第3話 ニサ

「……う」


 薄暗い部屋で目が覚めた。

 最初は意識が混濁していたが、次第に目の前の状況が理解し始めた。

 俺は確か、奴に――。 

 そう、エリーニュスに連れ去られた。

 そうなれば、ここは奴の内部か?

 もしくは奴を保管している施設か?


「……何のつもりだ……」 


 あの殺戮兵器に連れ去られたのだ。

 どうせろくな理由でここに居るわけじゃないだろう。

 どうする?

 俺は脱出するためにいろんなことを試してみた。

 まず、目の前の扉を開けようとしたが、壁に張り付いたように開かない。

 天井から脱出できるか探してみたが、目立った空気穴みたいなものは見当たらなかった。だがよく見れば、壁や天井に小さな穴らしきものが開いていてそこから空気を交換しているみたいだ。その穴から何とか大きな穴にできないか試してみたが、俺の持ち物は全て募集されているので、無駄な足掻きだった。


「……くそ……」


 どうやら八方塞がりのようだ。

 このまま、部屋で一人のようだ。

 俺は壁にもたれる。

 俺は、何をされるのだろうか。

 拷問、虐殺、洗脳。

 様々な、苦痛の可能性が頭に回る。

 俺は何もできず、苦しみ続けながら誰かのおもちゃにされるのだろうか。

 不安が募る。

 恐怖で心が支配されると思ったその時。

 扉が開いた。


「―――――!!」


 俺は立ち上がり予測の事態に備える。

 だが、俺はすぐに、目の前の姿に目を疑った。

 ――そこにいたのは、まるで人造の体のような姿を纏った、ひとりの少女がいた。

 その少女は銀髪の髪に彩られ、おそらく女性さえも目を奪われるような美しい整った顔をしていた。この緊迫した状況の中で、俺も一瞬ときめきを感じた。それほどまでに、彼女の顔は完璧だった。だがその丸い大きな瞳は、群青の色に染めているはずなのに、まるでモノクロの様な双眸で、俺を無感情に見つめていた。

 ――だが、彼女の体は、綺麗な顔とは正反対な、奇抜な格好をしていた。

 まず、心臓が

 二つの心臓が、

 もう片方の心臓は俺たちが持っているような、赤い真紅に染めた、心臓として極めて普通の色をしていた。だが、その下の方にある心臓は、灰色の、明らかに純粋な人間のものではない、まるで作り物のような形をした何かが、寄生虫のように、赤い心臓を細い管のようなもので覆いかぶしていた。それらの心臓は、彼女の内部を露出された左胸に内包された、黄色い液体の中で脈を打ち彼女を生かしていた。 

 そしてそれ以外の部分は、腕、足、胴体のつなぎ目に、縫い合わせたかのような黒い線が引かれていた。

 まるでサイボーグだ。

 人間に改造された、あるいは造られた何か。彼女は何なのか分からないが、もし、エリーニュスに関わるものなら、俺は覚悟を決めなければならないだろう。


「――お前は」


 俺は目の前の少女に問いかける。


「――お前は――誰だ」


 少女の表情は、変わらない。

 答えないつもりか。

 それとも俺を煮るなり焼くなり好きにするのか。

 どうする。

 彼女を押さえることができればこの場から逃げられるかもしれない。

 だが、ここから生きて帰れる保証はない。

 ほかにも人間はいるだろうし、最終的に取り押さえられるのがオチだろう。

 もうおしまいか――。

 諦めかけたその時。



「ごはん」


 

 少女は口を開いた。


「……は?」


 俺は目をぱちくりする。

 彼女の声は可愛らしく、鈴のような癒される音色だった。

 いや、そんなこと考えてどうする。

 今、こいつは何て言った?


「……ごはん……準備ができた……」


 少女は再び俺に言葉をかける。

 どうやら聞き間違いではないようだ。

 こいつは、俺に食事に誘っているのだ。

 敵かもしれない俺に。


「……いや待て……ごはんって」

「……ついてきて」


 少女は勝手に扉の前から姿を消す。


「お、おい!? ちょっと待て!」


 訳も分からず、俺は独房のような部屋から飛び出す。


「お前、一体なんなんだよ!? ここはどこだ!? 俺をどうする気だ!? なぜ、エリーニュスは俺を連れ出した!? ていうか、聞きたいことが山ほどあるんだが―――――!!」


 俺は少女についてきながら、彼女に質問を浴びせる。

 そんな俺に、少女は振り返り。


「……まずは、ごはん」


 と俺をせき止めた。


「……」


 一体どういう状況だよ……。

 


 飯を食う場所に向かう道中、目の前の少女と共に歩き、俺はこの施設かどうかも分からない”どこか”を見渡してみた。

 見た感じ、俺達の他に人の気配はない。 

 その割には、様々な配線のようなものに溢れている場所ではあるものの、とても広い所であった。その広さが、誰もいない静寂のなかで、異様な不気味さを生み出していた。

 本当に、ここはどこだ?

 やはりエリーニュスの中か?

 あまりにも情報がなさすぎる。

 そもそも、目の前のこいつはなんだ?

 疑問が頭の中に渦巻いて、耐え切れず少女に質問をした。


「……なあ。お前一人か?」


 少女は歩きながら俺に振り向き。


「……まずは、ごはん」


 ――と、以前の時と同じ言葉を発する。


「……そんなに飯が大事か……」


 俺はあきれてため息をする。

 すると少女立ち止まり、俺を見つめる。


「……だめ?」


 俺を見る目は、何故か、怯えた猫のようだった。


「あ……いや……」


 その目で見つめられて、俺は彼女を追いこんでしまったのではないかと反省する。

相手が、正体がわからない異質な存在とはいえ、困らせるような事をするのは少し胃が痛い思いがした。


「別に責めるつもりはなかったんだ。……ただ色々と分からない事だらけで結構焦ってたていうか……。とにかくこっちもあんたの気持ちを考えずに……すまない」


 謝る俺に少女は目を丸くした。何を驚いているのか分からないが、俺に悪気はないことは伝わったようだ。……まあ最初はこの少女に警戒をしたのは事実だが。


「……ううん」


 少女は本当に申し訳なさそうに、目を伏せた。


「……こっちも、ごめんなさい」 


 ――と多分素直に謝った。

 どうやら彼女にも、敵意があるわけではなさそうだ。


「……ただ、どう接すればいいか、わからなくて……その、まずは、ごはんといっしょに、話したほうがいいかなと思って……」


 彼女は、必死に自分の気持ちを伝えようとしているみたいだった。


「……」


 まるで外の世界を知らない子供の様だ、と思った。

 彼女のことは全くと言っていいほど知らない。

 だが、ここが俺と彼女以外人の気配がしないところをみると、本当に人との関わりは最小限だったのかもしれない。 

 ということは、彼女はずっと独りだったのかもしれない。

 独り。

 それは、まるでここにずっと閉じ込められているみたいだと、少し彼女の心の中に悲しみを感じた。


「わかった」 


 俺は彼女に目を合わせる。


「ひとまずあんたの言う通り、飯にしよう。お互い分からないことばかりだと思うし、とりあえず気を落ち着かせよう」

「……」


 少女は少しだけ気を楽にしたようだ。


「……うん」


 そして歩き出し。


「……まずは、ごはん」


 ――とまた同じ言葉を言った。

 ……もはやこいつの口癖なのかもしれない。

 俺は彼女の事を知らない。

 だから、知らなければならない。

 ここから脱出するためにも。

 そう、俺の目標は変わらない。

 生き残る。

 いつだってそうだ。

 自分が生き残るためには手段を選ばない。

 そのためなら。

 目の前の少女だって――。


「そうだな、まずはごはんだ」


 だからまずは、まだ名前も知らない少女に俺はついていった。


「……」


 彼女は、いつからここにいるのだろう。 

 彼女に関わろうとした人間はいたのだろうか。

 早とちりかもしれないが、彼女の中に孤独を感じる。

 俺は生き残るためなら人間も絶滅危惧種だって犠牲にする。

 だが、俺は彼女の孤独に。

 わずかながら共感を覚える自分がいた。


 その後、俺たちは特に話すこともなく、食事をする場所にたどり着いた。

 少女は、その場所にあったなんだかやたら大きい機械の前に立つと、その機械を操作しはじめた。すると機械は唸るような動作音を発し、そして透明な液体のようなものがのった二つの皿が、ガチャンと音を立てて機械から現れた。


「ちょっとまて」


 俺はそのいかにも得体の知れない生物のゲロのような物質を見て少女に質問する。


「まさかと思うが……それが食事じゃないよな……?」

「……?」


 少女は俺の言ってる意味が分からないようだ。


「……これが、ごはん」

「……おい……」


 嘘でもいいから否定してほしかった……。


「……わたしがいつも食べているごはんだけど……食べたくない……?」


 少女は上目遣いで聞いてくる。


「いや食べないとは言ってないが……それはなんだ?」 


 俺は再び彼女に問いかける。せめてそのいかにもおぞましい物質の正体が知りたい。


「外にある空気を除染して、その空気の中にある分子を栄養素に変換して、物質化したもの。……原理は、よく分からない……」


「……ああ……」


 要するに、空気を飯に変えたということか。

 すごい技術だ。

 文明崩壊以前でも、さっきのやつと似たような技術が開発している最中だと言うニュースをよく見かけたが、その成功技術といったところか。

 話を聞いた限り、食べたところで中毒にはならないだろう。

 問題は、味だ。


「それで……うまいのか?」

「……”うまい”?」


 少女は首をかしげる。

 嫌な予感がする……。


「ほら、口の中に入れて舌がどう感じるのかっていう話で……」

「……した?」


 彼女はべっとちょっとだけ舌を出してみた。

 そのしぐさが、不覚にもかわいいとわずかながら思った。


「……何も感じない」

「……そうか」


 味はないということか。


「……ごめんなさい……。これしか用意できない……」


 少女は、また怯えるような姿をして、謝った。

 彼女は、思ったより他人を思いやれるやつみたいだ。


「そんなに謝るなよ。俺でも食べられなくはないんだろう? せっかく出してくれたんだし頂くよ」


 俺は彼女の怯える姿に申し訳なさを覚えつつ、機械の台に置かれた皿の一つを手に取る。彼女が良かれと思って出してくれたものだ。頂かないのは失礼だ。

 俺は部屋にある机の前に座り、皿を置き、用意してあったスプーンで透明な飯をすくい、口に運んだ。予想通り味のないゼリーを食べているようだった。だが、決して食べられないという訳ではない。

 少女も俺に向かい合うようにして机の前に座る。そして何の感情もなく、飯を黙々と飯を食べる。

 さて。

 そろそろ本題に入ろう。


「なあ」


 俺はスプーンを皿の上に置き、目の前の少女に向き合う。


「お前は――何者だ?」


 少女は食事をする動作を行いながら、俺の言葉を聞く。

 そして。


「わたしは――」


 スプーンを置いた。



「この機体の、パイロット」



 心臓が凍った。

 今、聞いた話が信じられない。

 なんて言った?

 この機体?

 この機体ってまさか――。


「お前の言う機体って――」


 俺は自分が今言っている言葉が震えているのを感じる……。

 聞いていいのか。

 聞けば俺はの禁断の秘密を紐解くことになる――。

 その秘密はあまりにも。

 世界がひっくり返るほどに重い重圧になる――。


「――エリーニュスの事か」


 それでも。

 俺は質問を止めることができなかった。

 そして。

 パイロットと名乗った少女は――。


「うん」


 ただ俺の予想を肯定した――。



「わたしが、人類を滅ぼした」



「―――――――――――」


 確信した。

 今まで俺たち生存者は、エリーニュスは人工知能か何かで動くものだと思っていた。

 だが違った。

 この七年間、人類を、世界を破滅へと導いたのは。

 他でもない目の前の少女だったのだ。

 そして”この機体”といったからには、ここはエリーニュスの内部。

 今俺は捕虜の状態であるということだ。


「――お前が」


 本当に、信じられない。

 この外の世界のことを何も知らないような少女が。

 全人類への殺戮を繰り返したなんて。


「本当にやったのか? お前が、エリーニュスのパイロットで、大勢の人間を――殺してきたのか?」


 俺は答えのわかりきった質問を繰り返す。 


「うん」 


 少女は、答えた。

 淡々と。

 ただ事実だけを述べた。


「――なぜだ」


 今度は質問を変えた。

 怒りはない。

 相手が人間なら。

 何か理由があるはずだと思ったからだ。


「なぜ、こんなことをした?」 


 少女は、目を逸らし。


「……命令されたから」


 と答えた。


「命令? どんな命令だ?」


 ここで第三者が出てくるのか。


「……すべての人間を――殺せって」

「…………」


 そうか。

 どうやら彼女自身の意思ではないようだ。

 どこか別の、はた迷惑な悪意を持った誰かが、彼女に全て押し付けて、世界を滅ぼせなんて命令をされただけのようだ。


「……そうか」

「……怒らないの?」


 少女は怯えるように目を合わせながら言った。


「――確かに、エリーニュスによって仲間を失うことは何度もあった。それでこの機械を憎む奴もたくさんいた。でもな、俺は仲間が死んで一度も悲しいと思ったことはないんだよ。自分だけが生き残っていればいい。それが誰にも言えない本音なんだ」


 不思議な話だ、今までジョアにも言わなかったことをこの少女にはすんなり言える。おそらく、名前も知らない彼女だからこそ言えたことなのかもしれない。

 俺は改めて彼女に向き合い。


「それに、今までやってきたことは、自分の意志ではないんだろ?」

「―――――」


 少女は驚いたように目を見張った。


「……? 何を驚いているんだ?」


 俺は少女に問いかける。


「……いや……」


 何やらもじもじしながら、顔を逸らしている。その逸らした顔は、赤く染まっているように思えた。


「……いままで、そんなこと、言われたこと、なかったから……」 

「……」


 いままで?


「もしかして、俺の他にもここにさらった奴がいたのか? そしてそいつらから、ひどいことをされたのか? 挙句の果てには、殺されかけたことも……?」 


 少女は、こちらに目を合わせないまま。

 こくりと頷いた。


「なぜだ?」

 俺はますます分からなくなってきた。 


「自分に危害が及ぶと知っていてなぜ人をさらおうとする? そもそもなぜ人をさらう? ――お前の目的は、なんだ?」


 少女は息を吸ってはいて、やがてゆっくりと俺に目を合わせる。


「……確かに、最初はただ命令に従っていればいいと思っていた。……何も考えず、人間を殺していればいいと、思ってた」 


 そして少女は、上を見上げた。


「でも人間は、わたしに教え込まれたような、醜い存在だけじゃないと最近分かってきた。皆生きるためになかよしになって、戦って、楽しく話す姿がわたしにはとても美しく見えた。――人間はただ愚かじゃないって思うようになった」


 その言葉を聞き、俺は少し嬉しくなった。

 この少女は、自分に与えられた理不尽な命令に抗う意思を持っている。

 その意志はきっと、彼女を強くする。


「……それで、人間と対話しようと思った」


 そうか。

 それで多少強引だが、人間をさらったということか。

 それが彼女なりの接触の仕方なのだろう。


「なあ。人をさらったのはこれで何回目だ?」


 変な質問に思うかもしれないが、これが何回やったかによって彼女の傷はどれだけあるか把握できると思い、この質問をした。

 彼女は、質問を返す。


「……二回目」


 二回目?

 もっとあるかと思った。


「……最初のとき、五人ぐらい一気にさらった。ほとんどの人がパニックになっていた」


 確かに、エリーニュスにさらわれたとなると、正常な姿勢にはならないだろう。


「……そして……」


 彼女が口篭もる。


「……ひどいことをされたんだな」


 彼女は黙って頷いた。


「……何も考えていなかった……」


 気が付けば、少女の目に涙がにじんでいた。


「『お前のせいで』『殺してやる』『何人死んだと思っている』って言ってわたしを襲った人もいた。……銃を向けた人も……」

「……」


 確かにそうなる理由もわかる。

 こんな世界にした張本人が目の前に現れたら人間はどうなるか、想像するのはたやすい。

 むしろよく殺されなかったと思う。 


「俺をさらってからどれくらい時間がたった?」


 俺は別の疑問を知るために彼女に質問をした。


「一時間」


 ――まだ一日も経っていないということか。


「二日前、日本に訪れたよな」

「……うん」

「なぜ、またすぐに日本に戻ってきたんだ」


 少女は俺を見つめ。


「……あなたの反応を見つけたから」


 ――俺の?

「俺がどうしたっていうんだ?」


 少女は涙をこらえながら、言葉を紡ぐ。


「あなたは」 


 一瞬。

 少女の涙が止まった。 


「あなたは、

「――――!」


 俺は一瞬、警戒する。

 だが、それが間違いだった。

 少女は置いてかれた子供のように、また泣きそうになった。


「……ごめんなさい……」


 少女の目に涙がだんだんたまってゆく。

 こんな子が。

 こんな、泣くことのできる人間が、世界を滅ぼしたというのか。


「わたしのせい」


 少女は、静かに顔を手で覆った。まるで自責の涙を誰にも見せなくするように。


「……全部わたしのせいなの……」


 彼女の声に嗚咽が混じる。


「……」


 確信した。

 彼女は加害者だ。

 でも同時に被害者でもある。

 俺は、どうすればいいのか。

 彼女を責めるのは簡単だ。

 だが彼女をこれ以上責めるのは、もう十分だろう。

 俺は席を立った。


「ちょっとお前に見せたいものがあるんだ。俺のかばんは?」


 少女は鼻をすすりながら、この部屋を出た。数分後、彼女はボロボロの俺のリュックサックを持って現れた。


「……中身は壊れていないと思う……」

「ありがとう。ちょっと待ってろ」


 俺はバックの中身を開け、目当てのものを探す。

 すると。

 とあるものが目に入った。


「――――――」


 それはナイフだった。

 鞘に収まって沈黙を守っている刃物。

 俺にとって因縁深いモノ。

 俺が凶器だ。


「…………」


 嫌な記憶が蘇る。

 俺は、あの日――。


「……どうしたの」


 少女がこちらを覗く。


「あ、いや、何でもない」


 ふと我に返る。

 改めてカバンの中を探り、俺はオレンジのフルーツが入った缶を取り出す。


「それは?」

「あの食事じゃ腹も満たされないからな。やっぱり飯と言ったらこういうもんだろ」


 事前に持っていた缶切りで缶を開け、皮のないみかんが姿を現す。

 俺はフォークでみかんを刺し、そのまま少女の口元に寄せた。


「ほら、食べてみろ」


 少女は最初は戸惑ったものの、みかんを口に運んだ。


「……!」


 少女は驚いた様子を見せ、口の中身を粗食する。


「どうだ?」

「今まで感じたことのない感覚がする……。舌が、なんだかまろやかな感じがする」

「……それは多分、”甘い”ってやつだ」

「甘い?」

「味覚ってやつだよ。他にも辛いとか酸っぱいとか、俺は味わったことはないが……渋いというのあるぞ」

「……すごい……」


 少女は興味深そうに聞いた。


「……あーん」


 少女は犬のように次のみかんを待っていた。俺はもう一度フォークでみかんを刺し、彼女の口に運ぶ。

 彼女の本当の食事を見守りながら、話しかける。


「なあ」


 少女はみかんを口に頬張りながら、耳を傾ける。


「この世の中には楽しいことがたくさんあるんだ。飯を食う以外にも体を動かしたり、ゲームとかあったり、この世界にはお前の知らないものがたくさんあるんだ」


 そう、俺は彼女を責めるのではなく。

 彼女の言う人間の美しさを見せてやろう。

 彼女を殺すか殺さないかは。

 その後に決めればいい。


「俺が見せてやるよ。人間の儚さってやつをな」


 それが少女と同じ人殺しである俺だからこそできることだから。

 少女は驚いた顔をした後。



「――ありがとう」



 と。

 不器用な笑顔を見せた。


「……」


 その不器用さが、思わずかわいいと思ってしまった。


「ところで食べないの?」

「え、ああ」


 全部のみかんを少女にあげるつもりだったが、せっかくなので俺もみかんを口に運んだ。

 そこで気づいた。 

 少女が口に運んだフォークでみかんを食べてしまったことに。

 知らぬ間に間接キスをしてしまった。

 顔が真っ赤になる。

 頭が真っ白になる。

 そしてそのまま固まってしまった。


「……どうしたの」 


 凍り付いたように動かなくなった俺に、少女は尋ねる。


「あ……いや……」


 気を取り戻した俺は、真っ赤になった顔を隠す。

 全く。

 しばらくここで暮らすことになると。

 心臓がいつまでもつか分からない……。



「ところでお前の名前は?」


 食事を終え、片付けをしていたところ俺はふと尋ねた。


「……なまえ?」


「ほら、何て呼ばれていたかってことだよ」


 少女は人差し指を口元に寄せ、記憶を辿ろうとしていた。

 しばらくして、少女は。


「人造人間〇九二三ぜろきゅうにさん


 といかにも堅苦しい名前を告げた。


「……まともな名前すら与えられなかったっていうのか……」


 俺は改めて、この少女に全てを押し付けた何者かに怒りを覚えた。


「……おかしかった?」


 少女は困った顔をした。


「ああ。おかしい。名前はもっと大切に扱うべきだ」

「……じゃあどうすればいいんだろう……」

「そうだな……」


 俺は、少し考え。


「じゃあ、”ニサ”というのはどうだろう」


 少女は俺がつけた名前に反応した。


「……ニサ……」


「ああ。人造人間〇九二三の二三にさんからとったんだが……いやか?」


 少女は少し嬉しそうに頬を緩ませながら。


「ううん。すごく、いい」


 と微笑んだ。


「……そうか」


 俺も満足して肩の荷を降ろした

 ニサ。

 今日からこれが、少女の名だ。

 それは俺とニサの。

 いずれ戦いあうまでの物語だ――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エリーニュスのニサ 水利はる @mizuriharu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ