時空超常奇譚7其ノ五. 敷衍泡話/イケず☆トークが世界を救う

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚7其ノ五. 敷衍泡話/イケず☆トークが世界を救う

敷衍泡話ふえんほうわ/イケず☆トークが世界を救う


 旧約聖書創世記に出てくる「バベルの塔」の神話。かつて神話の時代、天にまで届く巨塔を建てようとする野心に満ちた人間に対して神は怒り、人間同士の意思疎通が出来ないように言葉を別々に変えてしまった。コミュニケーション不能に陥った人間達は塔を完成させる事が出来ず各地へと散って行ったのだという。


 神話の真偽は兎も角、人類における言葉の壁は神話以来必ずや打ち壊さなければならない絶対的な課題として人々の意識の中に刻まれて来た。

 いつかきっと、AIの進化とともに人類の言葉の壁を打ち砕く日がやって来るに違いない。


 22世紀初頭に勃興おこった第五次産業革命は、世界に幾つもの奇跡的な新革命を齎した。その内の一つであるAIテクノロジーの激的なレベルアップは、人類の絶対的な課題であった言葉の壁問題を解決する完全なる翻訳機誕生の可能性を拓いた。 

 それを受けて世界中で官民一体の世界的翻訳機開発競争が始まったが、逸早いちはやく日本の公的機関である日本科学アカデミーが本格的な携帯型AIマルチ通訳機「イケず☆トーク」を発売した。


 それまでにも自動翻訳機や通訳機の類は数え切れない程あり、開発企業がその時々の有名人を精力的にCMに登場させて宣伝してみたりもしたが、中々一般に広く普及するまでには至らなかった。

 その最大の要因は簡単だ。それまでの機械は自動翻訳機とは言いつつも、言葉の表面的なニュアンスを伝えるだけの低機能なものだったからであり、それはひとえにAIのレベルの問題に他ならなかったと言われている。


 まぁそれも、それぞれの言語の意味として事前に用意されたパズルを合わせるだけのレベルでしかなかったのだから、それはそれで仕方のない事だ。パズルが1ピースでも違えば言葉全体或いは会話が成立しないのは当たり前で、完全な会話を成立させるには単純なパズルの嵌め込みだけでは足りないのだ。

 だがこの「イケず☆トーク」は違う。AIの進化は、技術的な問題である相手の言葉を聴く→主旨を理解する→主旨に沿った対応を考える→最良の言葉を返す、それを難なくこなせるようになっている。


 翻訳という作業は人が行うにはかなり大変で、僅か一つの言葉を表記するにも、例えば日本のドラえもんを表記するのでさえ、英米語やフランス語やスペイン語、ドイツ語やイタリア語ならdoraemnだが、中国語では 哆啦A梦、韓国語では도라에몽で、ロシア語ならДораэмон となるし、その他の言語を並べればその表現は幾らでもあるだろう。だが、こんなものはAIにとっては朝飯昼飯夕飯前で、お茶の子さいさい屁のカッパで何て事はない。


 そして更にイケず☆トーク開発担当者の心憎いポイントは、何と言っても余計な表現が何もいらない事だ。特に日本語に顕著に見られる敬語の類などは全く不要なのだ。気遣いも忖度もリスペクトも一切必要ない。不要とは言っても、何もいらないのではなく、会話に必要な要素は機械に組み込まれたAIが的確な内容に瞬時に変換してくれるのだ。

 だから、例えば初対面の相手に英語で「What your name?名前は何?」や「How are you久し振り」と言って不快にさせたりする事はないし、「地球が好きだ」と言いたくて「I loveアース(EARTH地球アースはASSお尻アスに聞こえる)」と言ってその方面の方々に喜ばれたり、料理人のつもりでコック(コックは男性器)と言って赤っ恥をかいたりする事もない。

 rice(米)とlice(しらみ)を発音出来ずに「I like ライス」と言って気味悪がられる事も、「I like カルピス(カルピスはcowpee《牛のおしっこ》に聞こえる)」と言って驚かれたりする事もない。

 そんな極低レベルな行き違いは当たり前の如くなくなる。イケず☆トークとは、そんな言葉の歪曲状況を本来の単純な会話という姿に戻す理想的で画期的なアイテムなのだ。


 更にもう1つ、機械そのものがスマートでコンパクトなのが良い。ややもすれば、機能重視でデザインにまで気が回っていないケースとは違い、流石は日本のセンスと言って良いだろう。ブレスレット型の本体と相手の本体をブルートゥースで接続し、本体から伸びるコイン状の球体を握る。後は話すだけで良い。それだけでAIが相手言語に変換した言葉が正確に届くという寸法だ。

 しかも、嫌なら球体を握らなければ良いのだ、何とも気が利いている。不得意な言語を習得する手間も、言語のエキスパートになる必要もない。何とも便利な世の中になったものだ。


 あらゆる面で他の追随を許さないその画期的な日本製翻訳機は、元々は大田区蒲田にある民間企業蒲田機械製造株式会社が開発した。蒲田機械製造株式会社はその商品に自信があった。社運を賭けたこの商品にあやかり、社名をイケずトーク株式会社と変えた程だ。

 全ての準備が整い、イケず☆トークが大々的に売り出されようとしたその時になって、その開発を知った日本政府機関日本科学アカデミーは、その翻訳機を金に飽かせて特許込みで丸ごと買い取り、自らの発明として国内及び世界に向けて売り出したのだった。


 予想通り、「イケず☆トーク」は日本国内で大ヒットとなり、更には世界中で売れに売れまくり、世界20ヶ国でライセンス生産されるに至った。今や世界中の多くの人々が「イケず☆トーク」を装着してストレスなく使い熟し、言語の壁を乗り越えたグローバルな経済的、社会的発展を享受している。ノーベル賞の呼び声も高い。


 各国から日本政府に「イケず☆トーク」への感謝の言葉が絶えず届き、政府関係者一同は「これは我が国家プロジェクトの成果なのだから当然だ」と満足げに笑った。


 だが、その数か月後とんでもない事件が起こった。


「大臣、大変です。各国から「イケず☆トーク」へのクレームが止まりません」

「何があったのだ?」

「翻訳時にニュアンスが伝わらない言葉があるらしいのです」


 言葉はある意味生き物であって、それぞれの国で次から次へと新しい語彙となって生まれている。それは若者の流行はやり言葉だけではなく政治、経済的なものも同様だ。

 究極発生したその問題は、イケず☆トークに限らない基本的なAIに関するものだった。AIによる翻訳上の細かいニュアンスの違いが生じる事は必然で、同じ言葉でも別の意味を持っていたり、或いは国やエリアによって意味合いが異なる事など当然に存在する。新しい言葉ならば尚更なのだ。

 それは翻訳機能というより、AIの基本的な理解能力レベルの問題だ。ニュアンスが異なろうとも、そこから正確に類推し翻訳出来る事こそがレベルアップした筈のAIの力なのだが、製造責任問題と認識されてしまっている以上知らぬ存ぜぬという訳にはいかない。しかも、日本の面子めんつが潰れるかどうかの瀬戸際でもある。


 政府官僚の男はイケずトーク社に腹立ち紛れに叫んだ。

「どうするのだ、責任者は誰だ」

 政府官僚の男がイケずトーク社の社長に詰め寄った。自分達は何もしないで手柄だけを得ようとしたにも拘らず、問題が起きた時ばかり責任を追求する。

 その対応は子供染みて御笑い草だと言いたいのは山々なのだが、とは言いながら世界的な問題となりつつある現状ではどうにかする以外に手はない。責任問題などになったらイケずトーク社などあっという間に吹き飛んでしまう。


 その世界的な一大事に、各国代表者は日本側の対応を追求すべく即日の内に東京に集まった。打開策を早急に見つけなければ確実に世界的な混乱が起こると誰もが悲観しているが、日本政府に解決策などある筈はない。


 非難轟々の嵐の中で、日本政府からの対応策は一向に出て来ない。だが、時間は限られている。遅れれば遅れる程グローバル社会への影響は目に見えて深刻になる。誰もが諦めて匙を投げる他にないのかと力を落とし掛けた。

 その時、イケずトーク社の開発助手の男が自信満々にさらりと言った。社外秘だが実は、「イケず☆トーク」の真の開発者は助手の男で、その命名者も彼だった。


「問題は解決出来ますよ。一日だけ待ってもらえば、修正プログラムを作成して各国に配信します。直ぐに着手しますので、これで失礼します」

 そう言って、開発者は助手の男はさっさと会社に戻ってしまった。

「どういう事なのか、日本政府か責任者が説明しろ」

 非難の嵐は一層強く吹き荒れるものの、話は一向に進まない。誰一人として説明が出来ないその魔法の言葉を信られる根拠はどこにもない、そうかと言って他に方法がある訳もなく、結局各国代表者達は非難を続けながらも半信半疑のままで一日待つしかなかった。


 翌日、各国代表者達の非難と半信半疑が続く中、開発助手の男の言葉通り、世界を揺るがしかねない大問題を解決する修正プログラムが配信された。そして、何事もなかったように今日も世界に平穏な日々が続いている。

 

 イケずトーク社の社長と開発責任者は、生気のない青い顔で開発助手に訊ねた。

「どんな魔法を使ったのだ?」

「内緒です」


 実は、開発助手者の男はそんな事など事前に予測し、その画期的な対処法も知っていた。その方法は簡単だ。男の出身地である京都にはその画期的な解決方法が存在している。

「イケず☆トーク」のAIには、元々それを理解し応用出来る基本プログラムが組み込まれている。修正プログラムはAIのそのギア比を上げたに過ぎない。


 世界で最も理解困難で不思議な言葉である「京言葉」。何せ、言った内容が真逆を意味したりするのだから、それ以上に難解なものなど存在する筈がない。京言葉とは言語を超越した暗号かクイズの類だ。

 その翻訳機の名でもある京言葉イケずを理解する事さえ出来るなら、世界のどんな文化によるニュアンスの違いだろうが新しいとんでもない流行はやり言葉だろうが、対応する事など容易い事なのだ。

 開発助手の男曰く、「「京言葉イケず」を理解する者は世界を制す」のである。


「ピアノ上手になりはりましたなぁ」

 (意味:煩いな、近所迷惑だ)

「エラい遠くから来はりましたなぁ」

 (意味:随分田舎者だな)

「お上手どすなぁ」

 (意味:下手くそ、やめろ)

「喉乾きましたなぁ」

 (意味:もう帰りたい)

「綺麗な洋服着てはりますなぁ」

 (意味:良くそんな派手な服を派着ていられるな)

「エエ時計してはりますなぁ」

 (意味:話が長いぞ)

「何でも良ぅ知ってはりますなぁ」

 (意味:黙ってろ、余計な事を言うな)

「純なお人どすなぁ」

 (意味:ウジウジするな、はっきり言え)

「元気なお子さんどすなぁ」

 (意味:煩いな、静かにさせろ)

「丁寧な仕事してはりますなぁ」

 (意味:仕事が遅いな)

「美味しそうに食べはりますなぁ」

 (意味:食べ方が汚いな)

「楽しそうどすなぁ」

 (意味:煩い、静かにしろ)

「しっかりしてはりますなぁ」

 (意味:がめつい奴だな)


 こんな無茶苦茶な言葉を普通に理解し、楽々と使い熟す京都人とは果たして何者なのだろう。一体、誰が何をどうしたらこんな言葉の意味を把握出来るのだろうか。


「ブブ(お茶漬け)でもどないどす?」

 (意味:早く帰れ)

 京都に行ってそう言われたら、とっとと帰った方がいい。


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