らんららラーメン

きんけつ銭鳥

♨️

 ラーメン。それは魅惑の響き。

 もう十一月だというのに、日は優しく我らを照らし、まるで初夏の陽気である。

 普段は外食といえばほぼ喫茶店である私だが、今日は少し趣向を変えてみようと思い立ち、ここにいる。

 よく整備されたアスファルトの上を歩く。汗ばんだ体に耐えながら、スマートフォンに表示された白い地図を片手にキョロキョロと辺りを見回していると、やけに熱気を放っている店舗を見つけた。ここだ。換気扇からほのかに脂と醤油の香りが漂ってくる。今回の目的地、ラーメン屋である。

 どうやら自動ドアではないらしい。外からそっと覗ってみると、思っていたより室内は狭いようであった。カウンター席しかないようだ。それ越しに見えた大きな寸胴鍋から、さらに大きな湯気がもうもうと立ち上がっている。

 私が勇猛果敢にドアを開けると、それは法螺貝がなるかのごとくガラガラと音を立てた。中は意外と涼しい……と思わせて暑い。冷房をきかせてはいるのだが、それに厨房の熱が勝ってしまっている。湿り気と店員の耐久性の高さを感じつつ、中へ入る。店長らしき人がいらっしゃいと私へ声をかけ、食券を買えとも言う。既にいる客のほうをちらっと覗くと、紙の切符のようなものが置かれていた。これを自販機で買うのか。何を食べるかはもう決めている。今日の昼食はチャーシュー麺だ。

 食券を買い、私は意気揚々と席に座った。気分は陣に控える大将軍である。あとはラーメンを食すだけ。勝利を目前にしていたはずの私は、店主の思わぬ言葉に不意をつかれた。

 なんだと。麺と具材の量だと? しまった、ここはそういう系の店だったか。

 事前に見ていたレビューの写真では、ごく普通の量のラーメンに見えた。有名なあの、ニンニクマシマシメンカタメだったか? そのような奇怪な呪文を唱える店ではないと思っていたのだ。故に何も言わなければごく普通の、それこそ店のマニュアルにでも書かれているだろうテンプレートに沿ったラーメンが勝手に作られると思っていたのだ。完全に油断をしていた。よく見ると、額縁に飾られて「何某系から暖簾を分けてもらった」という趣旨の賞状らしき紙が貼られているではないか。これは今月一番の大失態である。

 しかし、こういった事態にもお約束というものは存在するのだ。一瞬の思考。完璧な計算式を脳内に書き出し、声を出す。この瞬間、再び私は勝利を確信した。

「お、おまかせで!」

 ふふふ。勝った。

 一人、静かに余韻に浸る。鍋から先客の麺が茹で上がるのを眺めながら、私は悠々とそのときを待った。

 店員が手慣れた仕草でその鉢を置いた。やったぞ、チャーシュー麺だ。

 調味料と脂に浸かったそれは、食されるその時を今か今かと待ち望んでいるようだった。美しく並べられたチャーシューの首飾りとほうれん草の帽子で自身を飾り立て、目の前に座った客を誘惑している。では、望み通り食べてやろう。

 まずはスープを一口飲む。うまい。想像の倍は脂ぎっているが、それがまた脳の快楽中枢に心地の良い刺激を与えてくれている。しかし、これでは飲み干すのは不可能だろう。いつもであれば、残すのはもったいないと最後まで味わい切ってしまうところだが。

 次に麺を食す。うまい。汁としっかり絡まった太麺は、もちもちとした食感で食べ応えがある。この、うどんとも蕎麦とも違う、ラーメン特有の噛み心地が私は好きである。どうやら少し硬めにしてあるようで、食べ終わる頃には少し伸びてさらにより良い食感になるよう計算されている。

 そして、今日のお目当て、チャーシューを食べる。うまい。チャーシューが美味でないことは今まで一度もなかったが、やはり美味いものはいつでも口に入れた瞬間美味い!と思うものである。うまい。

 うまい、うまい、と順調に食べ進めていた私であったが、途中である困難にぶつかってしまった。

 ……はたして、この量は完食できるのか?

 そう、私はこのラーメン屋がいわゆる「そういう系」の店だとは想像すらせず乗り込んできたのだ。ふと周りを見れば、客は食欲旺盛な男性ばかり。自分のような虚弱な女が、一人でのこのことやってくる場所ではなかったのである。そういえば、店員も私を見た瞬間怪訝な顔をしていた気がする。なるほど、あれは「また客が来た、面倒臭いな」ではなく「あれ、いつもの客層とは違う人が来たぞ」の表情だったのだ。

 私は軍を率いる大将軍などではなかった。場違いな戦場に迷い込んだ、ただの矮小な農民の子どもでしかなかったのだ。

 そう考えると、この鉢の中に入った彼女も気の毒である。本来その身を預けたかった相手はここにいない。いるのはだんだん脂と肉の圧に負け、吐き気を催してきた私だけだ。さぞかし気まずい思いをしていることだろう。

 だが、負けてはならない。これはラーメンを愛する者としての矜持だけではない。この先、この店へうっかり迷い込んでしまった女性達への偏見を持たせないための戦いでもあるのだ。あと、ラーメンがうまいので普通に残したくない。

 私は必死に戦った。戦い、もがき、少しえづき、とうとう最後のチャーシューまでたどりついた。だがしかしカチャ、と箸を置いてしまったのだ。最後の一口というのは、ここまで高い壁だったのか。はあ。静かにため息をつき、食べかけのチャーシューと睨み合う。冷めつつあるスープの中で、そいつは優雅に腰を据えこちらを睨み返していた。あと少しで完食だというのに、自分は何を躊躇っているのだ。ここを乗り越え、私はラーメンの侍として名をあげるのだ。

 箸を再び手に取り、構えた。決死の勢いで口に運ぶ。そいつは食料のくせに食べられてたまるか、と静かな抵抗をしてきていた。

 ええい構うものか、詰め込んでしまえ。リスではないが、やっていることはまさしくそれそのものである。頬の中がパンパンになってしまったため噛むのさえ辛くなってしまったが、これも勝利のためだ。私は、もはや執念で動いていた。

 水を流し込み、飲み込むようにチャーシューを喉へ促していくと、驚くほどあっさりと決着がついた。

 食べ終わった。

 私は勝ったのだ。

 ……気がつくと、私は店の外を歩いていた。どうやら、満腹になった余韻で少し記憶が飛んでいたらしい。日が暮れてきたにも関わらず熱気のこもる道の上、冬の訪れを感じる風が吹き始めている。路脇の電灯はポツポツと灯りをつけ始め、周りでは入店前より多くの人間が歩き、帰宅を急いでいた。では自分もその中に紛れ、何事も無かったかのようにいつもの日常へ戻ることにしようではないか。

 食事中掻いた汗で肌に張り付いた服と、髪に移った微かなスープの香りだけが、今回の勲章だ。まあ色々あったが、うまかった。それで良いのだ。ラーメン。

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らんららラーメン きんけつ銭鳥 @kinketsu_dori

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