思っていたんだけどなあ……」

 独り言のように呟くと、彼女はそれを大事に、どことなく誇らしげにその宝物を優しく手に包む。

 〝もの〟というのが、何を指していたか夢夜にはまるで分からなかったが、朝紀は静かに想いを紡ぐ。

「好きになってもらわなくていい、馬鹿なやつだと罵ってくれて……嫌いになってくれて構いません。騙してごめんなさい。それでも、どうか、お願いです――――――私を忘れないで」

 ぼろぼろ涙を零し、声を震わせながらそう告げると、くしゃくしゃの顔でせいいっぱいの笑みを作る。

「は……。なんだそれ」

「?」

 自身を傷つけてまで嘘をつく彼女の姿に、自己完結しようとする考えに、夢夜は罪悪感と不快感を覚える。

(今まで酷いことを言い、傷つけ合うこともあったかもしれない。好きだと告白はしてないけど、嫌いなんて思ってねえよ。それにもう、お前なら騙されてもいいなんて思ってる自分がいる)

 しかし、今それを伝えてどうなるだろうか。

 何巡もして、彼女が出した結果が〝これ〟なのだ――

 その希望と絶望の積み重ねを、ひとことで言っていいものだろうか。

 伝えて終わりではなく、もっと先の―――――


「まだ、一緒に……天然のオーロラ見に行けてないだろ! 自分で言っておいて約束破るなよ、――破らせるなよ!」


  目元に涙を溢れさせて夢夜は声を張り上げた。

 彼は大胆にも、この結末の後のことを――未来を口にする。

 その言葉と姿に朝紀は目を見開くが、そんなことを知らず夢夜は俯く。

 不甲斐なさと惨めな気持ちがこんがらかり、彼の心と思考を埋め尽くしていった。

 (自己犠牲なんて、切実に願う声なんて、今の今まで見たことも聞いたこともない――)

 (彼女のそんな顔が見たいわけではない――)

 打開策も、最良な結末も、何一つ思い浮かばず彼は水飛沫を上げて泣き崩れる。

 悲しいのは彼女なはずなのに、夢夜は一気に押し寄せて爆発した感情にのまれていた。

 また女々しいと言われても仕方ない、その背中は頼りにならない、その姿は子どものように小さく見えた。悔しさで涙が止まらず嗚咽が混じる。

 朝紀は優しい手付きで夢夜の前髪をかき分ける。

 露わになった額にそっと口づけをすると――


「ごめんね……どうか幸せになって」


 目尻を下げて申し訳なさそうに――しかし、慈愛に満ちた表情で笑いかける。

 その姿に、夢夜はずるいと思ってしまった。

 そんなことを聞いてしまったら、その気持ちを尊重しなくてはならないだろう、と――。


 それは優しくて温かくて残酷な祝福だった。


 朝紀は口づけた額を前髪で隠すと、落ち着いた所作で立ち上がり、彼に背を向けて流れ出る穴の下へ歩みを進める。

 夢夜は呼び止めようにも、喉を震わせることも体を動かすこともできずにいた。やがて、濃い霧が彼の視界を奪う。

「……俺の気持ちも考えないで、勝手に決めるなよ。俺たちだって、ずっと愛してるのに――――!」

 言えなかった言葉は、霞のなかに消えていった。


       やく朝が来た。

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