10章 夢喰い-前編

Chapter 10×■


  これは難浪夢夜の記憶の断片である。


「逆撫……逃げろっ!」

出口など、もう逃げる場所などどこにもないのに、夢夜は声を張り上げる。

「逃がすかいな!」

 逆撫を捕らえようと、海醒の手が伸びた瞬間、夢夜が手足を大きく広げて全身で庇う。

 鍛えてもいない彼の身体の強度など、たかが知れていた。

 その勇ましさは愚かしくもただの威嚇であった。

 海醒は怯んだものの即座に体勢を立て直し、夢夜の腹部に鉄拳を食らわす。

「ッ……ごほっ……げほっ……――つうッ!」

 内蔵を圧迫され、酸素が逆流すると、口から血が吐き出された。

 神経を伝い脳まで激しく揺さぶられてしまい、立ち眩んで膝から崩れてうつ伏せに倒れる。

 この状態からでは海醒は見えても、逆撫の安否を確認することはできない。

「難浪君……!?」

「にげろ! 俺ッ、ぅ……ことは、いいからッ――!」

 逆撫は夢夜の元に駆けつけようとしたが、痛みに耐えながらも張り上げた彼の声で歩みを止めた。

海醒は何もないところから、刃先が鮫の牙の形状をした刀剣を顕現させると、逆撫に向かって振り下ろした。それは、鋭い牙を滑らせるだけで肉を切断する鋸。

縦に横に攻撃を繰り出すが、寸でのところで躱される。

「ちょこまかと! 邪魔しよって!」

「っ――!」

 逆撫は下駄で地面をたたきつけ後ろへ大きく跳躍すると、そのまま闇に姿をくらませる。

 獲物を失った攻撃は、空を切るだけだった。

「ちっ。まあ、ええわ……あんたで憂さ晴らしや」

 未だ殺意を纏った彼女は放置していた夢夜に目をやると、逃げ出そうとする彼の足に鋸を食い込ませた。

 激痛が走る。絶叫が響く。愉しげに嗤う声が反響する。

 夢夜は脱出を試みようとして身動きするが、肉を挽く助力になってしまっていた。

 もがき苦しむうちに両足を切断され、血の海が広がっていく。瀕死のその首めがけて刃が振り下ろされ、――そこで夢夜の意識は途切れた。


       zzz


「へんな夢を見ていた気がする――」

 難浪夢夜は呟いた。しかし、それが〝何〟なのかは、思い出せずにいた。


Chapter 10×■■


 橋の上に、ふたつの人影が並んでいた。

 県を繋ぐ比較的大きい橋だが、駅から遠いという理由だけで交通量は少ない。

 使うのは周辺の住人だけなのか、帰宅途中の学生やランニング中の男性、散歩をする親子がいた。

 夢夜は今まで何をしていたかと考えてみるが、先ほどまで目を瞑って寝ていた感覚しかなかったようだ。そして、目を覚ましてここに居るのだが――、

「まだ何か話すことはあるかい?」

 唐突に声をかけられ、思考の波から引き戻された夢夜は、ゆらゆらと蝶のように歩く逆撫の左腕を咄嗟に握った。何故か、彼女が逝ってしまうのではないかと胸がざわつく。

 一瞬だけ彼女は驚いて目を見開くが、すぐにいつもの口調で声をかける。

「どうしたんだい? 難浪君」

「っと……悪い。なんでもない」

「まったく君という男は。本当に吐き気がするほど気持ち悪いね。女子の手をいきなり掴んだりして、それはセクハラだよ。犯罪だ。ボクが今ここで、大声で叫んでもいいんだよ」

 逆撫は、夢夜の手を振り払っていつもの調子で嘲笑する。しかし、それはどこか取り繕っているように見えた。錯覚だろうか、思い込みだろうか。

「いや、それは勘弁してほしい」

「君は……本当に馬鹿だな」

 きっぱりと拒絶する夢夜に、目を閉じながら薄ら笑いをする逆撫。暫くの沈黙のあと、彼女は口を開く。

「あ、たい焼き屋」

 目の前に、移動販売車もといたい焼き屋がゆっくりと通過していく。それをちらりと横目で確認すると、夢夜は感心していた。

「あんまり見かけないけど、こんなやつまで移動販売しているのか」

「奢れ」

 感想を述べている彼に、逆撫は表情を変えずに突き刺すような言い方で要求する。

「突然の命令口調!?」

 彼女は幾度か押し黙らせることや強要することはあったが、命令と呼べる行為はなく。そのため夢夜は数歩後ろへ下がり、彼女との距離を置く。

「ボクは今まで君に的確なアドバイスをしてきたんだ。その礼をここでしてくれてもいいんだよ。君は今まで大船に乗った気分だっただろう?」

「お前のいう『的確』は不安しかないし、『大船』というより泥船に乗っていた思い出しかない」

「おめでたいね。そしたら君はたくさんの場数を踏んで、経験を得たということになる」

「めでたくはないだろう」

「で、買ってくれないのかい?」

「ああ、買ってやらない」

「……そうか。それは残念だ」

名残惜しそうにする逆撫は、『では、また』と別れを告げて、手を振りながら都市方面へ向かって橋を歩いて行った。

 その姿が見えなくなると、夢夜は居候先に足を向けて呟く。

「一体、何だったんだ……?」


 夢夜が帰宅すると、元気いっぱいのカルミアと拓哉が出迎えた。

「マイスターどこ行ってたんですか。もう夜ごはんのお時間ですよ!?」

「カルミアさんがあんたの飯じゃないと食った気しないとか言ってくるんだけど……」

「カップラーメン飽きたんです~!」

 待ちくたびれたとでも言うように、腕をぶんぶん振り回して主張するカルミアに、悠長な拓哉。

 いつもの風景、日常――こうして三人で暮らすのもずいぶん慣れた。

「おう。今から飯作る」

「いー兄。テレビ観てるから、ご飯できたら呼んで」

「今日のご飯はなんですか!?」

「今日は――」

 テレビの電源を切ったかのようにぷつりと何かが断たれて、夢夜の視界が真っ暗になった。


Chapter 10×■■■


 ――映写機がカシャカシャ音を立てる。フィルムを巻き戻している気配がした――。

(ここはどこだ? 目の前が真っ暗で何も見えない)

 呼吸ができず水の中にいるような浮遊感に恐怖した夢夜は、微かに漏れる光に向かって必死に手を伸ばした時だった。

「!」

 飛沫を上げて彼はそこから起き上がると、薄暗さに目を細めて辺りを探ろうとする。

 等間隔に小さく光るそれが周辺を照らし、少しだけ安堵する。

 目が慣れてきた夢夜は、捉えたモノを見て息を呑む。なぜなら、眼前に広がる現実を受け入れることが難しかったからだった。

 円錐状に造られた部屋なのか、中央にはとてつもなくでかい柱が在った。

 その柱は機械のようで、表面に埋め込まれたライトは点滅を繰り返していた。

 壁には上下が見えないほどカプセルがびっしりと設置されており、異質さを醸し出している。

 どこかの施設だろうか。――そう疑問を持った夢夜は状況を把握しようとも、身体が重くて思うように動かせずにいた。どうやら自分もカプセルの中に入れられていたのか、と顔をしかめる。

 息苦しさに気づけば、口元には人工呼吸器が取り付けてあり、それを外そうとすると腕と脚にはコードやチューブが何本も刺され固定されていた。

 それらを乱暴に引き抜けば、神経が脳まで痛覚を伝達させる。

「ここは……!!」

 夢夜は目尻に雫を溜めつつ、一メートルほど離れた隣にあるカプセルに視線を移すと、濁った培養液のなかで何か膨らんだ物体が浮いていた。

 それは、かつて人間だったもの。

 肉が溶け出したのだろうか、液体はひどく濁りきっていた。

 確信した瞬間に吐き気を覚え、カプセルの外に少量の胃液を吐いた。一時の麻痺により喉が熱を持つ。

下はどこまでも続いているらしく、吐瀉物が底に落ちた音がしなかった。

 彼は手で口を拭うと、遅れてきた嫌悪感と絶望感で鳥肌が立つ。

「カルミア……! 拓哉っ――!」

 いつも一緒にいた彼女達の名前を呼んでも、静寂に消えていくだけだった。

 それでも、孤独と焦りから、必死に周りを見渡す。

 しかし、夢夜のカプセル以外の容器は暗く、電源が切られているようだった。

 それは、予想をするなら『死』を意味していたのだろう。

 誰もいない――誰もが死んでいる。

「! なんだよ、これ……なんなんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 何もない無機質な空間は静かで、夢夜の悲痛な叫び声はよく響いた。

 二十一万人の内、自分だけが生き残ったのかと。

 しかし、それを聴く人間も、答えてくれる人間も、ここには居ない。

「俺が……大勢の人を――みんなを殺した……??」

 孤独感、責任に押し潰されそうになり、体を震わせる。知らずとはいえ、夢夜は自身の犯した罪に絶望し、涙を流す。今ここで自身を責めてもどうにもならない。

 償いきれない過去に、鬱屈とした感情の波が、彼を呑み込んでいく。

「これは夢だ」

 無意識か、衝動かわからない。

 次の瞬間、夢夜は割れたガラスチューブを握りしめ、自身の胸に突き刺していた。

「夢……夢……ユメユメユメゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめ――――!!」

 唐突に起きたその自傷は、腹の底から張り上げた発狂は、静かな空間に反響した。

 本来ならば、肉を抉る不快感と死ぬという恐怖がこみ上げてくるはずだが、今の夢夜にはそんな理性は残っていなかった。

「こんなっ……人を傷つけてきたくせに、のうのうと生きてなんて――いちゃいけないっ……!!」

 血が溢れていようが、今の夢夜にとってはそんな事はどうでもよく。

 人殺しという現状に目を背けたかった彼は、自身の罪がこれで清算されるのならば、と。それだけしか考えていなかったのだ。

 培養液に血が混ざって赤色に染まる頃には、筋肉が硬直し、手足冷えてが動かなくなっていく。

 息が苦しくなり、寒さと眠気により頭が朦朧としてカプセルに背を預ける。

(遠くで狼の遠吠えが聞こえる。――あれはなんだっただろうか。……応えなきゃいけないのに、すごく眠くて体が動かせない)

 霞がかかった気がしたが、赦されたいと願って夢夜は目を閉じた。



Chapter 10×■■■■


 猛烈に荒れ狂う嵐は、そこにいる者たちの視界を奪う。

「起きて、起きてくれっ!! ――――――起きてよお」

 難浪夢夜は、逆撫ゆかいの呼びかけに応えられずにいた。

 彼の体には大きく獣に切り裂かれた傷があり、赤黒い液体は床を濡らしたかと思えば風に攫わていく。

「一体なにが、どうなってるんや!? こんなんシステムの暴走いうより……!」

 結界を張り、押し潰されないように背後の夢夜と逆撫を護る海醒の姿があった。

 撒き上がる渦は、最早壁と化していた。彼女は、その先にいるであろう敵を睨む。

 それは、低くくぐもった不協和音を振動させると、不快な響きを耳にした二人は絶句する。


【「私の手で終わりにするの、わた――シの手で汚すの、我ノ、われわレの」】


「なんで。今、あれが……」

「あんの馬鹿……――」

 ぴたりと嵐が止むと一瞬で天が裂ける

 奥に潜む虚ろな星は、彼女らを傍観する

 暗黒の帯は狭い世界を覆う

 混沌が彼女らを包み込む


                                     【我の――――――――モノにする為に】


Chapter 10×■■■■■


 何度繰り返しても、結果は変わらず。

 憎悪と狂気にまみれ、彼は自ら命を断つ。不運に巻き込まれ、他者により殺められ、辱められて終わる。

 他の者と添い遂げようとして、〝  〟はその手で幾度想い人を屠ったか分からなくなっていた。

 共から阻止されても、制止をかけられても、その荒ぶる御霊は止まらず。

 あらゆる可能性の路を辿っても、世界は、〝  〟の幸福を拒絶する。

 己が望む〝終末〟を繰り返し繰り返し繰り返し――――――絶望を繰り返し……。

 終わりを迎える度に、泣いて啼いて哭いて――。

「どうか、私を……」

 手にした髪飾りに泣きながら祈って手を合わせる。

 そして、愚かにも〝  〟は再び立ち上がる。


「……なんで、あいつ泣いてるんだ? あんた、言ってやらなくていいのか?」

 〝難浪夢夜〟はその人物に問う。

 歴史書で見たような姿した〝  〟は優しい面持ちで、彼に言葉を返す。

『あの気持ちは、君のためのもの。これは、君の人生だ――』

「? でも、始まりはあんただったはずだ。それに、ここに至るまでの苦難を共にした、あんたもいる」

 〝難浪夢夜〟はその人物に問う。

 彼と瓜二つの姿した〝  〟は呆れた表情で、彼に言葉を返す。

『苦難を共にしたのは、君もおなじだろう。それに、僕は自分のなかでけりを付けたんだ。一応ね。今更でしゃばるほど、小さな器ではないよ』

 彼らは〝難浪夢夜〟に託す。


『『今もおなじ気持ちなら――この抱いた願いを、どうか繋げてほしい』』


不意に聞こえてしまった、聞き慣れた悲痛な泣き声に彼は強く決意する。

その先に、どんな運命が待っていようとも――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る