画期的な煙草増税

黒星★チーコ

🚬 クラシックの快い音楽と共に 🚬


 20XX年、この国では画期的な煙草税と煙草法の改定が行われた。


 それまでこの国では「煙草は悪・滅ぼすべきもの」という思想を持つ人が増え、嫌煙家が喫煙家の居場所を追いやること打ち寄せる大波の如く、喫煙家の肩身が狭いこと猫の額の如しであった。

 がしかし、この改定によりその流れがほんの少し和らいだと思われる。


 その理由のひとつは、間接的とは言え喫煙家は「自分の始末は自分でつける」羽目になったこと。

 もうひとつは、非喫煙者は喫煙者を「煙草を吸うヤツはまるで国家による実験のモルモットだ。可哀想にそこまでして吸いたいのかね」と憐れみの目で見るようになったことからだ。


 ◆◇◆


「おい鈴木、一服行こうぜ」

「おう」


 昼休み、同僚の佐藤に誘われ鈴木は立ち上がる。数十年前は仕事中に「煙草休憩」なるものを取っていた時代もあったらしいが、今はそんな事をすればただのサボりだ。当然勤務時間外にしか煙草は吸えない。


 ただ、それさえ以前は周りに許されなかった。煙草を吸えば服に臭いが付くが、それが臭すぎる!!……と、彼らの同僚――主にベテランの事務員の女性――が怒っていた。今の彼女は二人を「よく煙草なんて吸うわね」と呆れた目でチラリと見るだけで何も言いはしない。


 鈴木と佐藤は最寄りの「煙草屋」に向かう。煙草メーカーの大きなビルの一階にそれはある。昼休み後半の時間は混み合っていることもあるが、昼食を取る前に来たのでまだ煙草屋はすいていた。


 二人は入口の読み取り機に手の甲をかざした。煙草屋に入るにはマイクロチップの認証が必要だ。煙草増税を導入した当初は指紋や顔認証を使用していたのだが、兄弟や親子など、良く似た家族で顔認証を突破したり、他人の指紋を偽造したりして不正に煙草を吸う手口があったため、個人番号で識別するマイクロチップを手の甲に埋め込まなければならなくなったのだ。


「いつの世も、一部の馬鹿な人間のせいで全体が窮屈になるもんだな」


 鈴木はそう小さく呟くと、室内に用意されたプラスチック製のマスクを手に取る。それはひょっとこのお面に良く似た形状だった。佐藤もマスクを手に取り顔に着けながら鈴木に聞く。


「今の、何の話だ?」

「何でもない。さっさと吸おうぜ」


 二人は更に先に進む。そこには電話ボックスのような、密閉され透明で小さなブースが並んでいる。彼らはそれぞれのブースに入った。電話の代わりにコントロールパネルと、マスクをぴったり嵌めるための穴がある。穴の向こうには鉄のアームがワサワサと動き、大型空気清浄機の羽根が回る様子が見えている。


『ブース№02から会話申請があります。承認しますか?』


 鈴木のブースのコントロールパネルがそう訊いてくる。№02、つまり隣のブースに入った佐藤が鈴木と会話ができるように申請を送ったのだ。鈴木はそれを承認する。二人のブースはマイクとスピーカーでつながり、会話が可能になった。


 鈴木がマスクを穴に嵌めると、クラシックの快い音楽がブースの中に流れ出す。それに乗ってお約束のアナウンスも流れる。


『煙草は、肺がんをはじめとして多くのがんや疾患の要因となり得る場合があります。煙草の吸いすぎに注意し、節度を持って楽しみましょう……』


 この制度が導入された最初こそ、皆が「うへぇ」と思っていたアナウンスだが、今ではもう皆何も感じなくなるほど聞き慣れたものだ。鈴木も死んだ魚のような目でそれを聞き流す。そうしているとブースの外に設置されたアームが煙草を持ってきて、彼のマスクにある口に煙草を差し込んだ。次いで、別のアームがライターを持ってきて彼の煙草に火を点ける。彼はそのタイミングに合わせて息を吸い込んだ。


「ふう……」


 ブースの中のセンサーは鈴木をあらゆる面で監視している。彼が息を吐くタイミングに合わせて、アームが動き、煙草がマスクからさっと抜かれ、彼の吐いた煙はマスクの弁を通してブースの向こう側……つまり、鉄のアームと大型空気清浄機しか存在しない場所へ送られるのだ。それにより、ブース内には煙は入らず、吸う人の髪や衣服に臭いが付くこともない。


「ああ……やっぱり旨いなあ」


 鈴木がしみじみと言うと、隣の佐藤も返す。


「ホントだよ。これが解らないなんて人生損してるね」

「まあ、解らない奴らからすれば、俺たちの方が損してるって言いそうだけどな」

「ああ、確かに」


 二人は軽く笑うと、また紫煙をくゆらせた。まあ「紫煙を燻らす」なんていうハードボイルドな言葉が全く似合わない、ひょっとこマスクを着けてそれをブースの壁に嵌めた間抜けな状態なのだが。


 佐藤が煙草の一本を吸い終わると、アームが煙草の火を消して回収し、クラシックの音楽と共に別のアナウンスが流れる。


『佐藤太郎様、ただいまを持ちまして、貴方の生涯喫煙本数が5000本に到達致しました。従いまして喫煙リスクレベルが一段階上昇致します』

「げっ、もうそんなにか」


 佐藤が顔をしかめるが、機械の音声はそれには動じず淡々とアナウンスを続ける。


『次回からは、煙草の金額は一本150円に上がります。また、消費税が別途加算されます』

「うわ~、高ぇ……今までの1.5倍じゃん」


 煙草は全て一本ごとに販売され、その人のリスクレベルによって単価が変わる。そしてその場で吸うのみで持ち帰りは出来ない。だから安い内にまとめ買いをしておく方法も取れないのだ。代金はマイクロチップに刻まれた個人番号の口座から自動引き落としになる為、踏み倒しもできなくなっている。


「これ、更にレベルが上がると一本200円になるんだろ?」

「あぁ~、そうなったら流石に俺、禁煙するわ」


 佐藤はそう言いながらも、躊躇いなく手元のコントロールパネルを操作し、もう一本煙草を追加する。アームが新しい煙草を持ってきた。鈴木は透明なガラス越しにそれを見つめる。


「禁煙……俺は出来ないだろうなぁ」

「簡単だよ。煙草屋に近寄らなければ良いだけなんだから」


 この国で煙草税と煙草法の改定が行われて以降、受動喫煙を完全になくす為、そして喫煙本数と喫煙者の健康状態を厳重に管理する為、煙草は煙草屋以外では吸えなくなっている。勿論買うこともできない。国外から煙草を密輸入すれば重罪だ。

 それに、国外でも近い内に煙草を自由に吸えなくなるかもしれない。この国のシステムが評価され、他の国でも導入を検討しているらしいと聞く。


「そうかなぁ……こんなになっても吸ってるんだぜ」


 鈴木は己の手の甲をちらりと見た。煙草を吸う為だけにマイクロチップを埋め、その金額も支払いも吸った本数でさえ、全て政府のシステムに管理されている。それがイヤなら煙草を吸わなければいいのだ。だが今自分はこうしている。


 一本100円~という高額な価格は、殆どが煙草の原価ではなく煙草屋の建物や機械、システム管理料のほか、自分達の未来の医療費に充てられているそうだ。

 国民医療費が年々上がり財政がひっ迫する中、嫌煙家が「私達と喫煙者の医療費が同じなのは納得がいかない」と声を大にして叫んだ結果である。

 今は驚くことに煙草を吸うか吸わないかだけで、医療費の負担額や予算枠が彼らと完全に分けられてしまうのだ。あとから禁煙したところで、そこから10年は禁煙と健康状態を維持できないと非喫煙者の枠に入れて貰えないらしい。それで結局「それなら吸わないと損だ」と再び煙草を吸い出す人間もいるとか。


 これでは狭い箱に自ら入り、必死で煙を欲しがるモルモットだと揶揄されるのも致し方ない。


「……だってなぁ、旨いんだもん」


 自嘲しながら鈴木は煙草をもう一本追加した。

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