エピローグ


 心地よい夢を見ていた。


 寝返りをうっている間に内容は忘れてしまったけど、もう一度その夢へ帰りたいと思ったのは久しぶりだった。

 ぼやける頭が幸せに埋まっている。だがこちらも、現実の方もかなり心地よいと気づく。たぶん布団――温かさと心地よさが共にある。

 記憶が正しければ、加依や明日香とたいへんな目に遭ったが、二人とも無事だろうとは思っていた。


 目が覚めて映るのは、クリーム色の天井と、同じくクリームのカーテン。

 光の加減で間違えたが、よく見ると白色に近い。

 徐々に視野が広がり、右も左も入ってくる。


 ぼんやりとしていてここがどこか分からない中で、目が人影をとらえた。


「……、……?」


 何度かまばたきをするが、傍にいる人は変わらない。引き締まった体格に、どっしりと構える顔立ち。短く切りそろえられた髪。


 父親である岩倉雄二が卓也を見ている。


「えっと……」

「ここは病院だ。出血がひどかったらしい。一晩中、お前は寝ていた。命に別状はないと聞いていたから、そこまで心配してはなかったが」


 淡々と状況を教えられたが、認識が及ばずまばたきを繰り返した。足に違和感を感じて、そこに怪我をしていたと思い出す。部屋を見渡すが、同室にあるいくつかのベッドは空いている。窓から差し込んでくる光くらいしか気になるものがない。

 どうしても、視線が雄二に戻される。


「どうかしたか?」

「父さんがそばにいるのが意外で困ってる」

「……そんなに意外か。明日香と加依は入院に必要なものを買いに行っている。さっきまで付きっきりだったがな」


 雄二は腰をあげて椅子に座り直す。

 言葉遣いもそうだが、行動の一つが雄二らしくない。

 もっとも、『父親らしさ』自体が卓也のなかで定まっていないのだが。前世の記憶を取り戻してから、雄二とはまともに話をしていない気がする。

 最近では特に言い争いしかしていなかった。以前の雄二を思い出そうとしても、悲しいことにはっきりしない。


 加依をしっかり見ろと、雄二に激情した卓也だが、卓也もまた雄二を見ていなかったのだろうか。今までと違う欲求が湧いた。

 目が合うが、今までより緊張した空気にはならない。どちらかと言えば少し気まずい程度。すぐあとに雄二の目が閉じられた。


「間違っていたのは、私だった」


 意外すぎて、「え……」と漏れた。


「取り返しのつかないことにならないように、そう思っていたから加依を叩いた。何よりまず、盗みはいけないと教えたかった。同じことを繰り返して、加依が将来辛くなることだけは、絶対に避けたかった」

「……」

「叩いたことは決して間違えてないと思った。だが、お前に本気で怒られ、母さんにも本気で怒られ、加依が行方不明になって……間違っていたことに気が付いた。叩いたことで、加依はとても危険な目にあってしまった。加依を反省させるためだったとしても、それで反省できたとしても、あそこまで傷つける必要はどこにもなかった」


 目まで大きく開かせられた。

 父親は謝ることなどしないと考えていた。自分の価値観を押し付ける人だと思っていた。

 認識の齟齬に混乱が過ぎて、今度こそ声が出る。


「父さんは……」


 しかし、具体的な問いかけがまだできない。考えもせずに空気のかたまりを喉元にためていた。だから、思ったままを出すしかない。


「……そうだよね。加依のことが、大切だよね」

「子を愛さない親はいない」


 その言葉は、絶対ではない。

 だが雄二は断言した。迷いのない声だった。


「だったらどうして加依を叩いたの? だったらどうして……」


 それは、すでに答えられている問いだ。将来のため、と雄二は言った。

 あの時の拒絶が、卓也の中からまた出てしまっただけのこと。言うなれば怒りをまだ抑えられていないとも言えた。聞かずにいられなかった。


「父さんが、馬鹿だったからだ」

「……」

「もっと大切に、教えるということができていれば。しっかり話せていればこうはならなかった。……謝る以外にできることがない。お前にも本当に迷惑をかけた。……すまなかった」


 違和感をぬぐいきれないことが苦しい。


「わからない……。父さんはそんなにやさしい人だった?」

「過ちをして、優しいなどと言えるわけがない」


 卓也は静かに首を振る。


「でも、加依が大切だって、はっきり言える父さんは、たぶんきっと、優しいんだよ……」


 前世の父がそうだった。

 平手打ちをくらい、ケンカをして完全に無視をして、何年も口をきかないことすらあって、価値観の違いなんて当然あって。

 だけど、優しいのだ。引きこもった北川陽介を受け入れ、愛してくれていたから。

 胸のもやもやをどうすればいいのだろうか。ぎごちなさは積み重ねがなければ消えないだろう。

 そこまで思って、また新たに気づく。


(……別に、疑ってもいいのか)


 クズでも前向きなクズになる。

 あの時、そう決めたのだ。やることは一つに絞られる。

 雄二に騙されようと、ハメられようと、それを前提に動くくらいでいい。たとえ雄二とうまくいっていなかったとしても、だったら関係を変えるしかない。雄二とケンカした直後も、似たようなことを思っていた。


「父さんは、父親失格じゃない」


 強い口調が出たことに自分で驚いてしまうのは、発展途上である証拠。


「父さんはずっと、家族のために働いてくれていた」

「……それだけでは」

「なら、一生懸命働いてくれていた」


 明日香にもまったく同じことを言っている。親というのは、誰もがそう考えるのだろうか。


「テストのことで喧嘩した時、ひどいことを言った。本当にごめんなさい。仕事のことはよく分からないけど、でも辛いことがたくさんあると思う。それでもいつも頑張ってくれている。失格なんかじゃない。それは子供にも分かる」


 ずっと思ってきたことだ。だから、言い切れる。そもそもの話、職などなくても子供を受け入れてくれれば十分すぎる。であるならば、仕事をしている雄二がどれだけ凄いか。


「俺、父さんとケンカして決めたことがあるんだ」


 足を無視して、父親に向き直る自分がいる。


「まだ、しっかり分かってないんだけど、でも、いろいろと頑張るって決めた。家族のこととか、自分のこととか」

「……そうか」

「だから……これからも助けて。くやしいけど、俺は子供で弱いから。父さんに助けてもらわないと生きていけない」


 ここで目をそらし、頬をかいてしまう自分を、変えられるならいつか変えてみたい、と卓也は思う。


「……成長したな。誇らしいよ」


『中身で色々あったから』と、心の中で言う。


「母さんにもよく言われる。……加依のお兄ちゃんだからね」


 おどけた笑顔を雄二に見せたのも、初めてだった。

 加依のそばにいて、明日香と助け合って、雄二にたくさんぶつかって、新しい家族を作っていく。

 生きていれば嫌な事があり、気持ちは無敵でなく、嫌だと思うのが嫌な事だ。

 努力する決意が固くとも、止めてしまいたくなるのが努力だとも思う。

 それでも――かつてとは違う。

 胸の中で火が燃えている。


 とてとて、という表現があう小さな足音が聞こえた。

 どうやら、加依と明日香が戻ってきたらしい。


 病室のドアが開いた。


「――――あ……!」


 卓也と目が合った瞬間、加依が顔をぐしゃぐしゃにして飛びこんできた。

 本当に初めてみた妹の表情に、卓也は笑ってしまって、ぽかぽかした暖かなものに満たされていく。

 これからの未来に想いを馳せた。


 教えてもらった言葉がある。

 未来は分からない。だからこそ、やるのが面白い。面白いと思えないなら、面白いところに行けばいい。それでも面白くないならば、面白く感じるようになればいい。面白く感じられないならば、誰かに助けてと言えばいい。助けを呼べないというのなら、大切に想える人に出会えばいい。


 大丈夫。貴方は動けるよ。

 最初の最初――変わりたい、を望んでいる時点で。

 あなたは間違いなく、生きたがっている。



   ★



 それは夢の中。

 大切な大切な記憶の中。

 かつて、北川陽介は母親から言われた。


 ――もし、父さんと母さんが死んじゃったら陽介はどうする? あ、勘違いしないでよ。責めてるんじゃない。


 戸惑いながらも、陽介は適当な相槌をうつ。

 率直に言えば、「一人でいい」だ。

 恋なんて興味ない。恋をしたくないから結婚もしない。だから、自分を看取ってくれる人はいないだろう。さらに正直に言えば、どうだっていいと思ってる。自分の死を悲しむ人がいないんだったら、それはとても気楽と言える。

 だが、母は許してくれなかった。


 ――だめだよ。だって私たちは死んだ後も幽霊になってあなたのことを見守るから。


 そんな確証のないことを言われても困った。人は死んだらどうなるか。完全に消滅してしまえばいい。死んだ後も心をもつなど絶対にごめんだ。


 ――でも、可能性はあるでしょ? 死んだらどうなるかなんて分からないんだから。それでもって、幽霊になった私に陽介は自分の悲惨な人生をみせるつもり? そんなの嫌よ。


 本当に人が幽霊になるなら、自分が死んだ後、また親子で再開すればいい。そう提案したのだが、


 ――それもお断りね。それ一体何十年かかるの。あなたの苦しむ姿ばかりみていたら、どうにかなってしまう。最高最悪の親不孝をしないでちょうだい。


 ならどうしろっていうんだ。

 イライラしながら返事をすると、「決まっているでしょ」と、母はふんぞりかえった。


 ――どんなふうに進んでもいいから、私たちが死んだ後もあなたはちゃんと幸せになりなさい。私たちのことなんて忘れてもいいから、気楽に楽しく生きていきなさい。


 言葉を、覚えている。

 やっと思い出すことができた。



 ――私たちは、いつまでもちゃんと、あなたのことを見ているからね。






 ~fin~



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自己肯定感マイナス100のままもう一度地球に生まれ変わる。絶望してしまった男の子がやがて前へ進んでいく話。 静原認 @mitomu

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