第8話 罪を犯した女

「氷見君って、そうやってぼーっとしてるといつもよりかっこよく見えるね」


「そういうのいいから」


 バイトが終わり、更科さんとの待ち合わせ場所である駅前で虚空を見つめていたら更科さんがいきなりそんなことを言ってきた。


 お世辞なのはわかっているけど、実際知らない女の人に声をかけられるのはたまにある。


「あ、でもさっきは『彼女いるんで』が使えたよ」


「直近で声をかけられてた」


 更科さんを待っている五分ぐらいの間で声をかけられるとは思わなかったけど、それのおかげでいつもは長々と拘束されるのにすぐに解放された。


「更科さんのおかげだよ」


「氷見君って学校では告白されないの?」


「……ないね」


「あるな。違う、直接は来ないで手紙を下駄箱とかに入れられるけど、内容だけ読んで行かないな」


 全て当たっていて純粋に驚いた。


 確かに俺の下駄箱や机の引き出しには手紙や何かの箱が入っていることがある。


「私のはなんで読んで、しかも来てくれたの?」


「更科さんのは普通だったから?」


「どういうこと?」


「好きですとか書いてあるやつってさ、基本的にどこかにハートがあるんだよ」


 封をしたシールや手紙を入れた封筒。


 手紙だけの場合はその手紙自体がハート柄だったりする。


「だからハートがないのは読むようにしてる。もしかしたら大事な用かもしれないから」


「告白は大事な用じゃないの?」


「俺に本気で告白する人なんていないでしょ」


 もしも本気だったとしても、俺以外の人の方がいいに決まっている。


 それにもし告白を受けたとしても、見ず知らずの人と本気で付き合う気はない。


「それだと、氷見君に告白しようとしていた人によく思われないだろうね」


「まぁ傍から見たら顔も性格もいいことで有名な更科さんと付き合ってるからね」


「言い過ぎだけど、そういうことではある」


 どっちみち俺がよく思われないのはわかってたことだから今更考えたところで仕方ない。


「そんなことはどうでもいいから早く行こ」


「どうでもいいのは話がだよね。私がじゃないよね?」


「それもどうでもいい」


 慌てる更科さんを無視して俺は歩き出す。


 そして家に着くまでの間、ずっと更科さんは「ねぇ、どっち? ねぇ」と引かなかった。




「ねえってば」


「俺が更科さんのことをどうでもいいなんて言う訳ないでしょ」


「急に答えないでよ。心臓に悪い」


 散々聞いておいてそれはなんなのか。


 家に着いたからずっとそのままだと姉さんからも質問攻めに遭うから答えたのに。


「あ、ここなの?」


「そう、多分光莉も居るだろうけど」


 休みの日に居ないことの方が少ない光莉だが、昨日は泊まっていかなかったし、居るかはまだわからない。


 居るんだろうけど。


「さっき姉さんから少し遅れるって連絡きてたからちょっと待つことになるのだけは伝えとく」


「年頃の男女が一つ屋根の下?」


「嫌なら外で待つ?」


「氷見君が変なことをするなんて微塵も思えないから大丈夫」


 それはそれで大丈夫ではない気がするが。


 信頼されているということにしておく。


「まぁいいや。入ろ──」


「おかえりいっくん。お姉ちゃんにする? ゆーちゃんにする? それとも、わ──」


 扉を開けたら光莉が正座で待っていたので何をするのか少し見ていたら、ちょっと見ていられなくなったので思わず扉を閉じてしまった。


「やっぱり光莉さんとそういう関係だったの?」


「更科さん、そういうめんどくさい絡みは好きじゃない」


「私は光莉さんにああいうことをさせてる氷見君でも大丈夫だからね」


 冗談なのはわかるけど、顔が真面目すぎて冗談じゃないように見えてしまう。


(冗談なんだよな?)


「冗談はさておき、もう一回開けたら何か違うの聞けたりするの?」


「え? あぁ……知らない。次は修羅場展開とかきろうだけど」


「修羅場展開?」


 百聞は一見にしかずだ。


 俺はもう一度扉を開ける。


「ちょっとその女誰? まさか浮気なの? 私っていう女がいながら他の女と遊んでるなんて」


「ヤンデレ風」


「私とは遊びだったの? ねぇ、私はあなたを沢山愛してたのにあなたは裏切るの? 何とか言ってよ、私の愛は足りなかった? もっとずっと愛せばいいの?」


「地雷風」


「私にはあなたしかいないの、あなたに捨てられたら私死んじゃうよ? ねぇ私のことをどうしたら愛してくれる? 私はあなたに何をすれば捨てられずに済むの?」


「最後に駄々っ子」


「やーだー、いっくんは私のことだけ見てればいいのー。なんで私以外の女の子と一緒に帰って来るのー」


「うん、可愛いぞ」


 これにて光莉劇場終了だ。


 頑張った光莉の頭を撫でてねぎらう。


「えっと、今のは?」


「なんか光莉が茶番やりたそうだったからリクエスト出した」


「光莉さんは色々と大丈夫なの?」


「いっくんに可愛いって言ってもらえるならなんでもするよ?」


「なんか、二人ともすごい……」


 更科さんに多分引かれた。


「別にいつもやってる訳じゃないからね?」


「うん、いっくんたまにしか相手してくれないから」


「毎回そんな対応力を求めるな」


 実際俺はリクエストを出してるだけで俺に苦労はないのだけど、相手をするのがめんどくさい日だってある。


 むしろ素通りの日の方が多い。


「裸エプロンの時は絶対に相手してくれないよね」


「目のやり場に困るんだよ。姉さんも真似したがるしで、ほんとにやめて」


 光莉のように可愛い子が裸エプロンで待っていてくれるなんて、普通は喜ぶのだろうけど、姉さんに悪影響だからやめて欲しい。


「てかそろそろ上がりたいんだが?」


「いっくん、お客様を玄関に放置なんて失礼だよ」


「よし、光莉後で説教」


「ゆーちゃぁん、いっくんがいじめるよぉ」


 光莉が更科さんに飛びつく。


「えっと、氷見君、程々にね」


「更科さんを困らすな。とりあえず上がって」


 俺はそう言って靴を脱ぎ洗面所に向かう。


 手洗いうがいを済ませていると、光莉の案内で更科さんもやってきた。


「いっくんが使ったコップ!」


「お前は必要ないだろ」


 光莉が猫のように素早い動きで手を伸ばすので、その手を叩いて落とす。


「痛い、暴力だ、ハラスメントだ、ドメスティックなバイオレンスだ」


「その思いついた言葉を並べるのやめとけ。馬鹿に見えるから」


「言葉の暴力。それもハラスメントだよ」


 ちょっと相手をするのが面倒になってきたので、光莉の頬を軽くつねり更科さんを洗面台に向かわせた。


「氷見君の使ったコップ……」


(お前もか)


 まぁ単なるでもないけど、同級生の使ったコップを使うのは俺も嫌だ。


 光莉のなら気にしないが、特に関わりの深い相手でもないなら使いたくはない。


「俺と光莉は出てくから、コップ使わないでやればいいよ」


「えっと……、そうですね。見られるのは恥ずかしいので」


「ん、行くぞ」


「ふぁーい」


 光莉の頬をつねったまま俺と光莉は洗面所を出た。


「更科さんずるい」


「何がだよ」


 つねるのをやめると、光莉が頬を膨らませて俺にジト目を向けてくる。


「いっくんと関節キス出来るんだよ?」


「したくないだろうから俺達が出たんだろ」


「違うよ。ほんとは使いたいけど、本人の前で使うのが恥ずかしかったの」


 そんな訳がない。


 更科さんにとって俺はただの共犯者なのだから。


「私とお姉ちゃんだけの特権だったのに」


「そういう使いづらくなること言うのやめてくれる?」


「あれぇ、意識しちゃうのかなぁ?」


 すごいうざい顔をされたので光莉の頬を両手でつまむ。


 意識しない方が難しい。


 光莉とは兄妹のような関係だけど、それでも本当の兄妹ではないのだから。


「姉さんと気まずくなったらどうするんだよ」


「わらひは?」


「なるのか?」


「やら」


 答えにはなってないけど、それが俺の答えでもある。


 光莉とはこれからも仲良くしていきたい。


 その為に変な波は立てたくない。


「あの、終わりました」


 更科さんが洗面所から出てきたので話は終わる。


 だけどそれ以上に気になることがある。


「顔赤いけど大丈夫?」


「へ、平気です」


 いきなり更科さんの額に触るのもはばかれるので、光莉の手を掴んで更科さんの額に当てる。


「どう?」


「ギルティ」


「どういうことだよ」


 光莉から謎のジト目を向けられた更科さんはサッと目を逸らした。


 光莉の反応から熱がある訳でもなさそうなのでとりあえずは一安心だ。


 そして俺達は姉さんが帰って来るまでリビングで待つことにした。

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