記憶の中の一番古い記憶

タキコ

 

 昭和20年から21年ごろの記憶だと思います。

 神戸三宮の駅の光景が、今も時折思い浮かびます。駅の階段を上がればプラットホームです。1階は広い範囲がコンクリートの床です。その場には空襲で家を焼かれ、住む家のない人が、ごろ寝して雨露をしのいでいました。人々がたくさんおり、大人たちの中に子どもたちも混ざっていました。

 そのときの私は4、5歳ごろですが、この光景を見て「私はまだ幸せだ」という思いが、自身の中に存在していたことを覚えています。

 そして駅前の広場では、片腕がない白い着物の男性が立ってアコウデオンを演奏していました。彼の前には寄付金を入れるための入れ物が置かれていました。男性は傷痍軍人なのです。

 また別の人は目が不自由なのか黒い眼鏡をかけて、手作りの台車に座り続けています。その日の糧を得るために座っているのだと思いますが、お金に限らず食べ物や衣類など、なんでも行き交う人が寄付をしていました。

 70年ぐらい経っていますが、未だに心の奥の思い出として引っかかっています。

 その後、あの人たちはどう暮らしたのでしょうか? その思い出があまりにも鮮烈だったせいか、70年ほど経過した今も、記憶の奥底から手繰って何度も思い返してしまうのです。

 私の人生でもいろいろなことが起こりましたが、この出来事が記憶の根っこにあります。自分の幸、不幸の原点として、この記憶が基準にあると思えてなりません。

 戦争は個人の責任とは関係なく、大変多くの人たちの人生を狂わせています。どんな価値観だったとしても変わらない不幸です。

 このように残念なことは、人が起こす最大の罪だと思います。


2019年3月1日

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