第5話 幼なじみへの言い訳
「あ」
姉さんのお弁当に
「そういえば執拗に氷見君とのことを聞いてくる人がいましたけど、知り合い?」
「俺の知り合いは更科さん抜いたらこの学校に二人しかいないけど、男と女のどっち?」
「女子で、すごい怖かった」
「それは雰囲気が?」
更科さんが頷いて答える。
それなら知らない。
少なくとも俺の知り合いの女子はふわふわしている。
「とっても可愛くて、小動物みたいな子だった」
「背が小さくて、髪の方が長いんじゃないかって奴?」
「そう、やっぱり知り合い?」
よく知っている奴にそんなのがいる。
昔、髪の長いのと短いのでどっちの方が好きか聞かれて適当に「長い方」と答えたら、それからずっと伸ばし続けている奴が。
「世の中には似ている人が三人はいるって言うし、別人かもしれないけど」
「ちなみに名前は
「同姓同名の可能性もあるし」
「うちの学年に同姓同名はいないよ」
さすがは更科さんだ。
俺と違って同学年の名前をなんとなくなら覚えているらしい。
なんて現実逃避をしている場合ではない。
「えっと、その子は怒ってたってこと?」
「多分だけど」
それは相当にやばい。
薮 光莉を怒らせるとどうなるか、それを一番知っているのは俺だ。
「氷見君、大丈夫? すごい汗」
「姉さんのお弁当が喉を通らないぐらいにはやばい」
「どのぐらい大変なのかはわからないけど、多分相当大変なことだよね?」
俺が姉さんの作ったものを残すなんて、あの日以来だ。
「とにかく俺は謝らないと」
「誰に?」
(人生二度目の背筋が凍る体験)
とても低いが幼さの残る声。
その声の主はわかっているが、身体が動かない。
「仲良くお昼ご飯? ずっと待ってた私を置いて」
「言い訳はさせていただけますか?」
「それはお姉ちゃんの前でも言える?」
「もちろんだ。だから姉さんに嘘を言うのだけはやめてくれ」
前に光莉を怒らせた時は姉さんにあることないことではなく、ないことだけを話して説明に苦労した。
姉さんに許されるまでに二日かかった。
「嘘? あれはいっくんが先に嘘ついたんでしょ? だから私はお返ししただけ」
「俺はお前と付き合わないって言っただけだろ」
確かに小さい時に結婚の約束はした。
だけど幼稚園の時の話を中学生になってまで言われるとは思わなかった。
「そもそも私のは嘘じゃないもん」
「俺とは遊びの関係とか言ってたろ」
「いっくんがそう言ったんじゃん」
「俺が言ったのは『遊べるような仲なのはお前だけ』だろ」
俺には友達なんていない。
だから一緒に遊ぶ相手は光莉だけだ。
「私と結婚するって言った!」
「だからそれは幼稚園の時の約束で、今決めるのはまだ早いって言ったろ」
「だから待ってたのに、その人と付き合った……」
光莉の声がだんだん小さくなり、涙を流し始めた。
「いっくんを信じたのに、信じた結果がこれなの? 私にはいっくんしかいないのに……」
光莉はクラスで浮いている。
見た目も言動も幼く、俺にいつもくっついているから女子からの印象が悪い。
「まったく」
俺はお弁当箱を置いて光莉に近づく。
そして光莉の涙をハンカチで拭う。
「説明しなくてごめん。光莉なら言わなくても理解してくれるって自分勝手なこと思ってた。そうだよな、ちゃんと伝えなきゃわかんないよな」
光莉の頭を優しく撫でる。
「更科さんとは利害の一致で一緒にいるだけなんだよ。光莉ならわかるだろ?」
「それなら私で良かったじゃん」
光莉が俺の胸に顔を埋めながら言う。
「光莉にはまだって言ったろ。その時が来たら俺から言うよ」
「ほんとに?」
「俺が嘘ついたことあるか?」
「結婚しないって言った」
「しないとは言ってない、まだって言っただけ」
俺がそう言うと光莉が「じゃあない」といつもの声で俺に抱きついた。
「それでどこまで知ってた?」
「えー、何も知らなかったよ?」
光莉がコテンと首を傾げながら言う。
(可愛く言えば許されるなんて姉さんが言うから)
姉さんの入れ知恵のせいで、俺は光莉に勝てた試しがない。
「少なくとも俺と更科さんが本当に付き合ってないことは知ってたろ」
「私のこと信用してないの……?」
光莉が目をウルウルさせながら言う。
「可愛く言っても今回は負けないからな。お前絶対に帰らないで見てたろ」
「別にいっくんを追いかけて楽しそうに話してるのを覗き見して、二人で仲良く帰るところも追いかけてたりしないよ?」
「そこまで見てたら大体わかってたろ」
「だってフリだったとしても嫌だったんだもん」
それはわからなくもない。
俺だって姉さんと光莉が同じことをしたら嫌だ。
「埋め合わせはする。俺の出来る範囲でならなんでも言うことを聞く」
「じゃあ結婚」
「年齢的に出来ない」
「ぶー。じゃあ結婚を前提にお付き合い」
「それも昨日までなら出来たけど、もう出来ない」
たとえフリでも更科さんとの約束がある。
それを無視して光莉とは付き合えない。
「じゃあ一緒に寝てくれればいいよ」
「そんなのでいいのか?」
「いっくんがいっくんで私は嬉しい」
光莉はそう言ってまた俺に抱きつく。
「よし、更科ちゃん」
光莉が俺に抱きつきながら更科さんに指を指す。
「人に指を指すな」
「ごめんなさい」
光莉は伸ばした腕を戻す。
「んとね、私と勝負だよ。負けないから」
「えっと、はい」
「光莉、一緒にお昼食べるならお弁当箱持ってこい」
これ以上更科さんにめんどくさいことを言われるのも困るので、光莉を一旦どこかにやりたい。
「……私がいないからっていちゃいちゃしたら駄目だよ」
「いいから行け」
光莉が少し拗ねたようにして駆け出した。
「あいつは……」
「あの……」
更科さんが不安そうな顔で俺を見てくる。
「気にしないでいいからね」
「いや、でも。あんなに好意を向けてくれてる薮さんがいるのに、私と付き合うフリをして本当に良かったの?」
「あれは好意とかじゃないよ」
光莉の言う「好き」は好意ではなく義務感だ。
「光莉さ、あんな性格だから色々と言われるんだよ。だから友達もいない」
俺も似ているから光莉と仲良くなれたのだろうけど。
「昔は結構気にしてたんだけどさ、姉さんと出会って変わったんだよ」
姉さんのおかげで光莉は光莉でいられた。
「だから姉さんへの感謝の気持ちから俺に好意を抱いてる設定にしてるんだよ」
「……なるほど、つまり氷見君は愚か者ってことだね」
「なんでそうなるんだ」
更科さんはため息をついてお弁当を食べ直す。
「それだけじゃないよね」
更科さんがゴクンと飲み込んでから俺に視線を向ける。
「何が?」
「今の話を聞いて思ったんだけど、薮さんに友達を作りたかったんじゃない?」
「なんでそう思う?」
「なんとなくね」
確かにそういう思惑がなかったと言えば嘘になる。
更科さんが安全だと思えたから俺も更科さんの提案を受け入れた訳だし。
安全なら光莉と会わせても大丈夫だと思った。
「ちょっと嫉妬」
「何に対して」
「教えなーい」
更科さんはもうそれ以上話すことはないとお弁当を食べ始めた。
仕方ないので俺も隣でお弁当を食べ始める。
少しして戻ってきた光莉が最初は更科さんを威嚇していたが、一分も経たないうちに仲良く談笑していた。
光莉に心を許せる相手が出来て、嬉しいような寂しいような気持ちになりながらも、姉さんの作ってくれたお弁当を食べ進めた。
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