あの日の二人は傘の下

日横ヶ原れふ

あの日の二人は傘の下

 3限目から降りだした雨は、俺の祈りも虚しく、18時を越えてもなおしとしとと降り続いていた。

 傘はない。今朝家を出るときに、玄関に忘れてきた。

 昇降口でぼけっとガラス越しの空を眺める。誰か一緒に帰れる友だちはいないだろうかと考えるが、恐らくみんな帰宅済みだろう。

「はぁ……」

 溜め息をひとつ。学校から家までは徒歩20分ほど、小走りなら15分といったところか。こうなったら、腹をくくって濡れて帰るほかあるまい。

 せめて教科書とかが濡れなければいいけど……鞄をぎゅっと胸に抱き、俺は雨の中に飛び出す覚悟を決めた。

「あれ、ナツキじゃん」

 俺が濡れ鼠への第一歩を踏み出そうとした、まさにその時。背後からそんな気の抜けた声がしたので、俺は肩越しに振り返った。

「……ハルナか」

 日野ハルナ──俺の小学校からの幼馴染だ。昔はよく一緒に鬼ごっこをしたりゲームをしたりしていたが、中学生に上がった頃からは、次第にお互い同性の友だちと遊ぶことが増えていった。

 だからこそ、中3の夏に突然「ナツキはどこの高校受けるの? 私も同じとこ行く」と連絡が来たときにはかなり驚いたものだ。

「よっ、久しぶり! どしたん、そんなとこでたそがれて? もしかして水タイプの技を食らうと即死する感じ?」

「いや、誰がいわ・じめんタイプ(※1)だよ」

「ぶふっ!」

 俺のツッコミにハルナが大袈裟に吹き出す。

「その返しができるの、さすがナツキだわ」

 楽しそうにケラケラと笑いながら、彼女は下駄箱から取り出したローファーに足を滑り込ませた。

「え、てかポケモンの最新作やってる?」

「やったよ。もうクリアした」

「早っ! 私まだバッジ3つなんだけど」

「どうせお前アレだろ、いちいちマップの隅々まで見て回ってるから進んでないんだろ」

「なんで分かったの!? もしかして盗撮してる!?」

「うん、してる。だからお前が夜な夜な電灯のヒモでシャドーボクシングしてるのもバッチリ見てる」

「いやん♡ そんなとこまで……いやしてねぇわ!」

 ハルナが俺の右の肩甲骨を強めに叩き、バシッという小気味いい音が昇降口に響いた。

「いや~、ナツキやっぱ面白いわぁ」

 ハルナの笑顔が俺を見上げる。あの頃は二人とも同じくらいの背丈だったのが、いつの間にか俺の方が頭一つ高くなっていたみたいだ。

 それでも、ゲームが好きなところや、笑うときに眉がハの字になるところ、靴のかかとをすぐに潰してしまうところなんかは全然変わっていない。

「で、何? 傘でも忘れたん?」

 ひとしきり笑い終えたあとで、ハルナが俺の顔を覗き込んできた。

「……まぁ、そんな感じ」

「ふーん、じゃあ入ってけば?」

 ハルナは傘立てから味もそっけもないビニール傘を引っ張り出すと、こともなげにそう言ってのける。

 ……ふつう、高校生の男女が相合傘をするともなれば、もっとこう情緒があるものだと思ってたのだが。

「あ、そういえばさぁ、私ちょっと相合傘に思うところがあって……」

 俺の複雑な心境を知ってか知らずか、ハルナは傘のストラップを外しながら飄々とした口ぶりで話し始めた。

「ナツキ、ちょいこっち来て」

「え、何?」

 ハルナが傘を開き、俺のことを手招きする。こんな昇降口で誰かに見られたら……と思わなくもないが、なんだか変に意識してる感じになるのも癪なので、俺は素直に従うことにした。

「ほら、こうやって傘の下で隣どうしで立つじゃん?」

 ハルナがぐっと肩を寄せてくる。二人の接点を 極力意識しないようにしつつ、俺は彼女の次の言葉を待つ。

「そしたらさ、肩がはみ出すじゃん。めっちゃ非効率じゃない?」

「あー、まぁ確かに……?」

 ハルナの傘の直径は60センチほど。それに対して、俺たちの肩幅の合計は目測で80センチ強はあるだろう。横並びに歩いたら、ハルナの左肩と俺の右肩がびしょ濡れになってしまう。

「だからさ、私は考えたワケ。傘の形状と面積──それを最大限に有効活用するにはどうしたらいいか」

 いかにも賢そうなことをうそぶいているが、こいつの成績が大して良くないことを俺は知っている。

「そして導き出された最適解は……こう!」

 俺の呆れ顔などどこ吹く風、ハルナは猫のように素早い身のこなしで俺の背後に回り込むと、カッターシャツの背中にピッタリ寄り添ってきた。

「っ──!?」

 唐突に触れ合う面積が広がったために、俺は思わず体をこわばらせる。汗くさくないだろうか、などという心配が脳裏をよぎった。

「ほら、こうやって前後に並ぶことにより、二人とも濡れずに済むの! めっちゃ効率的!」

 後ろから聞こえるハルナの声は、やけに楽しそうだ。俺は少し間を置いてから、努めて冷静に口を開いた。

「これじゃあトムとジェリーの…………やっぱいいや」

 どうやら、自分で思うほど冷静ではなかったらしい。さっきのようにたとえツッコミをいれようと思ったが、上手く頭が回らなかったので尻切れトンボになってしまった。

 俺は心拍数の増加を悟られまいと、すぐさま彼女から距離を取る。

「どう? 結構いいアイディアじゃない?」

 ハルナが口角をつり上げて、お手本のようなドヤ顔を見せつけてきた。

「……いや、確かに濡れないって点だけなら効率的かもしれないけど、それ以外の点に難がありすぎるだろ」

「え、そう?」

「まず、歩きにくすぎる」

「ふむふむ」

「それに、喋りづらい」

「あーね」

「何より、周りから変な目で見られる」

「一理ある」

 俺がハルナのアイディアの欠点を指折り数え上げる度に、ハルナは神妙な顔で頷いた。

 ──まさか、本当にこの欠点に気づいていなかったわけではあるまいな。

「まぁ、そうよなぁ……しゃーない、じゃあ二列縦隊で帰るか」

 ハルナが唇を尖らせる。

「二人しかいないのに『二列縦隊』なんて言うかよ……っていうか懐かしいな、それ」

 ハルナの小ボケに律儀にツッコミを入れて、俺は帰路に着くべく前を向いた。

 すると、

「……あ」

「ん、何? ……あら」

 いつの間にやら鉛色の雨雲は東に流れており、代わりに夕日に赤らむ薄雲が空を覆っていた。

「あー、雨やんじゃったのか」

 相合傘はおあずけ、ということらしい。

「んじゃま、相合で行きますか」

「いや、ただ並んで歩くことを『相合』とは言わねぇよ」

 お役御免となった傘が、クルクルと巻かれて細くなっていく。最後にハルナが傘のストラップを締めたのを確認して、俺は生ぬるい空気の下に踏み出した。その左隣に、すぐさまハルナが追い付いてくる。肩はもう触れ合っていないが、なんとなくそこにハルナの体温が残っているような気がした。


「そういえばさ、スプラのキャンシェル(※2)ってめっちゃ相合傘向きの形してない?」

「でもあれ開きっぱなしだとパージするじゃん。嫌だよ俺、一緒に歩いてたら突然傘だけ射出されてどっか行くの」

「ぶふっ!」




※1:RPGゲーム、ポケットモンスターのタイプ(属性)による相性。いわタイプとじめんタイプはみずタイプに弱いため、この二つのタイプを複合して持ち合わせているとみずタイプの技で大ダメージを受けてしまう

※2:シューティングゲーム、スプラトゥーンのブキ(武器)「キャンピングシェルター」のこと。このブキは長方形の傘のような形をしており、開きっぱなしにしていると傘が柄の部分からパージ(射出)されるという性質がある

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