第2話 エリーニュス

「いいか! 奴を見かけたらその場を離れることだけを考えろ! 接触すれば死ぬと思え! 互いのバディの連携を大事にしろ!」

 

 ジョアは全速力で走りながら、無線で離れている仲間達に呼びかける。その後ろに俺も同行していた。

 メンバーはジョアと俺を含めて十四人。

 それぞれのバディで違う道を行き、エリーニュスが来るまでにショッピングモールを脱出し、あらかじめ用意していた乗り物に乗り、指定された目的地で合流するというのがジョアの立てた作戦だった。エリーニュスには生きた人間を探知できるセンサーが搭載されている。つまり、無駄に隠れようとしても、探知されて殺されるということだ。奴との接触は避けられないだろうが、俺達には今すぐにこの場を離れるという選択肢しかなかった。

 あえて二組で行動するのも理由がある。

 万が一全員で行動して奴に見つかり、あっけなく全滅するという事態になれば、俺たちの家である集落に物資が一切と届かないという最悪な結果になるだろう。一人が殺されたとしても、生き残った誰かが一個でも多くの物資を届ける。それが、調達班である俺達の役目だった。 

 だが、それはあくまで資源調達班としての役目。


「いいか! 全員で生きて帰るぞ!」


 おぉ! と無線越しで雄叫びが聞こえる。

 ジョアをリーダーとした俺達の目標は、全員で生きて帰ることだ。 

 それだけは、十四人の心は一つだ。


「それにしても、”声”が聞こえないな……」

「ああ。そろそろ聞こえてもおかしくはないはずだが……」


 俺の質問にジョアは改めて奴への警戒を強めた。

 エリーニュスは、とあるセリフを発する特徴がある。

 ”人間は愚かです” 

 ”人間は死ぬべきです”

 ”なぜ、あなた方は生きているのですか”

 ”死んでください”

 人間への殺意。 

 人間への憎悪。

 それらの悪意が込められた言葉の羅列を、機械的に、無感情に、雑音が混じった音声で繰り返し発信する。機械のように人間に対する呪詛を吐きながら、人々と街を、殺し破壊する姿は今も俺達のトラウマとして残っている。 

 俺達はその音声を”声”と呼んでいる。

 俺達の死を呼ぶ死神の歌であり。

 奴の存在を明らかにする警告音でもある。

 それが聞こえないということは、奴はまだ遠い場所に滞在しているのか。 それとも――。


「花也! 止まれ!」


 ジョアが走る俺を制した

 すると前方の道がまるで雪崩のように、岩と砂が入り混じった、崩壊する音と共に崩れはじめた。ここは三階だ。よく見れば二階の道も共に崩壊したので、もしジョアが止めてくれなかったら、今頃崩れ落ちる床と共に真っ逆さまに落っこちていただろう。


「危なかったな」


 ジョアは俺の身を案じた。


「すまねえ。この道、モールに入るときから危ない道だと思っていたが……。こういう時に限って……」

「ああ。ついさっきまでこの道を通った時は大丈夫だったが……。ギリギリだったということか……」

「どうする? ひきかえして別の道に行くか?」

「いや。奴の行動速度は桁違いだ。すぐにでも奴が来る可能性がある限り、無駄な行動は避けるべきだろう」 


 改めて、俺たちは崩れた道の先を見る。その先にはモールの三階に上がるときに使った階段がある。他の階段は、ここよりかなり遠い場所にあるか、岩で塞がっていて使えない。

だから、モールから脱出するには目の前の階段を使い、一階に降りて、入り口まで向かうしかない。


「総員に通達。Ⅾルートの道は使い物にならなくなった。まだ三階や二階にいる者は用心しろ。以上」


 ジョアは他のバディに警告する。幸いにも、この道を通るバディは俺たちしかいないが、万が一別の仲間がこの道を訪れないように、念には念をと忠告する。生き残るためには、自分に起きた問題を、お互いに共有するのが俺達のルールだ。


「それで、俺達はどうする?」 


 俺はジョアに判断を仰ぐ。他の道に引き返さないというのなら、あの階段を使うしかないが……。

 ジョアは俺の顔を見、決意を固めたかのようにニッと笑みを浮かべる。

 これはをするときの笑みだ。


「花也」


 ジョアの声に緊張が張る。


「——ああ」


 俺達はうなずきあう。分かたれた道の長さは、俺達が全力で飛べばギリギリたどり着ける距離だった。危ない道ではあるが、一刻も早く脱出するためにはこれが最善の策だった。

 落ちれば死。

 だがもたもたしても死。

 ならば、危険でも、わずかに生き残る可能性に賭けるしかない。


「俺が先に行く」


 ジョアはその言葉で己を鼓舞するように先導する。 

 そして少しでも飛ぶ距離を長くするように、崖から遠く離れる。

 深く深呼吸する。

 目を閉じる。

 ジョアは今恐怖と戦っている。

 自己を暗示するように勇気を奮い立たせる。

 決して簡単なことではない。 

 死と隣り合わせの生活をしている俺達は死への恐怖を誰よりも知っている。 

 そして、その恐怖を克服することは。 

 誰にも、できることじゃない。

 それでも――。


「ジョア」


 俺はジョアに呼びかける。

 そして、ただ深くうなずいた。


「――――」


 意図を察したのか、ジョアは真剣なまなざしで俺にうなずき返す。

 そして前方を見る。

 ジョアの表情に、迷いはなかった。

 意を決し、ジョアは走った。

 俺はそれを黙って見る。

 この緊迫した空間の中で。 

 たった一つの呼吸でさえ、ジョアを遮ることになりそうだ。

 だから、ただ見守る。

 相棒の決意が。

 無駄にならないように——。


「おおおお!」


 そして、飛んだ。

 ジョアの体は弧を描き、崖の向こう側へと向かてゆく。

 ——そしてジョアの足が。

 崖の向こう側に届くことはなかった。


「ジョア!」


 一瞬、戦慄した。


「おおおおおおおおお!」


 だがジョアはすぐさま手を伸ばし。

 崖の端にしっかりと、つかまった。


「ジョア! 大丈夫か!」 


 何とか、ジョアは落ちることはなかった。


「ああ! あとは上がるだけだ!」


 ジョアは言うと、腕を崖の端まで持っていき、体全体を床に持ち上げた。

 そして安堵したように体を床に転ばせた。

 ジョアは、生き残った。


「さあ! あとはお前だ! 急げ!」


 ジョアはすぐに立ち上がり、俺に差し出すように手を伸ばす。

 さて。

 次は俺の番だ。 

 緊張が走る。

 不安が襲い掛かる。 

 今まで、死にそうになったことは何度もあった。

 その時の、死神が見えそうになるほどの恐怖は、いつまでも慣れるものではなかった。

 人間同士の争い。

 自然の崩壊による事故。

 そして——エリ―ニュス。

 それらを通して得たものは。

 生存意志せいぞんいし

 ただ、生き延びるということだけ考えること。

 恐怖を強制的に押し殺し、戦うこと。

 何を犠牲にしても。

 生きる。

 そのためならば苦楽を共にした相棒であっても、犠牲にするだろう。

 すまない。ジョア。

 俺の本心は生き汚い生存本能でいっぱいなんだ。

 俺には何もないはずなのに……。

 それでも。

 それでも、俺は――。 

 恐怖をリセットする。

 体を、生きるための機械に書き換える。

 俺の全てを、生存意志の塊に置き換える……!


「……ふう」


 深呼吸をする。

 生きるのに不要なものを取り除くように。

 迷いを捨てる。

 そして。 

 走る。 

 立ち止まるな。

 ただ、目の前の崖から飛び出すことだけを考えろ。 

 振り返らず、

 真っすぐに。

 行け。

 行け。 

 行け――。

 そして。

 飛び上がろうとした瞬間。

 *それ*は現れた。

 下からぬっと、それは出現した。

 世界は闇に覆われた。 

 だが、確かに見える。 

 人間への殺意を感じさせる、重火器に覆われた異形の姿。

 光を簡単に覆い隠す、圧倒的な巨体。

 気づかなかった。 

 自分から見て右の壁は床が崩れたと共に崩壊し、外の景色が見えるようになっていた。

 その景色から*奴*の姿が”声”を発せずまるで忍び寄るハンターのように現れたのだ。


「総員に通達!」


 仲間の誰かが無線を通して、*奴*への警告を発信する。 

 だが、もう遅い。

 崖はもう目の前だ。

 止まれば、落ちる。

 そして、死ぬ。

 だが飛んだとしても、*奴*に殺されて——死ぬ。

 死ぬ。 

 死ぬ。 

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!


「わあああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――!」


 飛んだ。

 殺されるとわかって、飛んだ。


「奴が……! が来た!」


 無線の続きが綴られる。

 それが、俺が聞く人間の最後の声になるだろう。

 皮肉な話だ。

 生きるのに必死だった俺が最後に聞く言葉が、大量殺戮兵器の名前だなんて——。

 俺はやはり。

 体の全てが、殺した奴らの血で汚れているのかもしれない——。

 その時。

 がしっと。

 俺の体を縛り付けるような感覚がした。


「花也!」


 ジョアの声が聞こえる。

 痛みはない。 

 銃声も聞こえない。

 どうやらまだ俺もジョアも死んでいないみたいだ。

 暗くてよくわからないが、どうやら俺は奴にアームのようなものでつかまれているようだ。

 何が。 

 何が起きている?

 こんな事、今まであった事も聞いた事もない。


「う……うわあああああああああああああ!?」


 そしてぐんと俺はそのまま連れ去られた。

 その途中で、俺は日光を浴びた。光に包まれ、俺はやっと自分の状況を確認できる。 

 俺は自分の体を見る。やはり俺は四つの爪で構成されたアームで拘束されている。抵抗しても恐らく解くことは叶わないだろうし、解けたとしても奈落の底で真っ逆さまだ。

 だから俺は何もしなかった。

 その時。

 ちくりと体に針のようなものに刺されたような感覚がした。


「——あ」


 視界が歪む。

 眠気が襲いかかってくる。

 俺、は。

 麻酔、を、かけられた、の、だろう、か。 

 だめだ。 

 意識を、失う。 

 こんな、こ、と、で。 

 や、だ……。

 


 成す術べもなく海原花也は意識を失った。

 そしてそのまま、エリ―ニュスの内部に連れ去られていった。 

 その様子をジョアは黙って見ていることしか出来なかった。

 ジョアは次にとる行動を必死に模索していた。

 エリ―ニュスの目的がなんであれ、今花也を救出するのは絶望的だろう。

 そしてエリ―ニュスに接触した以上、死は避けられない。そして今さっき見せたエリ―ニュスの異質な行動。それが自分にもされるのではないかと、様々な要因が重なり、混乱で体が硬直する。

 まさに八方塞がりだった。

 覚悟を、決めるしかないのか……。

 ジョアの心に死、そしてエリ―ニュスに何をされるかわからない恐怖が襲い掛かる。

 花也の安否。

 そしてジョアと花也達とは別の仲間達の消息。

 そしてリーダーとしてのジョアの死。 

 いくつもの不安がジョアの脳を支配する。


「――――――」


 エリ―ニュスは動きだした。

 ジョアは身構える。


「――!?」 


 ――だがエリ―ニュスはジョアの姿に目もくれず、そのままあっという間に地平線の彼方へ飛んで行った。

 もうそこに、エリ―ニュスはいなかった。

 ――どういうことだ?

 ジョアは安心したと同時に本当に混乱する。

 今日のエリ―ニュスは行動に規則性がない。

 最後まで”声”を発さなかったこと。

 人を、花也を拉致したこと。

 そして、殺さずに去っていったこと――。

 奴の目的はなんだ?

 ジョアは、いくら考察してもわからなかった。


「バディⅮ! バディⅮ! 応答せよ! バディⅮ! 応答せよ!」


 思考を巡らせている間に、他の仲間から通信が入ってきた。


「こちらジョア。無事だ」

「ジョア!? 平気か!? よかった……。何とかあんたら以外のバディは全員集まったよ。後はあんたらが合流するだけだ」

「……そうか」


 どうやらエリ―ニュスは本当に誰も殺さないでおいたようだ。仲間の無事を確認でき、ジョアは安堵する。


「……」

「? ジョア? どうした? 何かあったのか?」


 ジョアの沈黙に仲間が心配する。


「……花也が、エリ―ニュスに連れていかれた」

「……なんだって?」


 ジョアの報告に仲間は動揺する。


「確かに今回の奴の出現にはおかしなことがたくさんあった……。”声”も聞こえなかったから奴を発見したのもモールから脱出した後だったし……。いったい奴の目的はなんだ?」

「わからん。もしかすると花也から俺達の集落の情報を聞き出して一網打尽二にするつもりかもしれん」

「聞き出すって、誰が?」


 その仲間の問いかけに、彼自身の恐怖心を感じる。


「……エリ―ニュスの中にいる、だ」


 ジョアはあえてありのままを伝えた。はぐらかしても意味がないことを、長い間チームのリーダーをやってきたジョアは知っている。

 そして無線を仲間全員に繋げる。


「総員に通達! 今すぐに俺が戻るまでに帰還の準備をしろ! そして集落へ帰還したら今すぐに俺達生存者は別の拠点を探しに移動する! 時は一刻を争う! 急げ!」


 無線越しに帰還の準備に取り掛かる仲間達の音が聞こえる。


「……花也は無事だろうか……」


 仲間の一人が呟く。


「……」


 ジョアは何も言えなかった。

 花也はかけがえのない相棒だった。 

 五年前、花也と出会ってから苦楽を共にしていた。花也のおかげで助かったこともあったし、仲間からの信頼も厚かった。花也は酒を飲み明かす程のまさに友といえる存在だった。

 そんな花也が、得体の知れない奴に連れ去られてしまった。

 奴の中で何をされているのか。

 考えるだけでも恐ろしい。

 そして、まだ生きている可能性のある花也を見捨てなければならない。

 エリ―ニュスに抵抗すれば、殺されるのは目に見えているし、自分達にエリ―ニュスに対抗できる手段はない。

 だから、見捨てるしかない。

 その様な選択しかできない自分を、ジョアは憎らしく思う。


「……すまない……」


 ジョアは自分への戒めとして、花也への謝罪の言葉を言う。

 これまで、守れなかった仲間はたくさんいた。

 そのたびに、ジョアは仲間の死を背負い、生き抜いてきた。

 そのたびに、謝っていた。

 そして今度は、相棒の命を背負って生きていく。

 そんなことしかできない自分を。

 謝ることしかできない自分を。

 どうか許してくれ。花也。

 そしてジョアはすぐに、生き残った仲間達のために、一秒でも早く彼らのもとへ走り出した。

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