第2話

 夏の日差しが瞼を透かせて、脳髄に直撃した。


 目覚めてから、最初にする行動というものは、僕の中では大方決められていると思う。


 取り敢えず目を開ける。目を開けないという選択肢は今回は除外することにする。


 次に二つほど行動が分岐する。スマホを探る手がベッドから伸びるか、目を開けたままうつらうつらと身体を弛緩させるか。


 今回はスマホを取ることを選んだ。特に理由はない。理由なんてなくても、世界は回っているし、世界が回る理由を知らなくても生きていける。

 指先が自動的に動いて、通知オフのボタンを切り替えた。

 途端に鳴り響く、激しい雨の音にも似た電子音の連打。


 ぽろん、ぽろん、ぽろん、ぽろん、ぽろん。


「うへぇ」


 思わず口から、魂さえも吐き出さんとするほどの大きな空気の塊が漏れる。


「おーおー」


 それら全てに耳を塞いで、再び通知を封印する。良し。


 ベッドから飛び上がって……というのは冗談で、そろそろと足を下ろす。まだ朝であり、静かに埃が輝いているフローリングは温度を持たない固さを素直に伝えてくれた。


 セミが鳴いている。




 田舎と都会のハイブリッドといえば良いだろうか。つまり、そこが僕の実家のある場所であり、生まれた街、育った故郷だった。


 都心から電車で揺られて三時間ほど。自動車では高速道路に乗って五時間ほど。徒歩では多分、丸一日かかるのではないだろうか。試したことがないので分からない。


 僕の実家がある場所は田んぼに周りを囲まれている。点々と家が存在する田んぼだらけ。その境界線のトンネルをくぐり抜けると、ショッピングモールやら学習塾やらオフィスビルやらが立ち並ぶちょっとした都会的な風景が楽しめる。


 小学校から中学校、高校まで。全てがその小さな街に揃っているというのが僕の故郷の小さな自慢だったりする。




 朝ごはんを食べることにした。

 トーストに苺ジャムをたっぷりと塗りつける。ダイエット中の妹に見せれば明らかにドン引きするほどの量を、これでもかと塗りたくってやった。


 口を大きく開けたとき、ふと思い立ってテレビをつける。せっかくなので地元局に切り替えた。

 ちょうどいい具合で、キャスターのお姉さんが次の話題に切り替えてくれたところだった。少しだけ得をした気分と共に、最後まで聞いてやろうという場違いな傲慢の欠片が生まれる。


 明るいニュースがいいな。


 結果として、それは十年前に起きた連続殺人事件の黙祷が開催されるとのことだった。

 僕はこの事件を知っていた。というか、当事者として名を挙げられてもおかしくない立場だった。


「もう、そんなに経ったんだなぁ……もぐもぐ」


 色々あった、高校三年生のことだった。

 顔が原型を留めていないほど潰された人。全ての指に先っぽから根元まで針金を通された人。足と手がそれぞれの別々に繋いであった人。

 色んな人がいて、色々な死に方をして。


 そうして、僕はそんな人たちを傍観していた。足がすくんでしまったと言い訳をするのもいい。芸術的な殺し方に目を見張ってしまったと狂気じみた感想を述べるのも、まあ悪くはない。


 連続殺人事件は、波紋のように小さな都市に広がって、大野の自殺を皮切りに波紋が静まるようにパッタリと消えていった。


 僕は平穏無事に高校を卒業して、大きな都会のディナーとなった。つまり、社畜となった。

 女性キャスターは淡々と事務的に事件の概要を語っている。その言葉の一つ一つに、寒々しいほどの他人事が染み付いていた。


 それも当然のことだろう。

 すでに十年の月日が経っている。

 僕はもうあの頃の高校生じゃないし、世界はまだまだ回っていける。ニートになったけれど関係ない。


「甘いなー、やっぱりジャムといったら苺ジャムだよなー」


 何の生産性のない言葉を吐き出してみる。

 聞く相手は誰もいない。


 この時間、妹は近くの高校に通っているし、母と父は近くのお墓の下でぐっすりと寝ている。

 墓参りをするべきかもしれない。久しぶりに故郷に帰ってきたんだから。


 トーストの最後の一欠片を口に放り込んで、咀嚼。歯を磨く。すっきりした後で軽く屈伸運動。


「今日もいるのかね」


 そして、玄関を開けたところで、『彼女』が玄関前の階段で日差しを避けていた。

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