美味も喉三寸

三鹿ショート

美味も喉三寸

 激痛に顔を歪めた人間の叫び声を聞いているときが、最も幸福な時間である。

 だが、その時間が長く続くことはない。

 ゆえに、私は何度も罪を重ねた。

 他の人間は、美味なる食事を口にしたときや、好意を抱いている相手と過ごすことなどに対して幸福を感ずるようだが、私の場合は、罪を犯さなければならない。

 これは、何とも不公平な話である。

 自身を正当化しているわけではなく、私もそのような些事に幸福を感ずることができるようになれば、それで構わなかった。

 ただ、それが現実と化すことはない。


***


 山奥に自動車を駐め、その車中で私は愉しむようにしていた。

 邪魔者は存在せず、私は眼前の女性と濃密な時間を過ごすことができていたのだが、その日は異なっていた。

 常のように、生命活動が終焉を迎えた女性を埋めていると、背後から声をかけられたのである。

 振り返ると、其処には一人の女性が立っていた。

 私は即座に刃物を取り出すと、彼女との距離を詰めた。

 しかし、私が振るった刃物は彼女に命中することはなく、彼女の身体を通り抜けたのである。

 異常なる事態に、私は驚きを隠すことができなかった。

 同時に、多くの人間を殺めたにも関わらず、彼女の正体に、私は身を震わせた。

 それに対して、彼女は怯んだ様子を見せることもなく、笑みを浮かべながら、

「あなたに、頼みがあるのです」


***


 いわく、彼女はこの場所で首を吊り、この世を去ったらしい。

 職場での陰湿な行為による精神的な打撃が、その原因だった。

 だが、自身の肉体から抜け出した後に、彼女はふと気が付いた。

 それは、何故苦しんだ自分が逃げなければならないのか、ということである。

 本来ならば、自身を虐げた人間たちが罪を償うべきであり、自分が生命を捨てる必要は無かったのだ。

 しかし、生きているうちにそのような思考を抱くことができるほど冷静ではなかったために、今になって気が付いたということだった。

 そのような彼女の頼みとは、自身を苦しめた人々に対して、己の代わりに報復をしてほしいということだった。

 以前から私の行為を何度も目にしていたために、同じようにして、自身を虐げた人々を苦しめてほしいということらしい。

 彼女の苦しみは理解したが、私は誰でも良いというわけではない。

 自身の好みの異性でなければ、その叫び声を聞きたいと考えることはないのである。

 それを告げると、彼女は人差し指を立てた。

「では、あなたがこの世を去った際に受けなければならない罰を回避することができるように、交渉しておきましょう。それならば、良いでしょうか」

 つまり、私が生きているうちにどれだけ他者を殺めたとしても、不問に付するということなのだろうか。

 これまで私は、死後の世界など信じていなかったが、彼女のような存在を目にしてしまったからには、信じなければならない。

 ゆえに、此処は彼女の言葉を受け入れておいた方が良いのだろう。

 私が首肯を返すと、彼女は己を虐げていた人々の詳細について話し始めた。

 そのとき、彼女が笑顔を浮かべていたのは、その人間たちが苦しむ姿を見ることができるためなのだろう。


***


 彼女を虐げていた人々を殺めるたびに、彼女は嬉しそうな声を出した。

 まるで欲しかった玩具を手に入れた子どものようだが、私の行為で喜ぶような人間は、私か彼女くらいのものだろう。

 面白みを感じたのは、彼女の報復だと口にすることで、彼女を虐げた人間たちが一様に謝罪の言葉を吐いたことだ。

 無駄であるにも関わらず、誰もが同じことをしたということを考えると、最初から彼女の恨みを買うような行為に及ぶべきではなかったのではないだろうか。

 だが、説教をするつもりはない。

 ただ、私は彼女の恨みを晴らすと同時に、自身が愉しむだけである。


***


 彼女を虐げていた全ての人間を始末すると、彼女は頭を下げた。

 私との約束はどうなったのかと問うたところ、どうやら交渉は上手くいったらしい。

 しかし、問題が一つだけ、存在していた。

 それは、今すぐに私がこの世を去らなければ、彼女の交渉は無効と化すということだった。

 つまり、私はこれからも多くの女性を殺めて快楽を得ることが出来なくなったということである。

 私は期間の延長を求めたが、彼女は首を左右に振るばかりだった。

 それならば、仕方が無い。

 今後も罪を重ねることで死後に味わうであろう苦しみを思えば、彼女の言葉に従うべきだった。

 私だけが安全にこの世を去ることを知れば、私に殺められた女性たちは怒りを抱くだろうが、運が無かったと思ってもらうしかない。

 私は己の首筋に刃物を当てると、彼女に対して、約束は必ず守ってもらうと念押しした。

 彼女が頷いたことを確認してから、私は刃物を握っている手に、力を込めた。


***


「まさか、あのような言葉を信ずるとは、想像もしていませんでした。ですが、これにて、あなたたちのように苦しめられる女性が今後も生まれることは無くなりました。彼には、私を虐げていた人間たちと同じように、然るべき罰を受けてもらいましょう」

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美味も喉三寸 三鹿ショート @mijikashort

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