読みやすい文章
読みやすい文章とは……?
はっきり言います。
読みやすい文章を一概に定義することはできません。
なぜならそれは「読み手」に依存する要素だからです。
例えば
・明治~昭和中期ごろの文学が好きな人
・ライトノベルしか読んだことのない人
この二人が「読みやすいと感じる文章」を
なので、「読みやすい文章を書きたい」って人は、読みやすい文章とは何か? なんて哲学的な沈思に
違うんですよ。
小学校の国語の教科書が段階を踏んで難しくなっていくのをみれば分かる通り、「読み手に合わせて」カスタマイズしていかなくちゃならないんですよ。だから「漢字は極力開くべき」とかいうわかるんだかわかんねーんだかよくわかんない主張が大手を振ってまかり通っているのを見るとちゃんちゃらおかしくてしょうがない。漢字なんてね、どうだっていい。読めれば。いや、読めなくたって極論構わない。
意味が通じるか否かっていう点はほんのり考えるべきだと思いますが。けれど、それも結局、「どういう読者を想定しているか」ってのが作者の中ではっきりしてないと、どう表現するか・言い換えるか、が決まらないと思うんですね。わかりやすく言うと表現がブレます。平易な表現の中で突然のマイナー四字熟語、とか出てこられても困りますよね。
私もカクヨムでかつて数百作品は読みました。アカウント作り直してからはまだ数十ですが。で、わかったのは、
人気作品=文章上手い ……わけではないということ。
ぶっちゃけいえば「下手」まである。私の視点でいえば「小学生か?」と思うような文章の作品が上位にいたりもします。上記に挙げた「文章ルール」の「ぶの字」も知らん、けしからん作品(笑)が上位にいたりするのが現実です。まぁ、私としては面白くはないんですけどね(笑)
でもそれには「ニーズが有る」んですよ。ランキング上位にいる(かつ「い続けられる」)作品ってのは、必ずそこにニーズがあるってこと。文章ルールがどうのじゃないんですね。もっといえば「読みやすい文章が何か」なんて考えてない。そしてそれはとりもなおさず、「読者は読みやすい文章を求めていない」、さらにもっと言えば「読者は読みやすい文章が何かなんてそもそも知らない」ということです。
書き手=読者であるにしても同様です。書き手(作者)が思うよりも、読者は「文章の書き方・ルール」に対しては非常に寛容です。意識する人はごくごく少数だと肌感覚では感じています。
というか、読み慣れた人なら、多少難しい漢字や表現があっても力技で突き進みます。いちいち立ち止まったり調べたりしません。読み慣れてない人も実は同様です。知らない語彙が登場してもするっと目を滑らせて次にいきます。読者は作者の
実はこれ、私みたいな文学畑の人(専門は英文学ですが)でも同様なのです。私は書き手期間が非常に長かった(四半世紀~カウントによっては30年以上)こともあって、文法・文章ルールには特に自分に対してうるさい人です。が、他人の文章はどうあっても気になりません。物語がその体裁を
正直にいえば「読みやすい」「読みにくい」はあります。人によって。私が手放しで「うまいなー」と感じる人ももちろんいますし、逆も
しかしそれは文章の
わかりやすく(ふわっと)区別すると、
・2010-20年代のラノベしか読んできてない人
・東野圭吾をメインに読んできた人
・大正文学スキー
(*あくまで例です)
の3人がいるとして、私が「読みやすい」と感じるのは、圧倒的に「東野圭吾の人」です。
文章の平易性でいえば、「ラノベの人」が一番になるんですけど、平易である=読みやすい、にはならないのです。少なくとも私にとって。少なくともここに一人そういう人がいる――この事実が重要です。
というわけで、この時点で「文章は誰が読んでもわかりやすく」とかいう定義がいかに曖昧で言葉遊び的で愚かなものなのかがわかると思います。そんなものねぇよ。
となると大事なのは「誰にとって読みやすい文章を書けるか or 書くか」ってことになります。たとえば私の場合は「ある程度
*誤解なきように言っておきますけど、ライトノベルレーベルから出ている作品の全てが「平易」というわけではないです。私の友人も(カクヨムに限って言っても)十名以上もラノベとして書籍化していますが、皆それぞれクセのあるいい感じの文章を操る人です。ので、もっとざっくりと「ラノベっぽい」イメージで想像していただければ。
そんな具合に、とにかく「誰に読ませるか」「誰に読んでほしいか」を想定しないと、「読みやすい文章」とか「良い文章」とかそういう定義には絶対に進めません。
作者的に言えば「どんな人にも(普遍的に)読んでもらいたい」っていう意思があると思います。私にもあります。が、その結果としていろんな人達にとって『帯に短し襷に長し』となってしまうことが起こり得ます。それでは誰も幸せにならない。
ので――実際にはどんな層の読者さんがつくかは蓋を開けなければわかりませんが――、まずは物語を作る段階で「どんな読者層(年齢や性別というより読書経験・読書
その上で、「その読者層に於ける読みやすさ」を考えないと、結局結論の無い一人議論になってしまいますね。
と、ここまで書いてきてアレなんですが、作者の文章には何らかクセがあります。その由来は読書経験だったりすることが多いと思いますが、そのクセを払拭するのは非常に難しい。古典文学スキーがいきなりラノベの文法を踏まえられるかというと(一部の天才を除けば)不可能でしょう。滲み出ちゃうんですんね。それが「その作者の味」になるわけですが、「味」として認知されるのは書籍化して更に有名になった後、という(笑) 基本的には新しい書き方をしようとする時には、この「味?」は足枷になります。
味を活かすか、それとも吹っ切って殺して新しい味を身につけるかは判断の分かれるところと思います。しかし、活かすも殺すも、「まず自分の味って何?」を知らなければお話になりません。敵を知り己を知れば百戦殆うからず――なんて言いますけど、結局自分の「
で、更に今までの部分をぶち壊すこと言いますけど、
魅力的な物語>>>>>>>>>文章
というわけです。
魅力的な物語を「更に魅力的にする」ファクターとして文章の洗練はあるにしても、「そこまで魅力的ではない物語」を「魅力的な物語にする」ファクターとしては文章はそんなに働かないと私は考えています。
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まとめると
「読みやすい文章」とは:
■「作者」が己の「味」を知った上で、「読者」のスコープを限定し、そのスコープに応じてその「味」をカスタマイズできている文章■
と言えると思います。
まずは自分の文章の「味(特徴)」を知ること。
まだ無味だというのなら「どの方向の味を持ちたいか」を考えて勉強すること。
この辺が重要なんじゃないでしょうか。
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「文章ルール」なんて書籍化したら(多分)直されるんだし、「良い文章とは何か」で悩んでいる人は特に、今はそこにこだわっている場合じゃないと思うんですよ。ただ、「己を知る」のは大事なので分析はやっときましょうねというお話でした。
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カクヨムコン9出てます。
文章力は高い方です(笑) 物語力についてはご判断はおまかせします。
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