第8話 大団円
マスターの新たなメニューのナッツ系のメニューで、一度、
「試食会」
と称して、開催をしたのだが、もちろん、強制もしないし、参加者は自由であった。
当時はまだ、アレルギー表記も義務化もされていないし、アレルギーに対しての認識も低かった。
それでも、マスターは分かっていたので、
「なるべく、アレルギー表記をして、何が入っているのか?」
ということを示すようにしたのだ。
常連なのである程度は分かっているつもりであったが、その人が好きなものは分かっても、嫌いなものに限っては、言わない人も多いだろう。
下手に嫌いなものを言うことで、
「店の人に嫌われたくない」
と、思う人もいることだろう。
逆に、
「馴染みの店だから、余計なことを言わないで済む」
と思うのであって、その思いは、
「それを口にしないだけで、本当は嫌いなものはある」
ということの裏返しだ。
好きなもの、つまり肯定であれば、範囲は狭いのだが、
好きではないもの、つまり、中立なのか、否定なのかの両方であれば、その範囲は限りなく広いものになるだろう。
だから相手がいわなければ、こちらの判断だけになってしまうと、判断ができるわけもない。
そんな人に勧めることなどできるはずもないだろう。
そう思うと、少しでも相手はひるんだ場合は、薦めてはいけないということになるのだった。
その状態だと、相手が、下手に遠慮深い人で、
「ここは自分が食べてあげないと失礼に当たる」
などと思う人であったら大変だ。
いくら不可抗力だとしても、救急車で運ばれた時点で、
「容疑者扱いにされてしまう」
刑事がまわりの人に事情を聴いたとしても、何とも答えようがない。
どちからを擁護すると、どちらかを陥れることになる。
見ている人は思うだろう。
「これは不可抗力でしかないんだ」
ということである。
不可抗力ということであれば、証言を求められる人は何も言えなくなってしまう。
だから、今回は、
「とにかく、中立でいなければいけない」
ということを考えると、マスターの身になって考えた時に、
「中立というのが、一番分かりにくい立場なんだ」
と分かるだろう。
中立だったことで、その人にアレルギーがあったのかなかったのか、わかるはずもない。本人がアレルギー体質にコンプレックスでも持っていれば、なおさらだ。
特に
「アレルギーだから気をつけなさい」
と。親や医者からいわれたとしても、それを自分で味わったことのない人間は、わかるはずもない。
そういう意味では子供の頃に、アレルギーでのちょっとした経験でもしていれば、分かったことだったのではないだろうか。
それを思うと、恐ろしいことではあるが、
「はしかなどを、幼少期にやっておいた方が安心だ」
と言われるのと同じことではないだろうか。
実際に子供の頃という、その人の人生を知らないことが、仕方ないということでは済まされないことになりかねない。
それを思うと、
「本当にアレルギーというのは恐ろしい」
と思うのだった。
実際に、その時、アレルギーが原因で救急車で運ばれた人がいた。マスターは茫然として、どうしていいか分からないようだったが、そのことはまるで前の日に夢で見たかのように思えたのだった。
マスターは大きなショックを受けた。もちろん、警察から事情も聴かれ、話せることは話したが、どうも、恫喝を受けたようで、そもそも小心者のマスターは、ビビッてしまって、
「店を閉めた方がいいんだろうか?」
と考えていたようだ。
悩みこむと、すぐに引きこもってしまう性格で、人と会話をするのも嫌になったりしてうた。
正直、
「何もかも嫌になった」
とでも思ったのだろう。
そう思うことで、マスターは、憔悴してしまっていたのだ。
だが、警察からは、おとがめなしになった、最初は、
「何が入っているか分からないものを、他人に食べさせた」
ということで、
「食品衛生の問題で、起訴されるのではないか?」
という話もあったが、弁護士の人が、
「ちゃんと、マスターはそのあたりの話はしたうえで相手も承知して食べた」
ということと、被害者の方も、
「そんなに大げさにするつもりはない」
といっていることで、起訴されることもなかった。
しかも、店の人の話でも、マスターの人柄など、皆一様に注意深い人だということで、事件として被告扱いになることはなかったのだ。
だが、それはあくまでも、法律上の問題だけで、マスターの精神的には、かなりの痛手であった。
「俺はこれから、店をやっていけるのだろうか?」
と料理を出す時、トラウマにならないかということが多いに心配だったのだ。
それを逆に常連が、
「大丈夫ですよ」
と周りが必死になって説得しているのだが、それはあくまでも、形の上でのことで、本人がどのようなショックを受けているかということなど、普通は分かるはずもないのだった。
「ちょっと、お店を休んで、どこか気分転換にでもいってくればいい。城廻なんかいいじゃないですか?」
という人がいた。
「うんうん、そうですよ。もしマスターさえよければ、私がご一緒しましょうか?」
という人もいた。
その人は最近、奥さんに仕事を任せて、自分は羽を伸ばしてもいいと言われている。婦人服のブティックなので、自分よりも奥さんの方が、接客も対応もいいというわけであった。
それを言われると、ぐうの音も出ないということで、実は誰か、一緒にいってくれる人を探していたというのが本音だった。
そこで、二人は、一週間くらいかけて、城廻をすることにした。
基本的には天守のある城を巡るということで、同行のマスターも、他の人に比べれば、城というものに興味があり、知識も少しはある方であった。
「破風がどうの」
などと言った専門的な話ができるわけではないが、天守を見る時のどこに注目すればいいかということくらいは分かっているのだった。
それを思うと、
「ちょうどいい相手だ」
といってもいいだろう。
旅行に出かけて、3日目だった。二人とも、ある程度旅行にも慣れ、そして少し疲れも出始めた頃で、ある意味、
「一番気が抜ける時期だった」
といってもいいだろう。
その時、ふとした気のゆるみがあったのか、マスターは爆睡してしまったようで、すりに財布をすられてしまった。キャッシュカードなども入っていて、最初は気づかなかったが気づいた時は、すでに遅く、カードからお金は抜かれていた。
金銭的には、そこまでの金額は入っていなかったのだが、精神的なショックが大きかった。
「そもそも気分転換のために出かけてきた旅行だったのに、なぜ、こんな目に合わなければならないのか?」
という思いであった。
もう、旅行を続ける気は失せてしまっていて、一緒に来てくれた人には悪いが、帰るしかなくなっていた。
同行者も、
「せっかく来たのに」
という思いがあったが、こうなってしまっては、さすがにマスターの意志にしたがうしかなく、自分もこのまま旅を続ける意味もなく、結局、二人とも戻ってきたのだった。
マスターはその時、何か違和感のようなものを感じていた。
正直、それが何から由来しているものなのか、自分でも分からなった。時間の感覚がおかしいということだけが分かった。
一つ気になったのが、
「急に、髪の毛が帯びた気がする」
というものであった。
その時は、時間も一緒に早く進んだ気がする。というか、
「時間だけが先に進み、精神的に、置いていかれた気がする」
ということであった。
しかし、髪の毛というのは、最初にある程度伸び切ってしまうと、そこから先は、ほとんど伸びない。
そして、その間に、気持ちが時間に追いついてくるということで、最後には、辻褄が合ってくるのだった。
かと思えば、なかなか髪の毛が伸びないという時もあるのだ。
そんな時は、気持ちが先に進み、時間がなかなか過ぎてくれない。一種の焦りに通じるものがあるのだが、焦りを感じないようにできれば、本当は充実した時間なのだと思うだろう。
しかし、途中から、やはり辻褄を合わせようとでもするのか、今度は、時間のわりに髪の毛が一気に伸びてくるのだった。
その時、やはり同じように、時間が追いついてくる。どちらも不思議な感覚だが、時間と髪の毛が伸びる関係に関しては、ほぼどちらかであった。
「どちらが本当なのだろう?」
と考えるのだが、
「どちらも間違っていないのかも知れないな」
と感じ、本来気が楽なのは、前者であったが、
「本来はどちらがいいのか?」
と考えると後者であった。
後者の場合は、前半で自分の感覚を形にしてしまえば、後半においての焦りは緩和されて、精神的には、苦労することがないからだった。
今回は、前半だった。
最初に焦りを感じ、後半、時間が辻褄を合わせてくれる。
「財布をすられる」
ということの前の食中毒事件であったが、逆にその事件を払しょくさせてくれるようなすりだっただけに、ある意味、
「気持ちを上書きしてくれて、リセットできたのではないか」
と思うと、気が楽になっていた。
そして、今回のマスターは、その感覚を自分の寿命という感覚に照らし合わせると、自分の寿命が分かってくるような気がしてきたのだった。
そのことを、旅行に一緒にいった人に話をした。
「こんな話、信じてはくれないだろうな」
と思ったが、同調を求めるというよりも、
「聞いてもらう」
ということが目的だったのだ。
「時間が違うパラレルワールドの住人」
という立場に立つと、
「マスターの気持ちがよく分かる」
という話だった。
彼がいうのは、
「パラレルワールドという別の世界が開けていて、その世界とは、同じ時間で接することはできない」
という。
「もし、接してしまうと、タイムパラドックスになるのであって、少しでも時間が違えば、そこは別の次元ということになり、次元の段階を踏むと、同じ人間であっても、時間は同じ人間だとは思わないのだ」
ということであった。
彼は続ける。
「その世界に行くと、浦島太郎の逆を行くようで、そのため、何度も何度も、行き来ができ。寿命が延びたようになる」
というのだ。
浦島太郎の逆というのは、自分だけが、先に年を取るのだが、前の世界に戻ると、寿命が決まっている。つまり老いたまま、死ねないということになる。竜宮城で、
「不老不死」
を手に入れたというのだ。
ただし、竜宮城からこちらの世界に戻ってきた時、竜宮城での時間経過だけが、影響し、老人になっている。そこだけは、どうしようもないというのだ。
そして、自分は、
「死ねない」
という恐怖を味わうことになる。
そんな恐怖を感じながら、気が付くと、そこは夢だった。
妙にリアルな夢で、老人になって死ねないで苦しんでいる自分の姿だけが、妙に記憶に残ったのだ。
そして、マスターは、今日も、喫茶「キャッスル」をいつものように経営している。何か違和感があると思っているが、アレルギー患者が出たことも、財布をすられたという意識があったことも、まるで、遠い過去のようで、覚えてはいるが、
「忘却の彼方にいってしまった」
という思いであった。
数年後に、引退したマスターは、息子に店を譲っていた。
そして、年を重ねてきたにも関わらず、店に来ると、自分が経営者だという意識が消えなかった。
「大好きな城でいえば、現存天守というよりも、復興天守のイメージの方が強いな」
と感じていた。 だが、
「できれば、現存天守がいいな」
と思った時、そこに見えたのは、ずっと忘れることのできない、竜宮城から帰ってきて、年だけは取っているが、死ぬことができない。あのパラレルワールドの自分の姿だったのだ……。そして、その姿が、平蔵と同じであることを知っている人は誰もいないのだった。
( 完 )
城好きのマスター 森本 晃次 @kakku
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