第4話

 トンネルを抜けて、ファミレス、ビジネスホテルに法律事務所としばらく道路に沿って自転車を走らせたところに市民図書館はある。


 僕も昔はここで受験勉強をしたものだ。

 街路樹が枝を張り出していて、自動ドアのセンサーが上手く反応しないということを、今更のように思い出した。十年経ってもそのままだった。

 扉の前でぴょんぴょんと飛び跳ねている大野を横にずらして、枝を払ってやる。


 扉が開いた。


「わお、芸術点っ」


「どこがだよ」


 パチパチと小さな手を鳴らしながら、進んでいく。

 そこら大手の図書館と比べたら、ここは小さな図書館だった。

 冷房が効いているのかひんやりとした空気が漂ってくる。


 子ども向けの本が並べられているコーナーが、入ってから直ぐにあり、流線型に手すりが伸びていた。その向こうには誰が読むのか分からない哲学書、分厚い洋書のコーナー。片隅の小さなエリアにソファーが置かれている。


 平日だからか、利用客の姿は少なかった。一線を退いたご年配の方々が大野の騒がしい足音に目を向ける。

 それに愛想笑いと一緒に頭を少し下げて、大野について行く。


「ふんふふーん」


 大野はソファーに寝っ転がり、大きな本を読んでいた。

 タイトルは……。


「読めん」


 英文字だった。それも結構長いし、知らない単語ばかりだった。


「大野はそんなものを読むのか……」


「えへん。わたしこれでも知識人ですので」


 目をキラキラさせながらページをめくって、こちらに見せてくる。いや、読めんわ。


「Reality is created by the mind, we can change our reality by changing our mind……って、いい言葉だと思いませんか?」


「『現実は心によって創造される。 私たちは心を変えることによって現実を変えることができる』」


「おっ、もしやそなたも?」


「いや、ネットで聞いたような気がしただけ」


 確か有名な哲学者の言葉だったか? 誰がおっしゃったかまでは知らない。


 大野は本で顔の半分を隠して、目線だけをこちらに見せる。ニヤニヤしている。正直可愛い。


「つまりですよ? 今わたしが『世界よ滅びろ』、って願ったりしたらもしかして叶っちゃうのかもしれないじゃないですかっ?」


「はぁ」


 大野のこういった突飛な発想は、珍しくない。その対象が僕なのか世界なのかは些細な問題だ。今日は世界が滅ぼされる番らしい。


 ダンディな哲学者さんが言った言葉は、多分そういう意味ではない。そして、そんな理屈なんて大野には関係ない。


「世界征服も、ハーレムも、億万長者も! やりたい放題ってなわけですよ! 夢がある!」


「君は本当に毎日が楽しそうだな」


「毎日がエブリデイなくらいには楽しいですねぇ」


 本を丁寧に仕舞ってから次の本を探しに飛び出すようにして駆けて行く。

 図書館内はお静かに。デフォルメされた動物が口に指を立てているポスターを見上げて、ため息をついた。


 大野の座っていたソファーの足元には、なぜかここまで持ってきた虫取り網と虫かごが置いてある。

 ソファーは大野の体温が高いせいか、ぬくいままだ。


「……何を読むかな」


 色んな本棚を巡る。気になった本は今のところない。こういうときに、自分の無趣味さを突きつけられている感じがする。


 昔の新聞が年代別に置かれているところまで、いつの間にか来ていた。

 大見出しに殺伐とした色合いで、刺々しい文字がある。十年前のものだった。


 取り出して見る。保存状態が良かったのか、印字はほとんど発行された当時のままだ。黄ばんでもないし、破けてもいない。


 めくる。


「『連続殺人事件の真相に迫る、犯人はまさかの女子高生!?』……か」


 この街で起きた猟奇殺人。犯人は未だに捕まっていない。最後には女子高生の自殺で幕を閉じたということから、世間では自殺した女子高生が狂気の殺人犯だと騒がれたこともあった。


 いかにもセンセーショナルで数字が取れそうな話題だった。毎日のようにテレビで報道されて、毎日の夕飯が不味くなった。


 しかし、だ。

 僕は自殺した女子高生……つまり、大野だが、彼女が犯人ではないと断言できる。実際に見てしまったのだから仕方がない。他の目撃者がいたのならば、揃って答えるだろう。


 大野は犯人ではない、と。


「ふむ」


 というか大野は自殺したはずなのに、なんで小学生の姿で出歩いているのだろうか。どこぞ名探偵みたいに黒い組織に変な薬を飲まされたわけでもあるまいし。死んでるし。


「なーに見てるんすか?」


「おわっ!?」


 急に股から大野が生えてきた。……というのは冗談で、大野は別れた後から僕のことを観察していたのだという。暇なやつめ。

 連続殺人事件。大野の自殺。そんな話題がてんこ盛りの新聞を、慌てて隠す。


「もーらいっ」


 寸前、強引に奪われた。小さなべろをこちらに出して、一転、真面目な表情でふむふむと読み込んでいく。


「こんな辛気臭いものよりも、お昼、食べに行きましょうよ。わたし、人のお金で食べるご飯が三度の飯よりも大好きなんです」


「大野……お前は……」


「ありゃ?」


 大きな瞳がこちらを見つめる。

 目を、逸らす。


「そんな顔しないでくださいよー」


 ごろんとこちらの胸に身体を預けてくる。空調で冷やされた大野の身体は、どこか冷たい。


 そのまま胸の中でもぞもぞした後、気に入った位置を見つけたのか、顔を上げてきた。


 僕の視線と大野の視線が、交わる。

 大野の瞳は、黒色だと思っていたが近くから見るとほんのりと褐色が混ざっている。僕の瞳はどうだろうか。


「わたしって、死んでるんですよね。ちょっぴりショックだったり」


 唐突にぶっ込んできた。むせそうになる。


「……自覚とかはないのか?」


「さあ? 死んでる自覚があればこんなところでおデートなんてしていませんしぃ?」


 もっともだ。いや、分からないけど。

 というか、これはデートだったのか。


「でも、わたしって高校生だったんですね。うーわっ、首吊りですか。嫌ですねー、痛そーだなー」


「記憶は?」


「記憶はばっちり、小学生までのものを持っていますよ。学校はおさぼり気味です」


 両足を伸ばしてぱたぱたと足指を折ったり畳んだり、せわしない。大野は動かないと死ぬのだろうか。マグロみたいに。

 というか。


「……幽霊?」


「失敬なっ」


 がしがしと脛を蹴られる。小さい身体での蹴りはそこまでの力ではないが、意外と痛い。

 降参だと両手を上げる。


「こりゃ分からんね……なにせ、死んだ人間が若返って、学校まで通ってるとか」


「世界には不思議が満ち溢れているのです」


「満ち溢れていなくていいのです」


「む」


 大野の口調を真似た僕に、ぷくりと膨らむ頬を向けてくる。つんと指を当てる。ぷしゅー、と温かい息が指先をくすぐる。


「じゃあ、わたしはUMA的存在ですか? ひつじ男とかチュパカブラ?」


「うん」


 なぜその二つを具体例に出したのかは良く分からない。好きなのだろうか。そういうの。


「エリア51で解剖とかされちゃいます?」


「多分ね」


「キャー!」


 はい、まっさらな棒読みキャー、頂きました。


「えっとですねぇ、きっと因果律さんがバグっているんですよ」


「……そういうものか?」


 両手を大きく広げる。まるで大玉転がしのように。


「こんなにおっきな宇宙をここまでサービス継続してくれたんです。因果律さんだってたまにはミスりますよ」


 そう考えるとそこまで気にするようなことでもないように思えて不思議だった。因果律さんって、どんな人なんだろうか。138億年も頑張ってきたんだからきっと真面目な人なんだろうな。人じゃないんだろうけど。


「そういえば、ここって新聞に出てくる殺人事件の最初がこの図書館じゃないですか?」


 おや。

 確認してみると、確かにそうだ。

 朝、職員が図書館の清掃をしているとソファーに血塗れの死体が寝かせてあったとかなんとか。指は全ての根本から切断されており、順番を入れ替えて目の前の机に並べてあったという。


 なんともサイコホラーな事件だった。

 遺体は近所に住んでいる、毎朝ランニングをしていることで有名なおじさんだった。


「目ざといね」


「これでも観察眼は優れていますので」


 なんでその観察眼を使わずに空気の読めない非常識な行動に打って出るのか。


「そんなことよりもお腹が空きました。早くご飯行きましょう。わたし、こねて焼いたお肉を食いちぎりたい気分です」


「サイコな殺人事件の話題の後にそのセリフが出てくるのは流石に引いてもいいと思う」


「はーやーくー」


 うるさいし。


「はいはい。分かりましたよ、プリンセス」


「キャー、かっこ二回目かっことじる!」


 僕の周りを叫んで駆け回る大野に、図書館の職員さんは慌てたように駆け寄ってくる。


 叱責を受けたはずの彼女の表情は、それでも笑顔だった。

 全力で生きている大野を見ると、自分が小さな存在に見えてくるから不思議だった。


 これが不思議生物、大野の持つ力なのだろうか。

 死んでも蘇るし、なんなら若返ったりする。

 なんだそれ。


「ちょっといいですか?」


「ん?」


 大野が僕に向かって背伸びをする。そして、限界まで背伸びをしても届かないことに、どこか満足げに頷くと。


「あなたって、結構いい大人になったんじゃないですか? わたしも一緒に大人になってみたかったです」


 ……なんだそれ。


「大人のわたし……もしかしたら、あなたの恋人とかになっちゃってたりして。……ね、高校生のわたしとあなたって、どうだったんすか?」


「……」


 どうです、けっこーいい女の自信、あるんですけど、と白い歯を見せて笑う彼女に、問いただしたくなる。


 じゃあ、なんで自殺なんてしたんだよ。


 目の前の小さな彼女に問い詰めても、きっと得られない質問を吐き出したくなる。


「後、十年経ったら考えてやるさ」


「肌は若ければ若いほど価値があると言うのは嘘だったんですか、もう信じられませんっ!」


 的外れなことを言ってきたりもする。


「……君を対象にした場合、ただのロリコンだな、それ」


 僕は詰めていた息を吐いて、曖昧な答えを濁らせることしかできなかった。

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