自殺代行
Between Places
自殺代行
「自殺ですか?」
慌てて振り返ると、1人の女性と目があった。
欄干に手を置いたまま思わずしゃがみこんだ私を見て、女性は急いで膝をつく。
「勘違いだったらすみません。つい…気になって」
誰でもいいから止めてほしいとは思っていた。
でもいざその誰かが目の前に現れると、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「大丈夫です。気にしないで…ください」
しかし私の顔を見て女性はきっぱりと言った。
「一緒に来てください。私、あなたを助けられると思うんです」
10分後。
2人はカフェで向かい合わせに座っていた。塾の帰りによく1人で行く、ありふれたチェーンのカフェ。なんだか少し拍子抜けした気分で、キャラメルラテをかき混ぜた。
「奢ってくれなくて良かったのに。私、もうお金要らないんです」
「そんなこと言わないで、付き合わせちゃったのは私だから。少し遅くなっても大丈夫?」
女性はスマートフォンの画面に目を落とした。
「今、19時だけど。遅くなると親御さんが心配するかな」
「親は仕事だから帰ってきません」
女性は少し困った顔をした。
「ごめんなさい。事情や理由を聞くために引き止めたんじゃないの。実は私も以前、自殺しようとしたことがあって。あなた、昔の私に似ているなって。」
自分とそう変わらない年齢に見えるが、その人は顔の幼さの割に大人の雰囲気を纏っていた。ゆっくりとコーヒーを飲み、笑いかけてくる。
「私は坂本優佳といいます。近くの会社に勤めていて、あそこの橋は普段からよく通るんです。間に合って本当によかった。」
「佐伯です。」
佐伯京子もつられて頭を下げる。
「私、実は人生を一度リセットしたの。"Junctions"っていう会社を知ってる?」
「人生をリセット?何の話ですか」
「そう思うよね。実は言葉通り、過去の自分を死んだことにして、新しい人生を生きられるサービスがあるの。」
坂本さんはスマートフォンの画面を見せた。
「別に私はここの営業ってわけじゃなくて、働いているのは別の会社よ。でも、私はこれで人生が変わったからあなたにも知ってほしくて。このまま死ぬのは本当にもったいない」
半信半疑だったが、佐伯は言われるがままサイトを開いた。一般社団法人Junctionsと書いてあるウェブサイトは、一見他の相談サイトと何ら変わりはない。きれいな海の写真の上に短いコンセプトが書かれている。
その下には、"まずは無料でご相談ください"の言葉と問い合わせフォーム。
確かに一度はもう終わりにすると決めた人生だ。ここで騙されてお金を取られても、後のことは関係ない。
坂本さんは親切にフォームの入力を手伝ってくれた。と言っても、必要なのは名前や住所、電話番号といった基本的なものだった。
「あとは連絡を待つだけ。面談で詳しく話を聞いて、そこで契約するかどうか決めればいいから」
IDが記載されたメールが届いたのを確認し、坂本さんはにっこりと笑った。
数日後、佐伯はJunctionsがある神田にいた。オフィスビルが立ち並ぶ路地をマップを頼りに進むと、タイル貼りの小さな建物にたどり着いた。エレベーターは2人も乗れないんじゃないかと思うほど狭く、途中で止まるかもと無駄に警戒してしまう。
5階でドアが開くと目の前が受付だった。観葉植物とソファが置かれていて、佐伯はなぜか小学校の校長室を思い出した。
「こんにちは、ご予約されてますか?」
1人の社員が執務室から出てきた。ガラスの奥では他にも数人が仕事をしている。
「あの、申し込みした佐伯です…」
名前を告げるとすぐ、お待ちしておりましたと個室に案内された。個室といっても、進路相談のとき先生に閉じ込められる面談室とは違ってかなり広い。間もなく1人の男性が部屋に入ってきた。
「いやー、暑い中ありがとうございます。松村です。」
白髪混じりの頭の汗を拭きつつ、名刺を差し出された。常ににこにこしているように見える、得した顔の持ち主だ。
「駅からちょっと遠いですからね、迷われませんでしたか」
佐伯は黙って頷く。先生以外の大人と一対一で話すのは初めてだ。
「まあまあ、緊張しなくて大丈夫ですよ。うちはよくある心の相談所ではなくてね。れっきとした国の公共サービスなんです。佐伯さんは利用する権利がありますからね。」
松村さんは身を乗り出した。
「今からウチの事業内容について詳しくお話しますけど、これは機密情報になります。つまり、人に話してはいけないんですね。そこで交換条件として、佐伯さんには自殺をしたいと思った理由と、実際に計画した時間、あとは場所も教えていただきたい。それと契約書へのサインね。もちろん佐伯さんは約束を破る人じゃないと思うんだけどね、冷やかしで来た人をはじく意味があるんですよ。もちろんウチにとっては、自殺防止のために非常に有益な情報にもなるんですが。どうされますか」
こんなにビジネスっぽく身の上話をすることになるとは思っていなかった。でも、松村さんはあくまで淡々と話を聞いてくれて、決して憐れんだような目で見なかった。
「ありがとうございます。よくわかりました。それではウチの事業の説明をさせていただきますね。」
松村さんは机の上にカラー印刷のチラシを広げた。
「“自殺代行“というものになります。自殺することなく、戸籍上のあなただけ死んだことにできる。あなたは名前を変えて、新しい生活を始められます。ただし、あなたの代わりに1人死にます」
松村さんは落ち着いた口調で続ける。
「びっくりしちゃうよね。でも死ぬのは、罪を犯した人です。国がとりわけ問題があると判断した犯罪者。その中であなたと年齢が近く、性別が同じ人が選ばれます。これはね、一見突拍子もなく聞こえるけれど、自殺者を救い、犯罪者も減らせる合理的な仕組みなんですよ。」
確かに松村さんの説明は明瞭だった。私が契約して人々を困らせる犯罪者が減るなら、むしろ国に貢献しているくらいだろう。犯罪者より私が生き延びた方がみんなにとって良いに決まってる。松村さんによると、名前を変えた後の住まいや仕事の手配はJunctionsがしてくれるという。さらに死んだ犯罪者に遺産があればそれも受け取ることができるらしい。
「サービスの利用料は、今後の収入に応じて少しずつ払っていけばすぐに払い終わる額なので心配要りませんよ。ウチはお金儲けの企業ではありませんし、中高生の利用者さんも多いですからね」
契約が終わってオフィスを出た頃には、もう生まれ変わった気分だった。
手続きは思ったよりシンプルだった。辺りはまだ明るい。
これからはすぐに殴ってくる親にも、無視してくるクラスメイトにも二度と会わなくていいのだ。やっと私の本当の人生が始まる。
2週間後。
明日は仙台に引っ越す日だ。Junctionsの支援は本当に手厚かった。何度もメールのやり取りをして、新しい家と仕事も決まった。もう何の不安もない。私の代わりに死んだ誰かにはちょっと申し訳ないけど、その人の分も生きよう。
何となくノスタルジックな気分になるために馴染みの場所をまわっていたら、もう夕方だった。そうだ、Junctionsにもお礼を言いに行こう。
松村さんは留守だったが、受付の人や契約後にカウンセリングをしてくれた人に1人ずつお礼を言った。何だか心まで入れ替わったような気がする。
エレベーターを降りると、外から話し声が聞こえた。
「…公共サービスだって聞いたんです。少しだけ話を聞いてみたいから、付き合っていただけないでしょうか?私も長居する気はないんですが…」
「あれ、坂本さん?何してるんですか?」
びくっとして坂本さんが私の方を向く。
「なんだよ、やっぱり詐欺じゃないか!!お前らどうせグルなんだろう!!まったく一緒に自殺しようとか言いやがって、裏で俺のことバカにしてたんだなこのクソ野郎が、二度と会うかよ!!」
叫んだのは坂本さんの隣にいる男性だった。顔を真っ赤にして私と坂本さんを睨むと、逃げるように立ち去った。
「あんた何してくれてんの。私のこの3ヶ月間の努力を返してよ」
坂本さんの声は怒りで震えていた。
「どういうことですか、自殺したい人のふりをしてたってこと…?」
「あのねえ、これは私の仕事なの。自殺志願者をここに連れて来ないと、私の首が飛ぶの!だから本当に邪魔しないで。大体なんであんたがここにいるのよ。もう契約は済んだはずでしょ?」
「だって、坂本さんJunctionsでは働いてないって…嘘ついたってことですか?私の自殺を止めたのも…」
「あれはたまたま見かけたから紹介しただけ」
混乱する私を見て坂本さんはため息をついた。
「いいわ、教えてあげる。あなた不思議に思わなかったの?自殺志願者と犯罪者の年齢や性別がどうして一致するのか。足りない分を補っているからよ。消したい犯罪者と同じ属性の自殺志願者を探す。連れてくる。契約させる。そうすると今度は犯罪者が足りなくなると思うでしょ?そうはならない。なぜなら自殺志願者は、契約した時点で人を殺した犯罪者になる。しかも自殺代行という国の極秘事業を知ってしまった犯罪者にね。あなたの名前もすでに犯罪者リストに載ってるわ。私はリストから外してもらう代わりに、自殺志願者兼犯罪者を連れてくる契約をしてるの。あなたも突然死にたくなければ、Junctionsに掛け合ってみたらどう」
坂本さんは夜に紛れて立ち去った。
自殺代行 Between Places @CAI_BwP
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