第20話
【お前はバカか】
自分に似た声が耳元で聞こえて、卓也は跳ね起きる。見上げると、まったく同じ顔をした少年が、引き気味のジト目を向けてくる上に、口を曲がらせてため息をついていた。
「ここは……どこだ?」
【秋土山の頂上だよ。まわりを見れば分かるだろう。どこぞの主人公みたいに事が終わって気を失うとか呆れた】
暗闇にまみれている場所だが、確かに、光景は先ほどと変わらない。眺められる秋土市の街並みは光輝いている。
「加依と母さんは?」
【現実の世界で俺たち二人が同時に現れることなんてできるか。俺たちが会っている場所は、よくある精神世界的な何かだろうよ。二人とも本当はお前のそばにいる。怪我した足の手当を必死でやってくれてる】
「……そっか」
つっかえてた息を抜くと、先ほどよりも呆れた顔を向けられた。
【なに安心してる。今どれだけ二人に心配かけてると思ってるんだ。加依なんかずっと泣いてるぞ。同じ泣くでもさっきと全然違うことぐらい分かるよな? 本当に何が「絶対に転んだりしない」だ。お前は助けに来たんだよな? 何助けられる側にまわってんの、お前ほんとに何のためにここに――】
「まさか俺ここで死ぬとかないよな?」
もう一人の卓也は見ただろう。
卓也の表情が瞬間的にぶっとんだのを。
「いやそれは困る絶対に困る! そんなことになったらどれだけ加依を苦しめると思ってんだ! 手が砕けようが足が無くなろうが他の何を失ってもそれだけはダメだ! 俺の代わりにお前がこれから生きていくとかそういう展開でも全然構わないから頼むからそれだけはやめてくれ!」
バッドエンドにすらならない。駄作も駄作、悲劇もいいところ。足の痛みを完全に外へぶんなげて、つめよって、思い切り相手の肩をゆさぶった。
だが、目の前の自分が戸惑っているのが分かって、その表情が先に出るということは深刻な事態でないのだと分かり、ほっとしていく。
【……ま、大丈夫だろう。脈はしっかりあるし身体も冷たくない。すぐに父さんや警察がくるだろうし】
「ほんとに大丈夫だよな?」
【医者じゃないのに絶対の保証ができるか。俺とお前がまた話せた理由だって、分からないまま風化するだろう。もしかすればまた話せるかもしれないし、この会話が最後かもしれない。大切なのは今話せることだって言ってるだろ】
よく見ると、もう一人の卓也のズボンにもたくさんの泥が付いている。共にいたことを理解して、申し訳なくなった。
【しかし、よくもまぁ、ここまで変われたものだな】
頭をかきながらこちらを眺めてくる彼は、感慨深そうに言う。
「俺が変わった? どこが?」
【ボケているのか? 明らかだろう。だってお前、一週間前まで「死にたい」って言ってたのに、今じゃ「絶対に死にたくない」だ。変わりすぎにもほどがある】
「それは何というか、前世の俺だって両親のために死ねないと思っていたし、つまりそれはいつものことで、他人が悲しむんだったら、そりゃ死にたくないって……」
【ああ言えばこう言う……。前世の頃はそこまでしっかり断言していなかったし、家族の笑顔を見たいなんて一回も言わなかったし、何より以前のお前なら「手足が無くなっても生きたい」とまで言わない。お前はあれだな。単純なんだ。心が弱い分、他の人の影響を受けやすい。きっかけがあればころっと変わるんだ】
いつのまにか、近すぎず遠すぎない距離で話している。
「……確かにそうだとしても、単純だからだけじゃなくて……、加依の言葉は本当にかけがえのないものだった。自分のことだけで判断するものじゃない」
【そうかもな……】と小さく返ってきた。
「現実で、お前の【声】もほとんど聞こえなくなっていた。お前は苦しまずに済んでいたということか?」
【かもしれない。お前は今回のことでたくさん失敗したと思っているんだろうが、加依を助けようと奮闘したり、父親と大喧嘩したり、お前の今までにない本気が伝わった。ありていに言えば、それなりにマシだった】
「……そう」
負っていたものを少し下ろせた気がして、力が緩んだ。
だが、もう一人の卓也はすぐに張りのある声を出す。
【でも、やっぱり大切なのはこれからだ。加依の目先の問題もあるし、お前の『理想の自分』のこともある。加依に笑ってもらうことが一番の願いで、これからも力になろうと思ってはいるが、逆にそれだけで終わるつもりもないはずだ】
はっきりと頷く。かつて抱いた決意は簡単には消えない。こうして聞かれた時に即答するほどには。
【岩倉卓也の願いはまだ曖昧だ。『しあわせになりたい』ってだけだ。それでも、俺たちは努力しないといけない。辛いからって塞ぎこんでしまえば、また逆戻りなんだから】
「分かってる。最後のチャンスは続いている」
【そうやって努力していくうちに、俺たちの中に確かな糧が積み重なっていく。前世の頃とはまた別の方向に成長できるんだと思う】
「この先には、何かがあると思うか?」
【分からない。分からないんだよ。ただ、未来で成長するうちにお前が強くなって、ちゃんと自分を認められるようになって、いつの日か自分をクズだと蔑ろにしなくなったらなら、その時のお前はきっと幸せなんじゃないか?】
本当にそうなったなら、と考える。
心から笑顔をうかべるということは、両親の死を忘れることになってしまうのだろうか。
いや、そうではない。両親のことも全部受け入れて、最後に笑うのが目標になってくるはずだ。
「……なぁ、卓也」
初めて、彼を卓也と呼んだ。
「卓也は、何か願いとかあるのか?」
【どういう意味だ】
「お前も、生きているんだろう。そして、身体と理性は違う。俺のことばかりじゃ不公平だ。願いがあるなら聞いておきたい」
【叶えるつもりか? やめておけ。その願いがお前と相反するものだったらどうする?】
「そうとは思えないが……もしそうだっとしても真剣に向き合う。結局俺だから、確約はしないが、お前が俺に告げるのは自由だ」
【なぜ俺を想う。加依のことを考えられるようになったからか】
「違うだろう」
こちらが諭している不思議さに、卓也は僅かにニヤついてしまった。
「これは、自分をほんの少し好きになれた証明だ。言うだけ言えよ。不可能な願いじゃないことは何となく分かる」
【……ドラマじゃないんだ。岩倉卓也は格好悪い人間だ。だから大層な願いじゃない。聞いたからといって「ふーん」で終わる。俺の言葉はお前を打たない。強く叶えたい願いでもない。中途半端な人間である俺の願いを、話す理由が見つからない】
「いいから答えてくれ。なんで日和るんだよ。俺に裏意味を読み取る力を期待するな」
はぁ、と息をつかれる。一呼吸おきたいと思うほどには思い入れのある『抱き』なはず。低く見るつもりなどない。対象が蔑ろにしている岩倉卓也だとしても。
直後、彼は言ってくれた。
卓也に染み込んでいく。
「俺の願いは――結婚して家庭をもつことだ」
「……………………そう、なのか?」
【たいそうな願いじゃない。なぜ驚く】
「いや、岩倉卓也なら分かるだろう。俺は引きこもりで他人に気を張り巡らせてばかりで、一人が好きで……」
【そうだ。正直俺たちは一人を望む。傷つくのが嫌いで、楽でいたい。パートナーなんていたら心が疲れる】
「ならどうして? 『身体としての意思』なんだろう?」
【肉体としての本能みたいなものだ。結婚して子供を作って幸せになりたい。たまにだけど、恋焦がれる時がある】
「……えっと」
【だから言ってんだろうが。相反するって。立派に掲げたいものじゃないんだよ。性的欲求と言われればそれまでだ。ただ、それが幸福を感じる一要素なだけ】
肩をすくめながら笑う彼の姿がある。
【気にするな。もし遠い将来その気になったらでいい。まったく気を遣わない相手ができたら、それでいて好きになれたなら、そういう関係を考えてくれればいい】
この瞬間、自分と自分の間にある隙間に気づいてしまった。
その状態が続くことを、卓也は気に入らない思った。
「……とりあえず、言いたいことができた。いつか必ず俺たちはもう一度会う。こんな終わり方は認めない。本当にお前が家庭を作ることを望むなら、俺はその方向を視界に入れることぐらいはする。無理だと言い訳して捨ててしまえば、過去となんら変わらない。そんなことあってたまるか」
【……分かるぞ。それ本心じゃないだろう。結婚なんて嫌だろう】
「だとしても」
誤魔化しは効かない。芯の通った感情でないことも筒抜けだ。
だけど、『変わりたい』だけは嘘ではない。
「自分を認められるようになったなら、考え方はくるっと変わるかもしれない。俺は単純だ。お前がそう言ったんだ。未来がどうなるかなんて分からないとも言った。だから、いつか俺が強くなれた時に、改めてお前と俺自身に聞くよ。どうなりたいかを」
生まれ変わりが起きてしまうくらいだ。先は未知数だと知った。
これも誓いだ。
「あー、なんだろ。他人には聞かせられない会話をたくさんしてしまった」
【恥ずかしがるなら、お前はまだ幼いということだ。結婚したいと思うのは誇るべきことらしいぞ】
「分かってるよ。……たぶん」
自分たちの会話がいつ終わってしまったのか、後の卓也ははっきりと覚えていない。
しかし、何を話したのかだけは忘れずに胸に残る。いつか人生を謳歌した最後に振り返ることになるだろう。
恥ずかしくても、嫌な振り返りになったとしても、『それだけ』ではない。外せない思い出になる。
ここでの語り合いはきっと、卓也の根幹になる。
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