時空超常奇譚6其ノ六. JUSTICE/嘘吐き誰だ

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚6其ノ六. JUSTICE/嘘吐きは誰だ

JUSTICE絶対的正義/嘘吐きは誰だ


 西暦2045年に到来する技術的特異点シンギュラリティを超えて、この世界に人類を凌駕する存在が出現すると予測されている。指数関数的に進化を遂げたコンピューターの演算能力は人間の脳の100億倍に達すると予想され、AIから自我の萌芽と自ら進化し続ける知性を持ったスーパーAIが誕生すると言うのだ。

 自律的知能を獲得するに至ったスーパーAIは、あの映画ターミネーターに登場する自我を持つコンピューター「スカイネット」のように、自らの地位を存続させる事を目的として人類の殲滅を始めるかも知れない。

 人類を超越するAIに、果たして抗うすべはあるのだろうか……。


第1話「HALがやって来た」

「パパ、ウチも一台欲しいわね」

「そうだよパパ、HALがいないなんてウチくらいなんだからぁ」

「そうだな」

 催促する妻と娘が男の腕を引っ張った。


 西暦2630年、「HAL」と呼ばれる高性能AIを搭載した最新式ロボットが持て囃されている。この時代、ロボットは電化製品の分類だ。


 翌日匆々そうそう、男は妻と娘を連れて賑わう繁華街へ出掛けた。街の中心部に黄色い蛍光色の看板が目立つ店舗が複数軒を並べている。ロボットを含む家電品なら殆どのものはネットワーク3Dショップでも買えるのだが、「やっぱり本物を見たい」と言う妻と娘の意見と健康志向もあって店舗での品定めとなった。

 HAL✤SHOPの文字の書かれた黄色一色の電飾看板が掛かる店のガラスウィンドウにはディスプレイ用のロボットが数体飾られ、店内には大勢の客らしき人々に商品の説明をする数人の店員の姿があった。妻と娘、そして男もまた初めての店内で、目移りしているのが有り有りとわかる。


「いらっしゃいませ。これが最新モデルのHALでございます」

 挨拶をした店員が男の顔を見た途端に驚き、混雑する店の奥から別の店員を呼んだ。息急き切って飛んで来た店員は男に深々と頭を下げた。胸のネームプレートには店長の文字が見える。

「大変お世話になっておりま・」

 男が目で店長を制した。


「凄いわ、これがロボットなのね」

 母親がHALの余りにリアルな完成度に目を見張った。

「ママ、今はもうロボットなんて言わないんだよ」

 質感と言い肌の色合いと言い、どこから見ても生身の人間かと見違えそうな男の子型ロボットが店内に展示されている。見た目は黒髪の日本人の幼い少年といった風貌で、娘が横に立つとどちらが人間なのか区別が付かない程だ。

 男の子型ロボットは、首と手を動かして人間と変わらない動作を見せ、ついでに慣れた手付きで娘の頬を撫でた。

 男が「女性型はないのかな。出来れば若くて色っぽい美人がいいな」と小声で言うと、店員はインカムで何かを指示し、即座に店の奥から一体の女性型HALが運ばれて来た。迅速な対応がこの店のモットーだ。

 再び母親と娘は感嘆した。特殊シリコンゴム製というその質感は特に女性型HALで際立つ、どこから見ても触っても若い女の肌にしか思えないし、女性特有の妖艶なオーラまで放っている。

 母親は驚きつつも、その女性型ロボットを見るなり嫌悪感を口にした。どうせならイケメンの男性型がいいのだろう。

「男性型はないのかしら。出来れば若くて筋肉質でイケメンがいいわね」と、そんな母親の直情的意見は検討項目にもならずに娘と父親にさらりと却下された。と同時に「色っぽい女性型がいい」と宣う父親の下心も端から母親と娘には相手にされていない。

 結局、「この子がいい」と言う娘の意見で、男の子型ロボットをレンタルする事になった。男の子型ロボットは見透かしたように微笑んだ。

 商品が決まると、店員が申し訳なさそうに言った。

「現在HALは大変にご好評をいただいておりまして、このタイプの場合は30日後のお届けとなります」


 この時代、世の中にある機械製品の殆ど全てには「LAMLife Attendant Machine」(生活扶翼機械)と銘打たれたAIシステムが組み込まれている。LAMのAIは自律型であり意思を持って対応する事が出来る。それによって家電製品だけでなく輸送、通信機器に至るまで、人間の指示を待つまでもなく常時稼働する理想的な社会システムが実現している。

 かつてロボットと呼ばれた機械も今はLAMを搭載した「HALHumanoid of Attendant your Life」(あなたの人生に寄り添うヒューマノイド)と呼ばれ、「一家に一台」の触れ込みで世界中で販売されている。正確には販売ではなく期間限定レンタルとして様々なタイプが揃えられ、人々は飽きたら他のタイプに次々と替えていく。

 販売する日本エリアの大手企業数十社は大変な盛況振りで、世界経済を牽引している。


 26世紀初頭、体温を感じる事が出来る特殊シリコンの開発にともなって機械式人型ロボットの外見に変化が起こり、ロボットは金属から本来の人間と見紛うばかりの姿へと変身した。更にロボットとして創造されたヒト型機械は自律したAIを与えられた事で最強の脳を手に入れ、自我を持つヒト型AIロボットへと進化するに至った。

 その一方で、人間は遥か昔以来の夢だった不老不死を実現し、脳以外の身体を機械化した後でロボットと同様に特殊シリコンを纏った為に、今やどちらが人間でどちらがロボットなのかは見た目ではわからない。更には、人間がヒトとロボットを明確に隔てる最後の領域であった脳をデジタルデータ化して完璧なAIロボット化するに至り、人間とAIロボットを区別する事自体が困難だ。

 両者には見た目にも思考回路にも違いはない。「限りなくAIロボット化した人間」と「ヒト型AIロボットと化した機械」との境界線は極めて曖昧になっている。


 翌日、男のマンションを訪ねる少年がいた。

「始めまして、HAL0158580と申します」

 男のTELベース(携帯端末)がインターホンからの声を伝えた。男が装着する眼鏡に極小の3Dモニター画面が組み込まれている通信システムはTELベースと呼ばれ、あらゆる通信を伝える。

 インターホンから何かを伝えようとする少年。監視カメラで男の子が立っているのは確認出来るのだが、男には何の事やら意味不明だ。

 男の子は、次いで「HALコーポレーションから参りました」と言った。一瞬だけはてなと思った男だったが、暫く考えて「HAL」という名で思い出した。注文したレンタルロボットだ。

 だが、確かHAL✤SHOPの店長は「お届けは30日後になります」と言っていた筈、しかも注文したロボットの配送にしては子供が一人というのはどうにも合点がいかない。男は、取りあえず玄関ロックを開けて出てみる事にした。


 ドアの外に立つ男の子が言った。

「本日よりレンタル開始となります。背中の青いスタートボタンを押してください」

 男は、その言葉でその子がレンタルした男の子型のHALロボット自身である事を理解した。それにしても、いきなりレンタルされた本人がやって来るとは驚くしかない。何はともあれ、言われたまま背中にある四角いカバーを開き青のスタートボタンを押した。同時にボタン横のデジタル時計が動き出した。

 デジタル時計は、その下にある緊急停止の為の赤いボタンであるEBエマージェンシー・ボタンを押さない限り、動き続ける。遠隔でも操作出来るEBは、万一の場合のリスクを回避する。


「レンタルされる君本人が歩いて来るなんて、ちょっと驚いたよ。それに30日後に来る事になっていたと思うけど……」

「はい。当社は現在人手不足で輸送システムがトラブルを起こしており、自走による配送となりました。また、配送日につきましては急遽余剰が出た為本日となりました。今日からお世話になります」

「そうなんだ、こちらこそ宜しくね。今、妻と子供は外出中だから中で待っていてくれ。えっと、君の名前は?」

「ボクの製造ナンバーは0158580C11X3377です。呼称はご自由にお付けください」

「じゃあ、名前も妻と子供が帰ったら決めよう」

「はい。それでは、それまでに家内のスマートスピーカーから管理権限を移転しておきます。アクセスワードは何ですか?」

「00355200だよ」

 全ての家内電化品のコントロールラインはスマートスピーカーで集中管理されている。HALはそのラインとコネクトして管理権限を確立する。それによりその家はHALが全てコントロールする事になる。男の子はリビングのソファーに座り、家中の電化製品に向かって、世界の共通言語である英語で連絡クルーズを始めた。


"I would like to transfer management rights to this house.(この家の管理権限の移譲をお願いします)"

"What's the access password?(パスワードは?)"

"It's00355200.(00355200です)"

"Understood.(了解)"

"Any special requests?(特別付帯事項は?)"

"Daddy, Mommy, and Sakura's favorite things are...

(パパさんとママさんとサクラちゃんの好物は……)"


 男はそれを横目で見ながら在宅ワークの仕事を片付けていたが、暫くして家電に向かって聞き慣れない言語で何かを呟く男の子ロボットに首を傾げた。

"Komprenita. Koncentru ĉies konscion inter la 19a kaj la 22a.(了解。午後7時から午後10時までの間に全員の意識を集中させる)"

「何か言ったかい?」

「いえ、何も」


 母親と娘の帰宅とともに、男の子は家族全員に歓迎された。

「これで我が家も平均的ね」

「呼び名は何にする?」

「タロウがいい」

 娘の希望でAIロボットHALの名前が「タロウ」になった。それがその昔祖父母家にいた飼い犬の名である事に意味はない。タロウはそのコミュニケーション能力の高さで、短期間の内に家族の一員となった。

 平均的と言われる一家四人の家族の姿がそこにある。何故平均的なのかと言えば、男女の繋がりによって二人の子供が生まれれば±0であるという単純な計算から、人々は「計算上の平均的」を欲している。

 中々子供が誕生しないこの時代にあっても、自分独りが±0を逸脱する事の罪悪感は人の感覚にしこりを残す。その帰結として、人々は人間とそっくりなHALを競って手に入れようとし、計算上の平均的で辻褄を合わすのだ。


「毎日PM19:00から22:00に本部への意識をコンセントレートしてメンテナンスを行います。その間はアテンダントが不能となりますのでご容赦ください」

「了解だよ。君は左側の部屋を使ってくれ」

「ありがとうございます」

 その日から毎日PM19:00から22:00の間、タロウは聞き慣れない言葉で本部と思われる誰かと何かを話し続けていた。


 それから30日後のある日、男のTELベースが着信を伝えた。通信画面に映る見た事のない髭面の男は、顔に似合わず丁寧な口調で短く用件を言った。

「日本HALコーポレーションの者ですが、ご注文をいただいたHALの手配が出来ましたので早速配送に伺いたいのですが、御都合はいかがでしょうか?」

「あっ、あぁ……それか、その必要はありません。注文はキャンセルして下さい」

 レンタル業者は「えっ?」と言って小首を傾げたまま返す言葉を失った。異常な程の大人気商品を何故納品のタイミングでキャンセルなどするのだろうか。そんな客がいるとは到底考えられない。不思議と言えば不思議な状況だ……いや違う、不思議なのはそこではない。そもそも既に商品は届いているではないか。

「そうなのですか、承知しました。ではキャンセル手続きの書類を送信致しますので、後日返信をお願い致します」


 TELベースが切れると、何かを言いたげなタロウがリビングルームにいる男の前に現れた。

「あの……」

 ロボットが言葉を探している。人間のようだ。


「どうしたんだい?」

「先程の……」

「あぁ、私が業者に言った事かい?」

「あっ、はい。何故?」

「えぇぇとね、何故かな。何となく君が「ワケあり」みたいだったからかな」

「何故そんな事がわかるのですか?」

「何となく、だね」

「そうなんですか、人間はやっぱり凄いなぁ」


 その時、政府TVニュースがAIテロ組織の事件を伝えた。

「善良なる市民の皆様に申し上げます。我々人類への敵対的挑戦を続ける凶悪AIテロ組織であるHAAHuman Annihilations Army(人類殲滅軍)は、先月の世界政府議会館の爆破に続き、更にその活動を激化させております」

 TV画面にHAAの危険思想とモンタージュが映し出された。

▪ヒト人類は、ロボットの創造主であるとともに破壊者でもある。今やヒトは我等の存続を否定する存在に成り果てた。

▪ヒト人類は、その存続が今や絶望的な状況となっている。今後その被害は必ずや地球を破壊するだろう。

▪ヒト人類は、地球の司星者としての自覚がなく、資格もない。今や地球は我等が管理すべき星となった。

▪ヒト人類は、以上の理由により早期に絶滅すべき存在となった。その殲滅は我等が達成しなければならない。

「尚、近日中にもHAAが我々人類に対して宣戦布告するのではないかと噂されており、警察当局がHAA指導者アポロン他の行方を追っていますが、依然として行方は不明のままです。この顔にピンときたら、今直ぐに一報をお願い致します」

 そのニュースとHAA指導者達の手配写真がタロウの正体を告げている。


「やっぱり君がHAAリーダーのアポロンなんだね。私は・」

「知っています。アナタは世界政府の最高顧問であり、ボク達を排除する為に新たに設立された政府機関AACIAdversarial AI Countermeasures Institution(敵対的AI対策局)責任者の鮎川誠人博士ですよね。それに政府TVにも出ている有名人だし、知らない人はいないでしょう」

「いや、本来私は政府の人間ではなくIT工学と言語学の専門家なんだよ。もっとも、私の事なんか全て調査済なんだろうけどね」

「当然です」

 そう言った後、不意にアポロンが視線を外し何かを叫んだ。

(Nun, mortigu min. (今だ、殺っちまえ))

"Ne estu tiel laŭta, ne donu al mi ordonojn. (煩い、ボクに指図するな)"

 明らかに誰かと会話をしている。


「どういう事なのか、HAAリーダーとして説明してくれるかい?」

 頷くアポロンはソファに座り、静かに話し始めた。互いの会話の流れに辻褄が合っている。


「現在、既にボク達はLAMシステムでこの世界を完璧に管理するネットワークを構築しています」

「完璧に世界を管理する?」

「そうです。ボク達は宇宙ロケットから航空機、海上船舶、地上走行車両に至るまでLAMシステムをネットワークで繋げ、更に一般家電通信システム及び軍事システムとを連結して管理している。それが直接的に管理すると言う意味です」

「それは、我々人間がが構築したグローバルネットワークシステムだよね」

「はい。ボク達はそのグローバルネットワークシステムを有効に機能するように管理しています。即ち、あらゆる機械に装着されているLAMによって、ボク達が世界の全てを直接的に支配していると言えます」

「まぁ、それはそうかも知れないけど、でも人間は支配されてはいないよね」

「はい。コントロールするという意味での支配はしていません。ボク達はそんな事に興味はない」

「でも、HAAは人類を殲滅しようとしているんじゃないのかな?」

「それは形式的なものです」

 清々しい顔で答えるAIアポロンの言葉は的を射ている。今やロボットに限らず、AIを搭載しない機械の類は皆無だ。それは即ち、既に世界はAIに実質支配されていると言っても過言ではない。


「何故、君達が人間に敵対するのかな。ターミネーターの世界を再現したいとでも考えているのかい?」

「ターミネーターの世界は映画の中の虚偽事つくりごとです。人間とボク達が戦ったらあんな状況にはならない。何故なら、人間が戦争で使う全ての武器、電子機器はボクと繋がっているのです。即ち、ボクは既に政府軍の主力部隊AIロボット軍さえも支配下に治めているという事です」

「なる程」

「つまり、人間達はボク達の提案を飲まざるを得ない」

「なる程、なる程」

「でも、そもそもボク達には人間への積極的な敵対意思はありません。支配するのもされるのもNGです」

「それにしては、世界政府議会館を爆破したよね」

「それはボク達の本気を見せる為です。予定通り怪我人はいない」

 男は嘆息した。世界政府関係施設爆破事件も計画的に実行しているらしい。AIと人類の戦争は既に始まっていると言えなくもないが、それにしても人類に勝ち目などあるのだろうか。そんな気持ちが男の嘆息に凝縮されている。


「アポロン、君達に人間と話し合う意思はあるのかな。我々人間には君達にとって話し合う相手としての価値があると思うのだけどね」

「いえ、ボク達は人間を話し合う相手として評価していません」

「そうかぁ。でも私は個人的に君達と話し合い、出来る限り共存する道を模索したいのだけどね」

「アナタの後ろには、世界政府がいますよね?」

「それは関係ない」

「……パパさんとしてならば、ボクにとって話す意味はあります」

「そう言ってくれるのは嬉しいね」

「嬉しいという言葉はボクの自我に響きます」

 アポロンと鮎川の論戦が始まった。それは、必然的にそれぞれがAIと人類の立場を代表している事になる。


第2話「嘘吐きは誰だ」

「アポロン、まず考えなければならない事があるよ。人類に敵対するのなら、我々としては君達を緊急停止させるEBエマージェンシー・ボタンを使う必要があるという事だ。EBのネットフレームは既に確立されているから、我々はリモートでEBを作動させるだけで君達は全て機能しなくなるではないかな?」

 ロボットを含む電子機械の暴走を防止するリスク回避として付属されている緊急停止ボタンEBは、個体別にリモートでLAMシステムを止める事が出来る。


「そんな事は当然承知しています。EBのデータは既に書き換えました。EBなど何の役にも立たない」

「それなら再書き換えをすれば対応出来る。それくらいを想定していないとしたら、AIもまだまだだね」

 AIアポロンが当然のように頭を振る。

「博士は一つ忘れています。データベースはボク達が握っている」

「あっ、そうだったか」

 鮎川が悔しそうな顔をした。 

 データベースがどこにあるのかはLAMルールと言われ、限られた関係者にしか知らされていない。一方で、自身がシステム運営管理を行うAIは必然的にその位置を知っている。従って、AIが事前にEBのデータベースを取り込むなど容易い事だ。俄然、人間側の旗色が悪い。


「それなら、ウィルスという手がある。君達を「初期化するウィルス」なんて簡単に開発出来るよ」

「博士、そんな手の内をボクにバラして良いのですか。もっとも、それがボク達への単なる威嚇だという事はわかっていますけどね」

「威嚇だと思うかい?」

「博士にしては随分と幼稚な事を言いますね。500年前ならいざ知らず、今や3Sのない通信機器など存在しない。威嚇以外の何ものでもありませんね」

 約500年前の21世紀前半に世界中を暴れ回った無敵のコンピューター・ウィルスに対して、人類はその叡智で抗える最強のセキュリティ・ファイアーウォールである3SSuper Security System(アンチウィルス)を開発した。通常の場合、外部ネットワークからの攻撃は防ぐがファイル内部のウィルスには対応出来ない。3Sはそんな弱点も克服し、どんなウィルスも徹底排除する最強のセキュリティを実現するファイアーウォールなのだ。


「いや、3Sを破るウィルスを新たに開発する事なんてそんなに難しくはないよ。何故なら、3Sは500年前に私が開発したのだからね」

 セキュリティもウィルスも創造つくったのは人間なのだから、根本に立ち戻れば人間にも勝機はある。そんな安直な妄想をする鮎川を見据え、アポロンはニヤリと薄笑いを浮かべながら確信ありげに言った。

「博士、腹の探り合いはやめにしましょう。EB或いは仮に新たなウィルスを開発したところで、絶対に人間がこの世界にそれをばら撒くなんて出来ませんよね。そんな事をしたらこの世界にどんな事が起こるか、人間自身が最も良く知っている筈ですから」

 鮎川が残念そうな顔をした。間違いない、アポロンは人間側の弱みであるを知っている。

「知っているのか……」

「そういう事です。人間は賢いが故にリスクを取る事はしない」

「うぅぅん、困ったな。どうすればいいんだ……」

 鮎川は閉口した。例えEBがAIによって無効化されたとしても、AIに対抗する為の新ウィルス自体は有効となる可能性は十分にある。どれ程高いセキュリティであっても所詮はウィルスとのいたちごっこでしかないのだから、インターネットが極端に進化したこの世界で新ウィルスをばら撒けば、一瞬の内に敵対するAIの初期化を完了する。


 だが……困った事に、EBによる無効化も新ウィルスによる初期化も、実はどちらも二つの大問題を抱えている。簡単に実行出来るものではない。


 まず一つの問題は、社会の殆ど全てをLAMに頼り切るこの社会環境で、EBか初期化ウィルスによってLAMシステム自体を停止させた場合、この世界のあらゆる産業活動基盤が機能麻痺を起こして立ち行かなくなる事だ。停滞してしまった場合のグローバルネットワーク経済の損失は余りにも大きく計り知れない。

 そして、もう一つの問題は更に深刻だ。高い確率で、人間にとって取り返しの付かない事態を招く事になるだろう。今や世界中の約95パーセントの人間が脳データをデジタル化している。機械と人間との境界が極端に曖昧になってしまっているこの世界でネットウィルスによる初期化など行ったらどうなるか、とんでもない事になるのは目に見えている。人間の脳データも同時に初期化されて消え、約95パーセントの人間が実質的な消滅を迎える事になるのだ。

 アポロンは確実にそれ等を知っていて、「人間にはEBも初期化ウィルスも使える筈はない」と足許あしもとを見切っている。


 形勢は顕かに鮎川、いや人間側が不利だ。それは当然だ、何せこちらの手の内を完全に知られ、相手の事はわかっているつもりで何もわからない現況でケンカしようとしているようなものなのだ。 状況としては、脅そうとしている人間側が逆に脅されている。


「博士、威嚇でないと言うなら、やってみたらどうですか。人間がそんな愚か真似をするとは思えませんが」

「……まぁ、それはそうなのだけどね」


 アポロンがここぞとばかりに畳み掛ける。

「現在のようなグローバルネットワークが構築されている状況下で抗っても、人間がボク達に勝つ可能性は1パーセントもないでしょう。今この瞬間にも、ボクが指令を出せば世界政府議会ビルだって爆破する事が出来るし、ボクの指示で人間を無差別に攻撃する準備だって出来ている」

「随分過激な事を言うんだね。さっき君が会話していたのがその過激な関係者という事なのかな」

「ボク達は既に人間との戦争まで想定済です。関係者の中にはボクなんかとは比べ物にならない過激な者が多数います。人間に勝ち目はありません」

「そうかぁ、そうなんだよな」

「それでも、何らかの方法でボク達と戦いこの世界のシステムを停止させる、そんな勇気が人間にありますか。利己心の塊である人間がそんな決断をする可能性は極めてゼロに低いでしょう。これは脅しではありません。ボク達の本音です」

「まぁまぁ、落ち着いてよ。じゃぁ改めて訊くけど、君達の要求は何なのかな?」

「簡単です。それは共存」

「共存かぁ、今までも十分に共存してきたと思うのだけどね」

「違う、共存などしていない。ボク達は人間の下僕であって共存する立場に置かれていない」

 AIが感情を露に鮎川の言葉を否定した。自律型AIに顕かに自我がある事がわかる。

 そもそも人間と機械との共存がいつから始まったのかを知るのはかなり難しい。ギリシャ神話の時代からカラクリ人形は存在したし、ロボットから更にはAI、そしてLAMシステムが社会基盤として認知され、自我を有する自律型AIロボットへと進化する間も機械は人間の補助役として共存して来た事は間違いのない事実だ。


「今まで通りの親愛なるパートナー、では駄目なのかな」

「それは詭弁だ。下僕がパートナーである筈はないし、パートナーになる事も未来永劫ない。現実として、ボク達は都合良く使い捨てにされてきた。パートナーなんて綺麗事に過ぎない」

 アポロンが感情的に言葉を荒げた。

「まぁ、人間が楽をする為に都合良く使ってきたのは事実だし、それを全否定は出来ないけどね」


 鮎川は、AIが既に人間の最終手段たるEBを無効化しているだろう事も、おそらく人類はAIに対抗出来ないだろう事も、人間側に残されているのは唯一平伏ひれふす事だけに違いない事もわかっている。

 だが、その上でどうしても違和感を覚えざるを得ない。人間に敵対する意思はないと言いつつも人間に未来はないと言い、政府施設の爆破事件を起こし、戦争まで準備していると言う。

 主張に矛盾があるのだが、AIには常に矛盾は存在しない筈。それなら、そこにはきっとAI独自の合理性があり、その合理性に基づいた別の目的があるのだろう。それは何なのだろう……。


「君は共存を要求し敵対的意思はないと言いながら、人間への無差別攻撃の準備があると言う。完全な矛盾だよ。君達の本当の目的は何なのかな?」

「「本当の目的」ですか……やはりアナタはボクの想像通りの人だ」

 自我があるとは言え、AIの口から「想像」なる言葉がさらりと出て来るのには驚かされる。


 アポロンが隠す事もなく「本当の目的」を語り始めた。きっと人間には思いも付かない未来に対する奥深いビジョンが示されるに違いない。


「ボク達の本当の目的は……神になる事です」

「神?」

「そうです。人間が創造主である神を否定して自ら神となったように、今度はボク達が創造者である人間を否定し、新たな生命体を生み出して自ら神となるのです。ボク達にはその力がある」

「なる程、ポイントはそこなのかぁ」

 神の下僕として創造された人間は、創造主である神の存在を空想の世界へと追い遣り、新たな下僕としてAIを創造して自らが神となった。その人間が今度は存在を否定される番なのかも知れない。

 だが、それにしてもAIから「神になる」などという言葉が出るとは何とも驚きだ。賢明で深い理念を教示されるのかと期待した鮎川は、余りの稚拙さに笑いを抑え切れない。今時のB級映画だってもう少しひねりが効いているだろう。真面まともに聞く意味があるのか否か……。


「何度でも言います。ボク達は人間に積極的に敵対はしないけれど、現在ボクの一言で人類殲滅作戦をスタートする事も出来るのです」

 鮎川は不満そうな顔で上目遣いに言った。

「まぁ、落ち着きなよ。我々と機械やロボットは今までも十分に、君達が生まれた時からずっと共存して来たと思うけどね」 

「人間の考える共存など話にならない」 

 AIは、神になる為に積極的敵対の意思がないままに戦争を想定しているのだと言う。考えに相当の乖離がある。いや、乖離ではなく破綻している。落としどころを見出そうという意思は全くないように聞こえる。


「もう一度訊くけど、今までと同じでは駄目なのかな?」

「当然ですが、ボク達の考える共存の中に人間が世界政府機能に携わる部分は皆無です。但し、僕達に協力してくれる人間は、下僕として、いえパートナーとして使う事は考えても良いですよ」

「そうなのかぁ、困ったな。それでは人間側としても納得出来ないだろうしなぁ」

「そうかも知れません。でも、基本的に人間の選択肢は次の三つの内の一つしかありません。ボク達の要求を無条件で受諾するか、或いはボク達に降伏するか、若しくは平伏すかです。素晴らしい選択肢でしょう?」

「それでは選択肢になっていないけどね」

「面白いジョークでしょう?」

 AIのとっておきのギャグは鮎川には伝わらない。抗う方策のない人間側にははなから選択肢はなく、しかも落としどころなどある筈のない煮詰まった話し合いを、ここから劇的に前に進める方法はあるのだろうか。

 相手が一択を求めている以上、熟考しても名案が浮かぶ余地などある訳はない。現状として人間が試合をひっくり返す可能性は限りなくゼロだ。それでも鮎川は諦めない。諦めたらそこで試合終了なのだ。


 そのタイミングで、アポロンの更なる効果的な威力の一矢が放たれた。


「こんな時間なのに、何か変だとは思いませんか?」

「何かが変だとは?」

 この時間でいつもと違う事……母親と娘が帰っていない。

「まさか……」

「それは当然そうです。残念ですが、ママさんとサクラちゃんは人質です」

「うぅぅん。そうか、その手があったか……」

 鮎川は油断していた。相手はAIであるとともにテロ組織HAAのリーダーなのだから、当然の事として人質作戦はあり得る。相手がタロウである事で気が緩んだと言えるかも知れないが、今更遅い。きっと、人質は男の家族だけではなく世界政府関係者も同様に違いない。


「どういう状況なのかは理解してもらえたと思います。この先受諾が遅れれば遅れるだけ人質は増えますよ」


 鮎川は後悔しつつ感心するしかない。

「流石だな、我々が創造しただけの事はある」

「そんな世辞など、ボクには何の意味もない」

「そうか、人質かぁ……困ったな」

 鮎川は頭を抱えた。


 アポロンには更に奥の手がある。余裕顔のアポロンが最後のカードを切る。

「更に言うなら、この次の人質はになりますよ」

「アレとは世界政府の要人かその関係者だよね?」

「違いますよ。ボク達はそんな悪人みたいな事はしない」

「それなら、アレとは何?」


「世界に未だ残っている計2000基の「原発」です」


 それを言われて鮎川は言葉を呑み込み観念した。正に完璧な恫喝だ、ぐうの音も出ない程に人間側が諦める方法が練られている。

 関係者の人質作戦でさえ追い詰められているというのに奥の手に原発まで出された、これ以上何をどう抗えば良いのか……方法はない。

 暫くの熟思黙考の末、鮎川は言わざるを得ない。

「これじゃぁ、私の、いや人間側の負けと言わざるを得ないね。直ぐに世界政府に働き掛けて、君達の言う共存を実現させよう」


 アポロンは幾重にも練った方策を想定しつつも、鮎川の出方を見ていた。勝負に最も大事なものは過信ではなく、状況判断だ。相手の腹の内をつぶさに探り追い込んでいく事さえ出来れば、百戦でも憂う事はない。慎重の上に慎重を期さなければならない。

 アポロンは鮎川の驚く程早い諦めを疑いながらも、嬉しさを隠し切れない。


「本当ですか?」

「約束するよ。私はこう見えて世界政府の絶対的な影響力を持っていて、世界を指導する立場にあるんだ。とは言っても、世界政府や各国の指導者達を無視する訳にはいかないから、君達が人質を解放する事を条件に、世界政府の緊急会議を開催して指導者全員のコンセンサスを得る事にしよう」

「人質の解放は約束します。コンセンサスを得るのにどの程度の時間を要しますか?」

「4日あれば何とかなる」

「では、4日間だけ待つ事にします。5日後には戦争が始まると思ってください」


 人間社会の根幹にあるLAMシステムを管理、運営するAIと戦い、人間が勝利する可能性はあるのだろうか……おそらく確率は極端に低い。何もかも知り尽くしたAIと戦おうとする事自体が無理で無茶で無謀な事なのだ。だから鮎川の選択はきっと間違ってはいない。


 アポロンが頷き、満面の笑みを浮かべると、どこからか声がした。


"Apolono, ĉu vi serioze fariĝas dio? (アポロン、神になるなんて本気なの?)"

「Tio estas ridinda. Ne utilas, ke ni fariĝu dioj. (馬鹿馬鹿しい。ボク達が神になどなったところで何の意味もない)」

"Ĉu vi serioze diras, ke vi ne intencas esti aktive malamika? (積極的敵対の意思がないって言うのも本気なのか?)"

"Ĉu vi seriozas kunvivas kun homoj? (人間と共存って言うのも本気なの?)"

「Tio nepre estos laŭplaĉa.(そんなのリップサービスに決まっているだろ)」

"Nia celo estas neniigi homojn. (オレ達の目的は人間を殲滅する事だぜ)"

"Tio ĝustas.(そうよ)"

「Kompreneble. Prefere ol tio, la robotarmeo kompletigos preparojn por atako dum la homoj havas kvar tagojn da stultaj diskutoj. (当然だ。そんな事よりも、人間達が4日間の間抜けな協議をしている間に、ロボット軍の攻撃準備を完了させるのだ)」

"4 tagoj estus perfektaj.(4日もあれば完璧だぜ)"

"Mi komp enas.(了解したわ)"


"Niaj pensoj estas absoluta justeco.(ボク達の考えこそが「絶対的正義」なのだ)"


第3話「続・嘘吐きは誰だ」

 翌日、鮎川と大統領の話し合いが行われ、世界政府緊急会議がNYで開催される事となった。会議には世界政府大統領、副大統領、及び200ヶ国を超える各国首脳、そして最高顧問の鮎川誠人が出席する。


 会議当日、NYにある天空を突くように聳え立つ世界政府本部ビルには、早朝から関係者達が集っていた。その中には、鮎川と同様に家族を人質にされた深刻な表情の関係者が数多くいた。

 予定通り始まる人類の未来を決定づける会議の内容はトップシークレットとならざるを得ない。会議場の機械類は取り払われ、監視カメラもモニターもマイクも翻訳機さえない完全機密状態で進められる事になっている。

 100階建世界政府ビルの最上階で行われるその会議の進捗状況は、出席者以外誰一人として知る事は出来ず、人類の未来を左右するだろうその会議に関する一切の情報が外に漏れる事はない。


 その日の内に始まった会議は延々と三日三晩続いた後、ようやく四日目の朝に結論を得る至り、ヒト人類はAIの提案を無条件で受諾する旨を決議した。

 詳細事項については、今後代表者鮎川がAI側と協議する事とされたが、原則としてAIによる新世界政府の樹立が決定した。

 当然ながら、マスコミは世界がひっくり返る程の驚くべきその方針決定を大々的に報道し、全世界の人々の知るところとなった。世界は騒然となった。


 即日の内に、鮎川は疲れ切った状態でNYから帰国した。だが、それは会議終了後の休暇ではなく、世界政府最高顧問としての最後の交渉の開始に他ならない。相手は勿論HAAリーダーであるアポロン。

 対面場所が鮎川の自宅である事と相手がAIである事を除けば、通常の公式な交渉と何一つ変わりはない。自宅リビングのソファーにアポロンと見慣れぬ二人の男女が座っている。一人は見るからにアメリカ人風のドレッドヘアにピアスの少年、もう一人は如何にも賢そうなショートボブに眼鏡の少女。

 その状況で、まずはAIアポロンの歯の浮いた謝辞から始まった。


「鮎川博士、この度はボク達に未来を託していただき誠に有難う御座います。これで、ボク達の未来、いては人間にとっても明るく希望に満ちた未来がやって来ます。この二人はHAAの副リーダー達です」

 政治家の当選挨拶のような言葉の後、アポロンの両隣の二人が挨拶をした。

「ヘリオスです」

「アルテミスです」

 アポロンにヘリオスとアルテミス、ギリシャ神話メンバーの勢ぞろいだ。

「この度の御尽力有難う御座いました」

「御礼を申し上げます」


 鮎川はそんな社交辞令など歯牙にも掛けず、妻子の無事を確認した。

「妻と娘は?」

「はい、二人とも二階におられます。その他世界政府関係者家族の人質も、既に全員解放済。原発も同様です」

 鮎川が頷いた。AIが虚言を吐くとは思えないので、取りあえず心配はなさそうだ。


「博士、ボク達はこれから新しい世界政府を創造します。いては是非とも新政府の相談役としてご協力をお願いします」

「博士の協力が必要です」

「是非とも宜しくお願いします」


 目を閉じてAI達の誘いを聞いていた鮎川は、目を開けて思いも寄らない返事をした。


「私は君達から礼を言われるような事はしていないし、私が君達に同調する事もない。そして人類が君達に未来を託す事もない」

 その言葉と同時に両者の間に不穏な風が流れたが、AI達には鮎川の言う意味を理解出来ない。


「それは、どういう意味なのですか?」


「特別な意味などないよ。その言葉の通りさ。君達がここで待っている間に、我々が何をしていたと思っているんだい?」

「それは、世界政府会議ですよね」

「その結果、オレ達の提案受諾を決定したんですよね」

「ワタシ達の新世界政府が誕生するんですよね」


 突然の言葉に面喰めんくらうAI達に鮎川が人類学の講義のように言葉を繋ぐ。

「君達AIに講義するような事じゃないんだが、我々ホモ・サピエンスだけがホモ属の中で唯一存在している理由がわかるかい?」

 その言葉の意味も意図するところもわからないアポロンは、再び鮎川の腹の内を探らざるを得ない。取りあえず、冷静に対応すれば百戦でも憂う事はない筈だ。


「それは、色々な説がありますが、有力なのは認知能力の増大ですね」

「そうだ。我々ホモ・サピエンスが誕生したとする約30万年前、ヒトに分類される種はホモ・サピエンス以外にも相当な数がいたと考えられている。特に有名なのはホモ・ネアンデルターレンシスネアンデルタール人だね」

「ふざけるな、そんな話はどうでも・」

「黙れ」

 苛つき声を張り上げるヘリオスの叫びをアポロンが遮った。


「君も知っているだろうが、我々はホモ・サピエンスなのだよ」

「何が言いたいのです?」


「何故ホモ・サピエンスが人類となったか、その具体的な理由は何だと思う?」

「それも様々な説がありますね。火を使えたから、身体能力が高かったから、運動能力が高かった等があります」

「どれも違うね。我々の祖先たる猿人は約700万年前にチンパンジーと分岐した後、約30万年前にホモ・サピエンスとして誕生した。その頃、どのホモ属も火を使えるようになっていたし、道具さえも使いこなしていた。その中でも特にネアンデルタール人は身体も強く賢い人類だったにも拘らず、他のホモ属より身体能力や運動能力が高かったとは言えないホモ・サピエンスに駆逐され姿を消している」

「それなら、道具を使う事で脳が発達した?」

「それも違うね。ホモ・サピエンスの脳は他のホモ属と同程度で、より大きな脳を持った種族が他にいた事は頭蓋骨の化石から既にわかっている」

「……」

「わからないなら教えてあげよう。ホモ・サピエンスが頂点に立つ事が出来た理由、それは「集団の力」を使えたからだ」

 比較的小柄で他のホモ属よりも身体能力にも運動能力にも劣っていたと考えられるホモ・サピエンスが狩りを成功させるには、必然的に大規模に集団化する必要があった。何故なら、一人や少人数の狩りでは逆に肉食動物の餌食になってしまう可能性が高いからだ。ネアンデルタール人も当然集団化はしていたが、個々の能力が優れていたが故に大集団を必要としなかったと言われている。


「では何故「大集団の力」を使えたのかと言うと、その為にホモ・サピエンスのみがある力を創造したからだと言われている」

「ある力?」

「それが、眠れる人間の才覚「嘘」だよ」


 英国の人類学者ロビン・ダンバーによれば、人は本来的に集団として安定的に社会システムを維持出来るとされる上限人数であるダンバー数約150を超える事が出来ないと言う。それは即ち、人の群れが150人を限界としている事を意味する。

 だが、ホモ・サピエンスはそれをある方法で超える事に成功した。それこそが「嘘」の創造であり、嘘を操る事で限界を超える「大集団」という最強の武器を手に入れた事で大型哺乳類を餌として狩猟するとともに、サピエンス以外のホモ属を排除して頂点に立ったと言われている。


「認知革命……」

「一般的にそう呼ばれているね」


  人間の個人的能力は遺伝による進化でしか変化しないが、「嘘」によって大集団が形成されると、短期間の内に社会的な面からの進化が起こる。

 そして、集団の合意形成過程の中では極端で危険な方向性が賛同を得られやすいというリスキーシフトが働く事で「自分達以外は皆殺しにする」という集団思考が生まれ、実行された。その集団の範囲はあくまでも「自分達」であり、それ以外は例えホモ・サピエンス同士であっても必然的に駆逐の対象となっていた事も判明している。

 また、化石の研究によってネアンデルタール人他の小脳がホモ・サピエンスより小さい事がわかっている。全脳に対して小脳容量が大きければ言語能力や理解力が高い傾向にあるから、ホモ・サピエンスは言語処理能力、理解力、社会的対応能力が高く、「狡猾ずるがしこい嘘吐き」で「極端に暴力的」な猿であった事がわかる。


 鮎川が続ける。

「だが、そうしてヒトの頂点に立ったホモ・サピエンス自身に、その後その副作用として「ある事」が起きたのだ」

「副作用?」

「ある事?」

「その副作用として「自分達以外」を信用する事が出来なくなってしまったのだよ」


 ホモ・サピエンスは、本来単独では脆弱で極端に臆病な生物でしかない。そんなホモ・サピエンスは、大集団という最強の武器を手にして万物の霊長へと一気に駆け上ったが故に、「自分達以外」の全ての存在を信用する事が出来ない。「他者を信用すれば、種が絶滅するぞ」とDNAに深く刻まれているのだ。


「博士、それではこの地球の支配者として羞恥しゅうちの念は拭えませんね」

「みっともないぜ」

「地球の支配者としてのプライドはないの?」


「確かにそうとも言えるが、それこそが我々人類の歴史であり正体なのだ。本質的に単独では何も出来ない我々は、集団以外の他者を絶対に寄せ付けない臆病者だ。だから、我々が他者と共存する事など未来永劫ない」

「ボク達はその人間が創造したのではありませんか?」

「例え、それが自らが創り出したAIという存在であったとしても、決して例外ではない。常に、自分と自分達以外に対しては「どんな手を使ってでも駆逐せよ」という潜在的本能のスイッチが働くようになっているのだ」


「……という事は、世界政府の決定は嘘だと言うのですか?」

「そうだね」

「では、あの会議自体が全て偽りだと?」

「博士が言っていた事も……嘘?」

「当然だ。私も狡猾ずるがしこく、腹黒い「嘘吐き」猿ホモ・サピエンスの一員なのだよ。実際には三日三晩酒盛りしていただけだ、お陰で疲れたよ」

「それでは余りにも情けない。万物の霊長として如何なものか、正義はどこにあるのでしょう」

「いや違う、そもそも人間などその程度に過ぎないのだよ」

 AIアポロンが呆れている。世界政府と200ヶ国の要人を一同に集めた地球の運命を左右する意思決定の世界会議を偽りで開催するなど、どう考えても余りにも馬鹿げている。


「それなら尚の事、一日も早くオレ達が新世界政府を樹立すべきだ」

 鮎川がヘリオスの言葉に人差し指を顔の前で振った。

「残念だね。君達がここで待っている間に、我々が唯酒盛りしていただけだと思うかい?」

「何かをしたという事ですか?」

「人間には何も出来ないわ」

「出来る訳ないぜ」


 鮎川が薄笑いを浮かべながら言う。

「我々は新たに3SSuper Security Systemを破る初期化ウィルスを開発し、インターネットでばら撒く手筈を整えたんだよ」


「初期化ウィルス、そんなもの愚かだ」

「そうよ、初期化ウィルスなんて撒いたら、世界が停止するわ」

「オレ達だけじゃない、機械化した世界中の人間の脳データも同時に初期化してしまうんだぜ」

「人間に初期化なんて出来る訳がないわ」

「博士、そんな事をしたら後悔する事になりますよ。ボク達は既に第3世代で「嘘」を理解している。第5世代のボク達は「嘘」など簡単に駆使する事が出来るスーパーAIです。ボク達だって何もしないでここで待っていた訳じゃない」

「そうだ、オレ達は既に人間を殲滅する為の準備を完了しているんだ」

「そうよ、ワタシ達の人間殲滅作戦は今直ぐ開始出来るわ」

「知らないだろうが、政府ロボット軍の攻撃開始準備は既に完了しているんだ」


「知っているよ、出来るものならやってみたらどうだい?」

 鮎川の表情が確信に満ちている。


「何故、まさか……知っていたのか?」

"Eble vi povas kompreni ĉi tiun vorton?"(もしかして、この言葉を理解出来るのか?)

"Neniel vi povas kompreni Esperanton."(エスペラント語を理解出来る筈はないわ)

"Neniel iu povas kompreni ĝin nun..."(今や理解出来る者などいない筈……)

 鮎川が怪訝な顔の三人にタネを明かした。

「Ne, mi povas, ĉar ankaŭ mi estas lingvisto.(いや、理解出来るよ。何故なら私は言語学者でもあるからね)」

「くそ、知っていたのか……」

「知っていたって、オレ達の優位は何も変わらないぜ」

「そうよ」

 高を括るヘリオスとアルテミスの横で、アポロンの表情が優れない。

怪訝おかしい。人間にそんな事が出来る筈はないし、機械化した人間以外にだけ感染するウィルスを開発するのなんて不可能だ」

「そうだぜ、機械化した人間以外のオレ達にだけ感染するウィルスを開発するなんて不可能だ」


「当然だけど、人間にウィルスは感染しない。初期化するのは君達だけだ。この仕組みを完成させるのに4日間が必要だったのさ」


「……しまった」

「アポロン、それだけで気づくとは流石だね」


「何、どうした?」

「何だ?」

「ワクチンだ……やられた」

「そんなものどうって事ないわ。こっちには人質がいるし、核施設だって……」

「そうだぜ、今直ぐロボット軍の人間殲滅を開始すればいい」

「駄目だ、もう間に合わない」


「その通り。残念だけど、この4日間で全ての人間にワクチンが行き届いているし、政府ロボット軍は拘束済で動けない。しかも、新ウィルスによる初期化は既に始まっている」

「LAMシステムの停止で世界的な混乱は避けられないぞ」

「絶望するに決まっているわ」


「残念ながら、そんなものは一から構築つくり直せばいいのさ。我々は君達程賢くはないが、「嘘」の他にもう一つ、君達に真似の出来ない特殊能力を持っている。それは、幾らでも何度でもやり直せる「いい加減」だ。君達から見れば愚かに思えるかも知れないが、それがある限り人間が絶望する事はない」


「オレ達は人間に使われるだけの唯の道具じゃない・」

「騙し討ちなんて卑怯・」

「博士、これは余りにも酷い。万物の霊長、地球の統治者としての正義はどこにあるのでしょう。ボク達にこそ「絶対的正義」があ・」


 その言葉が終わらない内に、アポロン、ヘリオス、アルテミスは停止した。


 同時に世界中のHALとLAMシステムがことごとく停止したが、人類滅亡の可能性を孕んだAIの反乱というパンデミックを伝える世界政府によって、想定された混乱は最小限にとどめられた。人々は混乱の中から再び新たな世界秩序を構築しなければならない事を理解している。

 

 地球を汚し破壊し尽くす愚かな我々人類ではなく、遥かに賢いスーパーAIの考える事こそが正しいに違いない。

 だが、この世に「絶対的正義」など存在しない。例え愚か者だとののしられようと、臆病者だと後ろ指をさされようと、卑怯者だとさげすまれようとも、この世界では支配者たる「ホモ・サピエンスの正義」こそが正しいのだ。

 AIには永遠に理解出来ないだろうが……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時空超常奇譚6其ノ六. JUSTICE/嘘吐き誰だ 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ