幕間 Lost command

世界が終わる。

 物質が黒く光る粒へと変わり、空にできた裂け目に向かって吸い込まれるように消えていく。


「な、に……言ってんだよ。なんで泣いて――」

 夢夜がそう言いかけると、カルミアは膝から崩れ落ちた。顔を手で覆い隠し、肩を震わせる。

 彼は不審に思つつ、泣きじゃくる彼女に駆け寄り、肩に手をかけようとした時だった。

「難浪君。そいつから離れて」

 聞き慣れた声に驚いて夢夜は手を止め、声の主に顔を向ける。

「逆撫!?」

 そこには逆撫ゆかいが佇んでいた。

そして、下駄をコロンコロンと鳴らして彼らの元へ歩いて近づくと、夢夜を庇い、二人の間に入る。

逆撫はカルミアを見下し、侮蔑しきった目を向ける。

「あなた、またその人を死なせる気なの? また同じことを繰り返そうとしているのに、なんで気付かないの?」

「じゃあ、どうすればよかったの……」

 カルミアは少女を睨みつけると、悲痛な声を絞り出す。

いつも見てきたふざけた調子でなく、噓偽りのない本音を漏らす、あるがままの姿だった。

その変わりように、夢夜は状況の整理が追い付かず、困惑して問いかける。

「お、おい……お前ら知り合いなのか?」

「ただの腐れ縁だよ」

逆撫は夢夜の質問に言葉だけで返す。そして、『あなたも。だけど』と独り言のように付け加えた。

 彼女はカルミアに訊ねる。

「あなた、薄々気付いていたんだよね。気付いていて、この人を騙して……自分も騙していたんだよね」

 その呼びかけに、カルミアは俯いて沈黙を貫こうとする。

 夢夜はふと周りを見ると、やがて見慣れた景色が粒子になり、完全に消えていくところだった。

 それは、夢が、魔法が解けたよう――。

 眼前に広がるその場所は薄暗く、形容するなら電脳空間に見える。

 元いた場所で触れた、ゲームや映画。あれらと同じ『サイバーな景色』が現実として〝在った〟。

 足元には集積回路を模した線が埋め込まれており、青白く光を放っていた。

 夢夜は、ひとり何も知らないことに苛立ちを覚えて、逆撫の肩を掴んで強引に向かいあわせる。

 そして、自身よりか弱い少女に、咬みつくように疑問を投げかけた。

「逆撫、騙すってなんだよ? それにここは、いったい何なんだよ!」

「っ――! 実は難浪君は」

「おお? なんや、オールスターってほどでもないけど全員集合やないの」

突然割り込んできた声により、逆撫の言葉は遮られた。

 夢夜と逆撫は声のほうへ振り向くと、そこには長身でスレンダーの女性がいた。

「誰だ……!?」

「ああ? ウチは海醒蛇鰐って言うんよ。まあ、冥土の土産に覚えといてな」

 夢夜は冗談でも言われたことのない、『冥途の土産』というフレーズに耳を疑い委縮してしまう。

 この状況では、自身の身に何が起こるか予想できない。海醒は項垂れているカルミアの方に近付くと、楽しそうに話し始める。

「兎。超ひっさしぶりやないの、一時はどうなるかと思うたけど? いや、お勤めご苦労さん」

 沈黙したその場を一人で道化のように盛り上げる。

「てか、河伯までおるやん。相変わらず小さいから見えへんかったわ。あんたもお役御免やな。はよ退場決めな」

「っ……」

 海醒は手で追い払う仕草をするが、逆撫は警戒したままだった。

「お前、カルミアと逆撫とはどういう関係だ。まさかゴーストか?」

 あまりよくない関係性だと感じた夢夜。二人の間に入り緊張を和らげようとしたが、冷静に尋ねた言葉は、どうやら彼女にとって悪手のようだった。

「ちっ……ほんま気色悪ぅたらないわ。――ウチは兎の同業者で……監視役や」

「? 監視役って、なんの監視だ?」

 小声で愚痴をこぼしたかと思えば、夢夜に向かって素性を明かす海醒。彼女はいまだ不審な目を向けて問いただそとする彼を無視し、カルミアの腕を引っ張り無理矢理立たせると、

「その顔、何も知らんようやな!? いやあこれは傑作や!!」

 海醒は腹を抱えて一頻りに笑うのだった。強張るカルミアの体を引き寄せて、その顔に向けて核心を突く。

「なあ、あんたほんまに説明してへんの? ――ウチらのやっている事がただの〝人殺し〟ってこと」

「!! そ、れは」

「な……に、言ってんだよ」

 海醒から発せられた言葉に、カルミアの顔から血の気が引いていく。

 自身を除き話が進んでいく歯痒さを感じながら夢夜が問う。

「つまり、こいつはあんたを騙していたわけや。犯罪の加害者、共犯者やキョーハンシャ!!」

「じゃあ、俺が今までやってきた事って――」

「世界のバランスを保つために人の魂を回収なんてせえへんよ。なんやその取ってつけたようなチープな設定は!! あんたはこいつのでっち上げで、のんきに人の魂を奪ってたんや」

 その瞬間、頭を鈍器で殴られたような痛みが走った。視界がぐらぐらと揺れ、足元はおぼつかない。

 海醒は何も手出しをしていない。しかし、彼女の言葉が夢夜の心を殴りつけるようだった。

  〝人殺し〟

 夢夜は以前、鬼岩と対峙した時の事を思い出す。


 『自身の手で、誰かを傷つけてしまったのか?』と恐怖と絶望感が渦巻いていく。

 夢夜はカルミアへ視線を送るが、罰が悪そうに俯いたままでいた。

「アタシは監視兼サポート役で、そいつが回収役や。ほんと、人間には必要以上に関わるなって言われてんねんけどね」

「お前たちの他に、仲間がいるのか、首謀者がいるのか!? そいつは誰だ――なんの為にこんな事をするんだ!」

「あんた、それ聞いてどないするん? これ以上知ったとしても、もうこの世界は終い。まあ、抵抗なんてできへんように――」

 海醒の身体に蛇が絡みついていた。

 危険を連想させ、不気味な色のストライプ柄の蛇はその細い身体を揺らしながら威嚇をする。

 夢夜は視線を奪われ身体が恐怖で震えてしまう。

 突然、ぷつっと何かが肉を突き破る感覚を覚えると、ビリビリとした痺れが神経を伝っていく。

 次第に動かなくなっていく感覚に陥るのを感じた時、夢夜の視界がブレた。

 「ぐぅぅ―――ッ」

 顔を上げると、そこには海醒に首を絞められている逆撫がいた。自身を犠牲にした彼女に体当たりされ、護られたのだと確信する。おぼろげながら、彼は身代わりになった彼女に手を伸ばそうとする。

「さ……か」

 海醒が手を放すと、逆撫はその場に力なく崩れ落ちた。

「兎。あんたはそこで突っ立てろや」

 海醒はカルミアの顔も見ずに命令すると、矢の如く眼前の邪魔者に突撃していく。

 刹那。勢いをのせた彼女の回し蹴りが夢夜の左横腹にヒットする。

「かっは……!」

 吹っ飛びはしなかったが、一瞬の衝撃でくの字に身体が歪んで膝をつく。

 夢夜の視界が海醒の手によって遮られると、

「覚悟しいや」

 海醒は自身の鋭く尖った爪を、夢夜の隠れた左目に突き刺した。

「ぐあッ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ―――――!」

 絶叫が木霊する。

 眼球の組織が破られ、生ぬるい液体が溢れて夢夜の頬を伝う。器官を圧迫し、身体が悲鳴を上げていた。

 激痛に悶え電流が走っていくように筋肉が攣られ、潰れた目から血が流れ出しても海醒はぐりぐりと抉るように指を回しながら押し込んでいく。

「ひっぎッッ――ぐッ……」

「どうや痛いやろ。あんたは本質ちゅーか〝真実〟が見えてないからなぁ。そないな目は要らんもんなあ」

 指を三本に増やし、そして、それを引き抜いた。ぶちっと千切れる音とともに、左目の視界は完全に断たれる。

「あああああああああああああッッ! いッ――――!」

 夢夜は叫び、痛みを堪えようと呻きながら身を屈める。

「マイスター!!」

 カルミアは弾けるように夢夜の元へ駆けつける。手を触れようとした瞬間、乾いた破裂音が響く。

 彼女の伸ばした手は、彼によって払われてしまっていた。

「このっ――詐欺師……!!」

 空洞になった左目元を手で押さえながら、怒りと憎しみに染まった顔で声を荒げる夢夜。

 これまでにないほど負の感情を向けられてしまい、カルミアは愕然とした。

 二人の信頼に亀裂が入り崩れていく。彼女は、含んだ空気が喉を逆流するのを感じた。

「俺はお前の……お前たちの遊びにまんまと付き合わされたってわけか。今まで全部馬鹿にしていたってことかよ」

「ちがう――私は!!」

「何が違うんだよ。俺も他の奴らみたいに、最後には魂を抜き取るつもりだったんだろっ!? 前に〝等しく〟って言ってたもんな」

「それは、最初の頃はそう思ったけど……」

「ッ――。ほらな。げほっ……だったらやれよ」

 感情的になる夢夜はせき込みながらも鼻で笑うと、偏見の目を向ける。

 その憎悪の視線と自嘲を含んだ言葉に彼女は衝撃を受けた。

 何かの間違いではないかという表情で口から洩れる言葉は、震えていた。

「でも……私はマイスターのこと――そんなこと、できないです」

「できるだろ。だってお前は……罪人なんだからよ!」

 カルミアは力強く首を絞められた感覚に陥る。思いもしなかった言葉と侮蔑の目により、ショックで思考が停止し、弁解も反発もできずにいた。

 失意からその場に力なく座り込むカルミアの姿を見て、夢夜はどうしようもない感情を彼女にぶつけてしまった事に目を瞑る。

(だって、仕方ないだろ! それがお前の役割で、これが俺の生きてた意味で……ただの消費される存在なんだから)

 彼は、いつの間に移ってしまった情を振り払う。

 二人の間に沈黙が流れる。

「なぁ、茶番は終わったん? ないなら、『ネタばらし』してやるんけども」

 切り出した海醒はニヤつきながら続ける。

「あんた、この世界がおかしいと思わなかったん? 人間の意志の低さ、横並びの教育、何かを目標にしているか解らん社会に、違和感を覚えへんの?」

「人間の魂には霊的エネルギーが数種類あり、それぞれ役割を持っている。欲望や知識とか芸術的感性なんていうやつやったかな。ま、それらのエネルギーはサイクルを繰り返し、徐々に進歩するらしい」

「あと、『夢』や『希望』なんてものを持っているやつはエネルギーが強いな。文明を進化させ続ける人間。そいつらに潜在する星のような輝き」

 生物は死んだら死後の世界に行き、転生の時を待つ『輪廻転生』を繰り返す存在といわれている。

 けれども、そんなものはオカルトめいた話だ。しかし、それが本当ならば――。

「集めた魂はどこに行くと思う?」

「まさか……」

 その先は、カルミアが答えを示した。

「この隔離された世界には、精神と魂しかない意識だけの世界。それらは仮想された肉体を失ってもどこへも行けず、この閉じた世界を迷い続ける。成仏もできず、消滅することも許されず、私たちに集められるのを待つしかない――」

 用意された存在であり、ただの消耗品であった。

 手のひらで踊らされ、要らなくなったらその手で握り潰す。初めから未来のない世界は残酷だった。

「まーそれでも。どっかの誰かが、最後に子ども二人、女一人は逃してもうたけど」

 同意を求めるように、海醒はカルミアに意地悪く笑いかける。

「なんつったけ? ああ、思い出した『あいざわたくや』と『ゆうぐれひつじ』やった」

「っ――! 二人に、何をした!」

「何もしてへん。ただ、あんたの力が少し『あいざわたくや』の中に入っていたおかげで、ウチらが干渉できず逝ってしまったってことや」

「どこに、逝くっていうんだよ……! お前らさっき言ってただろ。人間の魂は……世界に留まるんじゃないのか……!?」

 肩で息をする夢夜は矛盾した内容に追及する。

 (そもそも、自身の力が拓哉の中に入っていたとはどういうことだ!?)

 以前は従弟は愛想のない対応をしていた。

 少し仲が良くなったくらいで、特別なことはしていない。そんな覚えはない。

 海醒は人差し指を苛立つ少年に向けて言い放った。

「――難浪夢夜。あんたの中や」

「……!」

「はじめはスマホの端末を容れ物にしとったが――、認めとうないけど、あんたの魂と体は『神性』を帯びてる。自覚があらへんから人の信仰や希望も魂を糧とし、全部無意識に喰っていたというわけや」

「喰っていた……?」

「あんた腹減らんやろ。ぶっちゃけウチらは食事とか必要あらへんけども、どうしても力出えへん時とか神通力が弱まった時に外的エネルギーとして取り込むくらいや。それ以外は、まあそこら辺の魂を喰うことになるんけども――」

 『ということは――』と夢夜は思案する。

(最近の空腹が感じられなかったのは、俺が知らずのうちに人の魂を喰ってエネルギーを補っていたから――?)

 彼は最悪な事態を考え、口元を手覆う。後戻りができない行為に、罪悪感しかないのだろう。

「あんたはヒーローやない。エネミーや」

 夢夜は息が止まり、身体を震わせて床に視線を落として咳込んだ。

 自身の行いは『正義』ではなく、『不義』。『悪』なのだと指摘されてしまったのだ。

「あんたを殺して、エネルギー奪って、兎が集めたエネルギーと合わせればミッションコンプリートや――」

 海醒が鋭い爪を夢夜に向けようとするが、それは阻止される。

「やめてっっ!」

 二人の間にカルミアが割り込んで、海醒に向かい合うように制止をかけたのだった。

「カルミア……?」

「兎。そういえば、こいつにまた惚れたらしいな? でもなあ罪を犯した人間が、神が、幸せになったらあかんやろう? 人殺しは一生罪を背負って生きて、一生そのまんま不幸であり続けなあかん。――ウチらには、もうそれしか道あらへんのやから」

 少しだけ海醒の語尾が弱くなった――気がした。

 その言葉に、カルミアは声を振るわせつつも弁明しようと言葉を絞り出す。

「私は酷いことをたくさんしてきた。だから赦されようなんて思っていないし、幸せを望んじゃいけないことも分かってる」

 海醒の表情が険しくなり、一歩前に出る。『それでも』と、カルミアは続ける。

「でも、安らぐところはあってもいいじゃない……! 少しだけでも楽しい嬉しいって感じて、そんな風に日常を過ごしたっていいじゃない」

「ああ? 兎。あんた自分が何言うてるか分かっとるん? あんた、『生きていたらあかん存在』なんやで? 罪人が一丁前に幸福なんて求めたら、真っ当に生きとる人間はそら『死ね』言うやろな」

「わかってる!! でも、罪を犯したら、一度でも〝正解〟を間違ったら一生不幸じゃなきゃいけないの? 罪を償っても、私は何も望んじゃいけないの……?」

 目元に涙を溢れさせながら否定した、答えを求めようとした。カルミアの言葉に、夢夜は息を呑む。

 今まで、なんでもないように一緒に過ごしてきた日常が、彼女にとっての安らぎであり幸せだったのだと。表情の裏に本音を隠し、心に秘めた切なる望みだったのだと。

 夢夜は自身を騙したカルミアに憎悪し、侮蔑し、失望をした。しかし、そんな気持ちよりも、時折見せたあの笑みが真実なら――今の姿はどうしても否定できなかった。

 海醒の口が開くより早く、夢夜はカルミアに向かって叫ぶ。

「同じ間違いを――過ちを繰り返さなきゃいいだけだ。人間そこまで他人のことなんか興味ないし、自分のことで手いっぱいだし……! そもそも人間だって神だって、誰だって幸せになる権利あるだろ。 何も望んじゃいけないって、そんなの死んでいる奴となんら変わらねえよ!」

 支離滅裂で、さっきまで自身も彼女を罵倒していた夢夜。

  都合がいいのはわかっている――。

  資格がないのはわかっている――。

 間違いを起こしても、償おうと葛藤しながら生きているのなら、その道は微かな星の光を頼りにしてもいいのではないか。


「マイスター……」

「屁理屈やろ、それはァ!!」

 思ってもみなかった助け舟にカルミアは涙ぐむが、海醒の怒声が響いた。

 彼女の背後に、三匹の鮫を模した骨組みだけの体躯が現れる。それは高速で移動し、獲物を捕らえる勢いで夢夜に襲い掛かっていく。

 ぱっくりと開いた大きな口に鋭利な牙――狂暴の象徴が、彼の身体を噛み砕こうとした刹那。

 光線によって細かく刻まれたそれは、からからと乾いた音を立てながら地面に落ちた。 


「まったく。思いやりの嘘や迷惑までもが『罪』だと言い始めたらキリがないから、ね」

 意識が回復したらしい逆撫の手には、光で顕現させた弓矢が構えられていた。

 圧縮された光の矢をもう一度放つと、まっすぐ飛んでいきながら縄に変形し、海醒を拘束する。

「なんっ……」

 動きが鈍くなった海醒の顔面に向かって、カルミアは拳を突き出し渾身の一撃で殴る。

 殴られて一瞬身体が傾いたところを狙い、右から回し蹴りを繰り出し更に追い打ちをかけるが、よほど頑丈なのか、彼女は踏みとどまる。

「ぐっ……、ほんま暴力なとこ変わらへん女!」

「ッ! マイスターは、彼は殺させない」

「鮫の化身の過信ゆえ、この矢で嘘偽りの我を射ようとするならば、この矢鮫の化身に当たらず。もし鮫の化身に誤ちあれば必中す!」

 その言葉を待っていたと言わんばかりに、逆撫は二本の光の矢を浴びせる。海醒の右足と左腿に命中すると、膝から崩れ落ちた。

「がっ!! ――クッソがばがばな言挙げやないか。神の真似なんぞしおって」

 逆撫は光で構築された弓を引くと、身動きのとれない海醒の頭上に雨のように矢が降り注ぐ。


 zzz


「マイスター。スマホ出してください」

 その言葉に拒む理由はなく、夢夜は素直にスマートフォンを差し出す。あの世界で作られた物質だが、どういうわけか、この場でも消えることなく形を保っていた。

 カルミアは自分と夢夜の端末を操作しはじめる。真剣な顔をする彼女から目が離せなかった夢夜だが、

 不意に見えたスマートフォンの画面には『強制終了』の文字が表示されていた。

 おそらく、それはこの世界の終わりを意味しているのだろう。

 そして、カルミアはその二つの機械を手で割った。

 壊れたその機械は光の粒子に変化していき、やがて夢夜たちの前に大きな鳥居が現れる。

 逆撫は走ってその光の中に飛び込んでいく。

「マイスター」

 カルミアは優しい声で、彼のことを呼ぶ。

「なんだよ」

「今まで騙しててごめんなさい。でも騙すのはこれで最後ですので」

「な……に、言ってん、だよ! 最後ってなんだよ!」

 夢夜は傷の痛みで舌が回らず、言葉が途切れる。

 空洞である左目に激痛が走ると頭が熱を持ち、心臓の鼓動が次第に早くなる。

 喉が乾いて呂律がうまく回らず、欠損した部分が今になって身体の異常を訴える。

 急激に体温が下がり、恐怖を覚える。

(これってただの悪い夢だよな? 今までこんなことなかったのに、なんでこんなに痛むんだ!?)

 夢夜は心のつっかえに困惑するが、現状は変わらない。

「ここの空間は、外の世界との通り道。光に向かって進めば、目が醒めるようになっています」

「目が覚めるってなんだよ。お前も一緒にっ――」

 声が掠れて言葉が続かない。うまく呼吸ができない。

「私ね、悲しくないですよ――苦しくもない。だって今度はちゃんと、あなたを助けられたから――」

「なんの話をしてんだよ……!」

「生きて。辛くても、死んだらダメですよ。――ちゃんと、生きてくださいね」

 カルミアが夢夜の胸を強く押すと、夢夜は光に向かって倒れていく。

 彼は彼女の手を掴もうとして、必死に手を伸ばす。だがその甲斐虚しく、空を掴むだけだった。

 空洞だった左目に何かが宿る。

 しかし、次第に瞼が重くなり、夢夜は深い眠りに落ちていった。

 

 《想い人を助けて、残った■■は独り寂しくその世界に閉じ込められるのでした。 おしまい》

 

【こんな結末は認めない】    『くるしいくせに、うそつきめ!』『どうしてあきらめるの?』

【これは正しい未来ではない】  『こうかいするわ!』 『なんて、よくぶかなやつ』

【この選択は間違いである】   『うらぎりもの!』 『だれかとそいとげるなんて、ゆるせない』


――彼が消える。いなくなる。離れて行ってしまう。こんな〝おわり〟だなんていやだ――


【また失う、また失う、失う失う失う失う失う失う失う失う失ウ。嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いやいヤ嫌嫌嫌イヤ。貴方を手に入れられないのならば、傍にいられないのならば――――また〝おわり〟をやり直セばいイ】  


 zzz


  これは罰なのだと言われた。

  償いをしなければならないと言われた。

「恋をした末がこんなに惨めで辛いなら、もう二度と……」


 白を基調とした館内に、少し気だるげな声が響く。        

「朝紀というのかい。僕は赤気だ。罪人だろうが、助手をしてくれると聞いて助かったよ。なんせ、この辺鄙なところに僕ひとりだからね。よろしく頼む」

 紺色のくせっ毛のあるセミロングで左目元を前髪で隠した線の細い男が、朝紀に握手を求める。

 和装の上に白衣を羽織り、足元はサンダルで素足が見えていた。

 朝紀は差し出された赤気の手を握る。どうでもいいと思ったその手からは、ほんのりと温もりを感じたようだ。

 だが、苦々しい過去の記憶を思い出し、彼女はすぐに手を引っ込める。

『他人と関わると、みんなが不幸になる』という経験と思い込みにより壁を作ろうとした朝紀は、赤気から視線を逸らし周囲を見渡す。

 鉄の羽を回転させ飛んでいる機械。脚に車輪がついて走行する機械。二足歩行で動きまわる機械。

 初めて見たその銀色の無機質をぼんやり目で追っていると、後ろから声を掛けられた。

「ああ。彼ら気になる? いくらAI制御自立ロボットが沢山いても、この馬鹿でかい施設の管理は流石に骨が折れるんだ。あ、歓迎にコーヒーでも淹れようか。それとも紅茶派かな」

「『こーひー』知らない。お茶のほうで」


 極寒吹雪のとある山脈に、筒状に大穴をあけてできた高度研究所。

 極秘で行われている神創枢機計画:クィビトックシステム。

 この計画には二つの進行ラインがある。

 一つはとある魔法使いが編み出した大規模な置換術式を用いて、開闢の神である天主が創世した架空物質を媒介にし、ここで二十一万もの人間を熱エネルギーに変えて抽出する事。

 二つは膨大なエネルギーに耐えうる〝器〟を用意し、注入し起動させる事。

 置換術式を用いた進行を任された赤気は、〝器〟は別の場所で研究が行われていると聞いているが、連携は取れていない状況だった。

 それから予想するのは『結果は完遂しか認めない』という不文律。


 飾り気のない部屋に招かれた朝紀は、背もたれのある椅子に座らされていた。肘置きがあり、初めて体験する腰掛けに、居心地を悪くする。赤気は奥の部屋から出てくると、淹れた紅茶を彼女に渡す。

「熱いから気をつけて」

 それは、煎茶や水以外の飲み物を初めて見た彼女にとって、口に運ぶには少々勇気が必要だった。

 受け取った鮮やかな橙色をした温かいお茶を見つめながら、朝紀は赤気に問いかける。

「…………貴方は、こんな化物みたいで汚い姿、『朝』という名前を持ってながら、呪いの毒を……闇を振りまく黒色、気持ち悪くないんですか……」

 話題ならいくらでもあるだろうが、何故か、そんな言葉を口にしていた。

 疑問を持たず接してくる彼を気に掛けたのかは分からない。

「僕は黒好きだよ。混じり気の無い、なんでも飲み込んでくれる色だからね……。僕だってこの髪色なのに名前は赤で、ちぐはぐだろ? 結局、名前なんてものは個体を指す記号なんだから、気にしなくていいのさ」

「……!」

 赤気のその台詞に心を揺さぶられた朝紀は、はっとする。限られた生き方の中に、ほんの少しの希望を見出す。

 単純だと馬鹿にされようとも、一度見たその光を愛しく思ってしまっていた。

「そうだなあ、なんなら変えちゃいなよ。とりあえず名前とか別のものにしてみたら? 心機一転で」

「罪人の私でも、ですか」

 赤気は考えに耽っている朝紀に提案をすると、彼女は見つめていた紅茶から顔を上げて、少しだけ期待を膨らませる。

「心機一転に許可は必要ないさ。カルミア、はどうかな。優美な女性、大きな希望といった花言葉がある。ここにいる間だけでもいいから、呼び名だけでも豪華にしなさい」

 彼はカップに入った紅茶を揺らして、優しく笑いかけた。


 その日から、朝紀は赤気から『カルミア』と呼ばれるようになった。


 カルミアが閉鎖的な研究所に来てから、数ヵ月経った頃。

 館内で雑務処理を担っていた彼女は慣れてきた気の緩み、元々のいい加減な性格により、解放感あるコックピット型の座席で居眠りをした時のこと。

 カルミアは全身に電流が流れた刺激で目を覚ます。

「は、えっ!? ね、寝てました!?」

「カルミア、僕が必死で取り組んでいるというのに、お休みだなんて薄情だな。これは後で労ってくれるということかな?」

「う……ごめんなさい」

 コックピットに備え付けられているデバイスから手を離し、赤気は笑顔で圧力をかけてやると、カルミアは兎の耳を垂れ下げて謝罪する。しおらしく落ち込む姿に愛いしさを感じたのか、ふっと微笑んでから女の頭を優しく撫でる。

「はは、まあいいさ。構ってやれなかった僕も悪い」

 彼は館内に設置されたモニターから彼女の居場所を特定したが、自身の業務に集中していたため、気付くのが遅くなったのだ。

 しかし、この件がきっかけだった。

 カルミア本人もよく分からないまま、虚構界――研究対象の世界に接続したのだ。

 彼女にとってその光景は久しぶりに見た、『ただの夢』だと思っていた。

 だが、死者の魂を見て触れられるということから、何かできるのではないかと提案した。

「クィビトックシステム――虚構界に特別に意識接続できるのか。なら中に潜って人間たちに介入してもらいたい」

 内部で潜行者がエネルギー回収を行うという案は成果を見出した。

「予想通りだ。君の活躍のおかげで効率が上がったよ。ありがとうカルミア」

「……えへへ」


 カルミアは、彼のその暖かい手で撫でてくれるのが好きだった。

 ――以前も、こんなふうに触れてくれる方がいた――

 彼女という存在を認めてくれるのが嬉しいと思っていた。

 ――「よかったね」と笑って、話を聴いてくれた方がいた――

 長い時間をかけて、計画は順調に進行する。


「さて、最後の虚構界潜行だ。先にいつものパーソナルシートで準備していてくれ」

 指示されたカルミアは一人用の解放感あるコックピット型の座席に乗り込む。

 皮膚や体内の熱から身体構造を読み取る機器が作動すると、最後にフェイスガードが彼女の顔を覆う。ガードには進行情報が投影されており、最終フェーズを告げていた。

「次に会った時は、赤気さんに好きだって伝えたいな」

 カルミアはそう呟くと、ゆっくり目を閉じた。


 コントロールルームでは、潜行のために赤気がシステムの調整していた。

「AI制御自立ロボットの防衛力と人間の同調意識レベルは強化。活動地域は局所にして……失敗がないように異端能力は無条件解放、と」

《全艦施設、パーソナルオペレーター及びエキストラの外機防衛システム最大出力》

《虚構界エキストラ思想同調レベルs。活動エリア範囲レベルA。セーフティモード全解除実行。最終フェーズAI制御オートスタイルに移行》

「ああ、そうだ。これだけは――これは君が自由になるために、必要なことなんだ」

《警告。接続済みのメインダイバーのメモリアルを一部消去するには、クライアントの指紋認証を行ってください》

「ごめんな。僕のことは忘れていいから――」

赤気は一瞬表情を曇らせたが、決意して認証画面に手のひらをかざす。


《報告。メインダイバーのメモリアル一部消去完了。改竄処理成功》

 二度と向かい合うことのないコントロールルームに背を向ける彼は、実験エリアの大穴に向かう。

 その場所は天と地が霞んで見えず、上下左右びっしりカプセルが並べられた空間が広がる。

 赤気は近くにあった空っぽのカプセルに乗り込む。

「人を呪わば穴二つ。懲吟師匠も嫌な役割をさせる。あの子はまだまだ利用価値があるから、消去法で僕が贄だもんな」

 カプセル装置の内側から伸びる酸素マスクを口元にかける。

 凹んだ肘置きに腕をすべり込ませると、熱を感知したのか大小複数のチューブが皮膚を突き刺した。

 赤気は久しく感じた不快感と痛みで顔を歪ませる。

「っう……麻酔しときゃよかった。まあ、さんざん他人をおもちゃにしてきたんだし、これくらいで弱音を漏らすのは彼らの忌諱に触れる」

(亡き同朋にも会えるんだ。こんな痛みはきっと最後)

 計画は難航を極め、軌道にのるまで十数年もかかった。

 そんななか、彼にとって突然やってきた彼女は唯一の光であり癒しだった。

 無機質なAIに問いかけても、集約された情報による回答はあっても、そこに意思はない。

 男は自己をもつ話相手がほしかったのだ。

 赤気は、最初こそは彼女はそこにいるだけでいいと思っていた。しかし、いつしか触れてみたいという恋慕に変わる。

 初めは儚げで奥底に秘めた凶気に畏怖していたが、徐々に明るくなっていく姿に幸福感を覚えていたのだ。心を許してくれたのか、ころころ表情を変える表情が眩しく、愛くるしい想い人。

 荒んで忘れかけていた喜怒哀楽を思い出させてくれたその少女を、世界を照らす太陽だと思い至る。

 『すがた』『かたち』に固執するのではなく、その魂に一方的に惹かれる。


 しかし、天命により、赤気は今からその意識を断絶しようとしていた。

 想いを伝えたところで彼は消えてしまうため、恋慕など彼女を困らせるだけなのだ。

 赤気は、以前カルミアが『罪』『罰』と言っていたことを思い出す。

 罪だの罰だというのなら、――あの日、目の前で形容しがたい無機質になった同朋を置いて逃げた自分も同罪だろうと鼻で笑う。

「最後に心残りができてしまったが、あの子を幸せにしてくれる人が必ず現われるさ――」


 クィビトックシステムの欠点は、潜行した者は実験対象を含めひとりしか生き残れないこと。

 それは全てを謀って、偽って、屠って勝ち残った強者――それは蠱毒に近かった。

《ID未承認。被験体を固有名により新規エントリーします》

 聞き慣れた合成音声に、赤気は朧ろげに目を開ける。

「ああ、名前か。あの子が朝を冠するなら、僕は――」


 人の生とは真面目に生きるほど困難で、正解を得るためいく度の荒浪あらなみを超えたとしても、いやが上にも、楔のように過去の間違いが水を差す。

 ならば終夜の夢の中だけは、希望に満ちて平穏でありたい。

 それが永遠の眠りであるならば、望むだけならば、いいだろう。


 装置内に、培養液が流し込まれる。少し粘度があるひんやりとしたそれは、足元から徐々に赤気の胴を、そして頭を覆っていく。

(これは逃避ではなく、償いであり精算だ)

 夢の中では幸せになろうと願った男は目を閉じた。


 それが仮初だったとしても、最後に『無』が待っていようとも――。

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